⑤ ワープしよう
「どうしたの? 最近ずっと忙しそうだったから、遂にこう……来た感じ?」
「忙しい理由の一人に同情の目線を向けられるというのも屈辱の極みだが、実際、ここはそうとしか思えない。特にほら、見たまえよこの部屋の外周部分を」
輝く石を中心としたドーナツ状のその部屋。そこに実質閉じ込められた様な形のディンスレイであるが、ミニセルから冷たい様でどこか本気で心配されている様な目線を向けられながら、それでもこの部屋の出入口についてを訴え続ける。
「部屋の壁にあたる部分は、用途が分からない機材が並んでいるだろう? どう考えても、どこかに扉を置いたりはしていないわけだ。ならここに出入りする人員は、どうやってここに来るのか? それを考えると……」
立ち止まって居た足を再び動かし、ディンスレイは部屋の中で、一番しっくり来る場所を探す。
部屋の機能というよりは形や模様から、答えを導き出そうとしているのだ。
幾らか歩き、一度二度身体をズラした後、やはりここだとディンスレイは部屋の中央から、少しだけズレた場所に立った。
中央には光る鉱石とそれを支えている機材が置かれているため、人が立とうとすると部屋の中央からはズレる必要があるのだ。
「ここだ。床の模様を見たまえ。ここだけ、何故か円形の模様が刻まれている」
とんとんと足で床を叩く。一見、部屋の内装程度の意味合いしか無さそうなその模様であるが、部屋に備わった機能を現わしていると考えれば、その重要性も分かってくるというものだ。
「部屋の構造から、円の模様を描こうとするなら、円の中心は部屋の中央になるはずなのに、そこからズレた場所にそれを置いているのは、部屋そのものと床の模様の二つの円を関係付けている……とも見る事が出来るな」
「盛り上がってるところ悪いけどー。それでそれがどうやってワープとかするのよ? というか、ワープなんて現象本当にあるの?」
確かに、離れた場所から離れた場所へ。瞬時に移動出来る現象というのは、昔から夢物語として語られる類の話であった。
世界は遥かに広く、知れば知る程に、多様性と未知が支配する世界であると誰しもが知る事になるこのマグナスカブという大地において、そんな世界の中を何時だって、瞬時にどこでも行く事が出来るというのは、この世界に生まれた者の一種の夢なのだ。
シルフェニア文学の古典においても、既にそういう現象がフィクションの中で現れている。それがワープである。
「逆に聞くが、それ以外の可能性があるのかな? この部屋の中に」
「む、昔の……権力者のお墓などは、た、確か……し、死者が蘇って来ない様に……で、出入口を無くして完成させる……というものがあった……ような……あ、ああ、す、すみません。縁起でもない話……でしたねぇ」
「船医さん。縁起どころか洒落になってないわよ、それ」
まったくもってその通りである。墓に閉じ込められている状況だとしたら、それこそ絶望しか無い状況だろう。
「ま、そういう可能性の方は排除出来んがね、それでもここが墓では無い可能性の方が、高いと思うぞ。私はな」
この部屋は、機能性に富んでいる様に見えるからだ。
死者が静かに埋葬される場所というより、生きる人間が使う場所という印象が強い。死者は一生懸命働くものだという文化だったら解釈違いで申し訳ないという話になるが、今はこの出入口の無い部屋は、それでもこの部屋を出入りする者のためのものだと信じたいところである。
信じるだけで、試めせる事もあるのだから。
「そう。ここに立つ。次にどうするか? ここに来た人間は何をするか……」
「ちょっと!? 艦長!?」
そのミニセルの叫びに反応する間は無かった。
ディンスレイは次にする行動として、ごく自然に、目の前の光る鉱石に手を伸ばしてしまったからだ。
さすがに触れるまではしていない。していなかったはずだが……。
「なんだ。ここは」
次の瞬間には、既に視界が変わっていた。
暗転したわけも無く、文字通り一瞬で、目の前に広がる光景が変わってしまったのだ。
「これは……本当にとんでも無い事かもしれんぞ……」
独り呟くディンスレイ。聞いて貰う相手も居なかったからだ。
だが慌てもしない。歩いてまた同じ場所には戻れるだろう。
ディンスレイは今、洞窟から最初に落ちた場所、砂が積もる空洞に立っていたから。
「いやほんと、ちょっとあれよ? 私が言うのも何だけど、もうちょっと慎重に行動した方が良いというか、艦長そういうところあるわよね? なんというか命を軽く扱ってるというのは違うけれど、時々自分に命があるって忘れがちっていうか、ボケたおじいちゃん見る様なハラハラした感覚。分かる?」
「分かる分かる。分かったから詰めるのはやめてくれミニセル君」
元の部屋へと歩いて戻って来たディンスレイに待ち受けて居たのは、今からあんたの腕を折っても良いかしら。みたいな表情をしたミニセルである。
彼女は何食わぬ顔をして部屋に顔を出したディンスレイに対して、すぐさま詰め寄って来て、襟首を掴んで揺さぶって来たから、今のディンスレイの視界は揺れっぱなしだ。
「さ、さすがに今回は……か、艦長が悪いですよぉ。わ、私だって心配しましたしぃ……」
「まあまあまあ。君たちの心配も分かるが、私の方だってとても驚いた側でだな。まさか触れもせずにああなるとは……いや、逆に尋ねるが私は今、ちゃんと無事かな? 自分でもどこか何かなってないか、ここに来るまで不安で不安で」
突然に居る場所が変わった。つまりこれは間違える事無くワープだと思われる。
シルフェニア国内で秘密の機関が秘密の技術として秘匿しているとか、そういう物が無い限り、シルフェニアの人間として初めてワープを体験した。それがディンスレイであろう。
なので自分が無事かどうかすら今のところ判断出来ずに居た。とりあえず手足は無事に動いているが、顔周りが無くなっているとかだったら、自分でも分からないところだ。
「安心しなさい。見れば見る程ピンピンしてるわよ。なんだったら船医さんにも見て貰う?」
「で、ですのでぇ……し、仕事を増やさないでくださいぃ……」
無事帰って来たところで医者は変わらず忙しい日々らしいが、ディンスレイとて忙しい物となるだろう。
閉じ込められた今の環境に、光が差し込んできたのだ。しかも文字通り。
「怪我人に無茶をさせずに帰還させる方法がここにはあるかもしれない。それは仕事が減るのではないかな船医殿?」
「わ、ワープですか……本当にあるだなんて……」
とりあえず手を止める程度には余裕が出て来たらしいアンスィがぽつりと呟く。
そう。ワープだ。離れた場所から離れた場所へ、瞬時に移動出来る手段。それが目の前にあるというのは画期的どころか歴史的と言えるが、今の時点においては、自分達を救出してくれる装置としてそれがある。
「ちょっと待って。まだその事に喜べないわよ、私は」
「操作方法が分からんからな。私はさっきまで居た空洞に移動するだけだったが、壁の中に入る可能性もまたあったかもしれん」
さあいざブラックテイル号へ帰ろうなどという状況ではあるまい。それをするためにワープをどう利用すれば良いか? それが肝心だった。
「か、考えたところで、し、仕方ない……のでは?」
「それは悲観主義的な意味でか? もしくは楽観論で?」
アンスィの意見に興味を覚えたディンスレイは尋ねて見る。ミニセルとディンスレイ二人だけの意見より、彼女も交えた方がさらに話の確度は増すだろう。細やかなものかもしれないが……。
「ど、どちらもですぅ……ワープが出来ると分かったところで、や、やっぱり、わ、分けも分からない装置であることには違いありません……し」
「つまり、どこまで行っても運任せの状況と言いたいわけね、船医さんは」
「で、ですねぇ……ワープの機能を……ど、どうやって私達が操作出来ますかぁ?」
「もっともだわよ。これは……こんな事が出来る以上、私達以上の技術力をもった誰かが作ったものなんでしょうけど、私達以上だから、私達じゃ分からない」
それも理屈であろう。このワープで助かろうとするならば、その後どうなるかは運任せ。運が良ければ本当に助かるし、悪ければ全滅だ。どれだけ話し合ったり検証したとしても、そこは変わらない。
「本当にそうだろうか?」
「悪い笑みしないでよ艦長」
「いいやするさ。ここまで、我々は徒労を続けていたと思っていた。活性山脈壁の調査から始まった度重なる困難は、その挑戦すべてにおいて裏目に出ていたとそう考えていた。だが、今、この瞬間、それが裏返った」
ディンスレイの頭の中で、バラバラだった事象が繋がって行く。
この部屋のワープ装置とはいったい何だろう。部屋を構成する機材は何なのだ。崖に亀裂や空洞を作り出したと思われる部屋の中央にある光る鉱石は何か? そもそも、活性山脈壁とは何なのか。
「謎ばかりが多くなっているが、謎の中で、我々にとって既知の物があった。私はそう考える。相手の技術が高くて理解出来ないものだとしても、分かる物があればそれを突破口に出来ると私は思うよ」
「なら、その突破口ってのを教えて貰いましょうか」
「それは……これだ」
ディンスレイは指差す。
ただし、今度は間違ってまたワープされない様に、それから幾らか距離を離した上でだ。
「こ、これが何であるか……わ、分かったのですかぁ?」
光るその石を、ぼんやりと見つめているアンスィへと向き、ディンスレイは笑った。
「良く見て、考えに至れば分かるさ。これは浮遊石だ」
そう、ディンスレイ達が乗るブラックテイル号を飛ばし、果ては大地の奥底で大地そのものを支えている物質。力。それがここにもある。
「待って。待ちなさいって。けど、これ、私達が知るそれとはかなり違うというか……」
「ふむ。では聞くが、何が違う?」
疑うミニセルに尋ねて見ると、彼女は首を傾げつつ、光る鉱石を見つめ始める。
「まず……ほら、浮遊石はこんな風に光らないでしょ? 後は……いや、後は石なのは、まあ同じだけども」
「だが、浮遊石だって光るものだ。暗闇の中に置くと淡く輝くというのは知っているだろうし、見た事もあるのでは無いかな?」
「そりゃあこっちは飛空船の操舵士だしね。けど、だからこんな風に眩しいくらいに輝いては……いえ、光の色は似ている……?」
輝き方とて波長はある。特別、この色だとは言えないのが浮遊石の輝きであるが、それでも太陽の光や魔法の光とも違う、浮遊石だけの輝きがあり、ここで光る石にもまた、その明かりがあったのだ。
「た、確かに……確かにこれ、浮遊石の色ですぅ。な、なんだか親しみがあるなぁって、ちょ、ちょっと思ってましたぁ!」
アンスィからは同意を貰った。ではミニセルの方は? 彼女の様子を見れば、同意の言葉を出すのは癪だが、確かに一理あるのは認めると言った表情を浮かべていた。
「けど、だからってそれがどういう事っだって言うの? 後生大事に、浮遊石を飾る部屋があるってだけになるけど……」
「これが浮遊石であるのが確かならば、この輝きは、浮遊石の純度が高いと言えるのでは無いだろうか。我々が知るそれよりも、より純度が高く、その力も大きい。そうだな。例えばあの、ダァルフが発掘していたかもしれないそれ……」
「ああ。じゃあもしかしてここって……」
「ダァルフの遺跡かもしれん。そこは単なる想像だがな」
そうして、そんな想像をさらに進めてみよう。
力のある浮遊石。ディンスレイ達が知るものですら、浮遊石を使えば街一つだって浮かばせる事が出来るのだ。
理屈上、その力は大地すら浮かせている。大地は遥か下方まで沈まないのは浮遊石の存在があるからだ。身近にありながらも、その力は強大に過ぎる。
ならばこの輝く浮遊石の力はどれ程の物か。
「浮遊石が無くなった場所は、以前この目で見た通り、すべてが落下するブラックピラァとなる。ならば、あの驚天動地な事象を常に起こらない形で支えている力、浮遊石の力が高まれば……その逆が起こってもおかしくはあるまい」
「逆って、あっちが全部下に落ちるんだから、その逆は全部が上に―――
ミニセルも言っていて気が付いたらしい。だから彼女は、自分の足元を見たのだ。そのすべてを。この場所を表現する言葉で言えば、活性山脈壁を。
「恐らく、そもそも山脈壁とは、重力と浮遊力の釣り合いが浮遊力の方に傾いた時に発生する地形なのだろう。そうして、新たな安定で活性化は止まる。一方、我々が発見したこの地形はどうだ? 今なおそれが続いている理由は……」
「こ、ここにある、この高純度の浮遊石が引き起こしている……と?」
アンスィが恐る恐る尋ねて来る。そんな彼女に申し訳ないが、ディンスレイは躊躇なく頷いた。
ワープなどというディンスレイ達にとって常識外れの事象を引き起こす力とは、それ程のものだと断じる。
「ここまで考えて、やはり技術や仕組みも分からんままだが、ワープを引き起こす力の正体は見えて来た。違うかな?」
ミニセルとアンスィ。交互に視線を向けてみると、先にミニセルが答えて来る。
「浮遊石の力となれば、それは勿論、浮く力よね? この部屋はその方向性を決定する装置。私達の飛空船にあるものと同種で、さらにもっと高度な物と言えるかもしれない」
「そう。浮遊力は世界中にある。世界を支えている力だからだ。となると、その力の繋がりもまたどこにでもあるはずだ。だから、そこからワープ技術を作り出したのだ。この部屋を作った者達は」
いったい、どれだけ技術の発展を続ければこうなるのか。この石を用意出来る種族と言えば、ディンスレイはダァルフを思い浮かべたわけだが、ミニセルの言う通り、これが飛空船を浮かばせる技術に通じているとしたら、そちらを得手としていた可能性も―――
「で、どうするの? そこまで考えたところで、やっぱりこれに頼るというのは賭けじゃない?」
考えの途中であるが、これもミニセルの言う通り。
ここまでは、浮遊石を使ったワープ技術であるという説明でしか無い。
「一つ、それでも貴重な体験をしただろう? 私がワープした事だ」
「さ、先ほどまでの話を聞くと、せ、世界の果てまで……ワープしてしまう可能性も……あ、あったのでは?」
「だが、私が移動したのは、すぐ近く、あの砂が溜まっていた空間だな。あれ、つまり浮遊石の強い力により抉られた場所というわけだが、浮遊石の力の方向性があちらを向いていたとも表現出来ないかな? だから私はあそこに移動したわけだ」
力を水に表現した事を思い出す。その流れが一旦滞る場所で、ワープは中断された形だ。
そうして力そのものは、外となる崖に亀裂を生み出した。力はそこまで届いている。どうにか、この力を調整出来れば、崖の入り口までワープ出来るのでは無いだろうか。
「私達で何が出来るか……そうね。例えば、あの砂が溜まっていた場所の砂の形を、少しでも受け流す様な……私達が落ちた場所に力の流れが生まれる様に整える様に出来れば?」
「ああ、ミニセル君。もう少し先に、それこそ出口までワープ出来るという事だ」
「あ、あの、す、砂山を……」
それはそれで大変な労力では無いのか。アンスィはこちらを見つめてくるが、他に仕方ないのだから、挑む他無い。そう言葉を返そうとするディンスレイを遮る様に、さらに言葉が聞こえて来た。
「お、俺達……あ、いや、俺はまだ、は、働けます。て、手伝わせてください……」
アンスィに治療されていた船員の一人。確か普段は観測士をしてくれているテリアン・ショウジという青年が言葉を発して来た。
「医者の言う事は聞くものだよテリアン君。つまり、もし許可が出るのなら、単純作業くらいならさせられるが……」
船医アンスィの診断はどうであろうか。視線で尋ねて見ると、彼女は頷きで返して来た。
「か、彼の怪我が、い、一番軽い……です。む、無理をさせなければ……」
「そうか。なら手伝って貰うぞ。生き残るために、皆で力を尽くそう」
その提案をした瞬間、ディンスレイは自分が本調子に戻るのを感じた。
そうだ。これまでブラックテイル号ではずっとそうしてきた。それをこれから、再び始めるのだ。
「こんなものでどうだ?」
「ど、どうだと申されても、な、何が正解なのやら……」
部屋から空洞部分に出たディンスレイとアンスィ。砂山の下の方の砂を持って来ていたスコップで掬い、その頂点付近に流し込む作業。
遅々としたものであったが、それでも他にやる事も無いため、休み休み続け、時間にして一日程で、ディンスレイが望む様な形になって来たところだ。
「だから水の流れだよ船医殿! 見えない水の流れがここにあると仮定して、ここに溜まる水が……次に向かう先が上の方にある、崖の亀裂へ流れやすい様に整えるわけだ」
「あー……だ、だから、坂道みたいなのを……て、てっきり、届きもしない道を……ひ、ひたすら作って諦めない様にしているのだと……思ってましたぁ!」
「ひ、人を何だと……ああ、良い。とりあえず、さっき言った水の流れを見た場合、どうかな?」
「う、うーん……た、多分……水は……溜まって居れば、上に流れます……か?」
「ふむ。溜まって居れば……か」
「ふ、不安が……?」
「考えてもみろ。浮遊石と力とて、使い続ければ枯渇するかもしれん。見えもしない力というのは、それくらい信用出来ない部分があるわけだな。ここでの作業が無駄に終わらなければ良いが……」
もっとも、枯渇にしても無駄にしても、結果がどういう風に至るかは未だ予想出来ないものだ。心配したところで仕方ないかもしれない。
「だ、だから、こちらの仕事は、わ、私達二人でして……あ、あちらの部屋の仕事は、み、ミニセルさん含めた、ほ、他の船員さん達に任せたんですか……?」
「ああ。こちらも手は欲しいところだったが、部屋の方は発想の問題だからな。考える頭が多い方が良い。怪我人だとしても出来る仕事でもある」
ミニセル達に任せているのは力作業では無く頭脳労働と言ったところだ。
やって欲しいと指示したのは、部屋の中の機器の一つでも、使い方を探る事であった。
光石に触れようとすればワープする。とりあえずそう仮定しつつ、それをどうにか操作するのがあの部屋にある各種機材では無いか。
そういう前提で、もう一度部屋の中を探って貰っている。こちらの作業が終わる頃に、何か成果が出て居れば良いのだが。
「さて、ではそろそろ行くか」
「い、いよいよ。ですかねぇ……」
こちらの作業が終わる頃がタイムリミット。部屋の船員達にはそれを伝えてある。頭脳労働の区切りもそこになっていた。
「ま、ここまで来たら最後まで前向きにやるさ。存外、上手く行くかもしれんぞ?」
「ど、努力は無駄に……ならない世の中が良い……かもです」
断言が出来ないところに、生来の気弱さがあるのだろう。いや、彼女の場合気が強いが優柔不断なのだと思う。
やるべき事と実際の行動は伴っているのに、言葉だけがふわふわしているのだ。
そこを改善さえ出来れば、ブラックテイル号に収まらない医者になれるのでは無いだろうか。あくまで身内の期待ではあるけども。
「ここに他の船員が居る限り、私は君たちを活かす努力はするから、そうだな。無駄にならないと良い」
そう決意を伝え、足を進ませる。
それ程部屋から離れては居ないが、辿り着いてしまえばやるべき事をするしか無いと思えば、その道のりはとても長いものに思えた。
立ち止まるつもりは無いから、それでもそこへとやって来てしまったが。
「あ、艦長。そっちは終わったみたいね。調子はどう?」
「調子も何も、やってみなければ分からんさ」
部屋の中で出迎えて来たミニセルに、頼りの無い返事をしつつ、逆に尋ねる。
「で、そっちはどうかな?」
「えっとね。良い報告と悪い報告がある」
「むぅ。その手の」
「あ、いや、ちょっと違うわね。良くも悪くもある報告があるの」
なかなかに勿体ぶるミニセルのその言葉を聞いている間、部屋にも視線を向けた結果、ディンスレイが彼女の報告が何であるかを察してしまった。
「部屋の機材を幾つか動かせる様になったが、だからどういう結果になるかは良く分からなかった。そんなところかな?」
「惜しいわね艦長。あの、中心にある浮遊石を支えている部分あるじゃない? あの近くに良く見ると他とは質感の違う……パネル? みたいなものがあって、何なのかしらって思って手を触れてたら、あれ、急に動いちゃった。で、そのあと動かなくなっちゃった」
ミニセルの言うあれとは、浮遊石を支えている幾つかの複雑な支えであった。
金属質ではある。黄金色……という程に荘厳では無いが黄色がかっていて、一方単なる棒とも表現出来ない、幾つかは薄く、幾つかは円を描く形で浮遊石の周囲に一旦広がり、最終的には浮遊石を支える様に集まっている。そんな形状の支えが、確かに前に見た時と形状を変えていた。
「あ、あのぅ。た、確かに動いたみたいですけど……う、動いてみると、こ、これ、どうしてこんな形してるか、な、なんとなく、分かって来るものです……ねぇ」
アンスィがディンスレイより一歩早く支えの近くまで向かい、それをしげしげと観察していた。
彼女の意見を聞きながら、ディンスレイも頷く。
支えがどうしておかしな形をしているか。それは恐らく、浮遊石が完全に支えに隠れない、露出する形になる一点を作り出すためだろう。
支えは複雑な形で、ある方向から見るとその支えで浮遊石の一部分が隠れて見える。そういう構造をしているのだが、ある一方向のみ、その支えに隠れない部分があった。
「観測士から、一言あります。ある種の、これは目の様に思えてなりません」
怪我人でありながらも、多少の作業は続けてくれていた観測士のテリアンが意見もしてくれる。
そうだ。今はこういう多様な視点からの意見が肝心だった。
「君が観測士だからこそ、目という表現になったと言ったところかな? 我々はこの部屋は中心部の浮遊石を観測するもの……という目で見ていたが、その実、この浮遊石こそ目かもしれない。そう考えるわけだ」
「些か、直感に過ぎる発言でしたでしょうか」
固くなっているテリアンに対して、ディンスレイは笑う。お互い、死に近づいている身だ。互いの立場を気にしたって仕方ない。
「直感は大事だ。テリアン君。君も私も、まだまだ人生経験に浅いのだから、勘に頼る事だってあるだろうし、馬鹿には出来ないものだよ? そう。この目は見ている。言われれば私もそう感じるな。見ている方向もある種皮肉だ。この方向……皆も分かるのでは無いかな?」
それは良い事なのか悪い事なのか。ミニセルの言葉を借りるなら、どちらでもあるのだろう。
浮遊石とその支えで構築された目。その目が向いていると表現出来る浮遊石の露出部分は、ディンスレイ達が部屋へと入って来た、部屋の壁が崩壊している部分を向いていた。
いや、少しそこからはズレている。目はそのやや上側を向いているのだ。
それを直線に伸ばして行けば、どこへ辿り着くか。
「これは……我々がここへ入る事になった入口。崖の亀裂を見ている様に見えるが、諸君らはどうか?」
「直感としては同意します」
「こっちも同じく」
「は、はい……そう……ですね」
発言出来る者の返答はこれで聞けた形になるだろう。しかも満場一致だ。
「ある種の運命か、もしくは何かの作為か。これに関しても、同じだな。良くて悪い話だ。だから……」
ディンスレイは歩く。そうしてここにいるメンバー全員と視線を合わせた。
そうして、返って来た目線についても全員同じものとなった。
もう、ここまで来たらやるしか無い。そういう目だった。
「この危機的状況において、やるべき事はやった。あと一つを除いてだ」
ディンスレイは再び、部屋の中央付近。浮遊石と対面する場所に立つ。そうして、それはこの場に居る全員もだった。
出来るだけ床に描かれた模様の内側に。倒れた怪我人も背負うか抱きかかえ、お互いがお互いに触れている。そんな状況だ。
「さて諸君。旅を始めようか。出来ればこの先に、幸多からん事を」
その宣言と共に、ディンスレイは手を伸ばす。
目の前にあり、眩しく輝くその浮遊石へと。そうして―――




