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無限の大地と黒いエイ  作者: きーち
無限の大地と立ち塞がる壁
13/164

④ 危機感と安心感

 深い闇の中にいる。闇に浅いも深いもあるものかと言いたくなるものの、やはりそれはあるのだとディンスレイは思う。

 深い闇は、身体の感覚を奪ってくるのだ。

 人間、視界から入る情報が大半を占めるというのもあるのだろう。皮膚から伝わる感触も、耳に入る音も、鼻を通って来る匂いすら、視界が真の闇の中にあれば、あやふやな物へと変わる。

(痛みすらそうだというのは、些か厄介だな)

 自分はどこにいるのか。先ほどまで洞窟を歩いていたはずだが、そこから突如落下した。

 その瞬間に気絶したせいか、時間の感覚まで喪失している。どれくらい気絶していたのやら。

 数分か数時間か、まさか数日というわけも無いだろうが、存外、落ちたすぐ後かもしれない。

(何にせよ、息は出来ているな。身体も……まあ動く。これでここが死後の世界だというのなら、確認する意味も無いが……)

 実際どうであるかを確かめるために、周囲を手探る。

 結果、どうやら死後の世界では無い事に気が付いた。

「さすがに魔法杖は……死後の世界についても来ないだろうさ」

 言いつつ、洞窟内にも持って来ていた魔法杖を再度握り返す。自分がどこかへ落下した事は憶えているので、この暗闇の中で近くに落ちてくれた事は幸いだろう。

 魔法杖の機能も……光源となる機能は喪失していなくて、どうやら自分は実に幸運な方である事を自覚した。

(代わりに危険な日々を送っているわけだが、これは別に代価というわけでもあるまい)

 自分が望んだ日々だ。やはり自分は恵まれている……と思う事した。

 ついでに、杖の光源で周囲を確認する。

(一面砂地だ。確か、洞窟内部の足元にもこんな砂があったか? なるほど。これがクッションになってくれたわけだな)

 身体をより動かす。腰あたりがやや痛かったが、稼働に些かの支障も無い。どうやらまだまだ、ディンスレイの人生は終わらないらしかった。

「この場所でそれがずっと続くのであれば、それだって災難かもしれんがね」

 杖をやや高く上げて、光源を広げる。自分がいる場所は奥行があった。先ほどの洞窟よりも、もっと広い。それが崖の内側にあったというのか。

「なんらかの構造物……などと表現したいが、見るからに自然が作り出した環境だろうな。人の手に寄るものではないから……変わらず危険地帯というわけだ。おーい、船医殿。どこかに居るか。生きているか?」

 自分と同じくこの場所に落下してきた可能性の高いアンスィを呼ぶ。居ないし死んでいたら答えが返って来ないわけだが、そういう心細くなる方の可能性は、とりあえず置いておこう。

「……こうやって喋っているのも、単なる独り言だとしたら寂しいしな」

 傍から見れば間抜けな事をしているかもしれないが、見て来る傍すらなければ、生きている意味すら薄くなってしまう。

 これでもそれなりに寂しがりやなのだ、ディンスレイは。

「う……んん……」

 ディンスレイの声と上方から砂が落ちて来る音以外は静寂が支配するこの空間に、それ以外の音が聞こえて来た。

 アンスィの声だ。さらに耳を澄まし、その呻き声らしき方向を見定める。

 そちらに関しても結構容易だった。ディンスレイの近くで、彼女の方は顔の半分が砂に埋もれた形で倒れていた。

 もう少し埋もれて居れば呼吸困難にでもなっていたのでは無かろうか。

「起きたまえ、船医殿。というか、起きれる状況かな?」

 完全に埋もれる前にアンスィを砂から引きずり出しつつ尋ねる。

 単なる気絶ならそろそろ目を覚ます頃合いだろうが。

「ふぇ……あ、あれぇ? わ、私……な、何でぇ……?」

 まだはっきりとはしてない様子だが、それでも意識が戻って来たらしい。魔法杖の明かりに照らされて、彼女は瞬きを始めていた。

「おはよう船医殿。お互いの様子を考えるに、それほど長い時間気を失っていたわけでは無いらしい」

「え、ええぇ……? か、艦長、おはようござい………ああっ! う、うぇ!? こ、ここ! た、確か落ちて! わ、私ぃ……」

「良い傾向だ船医殿。寝惚けた状態はもう少し続くかと思ったが、意外と復帰が早かった。今後も頼りになりそうだ」

 上半身を勢い良く持ち上げた様子を見れば、身体の方も大した怪我は無い様子だ。

「ど、洞窟の中で、あ、足を滑らせて……お、落ちちゃったんですか……? わ、私達……」

「どうかな。二人して転んだというのも間抜けだろう。確か……音が近づいて来て、それから逃げようとしたら足場が無くなっていた。これで考えられる状況と言えば―――

「ど、洞窟そのものが崩壊した……ですかねぇ……」

 自身の身体の状況を確認しながら話をしてくるアンスィに対して頷く。

「ここに落ちる前に話をしていた事を憶えているかな? 洞窟そのものを作り出す、何らかの現象が直近で起こっているかもという話だ」

「直近どころか、け、継続的に……だったんですねぇ……。この空間ごと、あ、あの崖の亀裂は作られていて……それが、か、活性山脈壁の動きで……一旦埋まった状態になる。け、けどまた、徐々に崩壊を始めたのが、あ、あの洞窟の構造だったのでは……と」

「この砂は、その残骸か。我々の命がまだあるという事は、物理的な破壊をすぐさま発生させる現象というより、岩肌を伝導するかして、砕いて行く様な力だと思う。そうして、砕かれた岩がこれだ」

 足元で、足場にすらなっている砂をディンスレイは手で掬う。

 かなり滑らかな感触が手に伝わり、洞窟を作り出す何がしかの力は、どうやら執拗に岩盤を粉々にしたいらしい。

「わ、私達が、そ、それに巻き込まれずに済んで、よ、良かったですねぇ……」

 確かにこの砂とディンスレイ達が混じる様な事態は避けられているだろう。その点は幸運の類であろうが、巻き込まれずに済んではいない。

「その力のせいで、ここまで落下したわけだ。良くは無い。恐らく、ミニセル君達もまたこれに巻き込まれたと思う」

「あ、あうぅ……そ、その通りではありますけれどぉ……ど、どうしましょうか?」

「どうもこうもだ。足はまだ動くかな?」

「ふ、不運な事に、まったく問題なく」

 それを不運と呼べるのなら、彼女は頼りになる人間という事だ。とりあえず周囲の、比較的近くを光源で照らし、アンスィの分の魔法杖を見つけた後、ディンスレイは指示を出す事にした。

「なら、探索班の救出を続行だ。というか、それ以外が出来なくなったな、これは」

 洞窟が崩れた結果、さらに大きな空間の中にディンスレイは立つ事になったわけだが、出口がどこにあるか。まずそれすら分からなくなっていた。




 幾らか、動く足を疲れさせながら分かって来た事は、空間そのものは中々の広さであるが、歩き回れない程では無い場所であるという事だった。

 だいたい一周回って十分程か。明かりも少ないその空間が、迷う程では無かった事は良い要素であろう。

 悪い要素も勿論ある。その空間には他に人も、何なら壁と砂以外は、ある一つの特徴を除いて何も無かったのだ。

「どうしたものか……本当にやるべき事が無くなってしまった」

「い、いやぁ、ま、まあ、猛獣とか居なくて良かったと思いますけどぉ……」

「良くは無い。船医殿に尋ねるが、ここに何も無いという事で、我々には何が出来ると思う?」

「な、何も出来ませんねぇ……」

「その通り。それは不味い」

 この様な場所で、何も出来る事が無いという事は、死が近づいて来るという事だ。

 携帯食料と飲料が入ったリュックは背中に背負ったままであるが、それでどれだけ食い繋げるか。

「きゅ、救出を待つ……という選択肢は……?」

「船医殿、我々が救出班だ」

 二次遭難なんて避けたいし、そんな輩を助けに来る者も居ない。ブラックテイル号はディンスレイ達すら戻って来なかった場合、この山脈壁を出て未踏領域探索事業そのものを中止する様に伝えてあるのだ。

「う、うう……となると……」

「そうだな。取れる選択肢は一つだろう」

 実を言えば、ここでただ死を待つ以外の選択はあるのだ。ただそれが言う通りたった一つだけで、出来れば取りたくない物ではあった。

 さっき、この空間には何も無いと考えていたが、一つだけ特異な物があるとも考えた。

 道だ。空間から別の場所へと続く、別の亀裂と表現しても良い。やはり歩けない高低差では無いし、どうにもさらに奥があるらしい事も分かるそんな亀裂。

「あ、あの道も、く、崩れる事は無いでしょうかぁ……」

「否定も肯定も出来ないな。こんな暗がりで、地質を調べられる学者ではあるまい。お互いにな」

「い、今、そっちも専攻しておけば良かったと、つ、強く思って居るところですぅ……」

 後悔は何時だって先に立たない。そう言い掛けて、ディンスレイは口を噤んだ。

 今、それは先に立っている。後で後悔すると分かって、それでも挑むべきかとディンスレイは問われているのだ。

 嫌な予感がする。というか、視界にそれが映っている。それもまた問題だった。

「あの道に成り得る亀裂が、崩れるか崩れないか。それを判断出来ない以上は考えるだけ無駄だ。ではもう一つ、あの亀裂が、他の場所よりはっきり見えている事については、考える意味があるだろうか」

「と、というか、光っている様に、わ、私は見えます……」

「謎めいているな。視覚からですら、危ない場所ですよと訴えかけている様だ」

 そこを行くしか無いのであるが。

 それを理解していたから、ディンスレイとアンスィはお互いに視線を合わせてから、肩を竦めた。

 考えたところで他の選択肢が生まれてくるわけでは無い。時間が事を解決してくれる状況でも無いというのは、先ほど確認したばかりだ。

 だからもう、やるべき事は決まっている。出来る事はと言えば、実際に行動に移す事と、後悔を先にして置く事。

「な、何が待っている……でしょうか?」

「分からんが、何かは待っているだろうな。大半の状況として、その手の事は碌でも無い」

 だけれど踏み出す。ディンスレイ達は生きているのだから、生きるために行動するしか無かったから。




 その道は、確かに光っていた。

 いや、道そのものが光っているのでは無く、その奥にある光源が壁や足元の砂に反射している様な状態だった。

 一歩一歩足を進める毎に、その道は光を増して行く。ある程度進んだ段階で、ディンスレイ達は魔法杖の光源を切った。使用を続ければ故障する可能性も高まるし、何より眩しい。

 それくらいに、視界は開けていた。道については幸運な事に一本道。一方でその道が危険な場所であるという予感は無くならない。

 奥になにがあるというか。そんな不安が消え去らないし、また別の懸念もそこに存在していた。

「気付いているかな、船医殿」

「ま、まあ……はい。ず、ずっと鳴って居ますねぇ……」

 最初に洞窟へ入った時、その洞窟を崩壊させたと思われるあの音。それが今はずっと、耳鳴りの様に鳴り響いていた。

 アンスィに確認し、それが本当に耳鳴りでは無い事を確認してから、ディンスレイは呟く。

「思うに……この音、音を発生させている力は、一定の物質を破壊する作用と、それ以外の物には影響が薄いという特性があるのではないかな? だからその影響下にあるはずの我々は、別の砂になっていない」

「そ、そうですねぇ……流れる水……みたいなものかもしれませんねぇ……」

 アンスィの返答は言い得て妙だった。

 流れる水は、その勢いと水の浸透性で、大地を削っていく。一方、大地の方も水の力に耐えうる構造はそこに残り、結果として川や湖と言った特異で複雑な光景を作り出して行く。

「……さっきの空間は、この力における水溜まりと言ったところか。そうしてここは水が流れる川だ」

「な、なら、わ、私達が目指しているのは、源流という事でしょうか……?」

「だな。そう思うと意味も無くわくわくして来ないか? 危険が待つと思うよりかは健全な思考だ」

「ちゅ、注意力が散漫になったり……は?」

「しない様に気を付けようとも。心持ちというのは、命と同じで、健全で長続きするものでなくてはな」

「な、なんとなく、か、艦長がどうして艦長をなさっているのか、分かった様な……分からなくなった様な」

「簡単に言い表せる様な人間で無いのは、自覚しているよ」

 他人に自分の事を理解されないのには慣れている。なんというか独特なのだ、自分は。

 出会う人間出会う人間、大半からそう思われて、そうだと自覚したのは随分と子どもの頃だったと思う。さて、どれくらいの頃か。

(不味いな、余計な事を考え始めている。これは追い詰められているという証左だぞ)

 危機的状況において重要な事は、最悪の事態を避けるためにどれだけ行動出来るかだろう。

 一生懸命するだけでは足りない。有効だと思われる手段を、無駄になるかもという油断をすべて跳ね除けながら、限られた時間の中で詰め込み続ける。

 それが最終的に、危機に対抗できる可能性を高めてくれる。

(そう、あくまで我々に出来るのは可能性を高めていくのみだ。前向きに考えるというのもそれ。後ろ向きで諦めれば救われる可能性はゼロなのだから、それ以外を選択する。実行する。無論、それだけでは駄目だろう)

 道と言えるかも分からない今の空間の観察も忘れない。整備されているわけでも無いのに、この空洞はどうにも滑らかだ。

 最初に落ちた場所に溜まっていた砂が徐々に少なくなり、崖内部の岩盤が露出して行っているのだと思われる。

(この道については、早々に崩れる可能性は低い。というより、崩れに崩れ、新たな安定が出来たのがこういう場所だと言える)

 この道の先にある何かの光源。恐らくは山脈壁の壁に亀裂を作る力。それを確か自分達は水と表現したか。

(水の浸蝕は弱い場所をまず削り、その後に、強い場所の中でもより水がぶつかる場所を削って行く。故にこうなるわけだ。尖った場所が無くなり、滑らかで最初からそんな形だったのかと思わせる形に)

 水という表現は、本当に言い得て妙だったのかもしれない。そうして思う。長居するのも危険だろう。

(何がしかの力が常に流れて居なければ、こういう地形は出来ない。つまり今なお、その力は流れ続けて居る。我々もその只中にいるという事だ)

 身体が、自分でも自覚しないうちに、崩れていくという空想。それがもし事実だとしたら? ぞっとしない状況だろう。今、あの空間の様な砂にならなくても、いずれそうなる。そんな想像は、もしかしたらより恐ろしい事態かもしれない。

「悪いが船医殿。危険で迂闊かもしれないが、少し足を急がせよう」

「は、はい」

 巧遅より拙速を。今はそういう状況だろうと判断したディンスレイに、アンスィは大人しく従ってくれる。

 彼女自身の気弱さもあるのだろうが、ある程度、艦長である自分の判断を信頼してくれているのだろうと思う。

 こうする事でしか、ディンスレイは他者に何かを返せない。昔から、それこそ物心付く頃から特殊な自分を自覚して来た結果、共感される事は諦めて、信頼される自分を演じ始めた。

(実際、それで上手く行った。それなりに、大半の事を小器用に出来る程度の才能にも恵まれた。だが、どうしてだろうな。どうして今、そんな自分が、こうやって未踏領域の只中で、案の定、危険な状況に陥っているのか)

 だれかのせいでは無い。やはり自分で選んだ事だ。結果としてディンスレイはここで終わる……かもしれない。

 なら、随分と寂しい終わり方では無いか。結局誰にも、自分ですら、自分の事が分からず終わるのだから。

 そうだ。危険はすぐ傍にある。今、この瞬間にも―――

「待て、船医殿。何か来る」

「音は……ずっとしてます……けど」

 迫り来る何かの力。それが発生させる音。それは確かにずっとしている。只中にある。

 だからこそ、聞き逃す事もあるだろう。それ以外の音がする事に。

「足音だ」

「……っ!」

 アンスィは咄嗟に身構えていた。もっとも、防衛術の技能もあるまい。随分と不格好のそれ。ディンスレイとて軍学校で相応の訓練は積んでいるも、人並み外れているわけでも無い。

 この足音の主が獣であった場合、どれだけ対応できるか分かったものではあるまい。

 アンスィの様に身構えはしないが、持った魔法杖を足音の方へと向ける。

 実際、それは道の先にある光源のせいで黒い影にめいた。

 足音が近づく毎にその影は輪郭を定かにしていく。

 その影は凶悪だ。きっと俊敏でもあるだろう。時に機知に富み、それで居てディンスレイの想像すら超えて来る。

 それを前にした時、ディンスレイは危機を感じるべきか。恐らくはそれが正しい。しかし、ディンスレイは向けた魔法杖を降ろしていた。心の中に生まれた安心感からだ。

「あっちゃー、やっぱり叱りに来た? 艦長?」

「いいや。君を助けに来たんだ。ミニセル君」

 ミニセル・アニマル。ディンスレイ達がずっと探していた、赤毛で長身で、獣みたいに俊敏で機知に富む女。

 ここまで迷惑を掛けられていた側であるディンスレイがそれを感じるのは甚だ癪な話であるが、ディンスレイは彼女の姿に安堵していた。




「んじゃあもう一度確認するわね? 持ってきた荷物の主な物は?」

「食料と水だな」

「他に?」

「医療器具だ。船医殿もいる」

「さらには?」

「ロープやスコップ。護身用の魔法杖もついでに提示して置こうか」

「艦長、それじゃあ全然足りなーい!」

 叫ぶミニセルを見て、ディンスレイは苦笑する。お前を助けるために来てやったんだぞという感情と、その癖、彼女の言う通りに足りない状況。それらが合わさって、そんな表情しか浮かべる事が出来なかった。

「仕方ないだろう。まさか君たちがこんな状況に陥っているとは思ってもみなかった」

「その言い方は正しく無いんじゃない、艦長? こんな場所を発見していたなんて。そんな風に言って貰わなくっちゃ」

 ミニセルとディンスレイの目がそこへ向かう。

 そこには光源があった。もはや間違いなく、崖の亀裂と、その奥の空間を作り出したそれがここにあった。

 だが、ミニセルが発見と言い、ディンスレイが今、驚きの目で見ているものはそれでは無い。それを含めたこの空間。

 明らかな人工物の部屋がそこにあったのだ。

「これは……なんだ?」

「わっかんないのよね。結構規模の大きい部屋でしょう? 私達探検班の四人のうち、出ちゃった三人の怪我人を横たわらせてまだまだ余裕がある。配置された機材も機能が良く分かんない。多分、あれをどうこうするための装置なんだと思うんだけれど……」

 爛々とした目でそう語るミニセルの姿。それ見て、ディンスレイの方は彼女を大したものだと思う他無かった。

 迷惑を掛けられた。そうも思うが、それでも今の彼女だ。

 彼女の目には好奇心の色しか無いのである。困難な森林地帯を越えて、崖に突き当り、その亀裂の奥で遭難した彼女。

 ディンスレイ達が、洞窟が崩れて落ちた地点からさらに先で、同じ状況になったと聞くが、その後、自分と同行していた探索班全員が、運悪く怪我人となったのだ。

 無事であった彼女は彼らに応急処置をし、落ちた空洞の先で今居る部屋を見つけると、とりあえずの避難場所として怪我人達を運び込んだ。

 結果として、命を落とす者は出ていない。船医であるアンスィの治療を受ければ、怪我とて無事に治るものだそうだ。

 ミニセルが最悪の事態の中で最善の行動をしたおかげと言える。救出なんて来ないかもしれない可能性の中で、彼女はそれでも、助かる可能性をひたすら求めたに違いない。

 その行動は、生半可な労力でも無かったろう。絶望したって仕方ない状況でもあった。

「しかしなぁ、君。酷く疲労している様に見えるのに、まだこの部屋について探りたいと思うのか」

「そりゃあそうよ。せっかく見つけた、謎だらけの空間よ? それを調べようとしないでどうするの」

「とりあえず休んだりは?」

「医者に止められたらさすがに止めるけど、船医さんったら今、他の怪我人見るのに忙しいし、あなたには止められないわよね、艦長?」

「それはどうして? 私は君の上司だぞ?」

「だって艦長も同じ状況でしょうが」

 酷く疲労していて、これから助かる見込みも無いというのに、今はすっかり、目の前の謎に興味をそそられている。

 ああ、なるほど。大したものだと感心している自分が居たが、その感心の意味はディンスレイの勘違いだったらしい。

 彼女はどうにも、救えない類の人種だ。そうしてそれは、ディンスレイと同様の人種でもあるという事。

 その事を知ったからこそ、ディンスレイは再び安心したのだ。

「なるほど。他ならともかく、私は君を責められんな」

「でしょう? 今の艦長ったら、すごい目を輝かせてるんですもの」

「まあな。この部屋。本当に、いったいどういう事なのか」

「気付いているかしら? この部屋、どこにも出入口が無いの」

「我々は出入りしただろう?」

「その出入口の先は行き止まりでしょうが」

「もっともな意見だ」

 救いがたい二人は、二人して、さっそくこの部屋の謎を探り始めた。まずは観察と、それぞれの意見の擦り合わせだ。ミニセルの方はディンスレイよりも前に、既にあちこち調べていると思われるものの、それでもディンスレイの意見を求めていた。

 似ては居ても、見る視点は違う。

「そうだな。我々が出入りした場所は、出口では無く、老朽化して壊れた場所……という表現が正しいかもしれない」

「ふん?」

「分からないかな? この部屋がもう随分と古いものというのは、君でも分かるだろう? あちこちが擦り減り、経年劣化が見て取れる。それでも構造的に頑丈だから、部屋の形を留めているが、ある一点、弱い場所があり、老朽化とある力が加えられ続けた結果、遂にそこは壊れたわけだ」

「なるほど。そこが、私達が落ちた場所って事ね」

 ミニセルの方も、それくらい分かって居そうだが、自分と同じ意見に至っているが、ディンスレイの方を試しているのかもしれない。

 一人だけならただの空想だが、二人の意見が合えば有力な仮説となろう。

「この部屋が、まるっきり無事であり、劣化もしていない姿を思い浮かべてみよう。一見したところ、この部屋の中にあるものは観測機の様なものに見える。ガラス張りの窓の様なものが多く、各種機器の配管や線が回り回って、中央へと向かっている光景などは、何かを調べたいとか、何かを制御したいとか、そういう意図の様なものが見てとれる」

「私もそれは感じた。どれがどういう機能かさっぱりな物があるけど、部屋全体が、部屋の中央に意識を向けているというか、そんな印象」

 そうして、お互いが合わせる様に部屋の中央を見た。

 ここに来るまでの光源にもなっているそれは、ここから離れた場所でもかなりの明かりだったので、酷く眩しくなっていると思えたが、部屋に入るなりその印象は無くなる。

 意外な事に、ただ部屋を明るく照らしてくれる程度の灯りに抑えられているのだ。

 どの様な現象に寄るものか。ディンスレイにも分からなかったが、ほどほどのそんな光は、光を放っている物質が実際に何であるかを良く見せてくれていた。

「あれは鉱石だろうか。両手で持てる程度の大きさだが……」

「石に見えるわよね。宝石みたいな質感なのか、それとも単なる石なのかは、それが光ってるせいでいまいち分からないけれど」

「ふぅむ。ちょっと触ってみても」

「まだ駄目。それって多分最後の手段」

「そうですよぉ……! こ、これ以上怪我人が増えるのは、て、手一杯です私ぃ……」

 これまでせわしなく部屋の中を動き、横たわる他の怪我人達を治療していたアンスィ。そんな彼女の嘆きを耳にして、漸くディンスレイはどこか夢見心地だった心境から戻って来る。

 そうして目に映る現実と言えば、やはり危機的状況から脱していない、怪我人だらけの不気味な部屋がそこだ。

「このまま放置しているのは、やはり不味いな」

「け、怪我人の方々の、い、命の保障はし、しますけど、それだって、艦に無事戻れればの話ですっ。こ、ここに居る限りは、あ、安心なんて出来ません」

 確かにその通りだ。部屋の中央で今なお輝く謎の鉱石。そこから出ている力についてもどういう類のもので、肉体にどんな影響があるか分かったものでもあるまい。

 そうで無くとも、ここからどうやってブラックテイル号に戻るか。それが難題だった。

「艦長、ブラックテイル号がこの山脈壁から去るまで、どれくらい猶予があるかしら?」

 同じく、現実的な話に戻って来たミニセルが尋ねて来る。

「そうだな。事前の取り決め通りなら、恐らく……私の時間間隔がズレてさえ居なければ、あと三日は猶予があるだろう。帰るまでの時間も含めてだがな」

「じゃあ、二日でここから出る必要があるわけだけど……」

 それが出来るのであれば、悩みはしない。二日。それは時間があると言える状況ではあるが、問題は時間が幾らあったところで解決はしないという事だ。

「さっきも言ったけど、ロープとか単なる作業用道具だけじゃ足りないのよ艦長。もっともう、どこまでも伸びる梯子とか無かったのかしら」

「そんなもの、今からブラックテイル号に戻ったところであるものか」

 そもそも戻れないわけであるが。

 ディンスレイ達が落ちた場所は、要するに入って来た亀裂から崩れた場所という事だ。唯一の出口となるのはそこであり、今や遥か高い場所にあった。落下して無事に済んだ事が奇跡的と言えるくらいに、それは高いのだ。

「石をロープの先に括って、投げてみるとかはどう?」

「上に引っ掛かるものがあったか? あったとしても、また崩れんとも限らん。いざとなれば試すが……」

 それで労力を使うというのは、限りある体力と食料を消耗する可能性もある。他にもっと建設的な案を考え出したいところだった。

「せ、船医からの要求です。は、激しい運動の許可を、ぜ、全員に出す事は……医者として出来ません」

「また無茶を言うな、船医殿」

「せ、責任は取れないのでぇ……」

 手や足を動かしながら、部屋の中を慌ただしく動き、怪我人の治療を続けて居るアンスィを見ると、それ以上の反論は出来そうになかった。

(もっとも、必要となれば命令するのが私だ。だからこそ、今はそれ以外の方法を探さなければな)

 最悪で最低限の選択というのは、それ以外の可能性を潰してから挑むものだ。もう後が無いから選ぶのだと最初から思うのは愚か者のやり方だろう。

「少なくとも、どこかに希望はあるはずだ。ここに部屋がある。それが一番の理由だな」

「人工物である以上、それを作った人間がいるし、利用していた人間も居る。なら、出入口と地上への道も残されているはずだ。でしょ? そりゃあそれが当たり前の理屈なんだけれど……」

 それがあれば、そもそも現在遭難していない。ミニセルはそう伝えて来た。

 彼女には、この部屋の中を探索する時間もあったはずだ。ディンスレイ達が彼女の救出を決断するまでの時間、彼女はこの部屋に居たのだから。

「どこにも無いか。その出入口が」

「そう。その通り。どうしたもんかしらねぇ」

「なら、普通の冒険家としての視点では駄目だな」

「ちょっと、どういう意味よ」

「君は冒険家としての技能を十分備えていると、そう言ったのだよ。だから、私はそういう視点で見るべきでは無い」

 そんな言葉をミニセルに向けながら、ディンスレイは部屋を周り始める。

 中心にある光る石とそれを支えているらしき機材。それが中心にあり、部屋はそれを囲む形なので、丁度、ドーナツみたいな形になるだろうか。

 もう少しばかり歪な形かもしれないが、身体を動かし、ぐるぐる部屋を動き回るには丁度良かった。

 目が回らない速度でゆっくりと、しかし視線はあちこちの機器や構造からあちこちの印象を思考の内側へ取り込むために動かし続ける。

(この部屋はいったいどういう機能のものか。目的としているのか。重要な場所は何なのか。その手の思索は、ここへ来た冒険家がするものであり、ミニセル君がもうしている。私がすべきなのは、もっとインスピレーションを発揮させる考え方だろう)

 歩き回っていると、その手のある種、突拍子も無い考え……いや、妄想に近いそれが浮かんでくる。

 大半が本当に妄想だ。中には部屋が急にふわふわのぬいぐるみになったら。みたいな物まであり、すぐさま、そういう妄想は頭の中から追い出して行く。

(本当に、幾つもの馬鹿らしい考えを浮かばせ、追い出して行く。そうだ。これが重要だ。やるべき事は、なぞなぞの答えを探す様なものだろう。出入口の無い部屋があります。どうして? そんななぞなぞに答えるには、理屈というより、納得感が重要になる)

 だから想像してみよう。ディンスレイはこの部屋にやってきた、この部屋の利用者だ。

 ここでまあ、難しい機材をいろいろと操作したり、探ったりしながら、そろそろやるべき事が終わったとする。

(さて、そろそろ帰ろうか。私は立ち止まる。帰る……出入口は無い。何故などとは思わない。当たり前の事だからだ。ここには出入口は無い。だって―――

 立ち止まる。妄想も止まる。

 その妄想は、思考から追い出さない。今、ディンスレイが唯一出せる、馬鹿みたいで、驚きの、そんな発想は普通無いだろうと思える、しかしなぞなぞを解いた時の様なしっくりと来るものがある、そんな仮説だったからだ。

「ちょ、ちょっと何よ。急に立ち止まって」

 偶然か運命か。立ち止まった場所は、部屋の中をぐるぐる周って、ミニセルが立っている場所の近くであった。

 だからディンスレイは真っ先に彼女に伝えた。

「この部屋は、ワープする事で出入りする場所だ。そういう事じゃあないか?」

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