② 結びつける球体
「またこれか」
気が付けば別世界。
少なくとも、天井のあるブラックテイルⅡメインブリッジでは無い。
そんな剥き出しの空を見つめながら、ディンスレイは呟いた。
突然、それまで居た場所とはまったく違う場所に居るという経験もまあ、本来あまりするものでは無いが、直近でこれが二度目だ。
前回と違うのは、移動した先が屋内では無く、薄黄色の空の下である事と、自分はついさっき移動したのでは無く、移動した先で一時、気絶していたらしい事。
「つまり、竜の卵に攫われた時より、荒っぽく扱われたわけか?」
とりあえず、倒れた状態から目を覚ましたのが今の自分である事を把握しつつ、ディンスレイは上体を起こした。
上半身を支えるために、地面へと触れた手がくすぐったい。視線を向ければ、どうにも草地らしい。草の色も空の色と同じ薄い黄色。その色一色の大地と空というわけだ。
「これが……君らにとっての世界なのか?」
もし、ここが竜の卵の内側の世界と同質のものであれば、この世界を作った存在である彼ら……今や神様とでも呼ぶべきか? そういう存在が、何らかのアクションを返してくるはずだが……。
(ふん? 何も反応が無いな? 出無精であったり?)
竜の卵の方だって、家鳴りなんて方法で意思疎通をしてきたというのに、今回はどうにも違うらしい。
一般的にはどうなのかという答えは出せない程度の経験則であるが、ここで会話出来ないのは厄介かもしれない。
そんな判断をしながら、ディンスレイは上半身だけで無く、次に身体全体を立たせた。
目に映る風景が、より多くのものをディンスレイに伝えて来る。
薄黄色の空は兎も角、草地もまたどこまでも広がっている……様に見える。だが、見渡してみれば、大地の方はどこまでもとも言い難い気がした。
「なんだ? 何か違和感が……どういう……地平線が近い……?」
暫く眺めて、その事に気が付く。
地平が近い気がするのだ。どういう事か? 周囲の安全を確認しつつ、ディンスレイは足を進めてみた。
他にする事も無い。今、ディンスレイはどういう環境の只中にいるのか。その把握も、現状では重要であろう。
(ま、とりあえずその場を動かず、助けを待つのも手だろうと、船員の誰かしらは言うのだろうが……私はこういう性質だしな)
一人で居る分だけ、頭の中での独り言は増えていく。これで人好きの性格なので、傍に誰か居る方が好ましいのだ。一人で居ると、こんな状況だろうと暇を感じてしまう。
そう思えば、竜の卵の時は、話し相手がいる時点で幸運だったのだろうか?
「少なくとも、今より幸運か。妙な場所に至ったわけだが、どうにも私は閉じ込められているらしい」
今の世界……というより、歩いた大地を見つめながら、そういう結論を出した。
無限の大地において、まさに世界の果てとすら言える地平線の向こう側を、ディンスレイは歩いて越える事が出来ていたから。
タネはと言えばなんて事は無い。大地が曲がっているのだ。だから地平線が近い。そうして、曲がる方向も一定なので、ディンスレイは徒歩だけで、まるで坂道を下る様に地平線の先へと降りて行った。降りて降りて、ぐるりと一周回って、元の場所に戻って来たわけだ。
「この場において、地平線を越えるのが不思議というのでは無く……大地が曲がっている……もっと良い表現があるな。大地が球形である事が不思議なわけだ」
不可思議な世界である。この球形は下方に落ちず、ただ中空に浮いているというわけだし、その球形の大地に立つディンスレイもまた、下方に落ちずに球形側へと引かれている形になる。
落ちているとも表現出来るだろうか。
何にせよ、一般的な世界の在り方とはまったく違っている世界。それがここだ。
(竜の卵の時は、小屋が一つ、空に浮いていたわけだが……あれは私のための足場として用意されたものだったろうし、小屋の中においても、私は常に下方へと落ちていたと言える。中空に浮いた小屋に床があったおかげで、そこで止まっていただけで……)
一応、小屋が中空に浮いているという部分のみが異質で、それ以外は通常の世界と同じ法則だった……と言えるかもしれない。
それにしたっておかしな世界だったが、ディンスレイが今居る世界は、もっとおかしな理屈があるのだろう。
「これもまた、何かの意味があってこの形をしている……と、説明して貰えれば、安心も出来るのだがね」
尋ねてみる。
「……」
待ってもみた。独り言が多いのは、やはり話し掛け続けるためだ。
この世界の主となる誰かしらへ。
だが、竜の卵の時とは違い、やはり答えは返ってこなかった。
(私なんぞの言葉には答えないというわけか? それとも……)
スーサの言葉を思い出す。
あのもう一つの日。それは竜の卵と比較して、失敗なのであると。
明確な意思が無く、ただ強大なエネルギーのみがある、そういう現象なのだと。
「だとしたらやはり問題だぞ。交渉相手が居ないと、私はここに居続ける事になるし、事実閉じ込められた様なものだ」
大地が無限に、どこまでも続いてくれているのなら、どこか、未知へと辿り着けるという希望が持てるだろうに、この球形の大地においては、歩いたって歩いたって、元の場所に戻るだけだろう。
視界はひたすら開けているというのに、行ける場所は限られている。球状の大地に、ディンスレイは閉じ込められてしまった。そういう状況であるらしい。
「参ったな。変化が無ければ、本当に手段が無いぞ。まったく違う世界に迷い込む事への危険性を、今、私は漸く味わっているわけか」
球形の大地を歩き、周り、ぐるりと元に戻りながら、ディンスレイは呟き続ける。
呟きを終え、沈黙の只中にいると、危機感が無駄に膨れ上がりそうに思ったからである。
既に、一通りの大地の姿を観察し終えてしまった。大地が球形をしているとして、もう少し大きくても良かったのではないか? そうすれば、地平線の先にも見果てぬ何かがあるかもと、夢見る事が出来ただろうに。
「ええい。気落ちしたところで、文字通りどうしようもあるまい。下らない事であろうとも、今、まだしていない事を考えねばな」
そうして、それをしてみる。可能性が尽きるまでは。
「そうだな。大地の表層には何も無い。この空と同じ色の草地が広がっているだけで……ふん? 空か」
大地ばかりに目をやって、空の方へ視線を向けるのを忘れていた。視界の半分は空だというのだから、そちらに対しても調べておくべきだろう。
何も無いという可能性もあるが、出来る事をしていくとさっき決めたばかりだ。それに空を調べないとなると、次は手で地面でも掘るかになってしまうではないか。
「考えるべき事が今の時点で無いわけでも無いしな。大地と空。同じ色で成り立っているというのも、何かしらの意味がある気がする。それがどういう意味で、役に立つ意味なのかも分からんが……ほらみろ。とりあえず、観察する意味ならあった」
視線を上げ、空を観察している間に、見るべきものは見つかった。
見つかってしまったというべきか?
それは薄黄色の空の中に、同色をして存在しているから、気付くのが遅れたのだ。
だが、良く観察すれば、それは確かにそこある。
「空の向こうにも……ここと似た様な大地があるのか?」
空と同色の、つまり今、ディンスレイがいる、薄黄色の草地に覆われた球体の大地と同じものが空に浮いているのだ。
(一つだけじゃあない。幾つかあるな。まるで泡の様だ。大地の一部が空に浮いて移動する現象というのも見た事があるが、この世界においてはそれが普通なのだろうか? それにしたって、同じ色、同じ様な形の大地である必要も無いだろうに)
それとも、それだけしか用意出来なかったのか。何にせよ、この世界の何某かと意思疎通はまだ出来ていない。
「となると、空に球体の大地が浮いているという発見は、しかし新たな展開に繋がっては……いや、待て。あれ……近づいて来ていないか?」
幾つかの空に浮かぶ球体の大地の中で、一つだけ、明らかに異質な動きをしているのに目が行く。
徐々に大きくなっている気がしていたが、大きくなっているのでは無く、単にディンスレイがいる球体の大地へと近づいて来ていた事に、漸く気が付いた。
だからこそ、ディンスレイは走り出す。
「不味い!」
大地と大地がぶつかる。そんな荒唐無稽な想像が、目の前の、実際の光景として広がろうとしていた。
近づいて来ている大地の大きさはどれほどだ? こっちの球体の大地はそれに耐えられるか? そもそも両者のぶつかりはどんな現象を発生させるのか。単に質量と質量のぶつかりだけだったとしても、相当な衝撃となるのではあるまいか。
頭の中で駆け巡る思考と合わせる様に、ディンスレイの身体も駆けていくわけだが、ある程度走ったところで気が付く。
「ああ、しまった。球体の上を走るだけでは、逃げ切る場所もない」
その言葉と共に、大地が激しく振動する。
恐らく、ディンスレイが立っている地点からちょうど反対側に、近づいて来た大地が衝突したのだろう。
立っていられなくなり、その場で尻もちを突く形となったが、やはりそれ以外は出来なかった。
振動は暫く続き、もしや球体の大地そのものが割れるかとも思ったが、暫くするうちに、振動そのものは止んで行った。
「……確認だ。生きているな?」
声を発し、それが耳に届く以上は、生きている可能性は高いだろう。
やはりまた、この球体の大地で立ち上がり、周囲を確認する。今の視界の中においては、先ほどの変化は無い。だが、反対側、恐らく別の球体の大地とぶつかった部分はどうだろうか?
それは実際に、向かってみなければ分かるまい。
(つくづく、危機感が薄いな、私という人間は!)
もしくは、好奇心がどうしようも無いか。
自分で思いながらも、足は前に進ませた。
ぶつかってきた方の球体の大地も、相当な大きさであったから、すぐにそれは目に飛び込んで来る。
(大きさは……確かに大きいは大きいが、私が立っている大地よりは小さいか?)
目に入って来た光景を具体的に現わすなら、雪玉人形の類だろうか? 雪を丸めたものの上に、同じ雪玉を乗せた人形だ。バランスを取るために、上側の玉は下側の玉より小さくなる。そんな状態であろう。
ただ、ディンスレイが立っている側の玉と比較すれば、ぶつかって来た側である方の玉の小ささはアンバランスな程だ。
安全のためにある程度距離は取っているものの、ぶつかってきた球体の大地の全容を、ディンスレイが見る事が出来ているくらいに、その球体の大地は小さかった。
だから、その球体の大地にから降りて来る人影に関しても、すぐに見つける事が出来た。
「スーサ!?」
ぶつかってきた球体の大地には、スーサがいた。スーサの方もまた、球体の大地を中心にした足場の中にいるらしく、ぶつかってきた球体の大地に沿って移動している。
向かう先は、ディンスレイが立っている球体の方。
(そういえば、球体と球体がぶつかった場合、この常に球体側へと引っ張ってくる足場は、どういう変化をするんだ?)
考えているうちに、スーサは素早くディンスレイ側の大地へと降り立った。
バランスを崩しかけているのを見るに、やはり球体と球体がぶつかっている部分は、足場の状態が不安定らしい。地面方向へ引っ張られるにしても、どちらがどうか分からなくなっていそうというのもあるし、そもそもぶつかった結果、大地は互いに罅割れていた。
「艦長。良かった。多分ここだと思った」
バランスを崩しかけているという事は、すぐに持ち直したという事だ。
スーサの方もディンスレイを見つけて、走り寄って来た。ディンスレイがこの世界に戸惑っている間に、スーサの方は随分慣れた様子。それとも、ディンスレイが知らない知識でも持っているのか。
謎は多いままだが、とりあえず手を上げて反応する事から始めてみよう。
「竜の卵の時と似ているな、スーサ。君は何時も突撃して現れてくる」
「時間は貴重。経てば経つ程、不測の事態に巻き込まれがち」
「情緒や心の準備時間というのも貴重だとは思うが……まあ良い。こっちは手段が尽きかけていたところだ。君が来てくれた事は、驚きより安堵が先んじたよ。私の方は見ての通り無事だが、君の方はどうだ?」
「勿論無事。けど、このままだと無事ではいられない」
「かもしれないではなく?」
「絶対無事じゃなくなる」
そんな予感はしていたものの、言い切られると焦りも生まれようというものだ。具体的には、どう無事で無くなるのか。それをまず聞きたくなる。
「今のこの状況、放置していると我々はどうなる?」
「わたし達がどうこうなるというより、世界の方がこうなってしまう」
「世界というのは……もう一つの日の内側の世界がここで……それがどうにかなるという事か?」
「違う」
スーサは首を振ってくる。その首の動きのせいでは無いだろうが、どうにも厄介な事態になりつつあるのが分かってしまった。
ディンスレイの意見が否定されたという事は、より大変な事態が答えになるという事なのだから。
「内側が変わるんじゃあなく、外側が内側に変わってしまう」
「待てスーサ。それはまるで……無限の大地の方が、この球体の大地みたいになってしまうと、そういう風にも聞こえたが」
「世界としての質量は無限の大地の方が大きいから、すべてでは無い」
「ああ、なるほど。あくまで大地の一部が侵食の様なものを受けて……範囲としては、我々がブラックテイルⅡで見たくらいのものか? だとしたら、影響範囲としてはそれなりと言え―――
「多分、シルフェニアだって全部巻き込まれるくらい」
「思ったより大事だなそれは」
冷や汗が心の中で伝うのを感じた。
あくまでブラックテイルⅡの冒険だったこの旅が、急に一国を左右する事態になってしまったらしい。
いや、もしかしたら最初からそうだったのかもしれないが。
「スーサ。君が我々に助けを求めた理由が、何となく分かった気がするな」
「彼らは失敗した。失敗だけなら良いけど……巻き込まれる人達がいるなら、尻拭いをしなければならない」
巻き込まれるであろう側の助けだって借りながら。
そんなところだろう。スーサとて、勝手に作られ、勝手に尻拭い役を任された側であろうから、文句を言う先が無い。
「文句……ああそうだ。そうだろうとは思うが、竜の卵と違って、今、我々がいる世界に語り掛けたところで?」
「うん。個体としての意識が保たれてないからこそ、こっちの世界が外側になるなんて事態になってる。竜の卵の方はそうじゃなかった。でしょう?」
でしょうと言われても、こっちも竜の卵も、事象としてどの様なものかをしっかり理解出来てはいない。
ただ、スーサとの会話の中で、分かって来た事もあった。
「ブラックテイルⅡとは引き離された形になる我々だが……ここからの解法……我々なりの解決の仕方は、まだ残されているな?」
スーサが必死に、ディンスレイへ情報を伝えようとしているのはそういう事だ。艦長ならそれをしてくれる。そういう期待の輝きが、彼女の目の中にある。それくらいはディンスレイにも分かった。
「艦長には……これから、この大地の扱い方を学んで貰う」
「そうか……そうか? この大地を?」
もう少し、説明を詳しくしてくれないか。
ディンスレイはここに来て、スーサは物事の説明が不得手なのではと思い始めていた。
今更の話かもしれないが。




