③ 艦長たるもの
重苦しい空気というのは、どこであろうと作り出せるものなのだな……と、ディンスレイ・オルド・クラレイスは考えていた。
場所は自身の仕事部屋である巨大ドックの端に仮設された、ディンスレイにとっての執務室。
以前に自分に宛がわれていた執務室とは大きく違い、利便性に富み過ぎている……つまり最低限の広さと、そこへ過剰とも言える書類の山。ついでに机と椅子と棚がある、そんな場所であり、それなりに気に入っているが、緊張感は足りない場所でもあった。
だが、そんな空間すら、重くしてしまう話題というものが存在している。
国の行く末を左右する話題というのは、そういう類のものだろう。
「この手の話が真っ先に送られてくるというのは、期待されているのだと誇るべきなのか? ディンスレイ大佐」
狭い執務室をさらに狭くしている大きな身体を持つその男、ゴーウィル・グラットン。
ディンスレイよりも随分と年上なのだが、まだまだ軍人らしさを発し続けるその男は、ディンスレイが大佐という地位になった今でもなお、上官という立場にあった。
彼、ディンスレイにとっては昔からの後見役もしてくれているゴーウィル・グラットン元大佐は、現在、国軍内部で提督という立場にある。
シルフェニア国軍における提督というのは、平時においては国軍内部のトップと言える地位だ。
この提督という肩書を持つ者達が合議し、時に単独の判断で国軍全体を動かして行く。
勿論、有事であれば船頭が多くてなんとやらの事態になるため、もっと明確な指示系統が出来上がるわけだが、そうで無ければ、この合議制でのやり方が、政治方面との相性も良いのだと考えられている。
無限の大地は広い。トップが一人であると、なかなか意思が行き渡ってくれないものだ。
何にせよ、今、ディンスレイは旧知の相手とは言え、国軍のトップを呼びだした形になる。
「これが名誉かどうかは分かりませんね。貧乏くじを真っ先に引いた形になるかと尋ねるべきでしょう」
「ほう? そう尋ねるとどんな返しが待っている?」
「大当たりだと答えます。今、丁度、私がそんな気持ちですから」
特大の貧乏くじを引いてしまった。今のディンスレイの感情のうち、三割くらいはそういうものが占めている。今後の仕事に支障が出そうなので、一割くらいに抑えておく必要があるだろう。
さて、ではゴーウィル提督の方はどうだろうか? どれくらいの貧乏くじを引いたと感じてくれるか……。
「戦争になると思うか」
「かなり大事だと考えてくれているみたいで助かります。話が早い」
「悠長に構えたり、希望的観測に縋っていられる状況じゃあ無いだろうからな。違うのか?」
「違いませんが、戦争になるかどうかという問い掛けには、ならないと答えます」
「奴らはやって来ないか、奴らと融和出来ると?」
「何も準備できずに居れば、戦争にすらならずに、我々は制圧されるでしょう」
シルフェニアが国力を注ぎ込んで作ろうとしているワープ艦やそれに寄って構成される艦隊。それだって、結局はオルグの技術のコピーの、そのまた模倣でしかない。
技術の発展は着実にしているだろうが、オルグや、そのオルグに勝ってしまったハルエラヴと比較すれば、足元にすら及んでいるかどうか。
「ここでその話を聞いた以上……俺がシルフェニア上層部に現実を伝える役目という事かぁ」
頭の痛そうな表情を浮かべるゴーウィル提督。さっきからそんな表情なので変わっちゃいないのであるが、感情がさらに籠っている様に見えた。
相手の心の中なんて分からない自分を自負しているので、あえて無視するが。
「提督には、もっと多くの物を背負っていただくつもりですから、それだけの役目で終わりません」
「そりゃそうなのだろうが、嫌な気分になってくるな。どういう狙いだ、今回は」
「今回の狙いだなんて。普段は妙な企みなんぞ持ちませんよ、私は」
だが、今は違っている。自分だけの問題では無く、シルフェニア全体を左右する問題だ。左右し過ぎて天秤が壊れる程のそれだろう。
なら、幾らでも策や企みを巡らすものだ。
「俺を呼んだのは、俺には話を通しやすいから……だけじゃあないな?」
「勿論です。危機を伝えるだけで仕事が終わるなら、ひたすら騒ぐだけで十分ですが、軍人であるなら、どうするべきかの案まで一緒に持って行かなければ」
「で、どういう案があると?」
「奇抜な話じゃあありません。別に現状、シルフェニアが戦争に巻き込まれたとかそういう状況ではない。驚異となる技術を持った隣国同士のうち、片方が勝利したというだけで、そうなった時、何をするべきか。シルフェニア拡大期の戦史にも確か、例があったはずだ」
「偵察だな。風聞や噂だけで大事を判断するのは危険だ」
ディンスレイは頷いた。
現状、通信装置越しに、ハルエラヴの勝利宣言だけを耳に入れたという状況だ。それだけでも動揺や影響が大きいのであるが、それだけの状況では無いはずなのだ。もしかしたら、想像よりもっと大変な事態になっているかもしれない。一方でその逆だって、今の段階なら言えてしまう。それもこれも、手元にある情報が少なすぎるのが原因だ。楽観も悲観もし放題というのは、それはそれで問題だった。
だからこそ、自らの目で確かめて、多くの情報を持ち帰る必要がある。
西方赤嵐を越えた、その向こう側から。
「危険な行為だが、あくまでそれをしてスタートライン……か。分かる話ではあるな。今すぐにでも派遣する人材を集めて……おい、待て、ディン」
ゴーウィル提督にとって、つい、こちらを愛称で呼んでしまうくらいに、気を取られる話題にはなったらしい。
だが、その話すためにゴーウィル提督を呼び出したのだから、動揺するだけ動揺して欲しい。むしろ呆れられたか?
「危険な偵察役として、私が向かう。おかしな話でしょうか?」
「支障しか無いだろうが。そもそもここはどうする。ワープ艦を完成させるのも、国の重要事だろう。それを放っておくのか?」
「まさか。もし、万が一にでもハルエラヴ達と何かしらの抗争に発展する事態になれば、ワープ艦は重要な手段になる。言い方は悪いですが、戦力と言える。その完成を後回しにするなど以ての外でしょう」
事は偵察をして、さらにそれが成功して、そこで終わりというわけでは無いのだ。
その後がある。その後こそが本番だ。その本番がどの様な形になるかは、今の段階では分からない。
ただ、選択肢は増やしておく必要はあるだろう。この巨大ドックに存在する飛空艦はすべて、その選択肢に成り得るだけの価値があると考えている。完成さえすれば、という補足が付くが。
「俺にお前の仕事を引き継げと? 提督の俺が?」
「既にワープ艦そのものの完成は目途がついています。指揮する側はその目途に合わせて、人を動かすだけで済むくらいに。人の問題については……それこそ、時間が解決するしかない。訓練は行って貰っている」
「だから見ているだけで済むという話でも無いだろう。不足の事態というのは必ずあるものだ。そうなった時、尻拭いするのは俺になるわけか?」
「この仕事、最初から本当はあなたの指導の元に行われていたという事にすれば良い。口裏は合わせます。それならば……あなたが例え何らかの苦労を背負い込んだとしても、これまでの、文字通り人一倍の働きをしていたから、仕方ないという名目を立つはずだ」
「そうなった時、お前は大佐にもなったというのに、おしめも取れてない半人前という事になるぞ」
「文字通りそうです。あなたに今、仕事を頼もうとしている」
ゴーウィル提督でなければ出来ない仕事。そういう判断をしているのも、この人が頼りになる人間だと知っているからだ。
それはまさに、甘えている事になる。だから言い訳なんかしない。
「……好奇心や冒険心だけで行くつもりじゃあないな?」
「私なら、ハルエラヴとオルグも、西方赤嵐の向こう側を旅した経験がある。未踏領域そのものへの適性も勿論あるでしょう。これは別に自惚れでは無く、そうとしか言い様が無いし、選び様も無いという意味です」
「どうしたって、偵察役はお前が行くのが適正と言いたいわけか?」
「もし、私が行かない場合、シルフェニアが滅びる可能性が増える。万が一などという可能性では無く、目に見える形で。そういう評価を出しています。あなたはどうですか?」
「……」
渋い顔を浮かべるゴーウィル提督。
我慢している言葉は、それでも大佐級の人間が軽はずみに動くべきではない。その立場にはその立場なりにやるべき事がある。後方の仕事とて必要不可欠で重要な仕事だ。まあそんなところだろう。
何故そんな正論を我慢しているか。それは彼が、算段が出来る人間だからだ。
国の将来なんて大層で形の無いものに対して、どうするべきかを考えられる頭がある。だからなかなか言葉が出てこない。彼はそういう人だ。
「そこまでか? お前が向かう事がベストだとしてだ。他人に任せてしまうという選択だって今は出来るわけだ。そうする事で、確かにシルフェニアの危機は大きくなるだろう。しかし、それでも―――
「このシルフェニアに、帰って来ようとしている部下がいるんですよ」
「うん?」
「いえ、断言は出来ません。そういう希望を見ているだけです。だが、帰って来ようとしていると信じたい。そういう奴がいて、いざ帰ってくれば、この国が滅んでいたなんて、それだけは避けたいじゃあないですか」
この場に相応しくない、感情的な言葉だった。だが、感情的だからこそ、本音から出た言葉でもある。
ゴーウィル・グラットンという男には、それを隠さずに伝えておくべきだと思った。
「まったく……ああ、良いだろう。行ってしまえ。その言葉で十分に分かった。お前は飛空艦の艦長だよ。そういう奴の言葉だ。今のはな」
だからまた、飛び立たなければならない。この無限の大地の空を。
現状、提督一人と大佐一人の意思決定。そうして切羽詰まった現実の問題が盛りだくさんとあって、ディンスレイが予想した以上に、事はスムーズに進んでくれた。
ブラックテイルⅡ自体が、ディンスレイが管理していた巨大ドックの隅に置かれていたというのもあるだろう。
実験艦たるブラックテイルⅡは、その存在そのものが、そうして蓄積したデータが、ワープ艦の建造に役立ってくれていた。
言ってみれば、ある種の先達。何か不足や不具合があれば、ブラックテイルⅡはどうなっているかを参考にする事で、いったい幾つの問題が解決してくれた事やら。
そうして今、ワープ艦の完成が目に見えて来た段階に至り、ブラックテイルⅡはドックに残るワープ艦達に、その背中を見せる時がやってきた。
単純に、ドックから出て空を飛ぶという言葉を、恰好付けて表現するならそうなるだろうか。
「大佐級の人間が一飛空艦の艦長をするというのも、かなり珍しいぞと怒られたよ、諸君」
「前例が殆ど無いから止めろという言葉をそう表現されると、シルフェニア国軍も相当に気楽な組織に思えてきますね」
艦長席の横から、何時も通りの副長の言葉が返って来る。
テグロアン・ムイーズ副長の淡々とした口調も、今日まで来れば、随分と親しみを覚えてしまうものになっていた。
いや単に、慣れきってしまったので、不気味に感じるだけ損という境地へと至っただけか。
何にせよ、彼は今、またディンスレイの右腕として副長席に座っている。それを上等だと思う。
「うちは気楽も気楽な組織だ。人を呼び寄せようとしたら、このメインブリッジメンバーを再び揃える事が出来る。それくらいには気楽だ」
「あら、全然気楽じゃないわよ? むしろとんでも無い話を聞いて、飛んで来た側だもの、あたし」
「ミニセル操舵士については、良く見つかってくれたと思うところだよ。君はシルフェニア中を飛び回り過ぎだ。いざという時には探す手間がある」
「あらごめんなさいね、艦長さんったら。わたくしったら、軍にも普段属さない、移り気な乙女でございますのでー?」
こういう悪態も、心にすっと入って来る優しさを感じるというのは、自分の感覚がおかしなものになってしまったからか?
その可能性は多いにあるだろう。ミニセル・マニアルという女性を相手にしていると、そういうおかしさが身に付いて来る。
「いやでも、案外、二人ともお互いの居場所みたいなのが分かるんじゃないですか? 身体は離れてても、心は通じ合ってるとか、そういう関係性っぽいじゃないですか」
「そのジョークは悪趣味だぞ主任観測士」
「最近、そういうのって厳しくなってるわよね? 軍だとどうなの? 副長さん?」
「勿論、公的組織である以上、仕事に問題が無ければ、私生活に踏み込む話題というのは控えるべきです。なかなかに問題視される言葉かと」
「ちょっと!? なんか僕への言葉だけ厳しくありません!?」
慌てた様子のテリアン・ショウジ主任観測士を見て、ディンスレイは笑った。
素直に愉快だった。
彼が滑稽だったからでは勿論無い。
今回の旅の目的は危険極まるもので、尚且つ冒険心を満たすためでは無く、敵対的な存在の偵察を行うという、士気を上げる事も苦慮するものである。
だというのに、ここに集まっている船員達は何時も通りに努めていてくれている。
その事が嬉しいのだ。
「さて、主任観測士との漫談をする時間は、この後に幾らでもあるとして、そろそろ締めのタイミングだ。艦内すべてに通信を繋ぐ。さすがに笑い話を続けるなよ」
そんな事は分かっているとばかりに頷きで返されるのを見守りつつ、ディンスレイはブラックテイルⅡ艦内へと通信を繋げる。
繋げた先には、今まで通りの顔も名前も性格だって知った船員がいるだろうし、今回はそうでも無い船員も相当にいる。
ブラックテイル号の旅からこっち、再び同じ航路を進む事になったディンスレイであるが、その顔ぶれは大きく変わってしまったと言って良い。
特に、何時も船内幹部をしてくれていたガニ整備班長は今回、ブラックテイルⅡには搭乗していない。
ワープ艦に搭乗する予定の船員達の指導をするという役目に関して、彼に限っては持ち場を離れる事が出来なかったのだ。
どうにか人の都合が付けられないものかと努力はしてみたのだが、どの様な理屈を付けても、ガニ整備班長は指導教官を兼任出来ず、尚且つ、現状は後者の方が重要という結論が出てしまうのだった。
正直、その点で今回の旅は不安だ。これまでは彼が機関室にいる事で、ブラックテイルⅡは空を飛び続ける事が出来た。
それは持ち上げの言葉では無く、れっきとした事実としてここにあり、だからこそ今は無い。
そんな不安を、ディンスレイで無くても抱えているはずだ。
抱えているからこそ、それを含めて、ディンスレイは声を発する。
「諸君。艦内で今なお、働いてくれている諸君らに伝える」
ディンスレイは艦内に通信で声を繋げつつ、視線は前。メインブリッジから見える景色。
赤い嵐が広がるシルフェニア西方の景色を睨む。
「本艦、ブラックテイルⅡは西方赤嵐へと進む。ワープは無しだ。この艦に現在搭載されている船体バリアは、あの赤い嵐に十分に耐えられる物だからな。目算でも予想でも無く、これは単なる事実だ。あの赤い嵐は既に、我々にとって越えられぬ壁では無くなったどころか、高い壁ですらない」
前回の旅と比較すれば、随分と変わったと思う。船体バリアの技術は、オヌ帝国との和平から始まる交流の元で、かの帝国からシルフェニアが得た技術だった。
つまり、この西方赤嵐を最初に越えた時には無かった代物だ。
新しい技術は、新しい環境を生み、新しい見地へと至り、そうしてどうしようも無い変化として現れる。
それだって受け止めながら、ディンスレイは話を続けた。
「今回、我々の目標はあの赤き壁の向こうにある。いや、いる。ハルエラヴと呼ばれる、我々よりも高度な技術、文化、哲学だって持つかもしれない、そういう存在だ。前回、未踏領域と呼ばれていた頃に遭遇した彼らは、我々シルフェニアの人間と敵対する姿勢を見せていた。蔑み、恐怖もしながらな」
種族の発展。そこに竜という超常の存在へのトラウマがあった彼らは、他者を、周囲の環境を制圧する事を発展の糧としていた。
その他の排する様な生き方に反旗を翻したのがオルグと呼ばれる種族だ。ハルエラヴとオルグ。この両者の種族は根が同じ種族であり、何時しか争う様になり、そうして今、オルグに勝利したのだとハルエラヴは宣言している。
「我々が次にハルエラヴと遭遇した時、いったいどうなるだろうか? それは分からない。まったくの謎だ。我々はハルエラヴについて、まだ何も知らない」
彼らの種族としての恐怖心。それを肌で感じたディンスレイであったが、それ以上となると、何ら断言も出来ない無知のままだ。
今回の旅はまず、それを認める事から始まる。
「これは……彼らを知るための旅だ。ブラックテイルⅡはそのために空を飛ぶ。心して掛かれ? 知られる事を嫌いそうな相手だからな」
通信を終える。
今回の門出は、こんなもので良いだろう。それで十分とは言えない。今回の旅に関しては、全面的に船員全員を信頼できるとすら言えない。ドラゴンゲートでの旅よりさらにの数、新顔が多いためだ。
それくらいに準備の時間が足りなかった。
だから、これから構築していくのだ。この赤い嵐の先にすぐ、目的地があるわけでも無い。まずはハルエラヴを探すための旅を始める。その間に、新たな船員達との交流だって進めていかなければ。
艦長というやつは、何時だって大変だ。背中にいろいろと背負い込む仕事だ。
だからこそ、大佐と呼ばれるより、艦長と呼ばれる方が背に筋が通る。
それを自覚しながら、ディンスレイはその言葉を叫んだ。
「ブラックテイルⅡ。発進!」
ブラックテイルⅡが赤い嵐へと向かって行く。その先にある、ハルエラヴ達の領域へと足を踏み入れるために。




