⑤ 色はどうしたって知っていくもの
強がりを言うだけが艦長の仕事では無い。
まったくもって当たり前かつ、厳しい現実であるのだが、艦長たるもの、目の前に問題があるのなら、解決する道筋の一つでも示してみせなければならない。でなければ沽券に関わって来る。
だからこそ、ディンスレイ・オルド・クラレイスは、スーサより情報を得た後に、笑ってみせる事にした。
その表情は操舵席に座るスーサには見えないだろうが、それはこれから言葉で伝える。
「今、我々がいるのは、生物都市の元住民が変じてしまったものの一つである事と、なんというか……その内側に私は誘い込まれた事、それは理解した」
「早い。船員のみんなは、いまいち納得しかねてた」
「まあ、それはそうだろうよ」
正直なところ、ディンスレイとて見栄を取っ払えば、本当かそれはと睨みたくなる内容である。
何なら、ブラックテイルⅡでこの話を聞いた者達と比較したって、ディンスレイの方が受け入れ難い話だろう。
(何せ、あの小屋の家主が関わって来ている。スーサの話と合わせるなら、あの家主は……この世界の主でもあるのだろう)
今はシルバーフィッシュへの攻撃に寄り、罅だらけになった空であるが、元は青空と白い雲だけの世界だった。
その場所を作り出したのが、ひと時、交流する事となったあの家主という事であり、非常に受け入れ難い表現をするのであれば、神という事になるのだろうか。
「だが、受け入れてみれば、対処の仕方はある。確かにこの世界の神は、どういうわけか私に執着しているらしい。恐らくは……取り戻そうとしている」
今なお、シルバーフィッシュは罅に追いかけられている状況だ。
だが、ディンスレイがべらべらと言葉を並べられているくらいに、シルバーフィッシュ側の動きは落ち着いていた。
回避するための軌道を取り続けて、船内が揺れたり逆さになったりする事はあれ、最初、小屋を逃げ出した時よりは随分とマシだった。
神からの攻撃に躊躇があるという前提の元、スーサが少しばかり手を抜いているのである。
それでも、やはり罅はシルバーフィッシュへと届かない。こちらの腕が良いのでは無く、神の側が四苦八苦しているのだ。
シルバーフィッシュを捕えたい。だが撃墜は出来ない。中にディンスレイが乗っているから。
ディンスレイ一人を無事のまま捕まえる。それを器用に行える能力が無いから、ただ空に罅を広げるばかりとなっているのだろう。
(小屋を、その中に机や椅子、食べる物まで発生させられる力があるというのに、私だけを捕えるという事が出来ない……なんだろう。それもそれで歪だな。無から有を発生させる方が、私だけを捕まえるよりもっと難しいだろうに。そもそも、ブラックテイルⅡのメインブリッジから、私の身一つを攫ったのだ。同じ事が出来ないのか?)
考える。考えを深める。
何時もなら、そんな考えより目の前の問題をどうにかする事を優先するのであるが、今は深く考える事が重要に思えた。
突拍子も無い相手だ。どこまでの事が出来て、どこまでの事が出来ないのか。それすらも分からない相手なのだから、実力行使より、思考を優先すべき。ディンスレイの直感がそう判断させていた。
「スーサ。既に言っているが……」
「分かってる。すぐに出口には向かわない。というより、多分、出来ない」
スーサがディンスレイの忠告を聞いている事に、ディンスレイは頷いた。
彼女の話を聞いてから、真っ先にディンスレイが判断したのは、真っ直ぐ逃げるのは愚手であろうという事。
「恐らく、出口に向かおうとするなら、それは止められる。それをするだけの力が本来あるんだ。向こうが困惑したり、驚いたりしているからこそ、我々が何かを出来る猶予があると考えるべきだろう」
何が出来て何が出来ないか。恐らくこの世界の神はそれを知らない。理解出来ていない。
だが、恐らくは、空に罅を入れる以上の何かが出来る存在ではあるはずなのだ。
こちらが真っ直ぐに逃げようとした場合、状況が単純になってしまうとディンスレイは考える。その単純さは向こうにとっての余裕となり、神に判断力を与えてしまう。それは不味い。
(戸惑わせる事。混乱させる事。そうして驚かせる事。それが多分……効果がある。考えてみれば、シルバーフィッシュが小屋に突き刺さり、私を救い出せたのも、そこに理由があるのだろう)
あの小屋は、ディンスレイが調べる限りにおいては傷つく事は無いという特徴を見せていた。
だが、シルバーフィッシュの突撃には驚いてしまったのだろう。それが、小屋の破壊へと繋がった……と、ディンスレイは考える。
(今の私の様に、向こうも考えて行動し始めたら? それこそ、一番不味い状況だろうさ)
やはりディンスレイは考える。この世界に来てから、身の内に起こった現象について。
あの小屋の家主は、受動的だった。ディンスレイの行動や言葉に反応して、驚くべき事をする。
逆に、何かしらの行動をこちらから起こさねば、何かを起こす事が出来ない……いや、発想が生まれないと表現するべきなのか?
「私への執着。それは……私の行動が、あの家主の新しい力を引き出したから……なのかもしれない」
「……それは、ありそう。色んな力があって、色んな事が出来るとしても、しようと思わないと、何が出来るか分からないし、しない」
「そういえば、君もその手の存在ではあったな、スーサ」
今、器用にシルバーフィッシュを動かしている少女もまた、最初は多くの事が出来る可能性があったのに、それが出来なかった少女だった。
今なお、そういう部分はあれど、それでもスーサは一人の人間としてここにある……と、ディンスレイなどは見ているわけだが、この世界の神はまだそうでは無いのだろう。
「これで味方だというのなら、助言を幾らでもしてやれるが、今は敵対している。となれば、むしろそこを突かねばな」
「けど、どうするの? 艦長の言う通り、こっちが真っ直ぐに脱出しようとすると、向こうがそれを防がないとって考えてしまう。考えたら、多分、その方法が出来る様になる」
スーサの言う通り、今、世界の罅だけがシルバーフィッシュの動きを止めようとしているのは、家主がそれ以外を考えていないからだ。
もし、どうしてもシルバーフィッシュを止めたい。ならばどうすれば良いか? などと考えを回し始めたら、その方法を思い付く可能性が高いし、力の差を考えれば、それはディンスレイ達に打開出来るものでは無さそうだ。
(何せ、向こうは神で、こちらは招かれた側でしか無いからな。いや、積極的に訪問したつもりも無いのだが……)
だから、ディンスレイの側はひたすら考える。家主が考え無しである内に、ディンスレイはそれを上回らなければならない。
「タイミングが重要だな」
「何の?」
「私が考えた手段を使うタイミングがだ。恐らくこれは効くが、今使うとなれば効果が薄い」
「効く手段がある。さすが」
「褒めるタイミングでも無いな。特に、私個人をだ」
「案を考えたのは艦長」
「だが、その絶好のチャンスを作り出すのは私では無い」
そろそろだと思うのだ。
ディンスレイが考えて考えて、導き出した手段。それを使うタイミングがもう少しでやってくる。
こっちに関しては考えての結論では無く、直感に近いものであったが、これが案外当たるものだ。この類の直感は、信頼とも言い換える事が出来るから。
「見えたぞ。上だ!」
ディンスレイはシルバーフィッシュ上方を睨む。
空に罅が広がっていた。だが、家主側の攻撃では無い。
そもそもこの空の罅もまた、最初は家主が発生させたものでは無いのだ。
空の罅もまた、家主がそういう事が出来るという実例を見て利用し始めたもの。
最初にそれを発生させたのは、シルバーフィッシュである。
つまり、世界外からの攻撃が、世界そのものに罅を発生させる。
「あれを目指せ! スーサ!」
「あれは……」
「ブラックテイルⅡからの攻撃だ! どうせ、暫くしても君が帰ってこないので、ブラックテイルⅡ側の判断で、アプローチを始めたんだろうさ!」
「そんな……!」
「そういう無茶をするのが私の部下だ! 君だけに仕事はさせない連中だし、だからこそ助かっている。それに……予想外だろう? 誰にとっても!」
「……!」
スーサがディンスレイの言葉を受け入れた瞬間、シルバーフィッシュもまた、発生した罅に向かって飛翔する。
この罅は、ブラックテイルⅡが開いた道だ。家主すらも、そこにそれが発生するなど予想出来ない以上、やはりこの家主に通用する。
「が、隙を突くというのは一瞬の事を言うから、それを突くと表現するのだろうな。そう長く通用しない」
「舌噛むよ、艦長」
噛むならもう噛んでいる。
ブラックテイルⅡが作った罅、こじ開けた穴を、シルバーフィッシュが目指す中、別の罅が後方より迫り出していた。
まだ追いつかれてはいない。だが、出口までどれだけ飛べば辿り着けるかいまいち分からない状況だ。辿り着く前に、家主の罅に追いつかれる可能性もあるだろう。
さらにそれ以上の問題として、家主が焦り始めたというものがある。
焦り、ここに来て漸く、考え始めた。
罅は効率が悪い。もっと真っ直ぐで良いのではないかと。
空に……罅では無く、線が走る。
罅の様に広がったり曲がったりするのでは無く、真っ直ぐにシルバーフィッシュへと届こうとしている線は、さっきまでよりもっと速く、シルバーフィッシュへ届きそうだった。
故にここがタイミングでもあった。
この瞬間こそが、ディンスレイが家主に対する事が出来る、唯一のタイミング。
だからディンスレイは考え、考えた先の言葉を発するため、口だって開く。
「聞こえているか。君が……私を追っている理由は分かっている。ここは君の世界で、君の存在に寄って満たされていて、だからこそ、君だけしかいないから、何が出来るか分からなかった。そうだろう?」
ギッ。
シルバーフィッシュの中で聞こえるはずも無い、家鳴りの音が聞こえてきた。
肯定の一回。
「君の思いは理解出来る。他人との違いから、自分はこうだと知る事が出来る様に、私という異分子の存在が、君自身は何が出来るかを判明させられる。そのための明かりが、君にとっての私なのだろう。だが……私は単なる明かりにはなれない。もっとやるべき事があるからな」
ギッギッ。
否定の二回。
空の線が迫り、シルバーフィッシュそのものが軋む音もする。
線に絡め、そのまま捕らえるつもりだろう。
だが、世界の彼方へ飛翔していくシルバーフィッシュの前方は、まだ開けている。
今、シルバーフィッシュは、ブラックテイルⅡが作り出しただろう空の罅……いや、もはやそれは穴と表現するべきだろう。そこへと入った。
だが、やはりまだシルバーフィッシュは家主の世界の内側にいるらしい。
線は今、横を見ればそこに並走している。さらにその線は伸び、今度こそシルバーフィッシュの前方へと……。
「私の代わりに、君は君自身で生命を作れば良い」
線が……少しだけブレた気がした。シルバーフィッシュに追いつこうとする勢いもまた、減じた気がする。気のせいかもしれないが。
「艦長……?」
スーサからも珍しく、困惑の声が聞こえて来た。
これから説明するから、後ろを振り向こうとするのは止めて欲しい。危ないから。
「スーサ、君は作られた生命だ。その事は倫理観を働かせたり、思うところがあるわけだろうが……生命は作り出せる。そういう事実があるのだろう? 例えば人がそれをすれば、ひと悶着もふた悶着もあるだろうが、世界そのものがそれを作り出すのは……悪い事か?」
むしろ自然な事ではあるまいか。
ディンスレイが生まれ育った世界、無限の大地マグナスカブこそ、多くの生命を生み出しているじゃあないか。
そうして、今ここには、無限の大地と比較すればあまりにも小さな、それでも一つの世界がある。
そんな世界の神と言える家主が、他者の存在を欲しているのだ。
「正直なところ、世界の外側から人を攫ってくるというのは、なかなか迷惑だぞ? 私なんぞは特にだ。もうちょっと広い世界に生きたい性質でな。だから……君の方は他人に迷惑を掛けないように、自分から生み出してみたらどうだ? 語り合う他者を、この世界で」
奥の手。唯一浮かんだディンスレイの策がそれだった。
意思疎通が出来る相手なのだ。現状の改善案を提示するという手段が、例え相手が神であろうとも通じると……そう考えたのである。
結果はどうだ? 線はまだ追って来ている。まだ足りないか。しかしやはり、勢いは無くなっている。
「艦長、どういう発想? 自分の代わりになる生命を作り出せば良いなんて……分からない。それは……分からない」
「なかなか良い質問だな、スーサ。哲学の話や倫理の話をここで長々しても良いし、楽しそうではあるが……今は率直に言ってしまった方が良いだろう。この世界の神だろう君も、良く聞いておけ」
ディンスレイが助かるための策であり、そうして今、飛んでいる世界に対しての提案。その意味をディンスレイは伝えるのだ。
「私一人を、無理に作った小屋に閉じ込め語り合う事と比較して、君が自らの力で、頭をひねらせて、様々な力を使って、この世界に順応する生命を作り出す。それは、この世界にとって、より楽しい事だとは思わないか?」
「……楽しい?」
「面白そうとも言えるな。君はどうだ? 今も聞いているだろう?」
ディンスレイは虚空を見上げる。この世界の家主に尋ねる。家鳴りが聞こえないぞ? どうした? はいかいいえで答えられる質問をしたつもりだが。
「もしかして……私を浚う事は出来るのに、生命を作り出すのは躊躇しているのか?」
ギッ……ギッ。
家鳴りが二回。一回と答えそうになったところに、漸く二回目だ。その感情が、ディンスレイにはなんとなく伝わって来た。
戸惑いと躊躇。そんな自分に対する否定と言ったところか。
世界一つを小さいとは言え作り出している存在が、なんとも人間らしい態度を見せてくるものだ。
だからこそ、ディンスレイも実力行使では無く、言葉での解決を図れる。
「やってみろ。君がそういう存在になってしまったというのなら、もう後戻りは出来ない。君は私を浚い、そうして多くの事が出来るのを、自ら知ったのだろう? その歩みを止めるな。さらに前を進め。私一人なんぞに満足するなよ。なぁ?」
シルバーフィッシュの横に伸びていた線が、遅れていくのを見る。その速度が無くなったのだ。
シルバーフィッシュ側の速度は変わらないままだから、すぐに線は見えなくなった。
そんな光景を見て、ディンスレイは笑みを浮かべた。
「君のその選択が、どういう結果になるか。今から楽しみだよ、私は。君はどうだ?」
ギッ。
家鳴りが一回。肯定の意味のそれが、どういう類の返事だったのか。
はいかいいえで答えられない質問だったので、ディンスレイには知る由も無いが、それでも楽しみだと思ったのは、ディンスレイの本音だった。
家主の方はどうだろうか。
その答えはきっと、目の前に突然広がった、無限の大地が答えかもしれない。
ディンスレイとスーサは青空と雲と小屋だけの小さな世界を抜け、元の大きな世界へと戻って来たのだ。
戻って来たが……。
「艦長、掴まってて」
「ここからまた、荒れる操舵か、スーサ! うおっと!」
小さな世界から、元の世界へと出たシルバーフィッシュを待ち受けていたのは、ブラックテイルⅡが変わらず攻撃を行っている最中の空であった。
そこを掻い潜る様な動きをシルバーフィッシュが見せるが、その動きはさっきまで空の線や罅に追われていた時より、かなり荒々しいものであった。
「おいおいおい。スーサ。なんだか心持ち、わざと荒い操舵をしていないか?」
「気のせい。そんなはずない」
どうしてか、やや怒っているらしい彼女。
ブラックテイルⅡからの攻撃も、シルバーフィッシュの存在を確認したのだろうすぐに止んだから、荒れた操舵も収まっていく。
が、それでもスーサが怒っているらしい雰囲気は伝わって来た。
「君の思いも、なんとなく分かる。私は助かるためとは言え、無茶をしたな。家主に生命を自分で生み出してみせろなどと、良くもまあ提案出来たものだ」
「艦長は……あそこがどんなに大変な場所だったか分かっていない。あそこは世界の卵。艦長の言葉が、どういう事に繋がるか。分かっていたら、あんな事言えなかったはず」
つまり、スーサはディンスレイを心配してくれているのだろう。それを蔑ろにしたから、今、ディンスレイは怒られている。
「そうだな。私は分かっていない。君の方がさっきの世界とその家主にずっと近いから、私の知らない事まで良く知っているだろう。だが……」
ディンスレイは一旦言葉を止め、そうして無限の大地の空を見る。
外は吹雪の只中にあった……はずだが、上空には、あの小さな世界の空と同じ、白い雲と青空が広がっている。
これが、何らかの結果であり、新たな変化だった。
それを見て、ディンスレイは呟く様に話を再開する。
「不思議と、悪い方にはならない気がするんだよ。単に、私の見た風景の話でしか無いが」
そう思えば、巻き込まれた事件だろうと、楽しくなってくる。なんとも、馬鹿な男の考えかもしれないけれど。




