⓺ 浮かぶ部屋
一度目のそれは瞬時の事だったと記憶している。それこそ、何かを感じる暇すらない一瞬で、ディンスレイは離れた場所から離れた場所へと移動していた。
それ、つまりワープとは、その程度のものなのかともその時思ったものだ。
もし実用化出来るのなら素晴らしい技術だろうし、世界の在り方だって変えるものだろうが、それでも、一瞬というのがいただけなかった。
もっとこう、感慨の様なものを抱く瞬間があって欲しいものだと思ったのである。
ただ、二度目にはそれはあった。そうして思うのは、別に必要も無いものだという実感。
(というより、単純にこれは不安を覚える感覚だ)
酷い酩酊を覚える。視界が揺れているが、その視界に映るものは無い。自分は宙に浮いているのか? それともどこかに立っているのか。それすらもあやふやだ。
これが本来のワープか。それとも異常事態が発生しているのか。それすらも分からない。ワープする前に触れあっていた他の船員達の感触すら無い様な。しかし、現在進行形で肌で感じている様な。すべてがあやふやで定まらない。
それは酷く不安で、そうして不快感を覚えるもの。
(なら、これは失敗かもしれんな。我々はワープを行い、それは失敗―――
―――したというわけでも無いらしいな」
ディンスレイは呟いた。そうして目に入って来た光景を再確認する。
向こうだって確認している最中だ。驚いた表情で、こちらを幻か何かでは無いかと、何度も瞬きをして確認していた。
「そういう君の表情は珍しいな。副長」
「は……は? 艦長……ですか? 本当に?」
さすがの彼も、ブラックテイル号のメインブリッジに突然現れたディンスレイを見れば、驚きがなかなか収まらないらしい。
「おっと、説明は後だ。というかこっちもこれは想定外の事態でな。まさか艦に直接戻れるとは……まずは同行出来ている船員達の確認だ。全員いるか? 無事か? 体調不良があるものは、些細な事でも言え。それも仕事だぞ」
「ミニセル・アニマル操舵士。無事よ。気分は……なんか酔ったみたいな感じ」
「観測士、テリアン・ショウジ。こちらも無事です。気分の悪さも同様でしょうか……」
「せ、船医、あ、アンスィ・アロトナ……お、及び、怪我をした船員さんたちも……い、息はありますけど、す、すぐ、医務室に運ばなければ……」
「そうだな。副長、見ての通り怪我人が出た。彼らの治療を早急にしてやりたい。メインブリッジに居るものの内、現在手の空いているものは彼らを医務室まで運ぶのを手伝ってくれ。私の方は、ここに残り、まず君に、状況説明をしたい」
「……了解しました。ではとりあえずはその通りに」
冷静さを徐々に取り戻しながら返答する副長を見て、ディンスレイは笑いたくなるのを抑えていた。
これからする説明で、彼の精一杯の冷静さは、また崩れそうだと思ってしまったから。
「ふむふむ。なるほど? それでその話のどこからどこまでを実際にあった話として受け取っておけばよろしいのですかな?」
ワープにより崖の亀裂の奥底にある部屋からブラックテイル号へと瞬時に戻って来たディンスレイ。
艦長席に座り、漸く一心地と言った状況の中、副長のコトーの言葉を笑いながら聞いていた。
「実を言えば、一から十まで嘘なんだ。私と船医殿。そうして先遣隊だったミニセル君御一行はここからちょっと離れた場所で仕事をサボっていて、驚異的な気配の消し方によってこのメインブリッジへと潜入し、いざこの瞬間だとばかりに姿を現した。これで満足か?」
「はぁ……まあ、一番信じ難い事が目の前で起こった以上、信じる他ありますまい。しかしまぁ、ワープですか。世界は広いものだ」
やはり珍しいものを見られている。コトーの表情を見つめながらそんな風に思うディンスレイ。
普段冷静沈着なコトーにとっても、未踏領域は不可思議に包まれているのだろう。
「遥かな未来。我々がワープ技術を実現させたとして、その時点では単なる技術だが、今、この瞬間は純然たる神秘の現象だ。今はそれを楽しもうじゃないか副長。と言っても……」
ディンスレイは言い掛けた言葉を止める。というより、タイミングを待った。
メインブリッジにミニセルが戻って来たからだ。
「医務室に怪我人全員運び込んだわ。船医さんは今すぐにでも自分の部屋で倒れて寝たいって感じだったけど、ここからも忙しくなるでしょうね。本格的な治療開始。傷口の消毒から骨折への処置と、まああれでテキパキとしてくれてる」
すぐに状況報告から始めるミニセル。アンスィの疲労を心配もしている様子だが、彼女についてもそれはより一層と言ったところだろう。
ワープしてくるまで彼女も虚勢を張っていたと思われる。虚勢を張れば目の下の隈だって隠せるものなのかと感心してしまう。
「ミニセル君。君の方はこれから休養時間に入れ……と命令したいところだが、もう一仕事。まだ頼める体力は残っているかな?」
「お互い様よね、艦長。何言われるか分かるから、了解って言っておく」
手を振りながら、やや重い足取りでミニセルは本来の仕事場である操舵席へと座る。
「また休みも無く働き詰めですか。しかも注意すべき人間が一人増えた」
「悪いな副長。だが、艦を飛行させる程度には修理出来ているのだろう?」
「勿論です。こちらがサボるわけにも行かない状況でしたから。が、万全ではありません」
そもそもが活性山脈壁に不時着したのがブラックテイル号だ。そこから再びブラックテイル号を空に飛ばせるまでが第一の仕事であった。
「飛べる様になっているなら十分だ。それに、これを放っておくのは、安心して休んでも居られん」
「大層に言っているけど、尻尾を巻いて逃げ出そうってところよね」
操縦桿を握るミニセルの呟き。反論の一つでも返してやろうと思えたが、事実そうなのだから恥を掻くだけだろう。
「艦は応急修理が終わったばかり。艦内幹部の半数以上が疲労困憊かつ、船員に怪我人も出て、正直なところ追い詰められている。さらにこの活性山脈そのものが危険地帯ともなれば、早々に撤退するが吉だろう。それに……さらに懸念が一つある」
「了解よ艦長。とりあえず近くの安全地帯までひとっ飛びってところで良いわね」
「十分だ、ミニセル君。最後の一仕事。頼むぞ」
活性山脈での、ミニセルに頼む最後の仕事がそれだった。終わるまで、ディンスレイの方も気を休める事は出来ない。艦長席に座り、事の終わりを見届けるのだ。
「やれやれ。いい加減、わたくしも気付いているところですが、未踏領域から国へと帰還するまで、気の休まるという事も無いのでしょうなぁ」
「本当に今さらだぞ副長。その手の覚悟はし尽くした。いくぞ、ミニセル君! 船員の諸君も気張り時だ! ブラックテイル号、発進!」
応急修理後だけあって、ブラックテイル号は大きく揺れる。不時着した森林地帯の只中から、周囲の木々をへし折りながら、ブラックテイル号が浮遊石の推進力を発揮していく。
無理矢理に羽ばたく巨鳥の風格でもって、漸く飛空船たるそれはその本来の機能を取り戻したのだ。
「整備班長には後ほど、深く礼をしておくべきですな、これは」
「ああ。短期間では十分な仕上がりだ。それと、次に着陸した時は本格的な点検と修理をしなければならんから、これからも働いてくれる事も含めてな」
「ところで……懸念が一つあるとおっしゃいましたな?」
どうやら副長はディンスレイの言葉を聞き逃してくれないらしい。溜息混じりに彼の問
に答えを返す事にする。
「我々がワープした時、予想としては遭難する前の地点。崖の近くにワープすると思っていたが……そうでは無かった」
「このメインブリッジでしたからな。おかげで大変に驚かされました」
「私だって驚いた。で、思うわけだ。それはどうしてか? まるで、ワープ先を都合良くここへ指定されたみたいじゃないか。何かがじっと、こちらを観察している様な、そんな感触すら―――
「艦長! あれ!」
本当に、気の休まる事が無い。
ミニセルの声を聞いて、ディンスレイはメインブリッジから見える空の景色を見た。
そうして気が付く。青空と白い雲が広がるその景色の中に違和感があると。
「あれは……何だ?」
つい、ディンスレイは隣の副長に尋ねる。メインブリッジの観測士は今、医務室で治療中だ。ここには居ないから、目で見て上手く把握出来ない物は、手近な人間に尋ねる他無い。
「はて。点……ですかな?」
副長からの返答は、見たそのままを言っていた。
青と白で彩られた空に、黒い点があった。丁度、輪郭が分からなくなる程度の距離に鳥が飛んでいれば、そんな風に見えるかもしれない。
だが、鳥であれば羽ばたく以上、空を動き続けるものだ。
しかしその点はただ、やはり空の一点で停止している様に見えた。
現在の方向としては、正面に見えるからブラックテイル号の進行方向。
ここからブラックテイル号は方向転換し、反対側、活性山脈壁から離れる航路を取る事になるが、一旦は弧を描く必要から、その点に近づく事になる。
だから数秒でも時間が経てば気が付く。その点は、鳥より随分と大きい事に。
「ブラックテイル号程では無いが、何か大きな構造物か? それが空に……なんだ!?」
ディンスレイがそれに対してさらに目を凝らそうとした瞬間、その必要が無くなった。
それは急接近してきたのだ。その速度たるや、それこそ目も止まらぬ速度のそれ。
「円盤!?」
「いや、その割には分厚いが……ぐおっ!?」
艦が大きく揺れる。それはブラックテイル号へと瞬時に接近したその太った円盤みたいな輪郭をした構造物の仕業だとディンスレイは直感で理解する。
(だが、何をされた。やつはこちらの目の前で……ぐっ)
再度、艦が大きく揺れた。どうやらブラックテイル号は襲撃に遭っているらしい。それだけは確実に理解出来た。
「ミニセル君! ブラックテイル号を旋回させ、とりあえずあれから距離を置かせろ! 出来れば逃げてくれ! 同時に火器管制! 牽制であれに攻性光線を放て!」
「了解! ああもう! 災難ばっかりねこの艦!」
ミニセルの言う事ももっともだ。彼女が言わなければディンスレイが言っているところだった。
だが、悪態は吐くまい。もっと厄介な事が起こりそうな、そんな予感がしていたからだ。いや、それは予感では無く、すぐに実際の現象として起こった。
「光性光線、物体に命中しました……けれど変化は……ええ!?」
火器管制役の困惑する声。それは光性光線が直撃したはずが、微動だにしない謎の物体に対してのものであり、その後、瞬時に消えたその物体に対してのものだ。
逃げたか撃墜したのか? そのどちらでも無い事はすぐ分かる。急速旋回したはずのブラックテイル号の目前に、またそれは現れたからだ。
中空に浮いたまま、停止している。いや、むしろ動いているはずだ。ブラックテイル号の方は動き続けているのだから。
物体はブラックテイル号と相対速度をまったく同じに合わせ、常にブラックテイル号の眼前に自らを置いている。
まるでこちらを睨みつける様に。
「うっそでしょ。どんな速度してるのよ。まるでその―――
「そうだ。これはワープだ。あの物体の大きさ、見覚えがあるはずだ!」
ミニセルの言葉で気が付いた。瞬時に離れた場所から場所へ移動する力。そうして、近づかれて分かる物体の大きさ。
今度見せているのは内側では無くその外縁であったが、その独特な意匠には既視感があった。
「あれは……我々が迷い込んだ部屋だ! まさか、飛空船だったのか!?」
シルフェニアの基準では小型と中型の間くらいの大きさか。ブラックテイル号と比較すれば小さい船体であろうが、ワープ能力を航行能力と出来るのであれば、その機動性は驚異的だ。
実際にそれでブラックテイル号の進路を制し、また謎の力で攻撃を加えて来ていた。
(あの攻撃、崖の亀裂を作った浮遊石の力に寄るものか? 目に見えないが、岩をも穿つと考えれば、これだけの威力だって出せるのやもしれん……だが)
それが分かったところでどうする? さらに二度、三度とブラックテイル号が揺れる。元々が応急修理中であったブラックテイル号だ。何時限界が来てもおかしくはあるまい。
「あいつ、あたし達を追って来たのかしらね。敵だって見なされちゃった?」
そんなミニセルの冗談を混じらせた愚痴に合わせてディンスレイも考える。
(とりあえず、何かしらの意思があるのは確かだ。何者かがあの部屋に居たのか、それとも部屋自体に意思みたいなのがあるか……タイミングを考えろ……奴がワープを使って瞬時に移動出来るのなら、何故、襲って来たのは今なのか)
声に出しはしないが、技術的な格差が向こうとこちらにはある。ブラックテイル号よりずっと小さいが、戦力比で言えばこちらを圧倒してくるであろう事は、今、この瞬間も船体を揺らされ、一方こちらは逃げる事すら出来ない状況がそれを証明していた。
(だから、まずは考えろ。奴の狙いは何だ? 何故、このタイミングで襲って来た? もっと早くても良いだろう。我々が部屋を発見したのが不味かったとしても、ブラックテイル号が飛び立つまでにはまだ時間があった……そうだ。ブラックテイル号が飛び立ったから……)
この活性山脈から出ようとしたから、襲って来たのだ。ブラックテイル号の眼前に居るのはそれを止めるため。
ブラックテイル号を、そこに乗り込む船員達を逃がしたくないのか? あの部屋と自分達は基本的に無関係だ。そこまで価値があるとも思えない。
(なんだ? 向こうにとって価値があるものがこの艦に……)
思考が止まる。いや、行き着く。だからそれは理屈に寄るものでは無かった。
悪い予感。ぞっとする様な悪寒。そういえばと言う気付き。それが一気に襲って来て、左太もも、正確にはそこにあるズボンのポケットへと収束していく。
ディンスレイは手をそこに入れていた。そうして取り出す。
「何故だ。何故、これがここにある」
片手に収まる程度の、光り輝く石がそこにあった。
ポケットの中から取り出した時点で、メインブリッジもまた照らされる。
「ちょ、ちょっと艦長、それ! 何!? 持って来ちゃったの!?」
ミニセルのその言葉に慌てて首を横に振る。
「そんな暇があるものか! そもそも、あの部屋にある物より随分と小さいだろう! それが何故……!」
部屋の中央にあったあの輝く浮遊石。それを小さくした様なものが、どうしてかディンスレイの手に収まっている。これは何だ。どうしてこれがここにある。
「まさか……奴はこれを追って来た?」
確証は無い。だが直感は告げている。
あの部屋は、部屋に侵入して物を持ち去ってしまおうしている盗人を捕えに来たのだ。
「些か事情は分かりませんが、もし、それが目的だとしたら、返してしまえばよろしいのでは?」
副長はそう告げるし、それが正解だとも分かる。だが、ディンスレイは首を横に振るしか無かった。
「どうやって返す。またわざわざ着陸している……ぐぅっ……暇は無いぞ!?」
空飛ぶ物体。いや、空飛ぶ部屋と表現出来るだろうそれは、攻撃の勢いを増していた。もはや盗人への恩赦という選択肢は無くなっているらしい。
罰を与えられている。今、この瞬間に処刑するつもりだ。ならどうする? 相手の目的は推測出来たが、それで逃げ道は出来たか?
「逃げ道は……無い」
「諦める気? 艦長?」
「いいや、違うなミニセル君。判決を下した裁判官から逃げる事は出来ん。である以上は、盗人としての仕事を真っ当するまでだ! 船尾主砲。操作権限貰うぞ!」
観測士が治療中である以上、ディンスレイが直接攻撃役を務める。恐らくチャンスは一度きり。外すわけには行かない重大局面が今だ。
「狙いがお有りですかな? 艦長?」
「ああ副長。あれの装甲は、恐らくこちらの主砲と言えど弾きかねない装甲だろう。だが、ある一点のみ、通用する場所がある」
「……部屋に空いた穴ね?」
ミニセルは無論気付くだろう。彼女もまたそれを見たからだ。
空飛ぶ部屋には穴があり、そこにディンスレイ達は出入りしていたのだから。
「けど、どうやって当てるのよ。あいつ、こっちには無事な方を向けて相対距離を維持し続けてる。当てたくたって当てられない」
「それだミニセル君。あの空に悠然と浮かんでいるあの部屋を、一度だけだが、必ず動かせる。そういう手段が一つだけ浮かんでいてな。だが、こちらの都合良くとは行くまい。なので向こうが動けば、それを隙だと考え、それを突く動きをブラックテイル号にさせてくれ。トドメの一刺しは……私がする。安心しろ。絶対に外さんさ」
「……りょーかい。メインブリッジのみんな。聞いたわね。絶対に外さないっていう艦長からの元気付けよ。分かったもんじゃないって思っちゃ駄目」
「せっかく気を使ってやったのに、随分な返答じゃあないか。ええ?」
だが、そのおかげでメインブリッジから余計な緊張が無くなった。切羽詰まった状態であり、尚且つミスも許されない。そういう状況で完全に弛緩する事は不味いが、それでもリラックスは必要だ。
普段している様に、当たり前に艦を動かし、当たり前に敵に対処する。それが出来る空気にはなってくれた。
(君は頼りになる奴だよ。ミニセル君)
だから、遭難した彼女を助けられて安堵している。これからの旅もまた、彼女に頼り続けるだろうから。
「艦長。じゃあそろそろ、始めてちょうだい」
「おっと。そうだな。襲撃されている最中で時間が無い事すら忘れていた。では、始めよう。空飛ぶ部屋の撃墜任務だ。その始まりの合図は……これだ!」
言いながら、ディンスレイは手に持っていた輝く浮遊石を投げた。
全力で、メインブリッジの端に向かって勢い良くだった。
誰しもが驚く行動だったろう。いったい何をしているのだこいつは。そんな風に見られていたかもしれない。
(そうして、それはあの部屋とて同様だ!)
ブラックテイル号のメインブリッジからはただ宙に静止している様に見えていたはずの空飛ぶ部屋。その角度が、輝く浮遊石を投げた瞬間にズレた。その船体そのものも、まるで困惑したかの様に静止を止めてふわふわと動き始めたのだ。
(そうなるだろう。お前はあの石を奪った盗人を追って来たのだろうから、盗人がそれを捨てる様な動きをするなど思いも寄らない。それこそが―――
「このタイミング!」
ブラックテイル号もまた傾く。敵から攻撃されたわけでは無く、ミニセルが空飛ぶ部屋の動きを見逃さなかった故に、急速に旋回を始めたのだ。
無茶な動きだとディンスレイとて思うものの、そうしなければ敵の弱点を突けない。そう考えてのものであるはずだ。
(そこまでやってくれたのだ。なら、確かに私は外さんさ。期待は重いが、心地良い重さだ。そうだろう? ディンスレイ・オルド・クラレイス!)
艦長席から伸びるトリガーを握り、お互いの位置関係が変化した結果、見えた浮かぶ部屋の穴。
浮かぶ部屋の方はそれを隠そうと動く素振りを見せたが、見せた時点でもう遅い。
既にディンスレイは引き金を引いていたからだ。
「ワープさせる隙すら与えるものか!」
叫んだ時には既に、ブラックテイル号船尾主砲より放たれた赤い光線が浮かぶ部屋へとぶつかっていた。
実際、ブラックテイル号の最大火力であるそれは、浮かぶ部屋の装甲には通用しなかったらしい。
岩盤をも刺し貫く出力のそれは、浮かぶ部屋のその装甲に堰き止められていた。
もっとも、装甲に関してはであるが。
「敵飛翔体。落下していきます。おそらく撃墜に成功した様ですな……観測役。上手くやれていますかな?」
副長の軽口が出て来たという事は、安堵しても良いタイミングであるという事だ。
浮かぶ部屋は装甲によってこちらの攻性光線を防ぐ事が出来たのだろうが、部屋に空いた穴……それは自らの力が漏れ出た結果空いてしまった穴であろうが、そこより入った攻性光線により、内側を破壊されたのだ。
穴から黒煙を上げながら、浮遊力を失った勢いで、眼下の活性山脈へと落ちて行くそれを見つめ、ディンスレイは呟く。
「まったく。脅威極まる場所だった。謎が多くあり、それもすべては解けていない。我々が足を踏み入れるにはまだ早い場所……と言えるかもしれん」
「ならば、さっさと尻尾を巻いて逃げ出しますか」
「そうだな、副長。だが、せっかくなのでもう少し恰好を付けよう。浪漫をここに残して行く事にする。というのはどうだ?」
「よろしい表現かと」
「あーはいはい。男同士のくだらない話は後にして、さっさと旋回始めるわよー」
ミニセルの言葉を合図に、旋回のために傾くメインブリッジ。
身体のバランスが崩れたおかしな姿勢で艦長席に座りつつ、ディンスレイは考える。
(浪漫を残すというのは言い得て妙だと思うのだがね。散々な目に遭ったというのに、もう立ち去るのが惜しいと感じている)
そんなおかしなに笑って見せる。メインブリッジのメンバーには、それがどんな意味の笑いなのかは内緒にしておこう。
「散々な事ばかりだったろうし、整備班長にも忙しい日々を送らせてしまったわけだが、漸く一心地と言ったところでは無いかな? そんな整備班長に、嬉しいお土産を持ってきた」
活性山脈から浪漫を置き去りに撤退してから暫くして後、ディンスレイは苦労を掛けてしまった船員達に慰労の挨拶に回っている最中だった。
未踏領域の探索期間の真っ只中。まだまだ彼らには頑張って貰わなければならない以上、この様なこまめな労わりは艦長として不可欠と言える。
なので、整備班長のガニ・ゼインと彼の仕事場である機関室へ自ら足を運んだわけであるが、肝心の彼からは嫌そうな表情をされてしまった。
「で、次は何の無理難題を吹っ掛けに来たわけですか? いい加減、オレだって諦めの気分が強くなって来てるんですがねぇ」
「良い傾向だ、整備班長。あなたもまた、常識から外れた人間になりつつある」
「なーんにも嬉しくありませんや」
そうは言ってくれるな。
これでも活性山脈からこっち、艦を飛ばせるためにその能力と労力をすべてこの機関室に注いでくれた事に、本当に感謝しているのだ。
「不機嫌になる前に、プレゼントの内容をまず聞いてくれないだろうか。意外と満足するかもしれんぞ?」
「じゃあ試しに聞いてみますが、何を言ってくるつもりで?」
「あれの管理権限と研究権限を君にプレゼントする」
「あーあー。やっぱり厄介ごとだ!」
両手で頭を抱えだすガニ整備班長を見れば、ディンスレイも苦笑を浮かべるしか無くなる。
そうして、確かに、あれの管理なんてものはプレゼントとは言えないなと思いつつ、視線をそのあれに向ける。
機関室の中心近く。わざわざ設置させた金属の台と箱がそこにあった。
恐らく、ブラックテイル号で機関部を除けばもっとも頑丈に出来ている構造物となったとディンスレイは思っているところだ。
ちなみに箱の中には、ブラックテイル号でもっとも危険な代物である、あの輝く浮遊石が納められていたりする。
「浮遊石の扱いと知識にもっとも長けた人物は整備班長であるから、あれの管理と研究にもっとも適していると思っているところなのだがね」
「じゃあ、あれに名前でも付けて良いですかい? 輝き爆弾って名前を付けたら、艦長もあれをさっさと捨てるべき危険物として認識してくれそうだ」
「命名権限は君に譲るが、捨てるのは無しだ。あれは我々が想像する以上に、途轍もないものかもしれないからな」
活性山脈でワープを体験してから、どうしてかディンスレイのポケットの中に納まっていた小さく、しかし他の浮遊石より眩しく輝く浮遊石は、あのワープという現象そのものを解明する手掛りになると考えていた。
だが、ガニ整備班長の言う通り、飛び切りの危険物でもあるのだろう。それが何を引き起こすか分かったものでは無いのだ。ワープみたいな現象を手当たり次第に引き起こす可能性はあるし、それ以上の未知なる事象に巻き込まれる事だってあるかもしれない。
けれどディンスレイは、それをブラックテイル号に所持する事を選んだ。
「幾ら権限を与えられても、起こる問題の責任は負えませんぜ? それでも良いってのなら、上官命令であそこにあれを置いたままにしますが」
「それで良い。責任を取る必要があるなら、それは私の役目だしな。だが、研究の方は進めて欲しいと思ってる。君だって、少しくらい好奇心がうずいているのでは無いかな?」
「……まあ。無いわけじゃあ無い。あの浮遊石の出力は、少し測っただけでも、並のそれを何十倍もある。碌な設備の補助も無くだ。艦の動力にすれば、いったいどれだけの事が出来るか。それだけでも興味はありますが……」
「艦の動力にするのは、些か時期尚早かな?」
「ですな。とりあえずは了解です。あれの管理権限、確かに受け取りましたとも」
言いながら、ガニは輝く浮遊石が入った箱へと近付き撫でた。また一つ、この未踏領域で新たな浪漫を手に入れた形になるだろうか。
「確か艦長は、これがあった部屋も、ダァルフの遺産だと考えて居らっしゃるんでしたかな?」
「この輝く浮遊石は、大地の深い場所にある、それこそ、この無限の大地、マグナスカブを支えている物であると考えていてな。少なくとも、それ程の純度の力はあるだろう? ならばそれを採掘出来る技術と言えばダァルフ……と考えたのだがね」
「何かまた別の考えでも浮かびましたか?」
ガニ整備班長の問い掛けに笑って首を振る。自分の想像を自分で否定は出来なかった。違う考えを持ってきたのは別の人物だ。
「ララリート君が私に会いに来てな、ほら、あの浮かぶ部屋を彼女も見たと言うんだ」
「まあ、あれは暫く、艦の正面に位置取っていましたからなぁ。窓の近くに居た船員なら、大概はあれを見たんじゃないですか? オレぁここで働き詰めで、見れませんでしたがね」
今もそうだぞという嫌味までは向けて来なかっただけまだ温情だろうか。
とりあえず話は遮られていないため、ララリートという少女から与えられた、新しい見地について、ガニ整備班長にも伝える事にした。
「彼女な、言うんだよ。あの空飛ぶ部屋。その装甲の意匠が、ダァルフのものじゃなく、ダァルフが語っているエラヴの物に近かったとな」
「ははぁ。装甲の意匠からも、言葉を感じるのかもしれませんな、スペシャルトーカーというやつは」
「存外、本当に単なる印象かもしれんがね」
そう語りながらも、ディンスレイはララリートの言葉を重く受け止めている。
エラヴという種族を追うという今のところの目的に対して、思わぬ第一歩を踏み出したのかもしれない。
そんな事を思いながら、輝く浮遊石が収まる箱を、ディンスレイは見つめ続けていた。




