幕間 ロブロ・ライツの前夜祭 中編
タイミーがパーティの準備を事前にしていたとは言え、ではその後、自分は何もしなくて良いとは行かなかったなと、ロブロはぼんやりと考えていた。
「いや、まあ良いんですけどね。タイミーだけが動いて、完璧に状況を仕上げて来たら、むしろそっちの方がショックというか、仕事だっていうのなら、僕が手伝う事もやぶさかでは無いと言いますか」
「お前、気付かないうちに、口を動かしながら作業をするの上手くなったな?」
ブラックテイルⅡ機関室。ロブロにとっては本来の仕事場であるそこで、シルバーフィッシュを相手にする時より、随分と素直なブラックテイルⅡ機関部の整備を行っていた。
隣で似た様な作業をしているのは、先輩整備士のゴーツ・オットンという男だ。
ロブロより年齢は少し上で、体格も良い。金髪の髪を短く切り揃えて、作業着で身を包む姿は、まさに理想の整備士と言った見た目をしている。その口元の髭以外はであるが。
「ゴーツ先輩も随分と上手くなりましたよね、その……うん」
「なんだ? 何か言い返そうが優先して、言うべき事が思い付かなかったみたいな感じは。まあ、お前もまだそこらへんは新人ってところかな?」
惜しい。言い返せる言葉あったものの、それが整備班長ガニ・ゼインの真似が板について来たという類のものだったので、言葉を飲み込んだのだ。
言えば喧嘩になるタイプの言葉というものがある事を、ロブロだって十分に理解していた。
そういう機微が備わっているからこそ、ロブロは言う。
「そりゃあ整備士の中じゃあ僕は一番若手ですからね。新人って言われるのも分かりますし、整備の腕だって……負けてるつもりはありませんが、経験ではゴーツ先輩には劣ります。けどね、それでも、何時までも小僧みたいな扱いは止めて欲しいっていうか」
それに、整備士として立派に見られる努力のためか、整備班長の外見を真似る事から入っているゴーツとて、立派な大人というものからは欠けている部分があるだろう。
新人扱いされるにしても、そういう部分がある相手にされると、引っかかりが生まれるというものだ。やはり言えば喧嘩になるから言わないものの。
「悪い悪い。確かに、ブラックテイルⅡで働く様になってからこっち、お前も随分成長したと思うよ。何せ、これから開く予定のパーティに、整備班員も極力参加して欲しいなんて、整備班長へ直談判するなんてなー」
「だって仕方ないじゃないですか。飛空艦は何時だって機関部の調整をし続けなきゃいけないっていうのは、僕自身が一番良く知ってるんですから。一応、タイミーの奴が艦長に話を付けて、艦そのものを安定した地形に着陸させてくれるってところまで行っています。あとはそれでも現場配置しなきゃいけない人員をどうするかの部分で、真っ先に僕達整備班員が出て来ますし、そういう話なら整備班長とも話し合う必要が―――
「はいはい。苦労してるよな、お前も。スーサって女の子……で良いのか? その世話を艦長から指示されたって聞いた時は、新人らしく雑用からか? みたいに思ったもんだがねぇ」
「……そういう認識なら、先輩はパーティに参加してくださいよ」
「分かってる分かってる。後輩がせっかく頑張ってるんだから、時間の都合さえつけば、俺も参加するよ」
別にそういうつもりで参加を要望したわけでも無いのだが、来てくれるというのなら、それ以上を言うつもりも無かった。
(パーティに参加して、スーサと交流を持ちさえすれば、彼女への理解が進むだろうし……今はそれで満足するべきなんだろうね)
タイミーは行き詰まりがちだったロブロや艦内の状況を変えてやるといった様子でパーティの事を話して来たが、本当の意味は、やはりスーサを中心に据えて、艦内の空気を纏めるという部分が大きい様に思える。
(スーサはドラゴン……生物都市にかつて居た人間達に作られ、そうして今、その人間達の危機に僕達は挑もうとしている。そういう空気を受け入れるためのパーティってところかな)
艦長が今後の方針を決定した以上、表立って反対する者もいないだろうが、それでも何らかのしこりの様な物は生まれるはずだ。
何故、スーサという少女一人のために?
挑む先には何が待つか分かっているのか?
そもそもブラックテイルⅡはどういう事をするのが正解なのか?
他にも、船員毎に思うところというものがあるはずだ。それらを幾らか、スーサという存在込みで解消するのが、タイミーが目論むパーティというやつなのだとロブロは思う。だからこそ、艦長も彼女の提案を了承したのだろうと。
つまり、ロブロのためという目的はやはり薄いのである。
(まあ、パーティの準備のために働くっていうのも、気分転換にはなるから、手伝いはするけどさぁ)
ただ、気分転換になる程度に慣れぬ事をしている。そう思う。
それがロブロ自身にどういう影響を与えて来るか、それはロブロ自身にも分からないのが不安であった。
「おい、ロブロ。ロブロ・ライツ。ちょっと良いか?」
と、ガニ整備班長の声が聞こえて来た。
直近の目的だった、ゴーツをパーティに誘うという目的を果たし、自分の今日のノルマである整備作業も、ほぼ終わりとなっていたタイミングだったので、ロブロはすぐに反応した。
「なんです? 整備班長?」
ガニ整備班長の視線がロブロに向かっているのにやや不満そうなゴーツの目線を見なかった事にしつつ、声の方向、機関室の出入口付近に立つガニ整備班長へと近づく。
「いや、それがな、お前さん、一応、今度開くパーティの運営側って認識で良いんだよな?」
何時もなら厳しい面を見せて来るこの上司が、今回はどうにも所在無さげである。
それがむしろ、ロブロの目には怖く映るのだから不思議だ。
「ええっと、はい。タイミー看護士が中心になって動いているんですが、その手伝いをしている以上、僕も運営と言えるかもしれません」
相手の意図が分からないままであるが、その相手が上司であるため、素直に答えるしか無い。
この後の話題に何が待っているのか。それは分からないが、禄でも無さそうである予感だけはしていた。
「それじゃあ、お前に伝えておくが、オレ達船内幹部についてだ」
「艦全体に関わる事……って事ですか? パーティが?」
「そこまで深刻ってわけでも無いが、まあパーティ自体が艦全体のイベントってんだから、関わる事ではあるんじゃねか?」
「それもそうですね。あ、もしかして、やっぱり止めとけとか言うつもりです? だったらその……僕としては、少し話を続けなければならないというかその……」
これはあくまで義理や人情の部分でしか無いが、タイミーがスーサやついでにロブロの事を考えてパーティを開こうとしているのだから、整備班長から止めておけと命令してくるなら、少し、本当に少しばかりであるが、反論する必要はある……はず。
「どういう手管か、艦長に直談判して許可貰ったんだから、オレから止めろなんて言うわけねぇだろうよ。言うなら、普段の仕事に支障が出ない範囲で頑張ってくれってところだ」
「あ、そうなんですか? だったらはい、どんな内容でも言ってくれて構いませんよ。要望とかなら、聞ける範囲で聞きますというか、船内幹部の方からの指示なら、むしろ極力努力させていただくつもりと言いますか」
「あーあー、そういうのは良いって。ただ、その船内幹部の方って部分が無関係じゃねな。というのも、そのパーティなんだが、船員を多く参加させるっていうのは良いんだが、船内幹部からは一名しか出さない予定になってな」
「え? それはまた……どうして?」
一人でも多くの参加を目指しているわけなので、ガニ整備班長からの言葉は、残念に思うものであった。
出来ればその理由を知りたいところであるが……。
「艦内の空気を入れ替えるためってのなら、船内幹部がずらずら顔を出すのもちょっと違うだろって意見が出たんだよ。この手の話で敏感な操舵士からの意見なんで、まあ、そういうものなんだろうなぁ」
ガニ整備班長自身はピンと来ていない様子であるが、ロブロの方は言われて、そういう事もあるかと感じた。
「そういう事なら……船内幹部の方が誰も居ないなら兎も角、一名は参加って事にはしていただけるんですよね? それでこちらとしては問題無いと思いますが……その一名は誰が来る予定なんです? 整備班長が?」
「いいや、オレとしちゃあ整備班員に一人でも多く参加して貰いたいと思ってるから、オレが居残り組だ。ここじゃあ三人分の働きが出来る自信がオレにはあるからよ、二人多くパーティに参加出来るだろ?」
「それはまた、すごい自信ですね」
それが口だけじゃないでは無いのが、この人が整備班長をしている所以なのだが、ここまで堂々と言われると、他は半人前以下という評価なのかもと思えてしまう。考えすぎだろうけれど。
「ま、だから安心してパーティには参加しといてくれ。個人的にも、言う通りうちの班からは一人でも多く参加させときたいんだよ」
「それはまた、どうして?」
「オレがあのスーサって女の子の接し方が分からんからな。だったら他の班員でフォローして貰うしか無いだろう? 一緒の班なら持ちつ持たれつってやつだよ。だから良い感じに交流してきてくれ。勿論、お前にも期待してるからな」
「な、なるほど……」
理解は出来たが、整備班長からこの手の言葉を聞いたのは意外だった。船内幹部なんて、誰も彼もロブロより上という印象があったため、そんな船内幹部が他に頼るという考え方が出て来るなんて想像が出来ていなかったのだ。それも同じ班員に。
(いや、それを普通に出来てしまうのが、幹部ってやつなのかもな)
誇りや自負も大事だが、不必要ならさっさと捨ててしまえる柔軟性……そういうものは、きっと学ぶべきなのだろう。ロブロにやや足りない部分だろうし。
「それで、整備班長が来られないんでしたら、船内幹部のどなたが参加していただけるんです? やっぱり、その手の意見を出したミニセル操舵士が?」
「あー、いや、それがなー……操舵士じゃあない。うん」
何故か、非常に言い難そうな様子のガニ整備班長。恐らく、これこそロブロが呼び出された本題であり、後回しにされていた話題でもあるのだろう。
「非常に嫌な予感がするので、出来ればもう、あっさり言っていただけると、心の負担も少なくなる気がするのですが」
「そうか? じゃあ後から文句言うなよ? 言質取ったからな?」
「あ、待って。待ってください。そう言われるとまだ準備が―――
「船内幹部を代表して、副長が参加するんだってよ」
「えっ、副長……?」
理解がいまいち出来ない。副長とはどういう意味の言葉だったろうか? 頭に過る印象は、人間みたいに動き回る石像と言った不気味なもの。
「その副長が、事前に運営側と打ち合わせしたいらしい。そういう準備が必要だろうって話だ」
「それはまたうちの副長らしい……え? 副長がパーティに参加するんです?」
「だからそう言ってるだろ」
けど待って欲しい。我らが飛空艦ブラックテイルⅡにおいて、もっと偏屈で正体不明だと言われている男が……パーティに参加する?
「あの、本気ですか?」
「それをこれから、副長に聞いてくれや」
どうやら、今日のロブロの仕事は、これから始まるらしい。
ブラックテイルⅡ、テグロアン・ムイーズ副長を率直に言い現わすとすれば、謎の多い人間という物になるだろうか。
まずブラックテイルⅡの副長になった経緯というものを誰も知らないし、艦長と普段、どの様なやり取りをしているのか、そもそも関係性として良好なのかも謎であるし、休養時間、何かしらの趣味に興じているのかどうかも謎であろう。
何故そんなに謎が多いのか?
ロブロが自分に問い掛けた時、意外な程スムーズにその答えが返って来る。
あまり、交流が無いせいだ。
「普段は私が艦長に色々と意見を具申する事が多いのですが、今回ばかりは私が注意を受けましたね。色々言葉は選んで居ましたが、要するに、私も船員の方々と友好を深めろとの事でした。言われて初めて気が付いたのですが、確かに私はその手の関係性が薄いままだった」
「さ、左様ですか」
機関室を整備班長の許可を貰って離れ、副長の部屋までやってきたロブロ。
そこで待っていたのは、部屋の主であるテグロアン副長と、彼が調度品を整えているのだろう、殺風景な部屋が待っていた。
いや、殺風景というのは少しおかしいかもしれない。
妙に複雑な木細工や貝殻で作られたネックレスに見えるもの。変わった形の石なんかも見えて、恐らくブラックテイルⅡが冒険をした先で、記念か何かで手に入れたものが並んでいる。つまり、普通ならむしろ雑多な印象を受けて然るべきなのだ。
なのに殺風景と感じたのは、不気味なくらいにそれぞれが整頓されているせいだ。それらを飾る棚の時点からして、まるで最初からそうデザインされたが如く、収納している物品の高さが合わせられている。
調度品というものが、ひたすらバランスを考えて配置された場合、ただの壁から受ける印象とそう変わらなくなるという気付きを得られる。そんな部屋だここは。
「一つロブロ整備班員に聞きたいのですが、どうして私を直接見ず、部屋のあちこちを見渡しているのですか? それほど変わった見た目をしていないはずですが」
「変わった見た目をしていない事に驚いています。はい……って、あ、す、すみません。なんか今、ごく自然に失礼な事を!? いえいえいえ、まったく、そんなつもりも無くですね!?」
「よろしい。いきなり船員を呼びつければ緊張される立場に私はある。その事は理解しました」
と、部屋に配置された椅子に、不気味なくらいに姿勢正しく座るテグロアン副長。彼はロブロの困惑を、自身の表情のせいとでも受け取ったのか、頬を手で揉んでいた。
いや、確かにそれは原因の一つではあるのだが……。
「あの……緊張しているのは確かに事実です。そこから打ち解けたいという気持ちも、僕の方にはあります。はい」
「それです。ロブロ整備班員」
「それ?」
存在そのものと一緒で、会話だって唐突だなこの人は……などと思う心を落ち着けようとする。その間も、テグロアン副長の話は唐突に続くが。
「気持ちだけでは駄目だという事なのでしょう。実際に、私という人間が、このブラックテイルⅡに馴染む必要がある。そういう判断が艦長よりされている」
「まあ、恐らく、こういう事になっているというのは、そういう事なのでしょうが……」
ただ、じゃあ何故ロブロはここに呼び出されて、無用に緊張させられているのか。それは一つの、しかし大きな疑問であった。ロブロはここで、そもそも何をすれば良い?
「理解しているのでしたら結構。では、始めましょうか」
「ええ!? 何を!?」
「分かりませんか? 私と……パーティの最中に親しみを覚えられる様な、一芸を考えて欲しいという話なのですが」
「待って待って。待ってください!? いや、上司の命令に安易に逆らうっていうのが、こういう組織でどうなのかって思いますし、その上司の正気を疑うっていうのはもっといけない事なのは十分に分かってますが……正気ですか?」
「ふむ。個人の正気は、他人が計るしか判別がつかないという哲学を耳にした事はありますが……事実としてはどうです?」
「副長が少々、おかしくなっているのではと思いますが……い、いえ。そんな事はまったく!」
口が滑り始めているので、ロブロは慌てて自分の口を塞いだ。もう遅いかもしれないが、開いたままだと、もっと酷い言葉が飛び出して来そうだった。
それくらい、今、目の前の光景は酷いものである。
「構いません。あなたの様な船員に私がどう思われているかは自覚済みですので。別にそれでも、役割分担は出来ているとは思っていましたが……そうですね。仲が良い事に越した事はありません。なので一芸です」
「何がなのでなのかについて、もうちょっと議論の余地があるかと……」
副長が現状、正気なのかどうかについてが特に。
「一つ、私としても、周囲の考え方に対して理解出来るものがあります。それは何か分かりますか?」
「そうですね……あっ、一応、人の言葉らしきものを喋る事が出来る……みたいな評価をしてらっしゃるとか?」
「あなたが私をどのように見ているかは分かりました。しかし、その答えは的外れですね。私が理解出来ている事は、パーティの様な場において、無礼講などと言ったところで、上役に胸襟を開いてくれるわけでは無いという事ですよ」
「ああ、それは確かに……ありますね」
仕事終わりに、同僚と共に夕食でも。そんな状況だって仕事をしていればそれなりにあるわけだが、そういう場において、仕事では明かさない心の内側を漏らす……というのも中々に無い。世間に向けて被った仮面とは、なかなか外れないものなのである。
「ですがそれでも、どうしたって心を開いてしまう瞬間がある。それは……」
「それは……?」
「耐えきれず笑い出してしまった瞬間です。腹の底というのは、そういう耐えられぬ情動が噴出する時に見えて来るもの。笑い以外の感情の場合もそれは起こりますが……パーティの場です。やはり皆を笑わせる方が良い。そう思うわけです。どうですか?」
「どうと言われても……」
この、一見すれば、不気味さに対して引き攣った笑いが出て来そうなタイプの男に……パーティに受ける一芸を身に付けさせろというのか?
「実に悩ましい話でしょう? ですので、パーティの運営側と手を組む事で、状況の打開を図っている次第です。今の状況は、理解していただけましたか?」
「理解はしましたが……」
解決方法なんてのはまったく分からない。
それをきっぱり言葉にしない程度に、ロブロとテグロアン副長の間にも壁がある。
まずはそれを取り払う事を、今から始めないといけないのだろうか?




