幕間 ロブロ・ライツの前夜祭 前編
ロブロ・ライツにとって、ここ最近は特に、ブラックテイルⅡの洗礼を受けていると感じてしまう日々だった。
常識を揺さぶられると言うべきか、それとも、自分の足場となる物がそもそもこの大地において、常識などでは無かった実感と言うべきか。
例えば艦内における他の仕事場では、まったく違う価値観の元に仕事が行われて居ることを知ったりは序の口で、異文化異文明が作り出した街というのが、それこそ自分が暮らしたいとは欠片も思わないデザイン、機構で存在している事を体感したり、どこにでも居そうな少女だと思えた相手が、実は想像出来ぬ程の力を秘めた存在だったり、まあまあ、今まで生きていた世界が狭いものだったなと思わせられたわけだ。
ただし、それがブラックテイルⅡによる洗礼というわけでは無い。
「この艦に乗っていて思う様になったんだけどさ、この艦の在り方っていうのは、そういう驚いたり呆気に取られたり、もう何を考えれば良いか分からないなってなった時も、自分がやるべき事は変わらずあって、それをやり続けなきゃいけないっていう現実と寄り添っているよね」
と、手を動かしながら口だって動かすロブロ。
手の先にあるのは、ブラックテイルⅡ格納庫に収まっているシルバーフィッシュの船体である。
「そりゃあみんなが仕事しなきゃ、飛空艦って動かないわけだし? そういうもんじゃない?」
耳に届いてくるのは看護士タイミー・マルフォルドの声。
暇そうに、格納庫の隅にあった木箱に腰を掛け、足をふらふらと揺らしている姿を見れば、やはり仕事をサボっているのではないかと思わせてくるそんな彼女。
一応、これで名目上、絶賛仕事の最中というのだから、これもまた常識を揺さぶって来る光景だ。
だというのに、ロブロは変わらずシルバーフィッシュの整備を続けているのである。納得行かない。理不尽である。これがブラックテイルⅡの在り方か。いや、有様か。
「もしかして……迷惑掛けた? わたし?」
と、シルバーフィッシュから声が聞こえて来た。
シルバーフィッシュが喋ったわけでは無い。その操舵席に乗っている少女、スーサの声だ。
しかも翻訳機を通さない、生の声。
「あー、えー、いや、どうだろう。それは違……いや、そういうのも違うか。実際、思うところが僕にもあるわけで……えっと、本音を言うと……いやいや、そもそも何が本音なんだろうか」
「ごめんなさい。分からない」
翻訳機を通していないおかげか、どうにも感情が声に乗って来ている気がする彼女、スーサは、以前までと変わらぬ表情で操舵席から顔を出し、以前までとは違う感情……やや心配している風な部分を感じる声を、ロブロに向けて来るのである。
「あれだってあれ、スーサ。多分、この男、未だにあんたの事を怖がってると思う」
「そうなの?」
「べ、別にそんな事は……おいタイミー! そういう事を当人の前で言うもんじゃないぞ!」
スーサが傷つきそうな事を言いだしたタイミーに、ロブロはさすがに声を上げた。
確かにスーサの正体と言うべきか、それとも背景と言うべきか、それを知ったロブロは、彼女にどうやって接したら良いか、答えを出せずにいる。
だが、それを直接スーサに言うべきでは無いはずだ。
「あのねー。態度で示してたらどっちにしろ失礼でしょーが。ならいっそ、今の自分はこうですよって先に言っといた方が、まだマシな人間関係築けるって思わない?」
木箱に座るのを止めて、立ち上がってくるタイミー。随分と堂々とした発言と態度であるが、それに対してはロブロだって言える事がある。
「大半の人間は、お前みたいに図太く生きてないんだよ! 人間関係っていうのは繊細なんだ。もっとお互いの距離の取り合い的なものをし続ける事がベストな時だってあるんだ! どうせお前には分かんないだろうけどな!」
「なんですってー!? それって、私が何も考えずに、いっつも頭を軽くして話してるやつって言いたいわけ!?」
「あーあー! じゃあ自分はこうですよって先に言っといてやるけど、実際そう思って―――
「二人とも」
やはり機械越しでは無い、スーサの強い声。
その声に圧されて、ロブロとタイミーは二人して黙ってしまった。
だからかは知らないが、スーサは続きを言葉にしてくる。
「今は喧嘩をする時じゃあないはず。特にロブロ」
「はい」
「危ないものを整備してる最中は、気を逸らさない方が良い」
スーサに言われて、乱れかけた手元を立て直す。
確かに言う通りだ。一旦深呼吸。そうして、落ち着くためにシルバーフィッシュから手を離し、漸く息を吐きだした。大声と共に。
「それだよそれ! スーサの存在がどうとか! そこの軽い空気を纏った女がどうとかは、言ってみれば些末事なんだよ! 僕の今の悩みの根源はね! その事を言いたかったんだ! そうだよ! ちょっとあの、これは僕の何時も通りの仕事だからって、深く考えない様にしていたけど、そこからだ。そこからが間違ってた!」
「なになに? 軽い空気を纏ったってのも、もしかして私の事?」
「だからそれは些末だって言ってるんだよタイミー! お前だって悠長にしてる場合じゃないぞ! このシルバーフィッシュはな! 今大変な状況になっているんだ!」
と、仰々しく両腕でシルバーフィッシュを示す。この格納庫には、ロブロの他にはスーサとタイミーという何時もの二人しか居ないが、それでも、大々的に宣言しておく必要があるのだ。特にタイミーに対して。
「急に何? 気持ち悪いって」
「気持ち悪く無い! あのな、お前な、このシルバーフィッシュは、ちょっと前にブラックテイルⅡが立ち寄ったあそこ……生物都市って名称は、艦内での呼び方として、正式な名称になってたっけ?」
確認のためにスーサに尋ねる。
「なってた」
「その生物都市! そこで一旦置き去りにされて、スーサに拾われる形になったんだよ。それでその後……短時間の内に、特殊な改造がされたのさ。いや、装置や機能の追加って言えば良いのか?」
「私は整備士じゃないし、知らないっての。それで? どういう機能が追加されたの? 中に乗ってると、過ごしやすい気温になったりする?」
「その程度で今みたいにならないよ僕は!」
だが、理解出来ない相手には伝わらないだろう。スーサの方はその機能を追加した当人なので理解しているだろう。しかし彼女らしいと言えば良いのか、その厄介な機能への調整作業を優先している。ロブロにこの場で手伝う様に言って来たのも彼女だ。
「結局、どういう機能が追加されてんの? シルバーフィッシュ」
「だからその……山脈壁を割れる、攻性光線放てる機能」
「んんー?」
「だーかーらー! 周囲にシルフェニアの飛空艦全部集めたって及ばない攻撃機能がこの小型飛空船一つに収まってるって言ってんだ!」
「言われなくても、最初の言葉で意味は分かってる! けどけど、その……え? マジ?」
「違う」
「あ、スーサは違うって言ってんじゃん。本当はもっと別の―――
「攻性光線は浮遊石からの力を元にしたもの。シルバーフィッシュに載せたのは、変化可能性の局所的な集中とその反作用で発生する特異律からのエネルギーを利用して、対象の剛性を無視した破壊と再構築を行う事が出来るというもの。単純な破壊力なら、無理に浮遊石の力を偏向している攻性光線より上」
「分かんない。ぜんぜん分かんない。けどなんだかとても危ない事だけは分かる」
「僕も今、絶賛そうだって理解してくれたっぽくて嬉しいよ、うん」
そう。スーサはシルバーフィッシュに、どうやらとんでもない破壊装置を導入したらしい。それこそ、ドラゴンを倒し、山脈壁を打ち砕ける程の現象を発生させる、そういうものを。
「てか、なんでわざわざそんなのをシルバーフィッシュに? 危なくない?」
「危ないけど、必要なものだし、それに使用する許可を艦長は手に入れている」
「おおう。艦長がそんなのを望んで。うちの艦長ってそんなヤバげな人だった? いや、ヤバげな人の類である事は知ってるけども」
やや肩を落とし、漸く動揺らしきものを見せ始めたタイミーの姿。それを見て、ロブロはむしろ冷静さを取り戻していた。
「違う違うタイミー。艦長だって勿論、話を聞かされた時は驚いてたさ。なんていうんだろう。今シルバーフィッシュに搭載されている破壊装置は、本来スーサ自身が持つべきもので、けど、スーサ自身には使用許可が無いものなんだ」
「どゆこと?」
「ここらへん、説明が難しいんだよな……」
タイミーが分かるレベルで噛み砕くという事がロブロには出来なかった。もっと言えば、ロブロ自身がちゃんと飲み込めていない。
「わたしにはわたしが使えない能力があって、艦長はそれを扱ってくれる人」
「ああ、そういうところあるね、あの艦長。うん。スーサもそういう側になったかー」
「そういう説明で良いんだ……」
スーサ自身の説明であるから文句も言えない。いや、もうちょっと言い方があるのではと思うものの。
「それで? そのスーサ自身に使えない能力っていうのが、何故だかシルバーフィッシュの中にあって、そのシルバーフィッシュをロブロが改造してるの? なんで?」
「やっぱり僕が説明しなきゃじゃないかー。改造したのはスーサ側であって、僕がやってるのはだね……えっと、調整?」
「なに? 下ネタ?」
「下の話じゃないよ! シルバーフィッシュの中にあるのは、あくまでスーサの破壊的な力を補助すると言えば良いのか……その力の中心はあくまでスーサ自身にあって、それを適切に取り扱う装置が組み込まれた形なんだ。勿論、それはシルバーフィッシュに本来搭載されるべきじゃない装置になるわけだ」
「ふんふん。サラダの中にパニーの果実が混じってるみたいな感じ?」
「まあ、君はそういう認識で良いさ。で、その装置のせいで、今のシルバーフィッシュは性能がちぐはぐになってる」
「余計なものをサラダに追加したせいで、ちゃんとした料理じゃなくなったってわけかー」
「まー……それで。けど、サラダはその一皿だけしか無いわけだから、捨てるってわけにも行かなくて、ちゃんとサラダとして食べられるものにするべく、味の分かってる僕が……なんか妙な説明になっちゃっただろ!?」
「えー!? 私が悪いわけ!?」
概ねタイミーが悪い。
ロブロの中ではそうなる。
スーサに関しては……シルバーフィッシュをこうしたのは仕方ない部分があると思っていた。
スーサの力をシルフェニアが扱うという事は、その力がシルフェニアの理解の範疇でなければならないという事だからだ。
いわば、シルバーフィッシュの形にスーサの力を落とし込む事で、それの扱い方がスムーズになる。これも一種の翻訳機と言えるのだろうか?
「一応、スーサがやった改造の結果、良くなってる部分もある。例えばこのシルバーフィッシュの出力は、改造前より飛躍的に向上している。一方で船体のバランスが悪くなった上に、想定以上の出力向上は、とんでも無くシルバーフィッシュの操舵を難しくしている事だろうね。だからそこを……あーだこーだ悩みながら、僕が調整しているわけだ」
ただし、それはスーサがもたらした技術とシルフェニアの技術の整合性を取るという様な作業であり、言ってみればこれまで誰もした事が無い作業だ。
バランスを取るにしたってどうやって? そもそも乗り手は今後もスーサになるのだろうが、彼女にとっての最適とはどの様な形になるのだろうか? また、シルバーフィッシュはそもそもブラックテイルⅡに属する小型飛空船なのだから、一応、他の人間だって操舵出来る様にしておくべきでは等々。考えるべき事は山ほどあって、実際に何らかの成果を出せるものは驚く程少ないだろう。
「この艦に来て思う様になったことだけど、いろいろ考えたり感じたりしなきゃいけない事が沢山あるっていうのに、手は動かし続けなければいけないって事を実感してしまう」
「それ、さっきも聞いた?」
ロブロのぼやきを、スーサは拾って来る。
「そうは言うけどさ、スーサ。さっきから状況が変わってないんだから、同じ事だって呟きたくなるだろ?」
愚痴を呟いた形になるだろう。愚痴を言ったって何も変わらないというのは、どうしたって悩ましい。
今、自分に出来る事と言えば、やはりシルバーフィッシュの調整を続けて、全然駄目な状態から、比較的マシという状態まで持って行く事なのだろうが……。
「もしかしなくても、ドツボに嵌ってる感じ?」
「そう言われると否定したくなるけど、その通りだから反論も出来ない……」
タイミーは気軽に言ってくるが、ロブロなりに深刻な気持ちだった。
まさにこれがブラックテイルⅡの洗礼だ。重いものを沢山背負わされてしまい……それに膝を屈したらどうなる事やら……。
「よーし。分かった。反論出来ないし口喧嘩も出来そうにないっていうなら仕方ない。ここは私の出番ってわけだ」
「出番って、何が出来るんだよ。ネジ一本だってまともに締められるか怪しい癖にさー」
「あーらごめんあそばせ。額に汗した事も無いお嬢様だって思われそうな見た目と清楚さしてるっていうのは自覚あるけど、これでもかなり頑張ったりしてる側なの。その頑張りを今、形にしてやろうって言ってんの」
「がんばり? タイミーは何をがんばって、どうやったらそれが形になるの?」
ロブロが尋ねるより先に、スーサが興味を持ったらしい。彼女、以前からより好奇心が増している気がするのは気のせいだろうか。
「そーねー、これに関しちゃ、スーサやロブロより、私の方が長じているっていうか、二人ともそこらへん不得手だから、私がする仕事って感じなんだけど」
「勿体ぶるのは良いから、つまりどういう事をするつもりなんだよ」
「情緒ってもんが無いの? あんたにはさー。気分転換に、パーティ開いてやろうって言ってるの。艦内の暇そうな連中集めたり……いっそ艦全体を休養時間にしてさー。私達がこっち、ドラゴンゲートを探索し始めて、結構時間も経ったじゃない? そろそろそういう全体の休養みたいなのも必要だーって船内幹部の人達が話してるのを聞いちゃって、それならいっそってね」
「いっそなんだよ。そんなパーティ開ける程に交流なりコネなりあるのか? 君にさー」
「あるけど」
「……ありそうだけども」
ただ、大した苦労も無くそんなことをやってのけるタイミーを見ていると、自分が今、額に汗している意味とは何だろうなんて、愚にも付かない事を考えそうになる。
不健全気回り無い思考であるため、とりあえずこれはタイミーが特殊なのであって、ロブロの能力が不足しているわけでは無いと思う事にしよう。
人には向き不向きがある。人間同士の交流関係なんて特にそう。
「パーティはみんなでお祝いする事……っていうのは知ってる。けど、何をお祝いするの?」
ロブロが頭を悩ませている間も、スーサは好奇心を働かせている様子。これでスーサにまで置いて行かれたらどうしようか。
「うーん。みんなが最近、疲れてたり空気を重くしがちだから、一度悩みを忘れて騒ごうってのが優先で、そういう時って、何を祝うかなんてのはだいたい後付けで決めるんだー」
「そうなんだ。じゃあ、何か良い理由とかないかな」
「そうねー……あ、じゃあじゃあ、タイミング的に、スーサが艦に戻って来てくれた事を祝って! なんてどう? ちょうど次の指針としてスーサの目的? みたいなものが私達の目的になったわけだし」
タイミーの言う通り、何らかの節目を見つけるというのなら、スーサ絡みの事になるだろう。現時点で、ブラックテイルⅡの中心にあるのは、スーサの存在なのだから。
「それで、いいの?」
肝心のスーサが、タイミーの言葉に困惑していた。
これは多分、スーサの中に負い目があるのだと思われる。彼女の考えを想像するならば、周囲をスーサ自身が振り回しているのであり、それを祝うなどというのは迷惑なのでは無いか……と言ったところか。
そういう情緒も最近、スーサは身に付けつつあると思う。
そんなスーサに対して、ロブロ達が言える事が幾らかあった。
「いいのいいの。結局決めたのは私達っていうか、船の幹部の人達だし、私達だってそれに反抗してるわけでも無いし」
「だいたい、ブラックテイルⅡはこのドラゴンゲートの調査と、そこに新たに出会う種族が居るなら、健全な交流をしようって物なんだから、ドラゴンゲートの種族だろうスーサの頼み事を聞ける状況って、願ったり叶ったりでもあるしね」
スーサのための言葉ではあったが、本音も十分に混じらせた言葉でもあった。
今、目の前の少女は、未だに謎が多く、その謎を解き明かすために、自分達はきっとここにいるのだ。
「二人とも……これ、言葉が変かもしれないけど、ありがとう」
感謝されてしまう。結構、妥当な理由を言葉にしただけだが、それだけでも、より良い人間関係というものが作り出せるものらしい。
何にせよ、スーサにとって、これから開かれる予定のパーティが良いものになりそうだ。
そんな雰囲気を感じ取りつつ、ロブロは一旦シルバーフィッシュから下がり、タイミーの方に近づく。
そうしてスーサには聞こえぬ程度の小声で話し掛けた。
「ちょっと思い付いたから程度に言ったけど、実は結構前から準備してただろ、君」
「これでもね、それなりに苦労してんの、私」
スーサと自分達もまた、より良い交流を今後も続けて行く。それもまた自分達の役目である事を、タイミーの方は忘れていない様だった。




