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無限の大地と黒いエイ  作者: きーち
無限の大地ともう一つ日
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閉幕 タイミー・マルファルドの一日 前編

 ブラックテイルⅡがシルフェニアへと帰還してからは、船員一人一人に至るまで、ひたすら忙しい日々であった……と、タイミー・マルファルドの記憶には残っている。

 わざわざそんな風に思い返してしまうくらいには、忙しく、一方で細かい部分は記憶に残り難い日々であったと言える。

 帰ってすぐは、それぞれの船員が残した日誌を、シルフェニア国軍の各部署へ提出して、その後、気になる箇所の聞き取りなどが繰り返されていたはずだ。

 タイミーも日誌は船員として行うべき義務であるとは聞いていたので、抜けは多少あるかもしれないが、余計な事を書いたつもりは無く、また事前にそういうものだという説明もあったため、日誌の提出そのものにも文句は無かった。

 色々不満があったのは、やはりその内容に対するしつこい聞き取りである。

「この内容は本当かって、日誌に嘘書いたらそれこそお叱りものでしょーが……」

 と、顎を目の前のテーブルに乗せつつ呟く。

 シルフェニア中央都市グアンマージにある喫茶店。何でも最近開店したとかで、見るからにぴかぴかしているその店の外観に惹かれて立ち寄ったのだが、出て来たディンキージュースはいまいちなお味だった。

 いや、それを飲むタイミーの心持ちに問題があるのかもしれないけれど。

(ほんと、柄にも無く忙しいせい。それも普通の忙しさじゃないせい)

 テーブルに乗せた顎を放し、次に顔を上に向けた。

 テラス席に案内されたおかげか、上を向けばそこに青い空がある。何時か見た忌々しい薄黄色の空なんかじゃない、雲だの鳥だのがある青空だ。

 こうやって悠長に空を眺めているのだって、仕事と仕事の合間に漸く作れた時間だからだ。

 シルフェニアへのブラックテイルⅡ帰還後、どうにも揉めているという空気は肌で感じていた。

 何が揉めているのかについても、帰還後に船員同士で話をする機会があり、幾らかの雑談の後、見解の一致を得た。

 ブラックテイルⅡのドラゴンゲートでの旅について、軍の上層部がそれそのままを受け入れられずに居るらしいのだ。

 というか、この場合は国の上層部とも言えるのか。

 前の戦争の記憶だって、新しいも新しいこのグアンマージ。そこを中心としたシルフェニアという国は、今だって色々と慌ただしい状況であり、そんな中で未踏領域より来た少女という厄介事を、同じくらいに持て余していたブラックテイルⅡで送り返した……という側面がこの度のブラックテイルⅡの仕事にはあった。そう聞いている。

 そうしてそんなブラックテイルⅡが帰還してみれば、山脈壁の向こうに隠されていた種々様々な、異常とも言える事象や現象、経緯を報告して来たのである。

 仕事を先送りにする様な決断をしたら、五倍くらいになって返って来た感じかとタイミーが尋ねたところ、同僚たちはもうちょっと言い方があるだろうという表情を浮かべつつ肯定してきた。

 だからつまり、タイミー達の忙しさというのは、その状況の余波みたいなものであるのだろう。

 まとめてしまうと、上役達が信じられない、信じたくないという事柄を沢山持ち帰って来たタイミー達は、本当か? この仕事の量は嘘じゃないかと確認を受け続けていたという事だ。

(それにしたって、とりあえず落ち着いて来たから、こうやって休憩時間を悠々自適に取れてる……って思いたいところだけど)

 ただし、思いたいだけで事実では無いだろう。

 現実はまだまだ忙しい。だいたい、タイミーがグアンマージに居るのだって、はるばる別の都市から空を飛んでやって来たからだ。

 ブラックテイルⅡでの仕事を終え、何時までも艦内でじっとしていられるわけも無し、船員達はその後の正式な配属先が決まるまで、シルフェニア国内にあるどこかの国軍関係の組織で、臨時的に働いているという事になっているのだ。

 まさに臨時的だから、日々をその組織の仕事に費やすなんて事は無いが、普段住んでいるのはその組織がある都市である。

 グアンマージなんかは中央都市だけあって、それなりの地位でなければそういう臨時さからも除外されるわけで、タイミーはその除外対象である。

 なのにどうして今、グアンマージの喫茶店で空を見上げているのかと言えば、これも仕事だ。中央都市グアンマージで、タイミー自身がやるべき事が発生したので、飛空船に乗ってでも来いとの事らしい。

 今はその指定時間からまだ余裕があるおかげで、空の旅の疲れを取っている最中だった。ブラックテイルⅡでもっと長い時間、空の旅を続けて来た割には、まだまだ慣れぬものである。

 確かワープ技術が一般にも公開されつつあって、都市間の移動用にワープ旅客飛空船なるものが計画されているという話を聞いた事はあるが、実現するのは何時になる事やら。

(それがあれば、もう少し仕事にだって余裕が出来るし―――

 心にだって余裕も。

 そんな事を思い始めたところで、そろそろ喫茶店を出る準備を始める。呼び出された場所と時間を考えれば、そろそろ店を出る必要がある。

 やはり、今のタイミーに余裕なんてさっぱり無かった。

 日々の忙しさにも、心の中にも。




 先の戦争の前と後で何が大きく変わっているかという話ならば、やはりグアンマージの中央区画だろう。

 戦争の被害により破壊された行政区画は、しかし無ければ困るという要請から、瓦礫の撤去と新たな庁舎の建築が急ピッチで進んでおり、ドラゴンゲートをブラックテイルⅡで旅した前と後ですら景色が大きく変わっている様に見えた。

 タイミーの印象の中には、中央区画の周辺にはスラム街があって、中央区画を目指して歩いていると、ごみごみとした場所を通るというものがあるのだが、現状、その中央区画へ辿り着いたところで、そんな印象を抱かなかった。

 スラム街というものも無くなったのかもしれない。

 何なら、今、自分がいる場所もかつてはその一部だったのではないか?

 工事現場が周囲に多く見える中で、他より早く完成した様に見える、真っ直ぐに空を目指している様な高層の建築物を見上げながら、やはりタイミーは考えていた。

(景色が大きく変わって来ると、自分がどこにいるかまで分からなくなって来るって? 冗談じゃあない気分)

 見上げる青みがかった高層の建造物は、建材に浮遊石を混ぜ、これまでより高く、その頂点を空側に置ける様になった……という噂のものらしい。友人からが話していた知識なので、具体的にはどういう類のものかは想像できない。そもそもその友人にしたところで、ブラックテイルⅡで旅する前に聞いた話らしく、その時、この建造物はまだ他と同じ工事中の―――

「ああ、馬鹿。自分から思い出すって事も無いじゃん」

 つい呟く。

 頭だって掻く。

 タイミーの交友関係は相応に広い。その自覚はあれど、工事中の建造物の知識なんてものをわざわざ教えて来る友人なんて一人しか居ない。

 馬鹿な友人だ。タイミーとは趣向やら生き方自体が違っていて、人の良さと気の弱さとバレてないつもりで居る出世欲なんかも持った、そんな友人。

 専門知識なんて話されても、半分も理解出来ないのだから、もっと好きな食べ物やら今日の天気やらを話せば良いと常々思っていた、そんな友人。

「あいつ……今頃何してるやら」

 ドラゴンゲートでの旅の終わりに、離れ離れになったその友人。国軍において作戦中で行方不明になった軍人は、短期間の内に死亡した事になるというのに、そんな気分にさせてくれない別れ方をしてきた、あの整備班員の友人の顔を思い出す。

 その隣に今も居るであろう女の子の顔もだ。そうして、泣きそうになっている自分自身に気が付いてしまう。

 なんたる事だ。普段、気にしない様に努めていたし、あの二人の顔を思い出してセンチメンタルな気持ちになるなんて事は癪だから避けていたというのに、ここに来て涙が零れそうになっているなんて。

 これから人に会うのだぞ? それも目上だ。みっともない顔なんて見せていられない。普段飄々と生きている様に見られているのは、常に余裕を持つ生き方を心掛けているからだ。

 これでも相応に努力した生き方をしている。これからだってそうだ。だから、なんとか表情を立て直す。気分というのは、外に見せようとしなければ隠し通せる。そういうものだろう。

「よし、行くか!」

 軽く言ってやれば、建造物から出ようとしていたらしき他の人間が肩をびくりと震わせていた。

 光栄に思うが良い。

 乙女が心機一転、前を向いて歩き始めようとする瞬間を見られた事を。

 いや別に、まだ心の方は一転させられていないのだけれど。




 その高層建造物の名称を、シルフェニア国軍中央第二庁舎という。

 威圧的な見た目に反して、なんとも味気無い字面であるが、一応、物々しい役割の場所であるから、それくらいの名前でバランスが取れている……と、タイミーは思う事にした。

 都合良く物事を考えるのは大切な事だ。現実っていうのは何時だって自分に都合良くはならないのだから、思考の方向性自体は気分良くありたいものである。

(どれだけ嫌だ嫌だと思っていても、時間は進むし、目的の場所にも辿り着いてしまうし?)

 と、タイミーの足が止まる。これ以上足を進めたくなくなったのでは無く、これ以上足を進められない場所に来てしまったのだ。

 目の前には扉がある。シルフェニア国軍の庁舎の、結構上方にある個室。個人用の執務室でもあるというのだから、扉の先にいる人物は相応の地位にあるという事だろう。

 それ自体は、別に億劫になる要素では無い。目の上の人間だって、心持ち次第では気安くなれるのがタイミーという人間の在り方だからだ。

 何時だって、心のどこかに余裕を持って。それは上司と部下という対人関係においても変わらず持っていた。

 気が重いのは、この扉を開けてしまうと、その余裕が無くなってしまうからだろう。

 だからドアノブを握るのだって躊躇してしま―――

「タイミー・マルファルド看護士だな? 廊下に何時までも立っているのもなんだろう? 入ると良い」

「……えっと、なんでわかるんですか?」

 ドアの向こう側から話し掛けられれば、躊躇するもしないも無い。そのままドアを開けて、入室の挨拶もせずに、部屋の主へと話し掛けた。

 紺色のカーペットと部屋の脇には壁を隠す様に高い棚が並び、奥には外を見渡せる窓……部屋の主はその窓の手前側に、大きな執務机を挟んで立っていた。

 非常に仰々しい部屋なのであるが、そんな部屋が妙に似合っているというのが、この人物の特異さの一つであろう。

 ディンスレイ・オルド・クラレイス。タイミーとは一応、今だって艦長とその部下の船員という関係である、その人物。

 そんな人物が、タイミーに向けてくる言葉なんて……。

「この部屋な」

「はい?」

「内側からだと、外の廊下の音が聞こえやすくなってる。作った人間の性格の悪さが分かるだろう?」

 暫くぶりだと言うのに、この話題の始まりは何なのだろうか。それとも、この人にとっての平常運転がこれなのか。一度考えると、そうかもしれない気がして来た。

「独り言を言ってたなら分かりますけど、足音を聞けたとして、私だって分かるもんなんです?」

 相手がこの手のノリで来るなら、自分も乗らせて貰う。緊張する必要が無くなったというのに、わざわざ自分からそうなる必要もあるまい。

「この時間、扉の前に来る予定の相手なんて君くらいだからな。それでも人違いの場合もあるだろうが、その時は、会う予定だった相手と勘違いしたと言えばそれで済む」

「説明されると、すげー単純って感じですね、はい」

 言いつつ、一歩さらにディンスレイ艦長側へと近づく。

 彼が話を始める空気を軽くしてくれている事くらい、タイミーとて気付く。いや、タイミーだから気付くのだ。

「ま、何にせよ、良く来てくれた、タイミー・マルファルド看護士。そこにでも座ると良い」

 部屋の端あたりにあるソファーを指すディンスレイ艦長。執務室に応接用のスペースまで用意されているというのは、国軍の中佐というのはそこまでの立場なのだろうか。いや、今は特務中佐なんだったか? いやいやドラゴンゲートの旅が終わった以上は元の中佐か。

「どうした? 何か話したい事でも?」

「ええっと、いえ。大丈夫です。っていうかお茶、そっちが入れてくれるんです?」

「茶じゃなくコーハのジュースだ。ホットで良いな?」

 どこかの棚からカップを二つ用意したディンスレイ艦長が、執務机の上に乗っていたポットより、その中身を入れている。

 暫くその姿を見た後、タイミーははっとする。

「あっ、もしかして私がするべきじゃないです!? それ!」

 慌ててソファーから立ち上がるも、既に遅く、ディンスレイ艦長はタイミーの対面側のソファーに座って来た。間にあるガラスの机の上にカップを置かれれば、後は座り直すしかなかった。

「余計な気遣いというのも、今更だろう? 第一、こんな大きな部屋をたった一人に与えられてはな。何かと自分で出来る事をやらなければ、途端に手持ち無沙汰になる」

「そういうもんなんですか?」

 遠慮出来る様な状況だって、あえて奪われてしまった。そう思うから、机の上に置かれたカップを手に取りつつ尋ねる。これ、ホットと言う割にぬるいぞ?

「個人的には、やはり飛空艦の艦長席に座りたいところだな。あっちの方が居心地が良い。兎に角やるべき事が無くならない」

「個人的には、それってすげー大変って感じに聞こえるんですけどー……」

 ただ、目の前の男がタイミーでは無い以上、そういう考え方を持ったっておかしくないとは思う。だってディンスレイ艦長という存在が、そもそもおかしい人間に含まれるからだ。

「大変に感じるというなら、大佐なんて階級は、個人的に大変なものだと思っていたのだがね、今のところ、そうでも無い」

 確かに大佐という階級を前に出されれば、それは忙しいはずと思ってしまう。ディンスレイ艦長の言を信じる場合、それはそうでも無いという事になるらしいが……。

「えっ、大佐?」

「ああ。ドラゴンゲートの我々の旅は、一応、国軍内部ではプラス評価であるという事でまとまったらしい。なんで、私の場合は出世だ。君ら船員に関しても、経歴に書けばそれなりの特典があるらしいぞ。あくまで今のところ、国軍内部での扱いでしか無いがね」

「はー……」

 となると、目の前の男はシルフェニア国軍でも異常な程に若い大佐……という事になるのだろうか。シルフェニア国軍の方針にだって、大きくは無いだろうが意見は出せるし、政治的な立ち回りだって出来る地位……という風にタイミーは把握しているのが、大佐という階級だ。

 なんでそんな階級を、他人から呼ばれる肩書が変わった程度で済ませているのだろう。この男。

「裏の意味の方が、今は重要だと思うんだよ、私は」

「裏? 何の裏です?」

「私を出世させるというのは、功績への評価以上に、持って帰って来た成果とやらを本当に国軍内部の成果とするために、上手くまとめてみろという意図があるという事だ。兎に角今のシルフェニア国内では、あらゆる部分で手が足りんからな。仕事が増えそうならその手を増やすという足回りの速さは、評価するべきだとは思うが……」

 つまり、ドラゴンゲートを旅するという厄介な仕事を任された男は、厄介な事柄を多く持ち帰って来たので、その厄介事を捌く様に命じられて、その地位も与えられた……という事らしい。

 当人にとっては皮肉な物語の登場人物になった気分なのだろう。タイミーからすれば、おかしな人間がさらにおかしな事になったという事になるが……。

「あー、じゃあ、私が今回ここに来たというのも……」

「既に伝えてあるだろう? 君の今後の所属を決めるためだ。そのための権限も私に与えられている。だから安心したまえ……というのはおかしな言葉かもしれないがな」

 確かに、おかしな言葉だ。

 これからディンスレイ艦長から出て来る言葉に、安心出来る内容なんてまったく無いはずだからだ。

 兎に角、読めない男。タイミーという人間ではそう評価する事しか出来ぬ男。

 そんな上司に、タイミーはこれからの処遇を決められる。

 そのためにこそ、今、タイミーはここへやってきたのだ。



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