⑥ それと語り合う
視界が黒の嵐に包まれる。
生物都市を構成している黒い板が、再びその組み立てを変えようとしているのだと思う。
ドームそのものは、それらとは別の材質に見えたが、それでも黒い板自体はそこら中にあって、ディンスレイ達を包んできたのだ……とも思う。
(この景色は、さっきも見た。屋上から屋内へと移動する際のそれだ)
舞う黒い板は、ディンスレイ自身にはぶつからない。あくまでその周囲に舞い散り、一方で足場だけは確かにディンスレイの足元に構成されていた。
つまり今、ディンスレイは生物都市の中を移動しているらしい。
(今回に限っては、すぐにこの光景が収まらない事を考えるに、相当な距離を移動しているのか?)
危害は加えられていない様子なので、そういう事になるだろう。
いったい何が切っ掛けで?
自分に問い掛けるのも馬鹿らしい。
これは、スーサが引き起こしたのだ。彼女が切っ掛けだ。タイミングとしては、まさに狙ったものとしか思えない。
(彼女は……何かを思い出したのかもしれない。少なくとも、この生物都市についての何かを。そういえば最後、彼女は翻訳機では無く、自身の声で話していたが……あれはどういう?)
答えが見えない。現在進行形で起こっている変化が収まるまで、何らかの結論を出せる事は無さそうだ。
だが、何もしないという選択もあるまい。
こういう時に何かを行動しておいて、損という事もあるまい。あくまでディンスレイの経験則での話。
「……なあスーサ。この状態でも、君と話が出来たりするのか?」
「驚いた。わたしからしようとしていた」
嵐の様な黒い板の群れの一部が割れ、そこからスーサの、さっきまでと変わらぬ姿が現れる。
だが、やはりそれは翻訳機からの言葉では無く、彼女自身の声に寄って。
「君は何時の間に、シルフェニアの言葉を憶えたんだ? 暫く付き合って来たが、驚きだよ、私は」
「みんなとは沢山話して来た。言葉も聞こえていたし、憶えてもいた。けど、それを使える様になったのはついさっき」
「使える様になったと来たか」
笑いそうになる。彼女の言葉に呆れたとか驚いたとか、そういう話では無く、なんともまあ、楽しくなってきているのだ。
今、この瞬間をずっと待ち望んでいた。そんな気さえしてくる。
「わたしは、それが出来る。見たり聞いたりした事は忘れないし、都合良く使えたりもする。それが出来る事を、忘れていた」
「スーサ、それは一言で、とても頭が良いと表現すれば良いんだ。それが分かりやすい」
スーサとシルフェニアとの交流期間。長くは無いが、それでも、頭が非常に良い人間が、言語を憶えるなら十分の時間があるだろう。
別に万全にとは行かないだろうし、事実、スーサの生の言葉は、やはり拙さがあった。印象としては、翻訳機越しのそれと大きくは変わらない。
大きく変わったのは、スーサの目であろうか。
「君は……随分と真っ直ぐに物を見る様になったな?」
「? 今までもずっと、真っ直ぐ見てた」
「かもな。けれど私が知る君は、その目の落ち着かせ方を知らなかった様に見える。自分が何者か、今まで分からなかったからだろう」
今は違う。だからそういう目をしている。そう感じた。
「ディンスレイ。わたしの事が……知りたい?」
「ああ、語ってくれるのなら、是非にだ。そうして出来ればこの際、一つ聞いておきたい事もある」
「それは……何?」
「私や、我々の事を、君はどう見ているか。自分を取り戻したというのなら、今一度聞いておきたいものさ。お互い、友好な関係を築けているか。それが肝心だ」
結局、ドラゴンゲートに来たのも、彼女と出会ったからで、そんな彼女がディンスレイやシルフェニアに対してどう思うのか。
旅の大きな目的の一つとは、そういうものだったかもしれない。
「……先に、どう思っているかを答えても良い?」
「お好きな様に」
「ディンスレイは……わたしに選択肢をくれていた。そう思う。君はどうするのか、思うのか、そういう事を、してくれていた」
「なるほどな。これも端的な言い回しがあるぞ? 相手の意思を尊重する……だ。良く知らない相手こそ、それが重要だ。いや、仲良くなってからも重要だから、なかなかの難題なんだな、これが」
だが、スーサの言葉を聞く限り、彼女に対してはそれが出来ていた様に思う。
多分、今、こうやって、これまでと変わらぬ会話をスーサと続けられているのも、彼女とのこれまでの関係性があるからだろう。
スーサ側の状況が変わって、しかも周囲は良く分からぬ板の群れが蠢いている状態で、それでもこうやって話を続けられるのは、やはりスーサと出会ってからの関係性があるからだろう。
「せっかくさっきまで一緒だったんだ。ロブロ君も交えての話もしたいところだが……」
そう提案したディンスレイに、スーサは首を横に振った。
これで分かる事は二つ。まず一つは、やはり今の状態をスーサが作り出しており、彼女ならどの様にも出来るという事。
そうしてもう一つは、ディンスレイ個人とスーサは話したがっている事。
「ディンスレイは、シルフェニアの代表だから、まずディンスレイにだけ話したい」
「それは、感情的な部分から来る言葉だろうか?」
「それもある。けど、シルフェニアの代表だからなのも事実、のはず」
ディンスレイが特務中佐として、ドラゴンゲート側に対するシルフェニアの代表者としてここにいる……という事をスーサも理解した上での言葉だった。
これまでスーサは、この手の社会的な立場の話を、いまいち理解出来ない風で居たが、現時点では違うらしい。
(というより……これまでがある種、認知能力が制限されていたと見るべきなのか?)
そんな事が都合良く出来るものなのだろうか。出来たとしてもいったい誰が、どの様な目的で?
それらの疑問も、ここで解消出来れば助かるのであるが……。
「確かに、私はシルフェニアの代表だ。ここ、ドラゴンゲートに住む人達に出会えたならば、シルフェニアはこういう国で、君たちはどの様な集団なのだろうかと、話したり聞いたりする役目がある。それが、ここからは重要かな?」
「とても。だってわたしは、この街の……ディンスレイが生物都市っていう場所に残った、唯一の住人だから」
「そうか……なら、これはシルフェニアと生物都市の、初交流と言えるかもしれないな。いや、生物都市というのも違うか。ここに住人がいるのだとしたら、ちゃんとした名前がこの街にはある」
これまで街だと認められなかったこの都市であるが、ここでスーサが住人と名乗る事で、ディンスレイも認められる様になった。
ここは街だ。事実、住人であるスーサがこの街を動かしている。
では、ここは何と言う街なのだろう。
「分からない。私は、この街の名前を知らない」
「それは……まだ記憶が確かでは無い……という事か?」
「ううん。違う。私は本当に知らない。あのドームの、ガラスの筒の中で、私は目覚めた。私の記憶は、私以外誰も居ない、あそこから出るところから始まってる」
「そうか。それはまるで……」
あのガラスの筒の中で、スーサという少女が生み出されたみたいじゃあないか。
いや、事実そうなのか?
「この街の、スーサ、君の前に住んでいた者達は、人の命を作り出せる程の存在だったという事か」
ジュウゲンジャ達からも、遠回しにそれを伝えられていた気がする。
技術が極まった者達だったと。
住人が居なくなってなお、街が勝手に、その構造を修復し続けている、少なくともそういう技術がここにはある。
小さなパーツを幾つも、無数に生産し、それを組み立て、都市という構造を作るという技術だ。
人一人の命だって、それで生み出せるのでは?
「違う」
「間違っているか?」
「命を作ったは本当だと思う。けど、それで作ったのは人じゃない」
「では……作られたものとは……」
「ドラゴン」
「……」
本当に驚いた時、人とはまず、反応するという行為すらも頭の中から吹き飛ぶらしい。
かなり大きすぎる難題が、頭の中に居座ったのも原因だろう。
もし、この街の住人が命を作り出せる程で、その作り出した命がスーサの言う通り、ドラゴンだというのなら……。
「スーサ、君はこういうのか。君自身が……ドラゴンだと」
「うん。そう。だから、ディンスレイがシルフェニアを代表する相手である事が重要」
あっさり認めて、さらに次の話まで始めるスーサ。ディンスレイの方は、落ち着いている暇が無いらしい。
「色々聞きたい事が山ほどある。君がドラゴンである事は本当かであったり、どうしてこの街で君はドラゴンとして生まれたのかだったり、そもそも、それが何を意味するのか……だが、それより先に、君の方から言う事があるらしいな」
ディンスレイが言葉を続けようとする前に、スーサは手の平でそれを止めて来た。
じっとこちらを見る目。その目は以前より強かったが、以前と同じ様に真っ直ぐディンスレイを見つめて来る。
そうして彼女は口を開いた。
「わたしはドラゴン。今はそれだけしか話せない。それ以上を話すなら……」
「なら……?」
「シルフェニアは、挑まなければいけない」
「それは……君に?」
「ううん。けど、意味は似てる」
「ドラゴンに似ているのか、それとも、スーサ、君自身に似た何かか?」
「この街の住人が残して、そうして挑む事は危険な事。その意味が似ている。命の危険がある。ディンスレイだけじゃなく、ブラックテイルⅡの船員みんなも。そんな試練に……挑んで、生き残る必要がある。それは―――
「なるほど、生き残れば良いわけだ。誰かの命を捧げるとかで無く。なら、答えよう。挑ませて貰う。シルフェニアを代表してな」
「……いいの?」
何と答えると予想されていたやら。
目を開き、驚いた様子のスーサ。
「これが戦争の切っ掛けだの、他者からの圧だのが理由になれば、勿論全力で断るところだが……より知るために踏み込むための危険だというなら、受けて立つさ。いや、もう受けて立っていると言うべきかな?」
未踏領域に飛空艦一隻で挑むとはきっと、そういう事だ。
試練を出してくる側が、最低限の礼儀を見せているなら尚更だ。
危ないから止めても良い。スーサはそんな事を言っているのである。恐らく、当人の望みとしては、ディンスレイ達に踏み込んで欲しがっているだろうに。
「なら……これから、ディンスレイ達をブラックテイルⅡ側に戻す。戻ったら、すぐにブラックテイルⅡを飛び立たせて」
「そうして、そこから何かに挑むわけか。で、実際、挑むべきそれとは何だ?」
「戻ったら、それが何かはすぐに分かる。けど、挑んでくるなら、本当に危ないから注意して。逃げるなら、追わない。危なくなったら、逃げたって構わないから」
「そうして……逃げた後は君とはお別れか、スーサ」
さっきからスーサ自身は、挑戦される側としての視点で語っている。多分、これからブラックテイルⅡに戻るのはディンスレイとロブロの二人だけなのだ。
スーサの方は残り……挑戦の結果がどうなるのかを見守る。
「……そう。わたしは、結果を待つ。あなた達に資格が無いのなら、わたしはあなた達とは居られない。そういう存在だから」
ドラゴン……スーサ自身が自らをそう名乗るというのは、そこに深い意味があるのだろう。生半可に踏み込んではならない、そんな深みが。
「新たな変化の先には、分からない事ばかりがあったわけだが……いいさ。後で好きなだけ語って貰う事にしよう。君ともここでお別れにするつもりは無いぞ、私は。勿論、ロブロ君の方もな」
「ロブロやタイミーには……ごめんって伝えて欲しい」
「駄目だ、スーサ。それは君から伝えれば良い。おっと、ここでお別れにならない以上、伝える必要も無いわけだ。違うかな?」
ただひたすらに、ディンスレイは胸を張る。スーサの方はどういう気持ちかは知らないが、ディンスレイの方は既に、挑戦とやらの只中にいるつもりだった。
艦長たる自分は、艦長らしく振舞い続ける。そんな形で。
「ディンスレイは……すごいと思う」
「君のその思いが、裏切られる事の無い様にするだけだよ、私は」
「……次に会った時は、艦長って呼んで良い?」
「勿論構わないが、普通はそもそも艦長と呼ぶのがただ―――
言い終わる前に、やはりまた黒い板の群れに包まれる。
(もう少し、話をしておきたかった気もするが……いいや、これからその時間だってあるはずだ。彼女にそう言い切った以上、実現させてやるさ)
本当の、自分の心の中だけにある本音なんて、どこか遠いところへ追いやって、心の中までブラックテイルⅡ艦長として動き出す。
丁度良く、動き出すための大地が見えた。
黒い板の群れにより遮られた視界は晴れ、スーサが言っていた通り、ディンスレイはブラックテイルⅡが着陸していた側の、街の端まで移動していた。
隣を見れば、転んだ状態のロブロの姿。
なんとも間抜けな恰好だが、無事でありそうな事に、今は安堵しておくべきだろうか。
「はっ、えっ、なっ……なんですか!? これ、もしかして長い事移動してたんですか、僕達!?」
「そうだろうが、何だと思っていた?」
転んだまま、顔だけ上げているロブロに対して、ディンスレイは尋ねる。
「いえ、急にスーサの様子も変わったし、どこかに閉じ込められたんじゃないかと……って、スーサ! スーサがいません! 艦長、スーサが行方不明になってます!」
どうにもさっきまでずっと、あの黒い板の嵐の中に置かれていたらしいロブロ。
そんな彼に対して、今の状況を説明する必要もあるのだろう。
しかし今、地面に転がっている彼より優先して、見るべき物があった。
ディンスレイは地面では無く、空を見上げる。
「ロブロ君。彼女は今、あそこにいる」
「あそこって……え?」
きっとロブロは絶句しただろう。ディンスレイもまた、形容する言葉がすぐに浮かんでいなかった。
空に、黒い塊が浮いている。いや、それは単なる塊というべきでは無いのかもしれない。構成するのは、生物都市と同じく黒い板。それらが集まり、丸い構造を作り、そこから幾本かの触手の形にそれを伸ばしている。
ブラックテイルⅡより何倍、いや、何十倍もの巨躯を持つそれは、生物都市の一部が、空を飛ぶ姿に他ならない。
「あれが……スーサからの挑戦状だ」
今から、ディンスレイ達はあれに挑む。スーサとその約束したのだ。




