⑩ 少女からの頼み事
スーサに案内されるままに進んだ先にあったものは、小さく多く並ぶ文字と、それを映し出している複数の窓であった。
窓に映る文字は明滅し、時折その姿を変えている。
これと似たものをディンスレイは、何度か見た事があった。
「エラヴやオルグの技術にも、この手のがあったな。完全に再現は出来ていないが、ブラックテイルⅡのメインブリッジの窓や通信技術にも、一部導入されているはずだ」
「ああ、僕、扱った事ありますよ。けど、ここまでスムーズに移り変わっていくっていうのは、違和感がすごいですね」
整備士らしいロブロの感想である。物が物なので、ディンスレイより好奇心が働いているらしく、試しに触れたりしている。なかなかの勇敢さだ。
「けど、オルグのそれとはちょっと違わない? 見た目的に別系統っぽい感じするわ。となると、シルフェニアってもしかして、大分遅れた集団だったり?」
「自分で言って傷つく様な事を言うなミニセル君。だいたい、シルフェニアが接触した経験のある他種族の平均で見れば、シルフェニアが優位となる部分が今のところ多い。自惚れではなく事実としてな」
だからこそ、自分達より上と言える何かを築き上げた相手にも敬意を払える。そうして、その種族がどうなってしまったのかについての好奇心だって覚える。
「スーサ。君が見せたいのはこの動く文字か?」
「これは、この艦の設計を残してくれた人達が使っていた数字」
「ああ、なるほど。君はこれを見て、この艦全体を動かしていたわけだな」
今いる空間はスーサ艦全体と比較すれば小さいが、人が複数人入ってもまだまだ余裕のある大きさの部屋である。
その部屋唯一のインテリアとばかりに数字を映す窓が並んでいるのだから、相当な数の情報が視覚情報として飛び込んで来ているはずだ。
スーサにはそれを的確に処理する能力があり、だからこそ、スーサ艦を動かせていたのだと分かる。
「そう。けど、それを伝えたかったわけじゃない。見せたいのはこれ」
スーサがそう言うと、窓に映っていた他文明の数字が消えて、別のものが映し出される。
やや掠れてはいたが、それは動く絵……というより、現実にある景色をそのまま映し出したものの様に見えた。
「これは、生物都市の景色か? 我々が見ているものとは少し違って見えるが……」
やや単調さが見える黒を基調とした建築物が並んでいる。一方、現在の生物都市の様な、一つの構造材からすべてが作り出されている風にも見えなかった。
少ないものの、飾りつけや看板と言ったものが見えており、さらに言えば、その街に暮らす人々の営みも見えた。
見た目はディンスレイ達とそう変わらない。いや、ジュウゲンジャ達に似ているだろうか? その額には、スーサと同じ様な、宝石状の何かがあった。
そんな異質さも混じらせながらも、似ている人々が暮らしている街並み。それが幾つもの窓に、それぞれ違う角度、場所から映し出されている。
そのすべてが掠れ、それでも生活感というものがそこにはあった。確かに彼らはこの窓の向こう側で生きていたのだろう。
だが、きっと今では無い。
「昔の姿ってところじゃない? これ? なんとなく、そんな感じがする。今はここに人が住んでなくて、昔は住んでたんだろうなって発想からだけど」
「ああ、ミニセル君。私もそう感じたところだ。この都市に住んでいた彼らの姿を、時間を越えて、我々は見る事が出来ているのか」
本や資料を残す人々の様に。今後、シルフェニアでもこの様な技術の利用がされていく可能性もあるだろう。
記録の媒体として、これほど便利なものはあるまい。今まさに、ディンスレイ達はそれを享受している。
「これなら、確かにこの街や君の存在への説明がし易いね、スーサ」
「うん。言葉だけだと、大変。特にこの後の事が」
「この後……?」
スーサの言葉を合図にするかの如く、窓の向こうの景色が変わって行く。
街並みは変わらない。だが、窓の中に映る人々がざわつき始めているのが、見るだけで分かった。
幾つかの窓に映る景色が変わる。いや、傾いた。空を見上げたのだ。
空には巨大な、生物がいた。
ひたすらに巨大で、長い首を伸ばし、その先端には顔があった。蜥蜴に似ているか? それとも猛禽類のそれか。
どうにも言い現わせない顔が八つ。やはり長く伸びる八つの首の先にある。
「ドラゴン……ジュウゲンジャ達も言っていたな。街に、それが現れたと。これはその時の景色で……それにしても見た目が……」
「今、あたし達がいる艦の姿に似ているわよね。スーサ艦。触手をあたし達が落とす前だけど」
「似せたものだから、実際にそう」
なるほどと思う。
これは生物都市に住んでいた者達にとっての一大事件だったはずだ。その後の種族としての運命を左右する程に。ならばその形を真似る事だってあるだろう。
「なるほど……真似るか」
「このドラゴンは街のさらに北からやってきた。街よりずっと離れた場所で発見され、幾つかの防衛線をなんの抵抗も感じないみたいに突破して、住民達がいる街の上空までやってきて……やっぱりそのまま通り過ぎた。その時に倒壊した建築物も沢山あって、被害も出たけど……そんなのだって気にしないまま」
「それは……」
ジュウゲンジャから話を聞いた時は、ある種の出会いと憧れがあった様子の話だったが、そこに一方的な加害があり、尚且つ歯牙にもかけられなかったのだとすれば、刻み込まれた印象というのはどれほどの物だったか。
「それだけなら、昔に起こった事件。だけど、その後の方が、被害が大きかったかもしれない」
スーサの言葉と共に、窓の向こうの景色が次々と変わって行った。
それもまた生物都市の過去を映したものだったろう。
だが、さっきの物とは雰囲気が変わっていた。街全体の空気というか、人々の動き、移り変わる街並みに、どうにも方向性が出来たかの様に。
最初、恐らくドラゴン襲来後の復興で、立て直されていく街並みがあった。
次はより堅牢な物が出来上がる。
人々が街並みを歩く動きが規律的になっていく。
次にはさらに機能的な街並みへ。生活感が無くなってしまったとも言える。
人々の目は鋭く、何かの目標を見つけた様だが、どこか焦燥感が混じった様な、余裕の無いものが多くなった気がする。
そうして、次の景色は、今の生物都市と似通ったそれへ。
恐らく、あの四角の構造材が街に導入されたのだ。人々の移動も、黒く四角い構造材の動きにより、さらにスムーズになった。だが、皆どこか忙しそうだ。加速したであろう社会の動き。その中で、さらに忙しく、いったい何を目指しているのか。
そんな景色の移り変わりの中で、スーサの声が響く。
「あの日来たドラゴンをどうするべきか。何を思うべきか。きっとみんな、悩んでいた」
「私は、その悩みを抱いた者達の末路を、一つ知っている。いや、二つか。一つは、他種族への征服という形で、その思いを発露する事になった。裏側には、自分達を圧倒する存在への恐怖があったのだろう。そうしてもう一つは、そんな愚かさにうんざりして、自分達自身へ対抗する道を選んだ」
ハルエラヴとオルグという元は一つであり、今は二つとなり、恐らくこの瞬間も争い合う、そんな種族達の姿をディンスレイは思い出す。
もしかしたらそんな二つの種族もまた、この景色と同じような時期があったのかもしれない。
ならば、生物都市の住民達もまた……?
「この都市の人達は、それとは違う道を選んだんだと思う。怖がるんじゃあなく、憧れてしまった」
「憧れもまた、駄目か?」
「分からない。憧れて、その後に進む道は幾つもあると思うから」
スーサの言葉に合わせて、窓は一つの景色を映す。壁画にもあった、都市を去る人々の姿。ジュウゲンジャ達が進んだ道。
過酷な自然に身を晒す事で、自らを鍛え、成長させ、いずれは竜へと至るという、信仰に近い道。
「ジュウゲンジャ達が選んだ道を、艦長はどう思った?」
スーサの問い掛け。何気無い様でいて、酷く深刻な問い掛けに聞こえる。
だからディンスレイもまた、慎重に考え、言葉を選んでから、口を開く。
「ともすれば……先の無い道に見えた」
「辛辣ね、艦長」
「ミニセル君。君はどうだ? ただ自然に挑み、種族として鍛え続ければ、いずれはと思うか?」
ディンスレイの言葉に、ミニセルは苦笑してきた。
「万に一つは……かしら」
他の可能性の場合は、やはり潰える。そういう印象であるらしい。ディンスレイも同感だ。
ロブロにも聞いてみようと思ったが、彼の表情を見れば、与えられた情報量を整理するのに精一杯の様子。
だが、残念ながら話は次に進む。
「ジュウゲンジャ達は、多分、それで良い。それがあの人達の選んだ道。けれど、わたしにとっての問題は、この街に残った人達」
スーサ自身の問題と来たものだ。
彼女自身、今の自分自身の状況を、どの様にか解決したいと考えている。そんな感情からの言葉か。
「街に残った者の道もまた、あの壁画で見たな。一つは竜の絵と、もう一つは……」
「円……でしたよね? あの意味がこれから分かるのかな……」
整理出来ないままでも、何とか話に付いて来ようとしているロブロ。そんなロブロにもスーサは目を向けていた。
「艦長も、ロブロも、ミニセルも、見て欲しい。これを」
窓に……新たな光景が映し出された。
街並みのそれでは無い。暗く、不気味で、象徴的な、生物都市の地下深くにあった、あのドームだ。
ディンスレイ達が見た時とは違い、その中心にあったガラスの筒は割れていなかった。
代わりに、筒の中で少女が一人、浮いていた。
「スーサ……?」
ロブロの呟き。
窓から見えるその景色は不明瞭なところはあったが、ガラスの筒自体は薄く輝き、その中にいた少女。スーサの姿を映し出していた。
「わたしは、この生物都市の人々に生み出された。生物都市に残った人達は、ドラゴンへの憧れから、ドラゴンそのものを作ろうとした」
それがスーサ。スーサという名前のドラゴン。
「待ってくれよスーサ! 突然そんな事を言われたって、君はその……大きくも無ければ、口が大きくなくて牙も生えてなくて……ええっと、ドラゴンらしいっていうのはどういうものか分からないけど、ドラゴンには見えない!」
ロブロの、混乱を混じらせながらの率直な意見は、だからこそ的を射ていた。
そう、その部分の理屈が知りたいのだ。スーサはドラゴン? それはどういう事でそうなる?
「ここの三人は、ドラゴンはどういう生き物だと思う?」
逆に尋ねてくるスーサに対して、真っ先に答えを返したのはミニセルだった。
「とりあえず、すごく強い。そんな印象よね」
ミニセルらしい受け止め方だ。確かに強くはあるのだろう。過酷な環境に強く、他の生命からの攻撃にも強い。
「ドラゴン……僕は……そうだな。僕もミニセル操舵士と一緒かもしれない。比較すれば人なんて虫みたいなものになるくらいに強大な……怪物だ」
だからこそ、そんな怪物としての印象をスーサに持てない。ロブロの考えはそんなところか。
ならば、ディンスレイはドラゴンをどう見るか。
「ドラゴンは、この無限の大地を踏破するものだ。我々が生きる無限の大地は、まさに広大で強壮極まる。そんな世界に対して……ドラゴンは抗う事が出来ている。我々の様な人間が世界という大きな川に流される立場なら、ドラゴンは反抗出来てしまう程の存在……なのだと思う。言ってしまえば、無限の大地を、多かれ少なかれ変えてしまえる程の力を持った生命体……なのではないかな?」
シルフェニアにおけるドラゴンの定義の一つに、無限の大地マグナスカブに対して、自らの形質を変える事もせず、むしろ押し付ける事が出来る程の、生命力を持つに至った存在というものがあったはずだ。
あくまでドラゴン自体、ブラックテイル号の未踏領域探索の中で見つけ出されるまでは、伝説上や仮想上の存在として語られてきたわけなので、どこまで正確にそれを捉えているか分かったものでは無いが。
「この生物都市に住んでいた人達にとって、ドラゴンはディンスレイの言葉に近い存在だった。この広い世界に対して、むしろ自分の存在を揺るがないものとしている、そういう存在。そうして、もっと踏み込んだみたい」
確かに、ドラゴンを作ろうなどという考え方は、より踏み込んでみないとやらない事だろう。結果として出来上がったのが目の前の少女だと思うと、何やら謎めいているものの。
「彼らは、ドラゴンをどう考え、そうして作られたという君は、どうドラゴンなのか。そこをまず聞いてみたいな、私は」
「うん。そこが重要。無限の大地は……いろんな環境がその中にあるからこそ過酷で、そうして広い。つまり、多くの可能性を内側に抱えてる世界。そんな世界で、強い存在という事は……世界程じゃないにしても、多くの可能性を抱えてる存在という事。少なくとも、生物都市の人達はそう考えたし、ドラゴンに自分を近づけようとしているジュウゲンジャの人達も、辛い環境に適応する事で、自分の可能性を増やそうとしている。そういう方向性」
なかなか哲学的な話になってきたじゃないか。ロブロの方は必死について行こうとしている様子だが、ミニセルの方を見れば、既に理解を放棄した風に、周囲の観察を始めていた。暇そうにしていないだけ、まだマシか。
「待てよ……ふん? 世界に張り合う存在として、多くの可能性を抱える生物であるドラゴンを生物都市の住民は見たのだとしたら……ドラゴンもまた、一つの世界として見ていたという事か?」
それはスーサに尋ねた言葉というより、自分自身への問い掛けだった。
突拍子の無い発想が頭の中に浮かんだからであるが、反芻してみると、そこまで唐突では無い気がしてくる。
「世界の内側に世界。世界の外側にも世界。そんな風な考え方が……ジュウゲンジャ達の文化にはあったか」
「そう。ドラゴンは、世界の中にある世界みたい。ドラゴンに憧れ、調べるうちに、生物都市の人達はそう考える様になった。ドラゴンを作るというのも、世界を作る。内側に多くの可能性と強靭さを抱えた存在を作る事を意味している。見た目は……ドラゴンらしくなくても良かった」
スーサの言葉を聞き、やはりスーサを観察する。見た目は少女だ。まず間違いなく、幼い少女。
だが、その少女がディンスレイ達に何を見せて来た? 崩壊した山脈壁の近くに倒れるも、生存し続けていた。異文化異国であるシルフェニアに発見され、その間、碌な意思疎通が出来ないままに、それでも無事でいる。
シルフェニアに自らが生きてきたドラゴンゲートという世界へと誘い、その後、飛空船への妙な適正や、ブラックテイルⅡ内での人間関係への順応を見せた。
多くを学び、血肉にしていった彼女は、この生物都市へとやってきてからは、都市そのものを個人で動かすという力すら見せている。
飛空艦だって、設計は残っていたのだろうが、一人で作り出し、一人で動かしてしまっている。
なんとも、個人として強壮に過ぎる有様じゃあないか。
「スーサ。そういえば君は……僕から見て……他人との付き合い方や、他人と協力する事や、自分の身体より大きな何かを動かす器用さなんかも、不得手だった。なんでなんだろうと思って来たけど、それも……君自身が個人としての強さを求められて来たから……なんだね?」
ドラゴンは群れない。群れる必要性が無い。個体としてあらゆる可能性を内側に秘めているから、外側に多様性を持つ意味が無い。
間に挟まる様なロブロの言葉は、ディンスレイの思考をさらに後押ししてくれた。ドラゴンという存在。スーサという存在。そうして、生物都市が目指した物。
「ドラゴンに憧れた彼らは、ドラゴン・スーサを生み出した。彼らが君に、あらゆる力を与えた。恐らく、考えられる限りのすべてだ。それが彼らにとってドラゴンを作り出すという事だったんだ。生物都市の地下で見た壁画に、ドラゴンの意匠は輝くものとして描かれていた。それは……試みが成功した事を意味しているはずだ。だから君は……」
待て、自分はどういう結論に達しようとしている?
スーサが促しているのか。それともディンスレイ自身の観察眼が、とんでも無い場所を見ようとしているのか。
分からない。だが、分かってしまう。ああ、そういえば彼女自身が言っていたじゃないか。
まさにスーサがドラゴンと同等か、ドラゴンそのものである事を証明する言葉を。
「わたしは……ドラゴンを殺せた。だから、ドラゴン」
ドラゴンゲートへと至った場所で発見する事になった、ドラゴンの遺骸。
あれを作り出したのはスーサ自身。
それを意味するものが、既にここにはあったのだ。
「多分、これから男二人はいろいろと考えを整理しなきゃいけないっぽいから、あたしが代わりに聞いておくわね。細かいところは考えない様にしてるから、あんまり難しい話はしないでちょうだい、スーサちゃん」
と、周囲の観察をしていたミニセルは、次にスーサの観察を始めたらしい。やる事が元に戻ったと言うべきかもしれないが。
「ミニセル。聞きたい事は……なに?」
「あなたはドラゴン。あなたは強い。とりあえず、あたしはそう受け取ったけど……その強いあなたは、あたし達に何を望むの?」
そうか。壮大な話になってしまい、後回しになっていたものの、そもそもがそういう話だった。
ディンスレイは試されたのだ。このスーサという少女に。
試した以上、何かを求めている。その求めるものを持っているかどうかを試す行為こそ、先ほどまでの空戦だったのだから。
まずはその答えを聞く事こそ、ここに来た意味であろう。
「わたし達を、助けて欲しい。わたしには出来ないから、ブラックテイルⅡのみんなが必要」
なんとも奇妙なドラゴンからの頼み事。
それを言葉にしなかったのは、不謹慎な気がしたというのもあるが、それが余りにも、目の前の少女らしい頼み事であったからだ。
「それは何とも……君みたいな少女らしい頼み事だな」
そういう表現の方が、正しい気がしたのである。




