⑧ 見られた
ブラックテイルⅡが揺れている。
外部の環境や攻撃が原因で無く、機関部がその性能を十全に発揮する際に伝わる緩やかな振動だ。
目を閉じ、五感を集中させる事で分かる、そういう類の振動であり、作業に集中するならば無視する事だって出来る程度のそれ。
それを一旦感じつつ、ディンスレイは目を開いた。
「副長、そちらの確認は終わったか」
「ええ、勿論。各部署、最低限の準備は終えています。これ以上を望むとなれば、むしろ時間を掛けてしまう形になりますので、オススメはしません」
通信機器を使い終えた様子のテグロアン副長の言葉に頷きを返しつつ、次にディンスレイは操舵士のミニセルを見た。
「操舵士。艦の動きは何時もとは絶対に違うはずだ。ワープ中、操舵を誤る事が無い様にな」
「誰に言ってるの? この艦の誰よりも上手くそれが出来るから、操舵士やってるの、こっちは」
「旅の中で腕を上げて来ている副操舵士には、まだ負けられないと言ったところか?」
「どっちかと言えば、今は観測士役じゃない? ねぇ、主任観測士?」
「逆に僕の方が手持ち無沙汰だ。今のところ、ここでする事が無いんですよね。観測器の性能向上、もっと強く祈っておくべきだったかな?」
冗談を言っている様に聞こえるが、これでテリアン主任観測士は本気で悩んでいるに違いない。今のところ、その仕事はスーサに奪われたままである。
彼女は今、ブラックテイルⅡへ新たに追加された機能を用い、まさに遥か遠くを観測している。そうして、その座標を見つけたのだ。
「現地に着いたら、もしかしたら君の仕事が山盛りかもしれないぞ? 世界の中心付近まで、まさかこの変わり映えしない色ばかりという事もあるまい。恐らく」
「最後の恐らくは要りませんよ。期待するっていうのもおかしい話にはなりそうだ」
確かにその通り。ここに来て、大きな変化というのは、ディンスレイ達にとって良いものではあるまい。
既に起こるべき好転は起き切って、今がベストだ。後に起こるだろうすべては迫り来る困難だと考えて事に挑むべきで、その点、主任観測士が暇してる現状は、それを受け止める余裕があると思う事にする。無理矢理にでも思考は前向きに。
「何にせよ、前に進むべきタイミングだ。こちらも機関部との話は終えている。あっちは整備班員一名抜けていたとしても、万全な状況だそうだ。後はただ、我々が出来る限りをするだけ。なかなか気分が良いな?」
「プレッシャーに潰されそうという言葉を、艦長語にするとそうなりますか?」
「ならないな、副長。少なくとも、プレッシャーに潰されそうという感覚は無い。この感覚を言葉にするならそうだな……」
一瞬考え、考える必要も無いと笑い飛ばした。言うべき事なんて、今は決まっている。
「ワープ開始だ。諸君」
遥か彼方へと、心と身体を飛ばす言葉。
「了解! ワープ開始!」
ミニセルの返答と共に、ブラックテイルⅡが空を貫く。飛ぶのでは無く、空間を貫くそれで、ブラックテイルⅡは加速という言葉すらおこがましい程の距離を飛ぶ。
それは一瞬。その一瞬だけは、薄黄色の空すら無くなり、そうして次の瞬間には、薄黄色の空が再び……いや。
「ワープ完了……って張り切って言うべきタイミングだけど……これってなんて言うべきかしら?」
「……」
ミニセルの言葉が聞こえなかったわけでは無いが、それでもディンスレイは言葉を返せなかった。
すぐに声を出せなかったと言うべきか。
薄黄色の世界の中心。そこへと辿り着くためのワープが完了した結果、そこに見えた景色に、ディンスレイは絶句したのだ。
予想の一つには、他と変わらぬ薄黄色の空が広がるだけというものがあった。恐らく、それがもっともがっかりする景色であり、そうで無かった事を喜ぶ……べきかは分からないが、少なくとも、今、目に映る光景を喜ぶ感性をディンスレイは持っていない。
むしろ、これは悪趣味の類では無いか?
ブラックテイルⅡメインブリッジから見える外の光景。それは、目であった。
人の目……ではない。いや、人の目なのか? スーサの額にある様な、宝石に見えなくも無い目。しかしそれは大きく、大きいからこそ分かる。宝石の様に見えても、それは有機的なそれだった。
生物的な質感が、距離があっても分かる。そうして、数もあるから分かるのだ。
「等間隔で並んでいるからこその不気味さもあるでしょうね。あれは」
副長も漸く口を開いて来た。
外には、一つ一つがディンスレイの身長の何倍もありそうな、宝石状の目が、等間隔に、無数に並んでいる。そういう景色がある。
恐らく、その只中にブラックテイルⅡはワープしてしまった。この景色こそが、世界の中心だから。
「一応、こっちを向いてるってわけでも無さそうですけど……」
主任観測士がなんとか絞り出して来た情報。漸く観測士が仕事出来る変化が起こったわけだが、それでも、どう解釈するべきかは迷うものなのだろう。ディンスレイとて、それを聞いてどう受け止めれば良いやら。
「ううむ。私から見ても、こちらを確かに見ていない……いや、すべてバラバラの方を向いている……のか?」
もし、それらの目が等間隔で並んでいなければ、無秩序という印象を持っていた事だろう。上下左右に斜め上斜め下。それぞれの角度も微妙にズレて、見ているとどうにも収まりの悪さを感じる、そういうものであった。
大きさについても、大きいという印象は共通であるが、一つ一つ、まったく同じ大きさというわけでも無さそうだった。色についてもそうだ。
「やはりスーサの額にある第三眼。ここに並んでいるのはそういうものなのだろうと思うし、形も色も似通ってるが、それでも比較すれば、違う気もしてくる」
「空色だっけ? ここだと薄黄色の意味になりそうだからあれだけど、青とか水色とかでも現わせそうで、けど違うっぽいっていうか……」
ミニセルと二人して、どういう答えを出すべきかも分からないまま意見を出し合う。
「実際、ちゃんと観測してみると、形も色も大きさも全部違いますよこれ。共通点はあるのに、共通点のみで個性が出てる感じですかね? これは……何というか……」
「なるほど、個性だ」
と、納得する様な声を発したのはテグロアン副長だった。そういえば彼も何やら考えていたのか、沈黙を続けていた。
「個性については、それがある事はこの場の皆が理解するところだがな、副長」
「いえ、そういう意味では無く、例えばですよ? これは非常に不気味な想像になってしまうでしょうが、我々の腕だけが等間隔に並んだ場合、形としては腕が並ぶと表現出来ますが、個別毎に個性があってバラバラだ……という印象になるのではないでしょうか?」
「うえっ、実際に不気味な光景を想像しちゃいましたね」
主任観測士に同感である。頭の中にある光景と、現実の光景か混じり合い、今、自分達がいる場所が、ひどくグロテスクな場所なのではないかと思ってしまう。
(この想像の一番厄介なのが、事実そうかもしれないというところだろうな……)
並ぶ宝石状の目。スーサの額にある様なその目。かつて、生物都市に住んでいた者達の額にもあった目。
彼らが作った世界。
彼らが成ってしまったのは、この世界……そうして、この目の前の光景こそそうなのでは無いか。
墓標というにはあまりにも生々しいそれ。
「けど、なんで目なのかしら? というか……目だけ?」
「これは想像でしか無いが……集団で世界を構築するというのは、その他が余計な機能だと判断されたのではないか? 我々とて、今の様にブラックテイルⅡというものを中心としているからこそ安定しているが、そうで無ければ、人間二人だけでも、思考が混じり合って混沌とした状況となっていた」
人が竜に、そうして世界になるというのはどういう事なのか。技術的にも哲学的にもそこに至っていないディンスレイ達には分からないが、まさに世界そのものになろうとした彼らもまた、同じ悩みを持っていたのではないか? そうして、ある種の解法を思い付いた。
「人が複数、統一の存在になるとして、その方法というのは、安易なものが一つありますか」
「そこらの知識も豊富か、副長?」
「集団を扇動する方法については多少の知識が」
空恐ろしい事を言ってくるが、確かにその手の知識にも掛かる話ではあるのだろう。
集団の思考を一つにするというのは、それだけで良い悪いを評価出来ない。悪い方向でも、一つにする方法があるからだ。
「艦長も副長も悪い顔してます? 大衆に挑発する様な物言いをしてみるとかそういう話ですか?」
「そういう手段もあるが、手っ取り早い方法として、情報を限らせるというものがあるのさ、主任観測士」
人の考え方や趣向というのも種々様々であるが、得る情報や生きる環境を限定すれば、多様だったそれが一様になっていくものだ。与えられる栄養が偏れば、生物は似た様な疾患に掛かる様に。
「あたしの方はその手の話、詳しくは無いんだけど、この世界の場合、皆が協力してやっても居たのよね? なら、確かに出来るんじゃないかしら? どういう情報を限ったのかは分かんないけど」
「何もかもさ、ミニセル操舵士。ここに目が並んでいるだろう? ただし、目だけだ。それを受容する脳も、感じ取る身体も無い。ただ見る事だけに限ったのだと思う。見て、考えれば、それぞれに異なる思考が出て来てしまう。だから……やはり目だけになったんだ」
どういう方法だ? どういう技術の元、それが出来る? それに何の意味がある? 頭の中に疑問符が浮かび上がっていくものの、人と人とが力を合わせれば、本来起こせない事象が起こせるというのを、今、自分達が証明している最中だ。
なれば、彼らとてそれをしたのかもしれない。多くの、それこそ都市の住民の大半が、同じ方を向いた。そのために、他の行為や器官を切り捨てて、ある種の、圧倒的な力を生み出し……それだけで終わった。
「ただ見るだけ。それだけに特化したから、この世界は一様な薄黄色でしか無くなった……のかもしれんな」
そうして、自らの存在を竜の域へと至らせるための方法が、至った後に意味の無い災害へと変わる原因にもなった。
そんな想像をすると、この不気味極まる景色にも、何か、もの悲しさを感じてしまう様な―――
「いや、悠長に考えている時間も無いか。ミニセル操舵士! 飛ばせ! 限界までだ!」
「分かってるけどどこに……って、それは突っ走ってからよね!」
こういう時、いちいち口論にならなくて助かる。
やはりというか、皆で目の前の景色に危機感を覚えたからだ。
勿論、その景色とは並ぶ目に対してだ。そのままであっても恐ろしさを感じるというのに、いきなり、そのすべてがこちらを向き始めたのである。
合図になる様なものは無かった……はずだ。ただブラックテイルⅡがこの空域に現れたというのが切っ掛けそのものだったかもしれないが。
だが、それがどういう類のものであれ、良いものではあるまい。だからこそ、ブラックテイルⅡの全速を出して渦中から逃げるのだ。
その判断が正しいと判断出来たのは、事が起こってから。
「後方より衝撃! 視線が目を潰した!?」
主任観測士からの報告は意味不明なものであったが、メインブリッジの窓端の景色を見ればそのままの意味だと分かった。
光を歪ませ、後方の視界を確保できるその部分には、やはり歪んでいるが、そちらにも並ぶ目があって、目の視線が集まっている場所が蒸発したのだ。
この空間内で蒸発する様なものは、勿論、並ぶ目だけである。ただし、そこにはさっきまでブラックテイルⅡがあったはずだ。
「攻撃してきましたか。もしや意思があるのでしょうか?」
「可能性の一つだな、副長。だがあくまで、観測に寄ってしか答えは出せんだろう。ミニセル操舵士! 腕を緩めるなよ!」
「了解してる! けど! 本当に視線の先を破壊してくるってのなら、何時までも逃げ切れないんじゃあない!?」
それもやはり、可能性の一つだろう。目にさえ映れば、相手を蒸発させられる様な存在に対して、ブラックテイルⅡがどこまで逃げ切れるか。
ただ、危うい可能性の一つは、逃げている間に消えてくれた。
「一応、今の速度であれば、発生している現象から逃げられるらしい。やつらめ、意思みたいなものは無いと見えるぞ、副長!」
「動くものをただ視線で追う機能……と言ったところですか、これは」
並ぶ目の間と間にある空を飛んでいくブラックテイルⅡの後方から、常に衝撃が伝わり、船体が揺れる。
それはつまり、ブラックテイルⅡを一定の速度で視線が追って来ているという事だ。先回りして見ようという意図は無いのだ。
ただひたすら、そこにある異物を見つめ続ける。そんなところか。
「主任観測士から嫌な報告を上げますよ! 良いですね! それはそれとして、徐々に距離が詰まって来てます!」
視線の動きは自動的であるが故に、加速するブラックテイルⅡへすぐに追いついて来るという物では無いらしいが、少しずつ追い付いてくるものではあるらしかった。
「なんとも嫌な報告だが、正直役立つ報告だよ、ええい! ミニセル操舵士! さらに速度を上げる事は!」
「もう上がってる! この艦の性能は確かに上がってるみたいだけど、それでもこれが限界!」
ミニセルがこう言ってくる以上、これは弱音では無く現実だろう。これまでは奇跡の様な繰り返しでここまで辿り着けたが、ここからは腕と意地と判断で事へ至る必要があるらしい。
この世界の破壊という事態へと。
(上等だ! ここまで辿り着いた、私達ブラックテイルⅡを舐めないで貰いたい!)
そんな啖呵を聞き入れるだけの意思だって、この目の並びには無いだろうが、それでもディンスレイは心の中で気合を入れた。祈りだけで無く、その様な気持ちだって力になる。そういうものだろう?




