③ 小さな世界で旅立つ方法
無限の大地に現れたもう一つの日は、空に輝く星々がそうである様に、もう一つの世界だと言える。
生物都市に住んでいた者達は、技術を発展させ、自らの能力そのものを拡張、増大させるまでに至った。
世界に対する事が出来る程のそれは、片や竜を作り、竜の卵になり、そうしてもう一つの世界を作るまでになったのだ。
些か突拍子の無い気もするが、事実としてそうなってしまうのがこの世界であるらしい。それは良い。別に構わない……と、ディンスレイは思う。
世界はそういう形をしていると言われたら、そうなのかと納得するしか無いのが、世界に対してあまりにも小さい、人間という存在の在り方だろう。
だが、世界と質量を比較できる程になれば、そんな在り方ではいられなくなる。それも理屈だった。
「世界と対立出来る程の存在となる場合、それは世界に取って代わる場合もある。例えそれ自体、ただひたすらに大きな死体だったとしても」
竜の死骸が、それでも大地に影響を与えた様に、彼らが成ってしまい、そうしてそこから、彼ら自身の意識が無くなってしまった。まさに死した世界だ。
だが、そんな死んだ世界が、無限の大地に大きな影響を与えてしまう。
その事を実感しようとして、ディンスレイは自らが立つ、球体の大地に手を触れた。
この世界、もう一つの日の内側と言えるのだろうこの場所における、数少ないルールが、物質は下側へと落ちるのでは無く、物質同士が引き合うというものである。
それ以外に無い……とも言えるだろうか。
その他はただひたすらに、空の日と同じ様に輝きを放つだけの存在。内側から見れば、それは同色の薄黄色をした何かでしか無い。
どうにもディンスレイを含めたブラックテイルⅡは、そんな世界に巻き込まれてしまったらしい。
世界と世界の成り代わり。スーサがそんな風に表現してきた現象。それは彼女の予想よりずっと早く発生しようとしており、その成り代わり範囲の拡張に、ブラックテイルⅡは巻き込まれてしまった。今はそういう状況なのだとか。
「まだ影響としては、初期段階。わたし達が巻き込まれるだけで済んでいる。もしさらにス進めば、どんな現象になってしまっても、生存圏が侵食されていくはず」
「生きている世界のルールが突然に変わるというのは、確かにどんな類だろうと悲劇かつ災害だろうからな、スーサ。そこは分かる」
隣に立っているスーサからの言葉を、複雑に考える必要は無い。というか、複雑に考えればキリが無くなる。
なので今、ディンスレイの状況はこういう風に単純化出来だろう。
シルフェニアだって滅ぼせる大災害の只中にあって、どうにもまだ、ディンスレイ達が止められる段階にある。
「内側と外側が入れ替わる前に、内側であるこの世界を仕留める。我々ブラックテイルⅡがするべきなのはそれ……という事になるだろうが。スーサ、君の方は良いのか?」
「もし、わたし達が居る世界が、竜の卵みたいに話し掛けて来ていたら、迷ったかもしれない。けど、今もそうしてないなら、わたしも躊躇しない」
「まあ……まさに自然災害の類と捉えるべきだろうからなぁ」
今居る、物質同士が引き合い、球体の大地を作り出す世界のルール。こんなものを押し付けられたらたまらない。そもそも生きていく事が出来ない。だからそうなる前にディンスレイ達は止めるのだ。それがスーサからシルフェニアへの頼みである。
あるのだが……。
「しかし……本当に出来るのか?」
「艦長なら出来る」
「うーむ」
「艦長は自分の能力に不安がある?」
「悪いが大地一つ、自分の意思だけで動かせと言われて、自分にはその能力あると自信満々に言える性格で無くてな……」
薄黄色の大地と、薄黄色の空。変わらないままのその世界をじっと見つめながら、ディンスレイは呟いた。
現在、ディンスレイは何もしていない……というわけでも無く、ある種の訓練をしている最中だった。
教官はスーサ。取得する技能は大地の動かし方と言ったところか。
「普通は出来ない。けど、この世界なら出来る。この世界には、それを制御する意識が無い。だから、わたしたちがそれに成り代われる」
「それはもう聞いたよ。私達が立つこの球体の大地。最初は私一人が立っていただけだったが、それはつまり……この大地が、我々の存在が形になったものだというもな」
この薄黄色の世界の構造。本来のそれは、恐らく薄黄色の空だけの世界だったのだろう。この世界そのものに成った者達側に、何かを成せるだけの意識が残らなかったという話が事実ならば、その世界は酷く単純なものとなる。
この薄黄色だけの世界に、ただエネルギーだけが充満し、さらに濃くなれば、それこそもう一つの日の様な外観になる事だろう。
内と外でも存在が大して変わらない、まさに単純で膨大なエネルギー。それがこの世界であり、その内側に、どうしてかディンスレイ達は入り込んでしまった。
「ただ膨大で、意味の薄い世界が外側の世界との境界を曖昧にしながら広がろうとしている。とてもとても、揺らいでる状態が今。時間が無いかもしれないけど、その揺らぎは、わたし達が介入できる隙になるはず。事実、さっきわたしはそれが出来た」
「君の方の大地がぶつかってきたのも、やはり君自身のやり方か……」
前にも似た様な事をされた気がする。
今立っている大地が、薄黄色だけの世界であるはずなのに、そこに球体の大地が浮かんでいる。それはこの世界に入り込んでしまった者達。つまりブラックテイルⅡの船員達の存在が形になったもので、船員の数だけ浮かんでいるという事だ。
当人が下に落ちずに大地に引かれるのは、球体の大地も含めて自分自身だからであり、そうして……動かせるのだそうだ。
スーサはそれをして、ディンスレイ側へ真っ直ぐぶつかってきたわけだ。
前回、彼女がディンスレイに向かって突撃してきた際はシルバーフィッシュだったので、より過激になって来ている気がする。
次があれば、いったいどれ程のものがぶつかって来るやら。
「わたしの方の、わたしの大地は小さかった。出来る事もそれだけ少ない。艦長の大地はもっと大きい。ぶつかる事以外も出来るはず」
「大地の大きい小さいがどれほどの意味を持つのかすら分からんのだが……が、実際に動かせる様になれば、他の船員達に会いに行けるな。その点だけは、明確に分かる利だ」
今、スーサと再会する事で新たな可能性が出来たのだ。他の船員達が集まれば、さらに多くの可能性がそこに生まれる事だろう。
(ああそうだな。今ここにブラックテイルⅡが無い事は不安だが……誰かが居ればそれも晴らせるというものだ。何なら―――
大地だって動かせるだろう。
自身が立っている大地が、動くのを感じる。
スーサ曰く、球体の大地だって自分の一部なのだと思う事が大切らしい。
事実、この世界の中ではそういうルールなのだから、それに従うのがむしろ正しいやり方。手足を動かし、前へ進む事が、ディンスレイ達が普段生きる世界である様に、ここではそれが出来る。
難しくは無い。いや、難しく考える必要が無い。人間、手足を動かす事そのものに、理屈を付け足してはいないのだから。
ただ、やってみせる。その感覚の元、ディンスレイの視界に映る景色が動き出す。
ディンスレイは手足を動かしたわけでは無かった。ただ、大地が動いた。前へ前へと、ディンスレイが立つ球体の大地がそちらへ進む。
そんなのは当たり前だ。球体の大地をディンスレイが動かしているのだから、前へ進むのは当たり前。
冷静になれば、まったく理屈になっていないその言葉を、それでもディンスレイの感覚は受け止めていた。
なるほど。だからこそ、世界はそうなっているというルールか。
「とりあえず、このまま、別の球体の大地へ向かえば良いのかな? そこにはまた、別の船員が一人、どうしたら良いのかと頭を抱えていると」
「うん。ぶつけない様に注意して」
「ああ、十分に気を付けるよ、スーサ」
私の場合はとても危なかったからな。
そこまでは言わないで置く。今はこの、自分の大地と言える球体の大地を、自分の意思で動かせているという事実を楽しみたい。これまでに無い体験であり、尚且つ、なかなか面白味のある状況ではないか? これは?
「そういえばスーサ。君は良く、これのやり方を知っていたな? それも……ドラゴンとしての力なのか?」
「ドラゴンだって、何もかも察しは良く無い。一度体験したから、知ってる」
「それは……」
「最初、わたしはこれを独力で何とかしようとしたけど、無理だったから」
スーサがシルフェニアへとやってくる前の出来事……という事なのだろうか。
彼女はあの生物都市で目覚めて、既に住民の居なくなったそこで、住民の末路を知った。そうして、一人で何とかしようとしたのではないか。
しかし、それが出来なかったのだと思う。だからこそ仲間を求めた。当人の中にあった機能を用い、自らの記憶や能力を封印してまで、自分自身を扱える仲間を手に入れようとしたのだろう。自分一人では出来ない事を、それでも実行するために。
「私としても、仲間と再会するという目先の目標は達成出来そうだが、この世界をなんとかするとなると……事だな」
そもそも方法が今はさっぱりだ。スーサが共に来たいと言っていた以上、方法はあるのだろう。あるはずだ。あると確認した事はあったか?
「スーサ、もしかして……手段はまだ思い付いていなかったりするか?」
「大丈夫。手段なら持ってきている」
「そうか。それは安心だ」
「けど無くした」
「……どこにだ?」
「多分……この世界のどこか」
「もっと離れた場所というわけでは無くて、幸いだと思う事にしよう」
ただ、これからの課題が一つ増えた。他の船員達を集めて後は、その無くした手段とやらを探す事になるのだろうが……。
「ちなみに、その手段があった上で、どうして君は一度失敗したのだろうか?」
「それだけど……艦長には気を付けて欲しい」
「よーし、気を付けた方が良いのなら、今すぐ言ってくれ。後から言われて焦るというのも、これまで何度かあった」
同じ失敗を何度もするというのは、自身の能力不足でしか無いし、何より心臓に悪い。
「この世界には、意識が無い。という事は、内側にある人間の意識に影響を受けやすいというのは分かる?」
「まさに今、私が動かしている球体の大地こそ、私の影響で出来ているというわけだろうしな。君の話を信じる限りは」
「信用して。これから起こるかもしれない事も、そこが大事になると思う」
「起こるかもしれない事?」
「個人の意識が実体になって現れる世界があると仮定した場合、それはとても生き難い世界になる。そこに居るだけでも、人はいろいろ考えてしまうから」
なんとなく、大変な状況であろうというのは伝わって来る。だが、具体性が伴わないため、どう対処すれば良いのかが分からない。
「ふむ。実際、どういう風になるか……少し考えてみる……か?」
「考えた?」
「ああ、考えた」
「なら、こうなったりする世界」
「なるほど。君にとってもこれは大変そうだ」
ディンスレイはスーサと共に、進行方向を見据える。
さっきまであった薄黄色の空と、薄黄色の球体の大地。その景色に向けて進んでいて、今だって変わらず進んでいるわけだが、突然、景色が変わってしまった。
壁と床と、複数の道から成る、薄黄色の部屋。いや違う。もっと適切な言い方があるだろう。
「スーサ、君の場合も、こんな迷宮が目の前に現れたか?」
「わたしの場合は、大きな口が現れて、食べようとしてきた」
「その心は?」
「わたしにとって、これは大きな問題だったから、大きな口の形になったんだと思う」
今見る景色が、そうで無かった事に胸を撫で降ろせば良いのだろうか。
(それにしたところで、私にとっては問題か。恐らくこれは……私の今の心象風景が世界の形になってしまったものだろうし)
薄黄色の迷宮。何時の間にか足元の球体の大地だって無くなっている。
石造りを模しているのだと思うが、その色のせいで、もっと不気味な何かで出来ている様に思えて来た。
いや、思い過ぎるのも禁止だ。また形が変容すれば事だろうに。
「一応聞いておくが、つまり……私の思考が反映してしまった結果、こうなったという事か?」
「艦長がさっきまで立ってた大地がそもそもそういう類のもの。複雑に考えたり深刻になったりする程、形が変わって行くから……注意して欲しい」
「先に言って……というタイミングもなかなか無かったか」
「一度、思考を戻したり、心を無にしたり? そういうのが有効。そうすれば元の状態に戻る……はず」
再び、景色を球体の大地に戻し、船員を集める作業を再開する。それが解決方法だとスーサは言って来た。
確かに、手段としてはそれも一つだろう。ただし、一つでしかない。
「今のこの状態も、別に誰かの悪意では無く、私自身の思考が影響しているわけか? スーサ?」
「そう言ってる。この世界には意思が無いから、すべては自分自身に帰って来る。そのせいでわたしは―――
「この状況。わざわざ戻す事なんてせずとも、そのまま使えるぞ、スーサ」
「艦長?」
思考が世界の有様に直結するというのであれば、むしろ自分の得意分野ではないか。
ディンスレイはそう思う事に決めた。そう思えば、世界は有用になってくれる。そういう事なのだろう?




