⑤ それは語る
生物都市の地下にある壁画と地下道。
地下道の方は変わらず続いていたが、壁画は印象的なそれを最後に終わっていた。
三つに方向へと分かれた線。生物都市を去る者と留まる者。そうしてドラゴンを目指す者。
(いや、ジュウゲンジャ達も、過酷な自然環境に自らを置く事で、ある種、ドラゴンを真似る……つまり目指す立場であったわけだ。となると……あのドラゴンに見える天井画は何か別の意味があるのか?)
ディンスレイの頭の中で考えが進む。薄暗い地下道。壁画が無くなったせいでより暗くなった気がするその道は、どうしたって考え事の内容も進むものだ。
(これも狙っての構造か? もし、私がそれに嵌っているというのなら、やはりシルフェニア側と趣向が似通っている事になるが……ならば、私達なりの直感による予測というのも、馬鹿にならない発想になってくるかもな……)
直感に従えば、やはり壁画は生物都市に住んでいた者達の歴史に思える。その最後に、それぞれ別の道を見つけたで終わるのも、ある種のらしさがあった。
だが、そう考えた上でも疑問は幾らでも残ってしまう。ドラゴンの意匠は何を意味するのかもそうだが、生物都市に残った者達もいると描かれていた点が、一番の疑問点だ。
彼らは今……どこへ行った?
「ロブロ君、良いか?」
「なんです急に?」
「妙な尋ね方になるかもしれないが……君から見て、あの壁画や天井画をどう思う?」
「僕から見てって……専門的な知識を求めてるって事ですか?」
「いや、そうじゃあなく、もっと感覚的な話だ」
直感が役に立つかもしれないなら、シルフェニアの他の人間に聞いておくのも手だろう。感覚なんて人それぞれなのだから、ディンスレイ以外の視点というのが、もっとも役に立つ場面だ。
「感覚的にと言われても、そうですね。僕としてはその……さっき天井画のドラゴンがあったじゃないですか」
「ああ。まあ、あくまで今のところ、ドラゴンに見える絵……としか言えんのだろうが」
「あれ以外、暗くありません?」
「確かに暗い。目が悪くなりそうだよ」
「いえ、そうじゃあなく、こう……まさにそのまま、雰囲気的に?」
「ふむ」
やはりと言えば良いのか、存外と言えば良いのか、何にせよ、面白い意見が聞けた。
確かに暗い。光源が無いという話では無く、絵の作風が暗いのだ。
地下道の構造だって、常に片側に壁画が並んでいるというのも、なんとなく歪さを感じ、正当では無い。そこに偏った暗さというものを感じさせられる。
(我々と似通った感性でこれが作られているとしたら、この地下道自体、作った者達にとっては歓迎すべきものでは無かったという事か? それでも、都市の機能の多くをここに費やすだけの意味があったと……)
都市に留まるも、都市を去るも、どちらも暗く、ただ一つの輝きはドラゴンの意匠だけ。
そういう意図がこの壁画であるならば、その先にあるものとは……。
『悲しい』
今はただ、地下道を進んでいるだけの状況で、ふと、スーサの声が響いた。
唐突ではあるが、その意味は単純だったので、聞き逃しはしない。何より、その言葉はどうしたって、この地下道に相応しい言葉であったのだ。
「ああ、そうだな。この地下道は……なんだか悲しい。まるでここは……」
霊廟の様な。
ぞっとする想像を、言葉にしないだけの配慮はディンスレイとてあった。特にロブロが怯えてしまう。
だが、スーサに対してはどうだろうか。
彼女はむしろ、首を横に振って来た。
『そうじゃない。あれ、あれを見て、悲しいと思った』
スーサは地下道の進行方向では無く、立ち止まり、やはり壁を指差した。都市に留まる者達を描いた壁画を最後に並ばなくなったそれが、突然、この場所に一枚だけ、新たに壁画が用意されていたのである。
「これも……抽象的な絵だな。円だ」
酷く単純な壁画だった。
円が一つ。そういえば、ジュウゲンジャ達も円が象徴的な構図として用いていた記憶がある。
「ジュウゲンジャは、円を一つの世界。さらにその内側や外側に円が続くという構図を文化的な絵柄として用いていたが、これもそれの一種か?」
「けど、これは他に円が無くて、本当に一つの円だけが大きく描かれてますよ? じゃあ、世界は一つって意味だったり?」
ロブロもディンスレイの言葉に乗って来たが、やはり一つの円の意味については掴みあぐねている様子。
暫く二人して眺めた後、次の発想に至ったのは、意外にもロブロの方であった。
「あれ……なんだろう。この壁画、さっきまでのより新しくありません?」
「ほう? 確かに罅割れは少ない気がするな」
整備士としての目か、それとも単に直感的な気付きか。何にせよ、ロブロに言われて、ディンスレイも観察する。
暗がりの中、壁画はただの円を描いている。そうだ、単純な構図の円を、見た瞬間にそれだと気付けたのは、壁画に罅割れが少なかったからだ。これで他の壁画と同じくらいに朽ちて居れば、すぐに円だと気付けなかったかもしれない。
「やっぱり。ほら、見てください艦長。ここ、壁画の端。縁みたいなのが見えるでしょう? さっきまでの壁画には無かったですよこれ。多分、後からここに付け足したからこうなってるんだ。ブラックテイルⅡ内部で新たに壁紙を貼り直したりしてもこうなるっていうか」
「そんなに壁紙を貼り直す作業が必要だったか? うちの艦は? いや、まあ、それは良いか。それにしても……後から付け足したか。この壁画を……」
尚更、このただの円に、深い意味がある気がしてくる。
抽象的な画という事は、先ほど見た三つに分かれる線と同じ様に、何かを象徴して現したものになるのだろう。
線の壁画の時は、壁画の位置関係が重要だったが……。
(この位置に円の壁画を用意したという事は……生物都市に留まった者達側の絵だという事だ。少なくとも方向としてはそれを意味している。つまりこの壁画は……この生物都市に留まった者達の……末路……?)
ぞくりと背中が震えそうになった。
実際にそうならなかったのは、薄々予感はしていたからだ。
この生物都市に留まった者達の姿は、一向に見つからない。生物都市をそのまま街だと認められないのも、都市としての機能がある癖に、人の営みというのがそこに感じられないからだ。
彼らはどこに行ったのか? もしくは……どうなってしまったのか?
「円……円か。円は一つの世界。生物都市に留まった者の先には一つの世界が……うーん。なんだ。あと一つか二つ、考える要素が欠けている様な」
「一つか二つで済みますかね、欠けてるものって」
「まあ、どこまでもヒントを貰ってばかりだというのもいかんからなぁ。好奇心に突き動かされて、主の居ない都市を探索している我らだ。礼を失していると指摘されても文句も言えん立場である以上、最低限、自分の頭を働かせ続けるべきだと思うわけであるし……」
ただ、やはり円だけの壁画を見つめ続けても、答えが出るものでも無かった。次に進む必要がある。この地下道もまた、次に進めと―――
『ここ。多分、ここが、気になる場所の中心』
暗くて気付かなかったが、スーサの言葉ではっとする。
壁画から目を離し、地下道を再び進もうとした先に、扉があった。
大きな扉だ。やはり四角く黒い構造材で作られており、どうやって開ければ良いものか、思い悩んでしまう程のもの。
『行こう』
思い悩んでいる間に、スーサは足を踏み出していた。
いや、今回の場合は腕を前に出していた。
スーサが扉に触れると、また扉を構成している構造材が移動し、別の形を作っていく。単純に、閉じていた扉の形から、開いている扉の形に。
「直感的な感想を言っても良いですか、艦長」
目の前の光景に対して、ロブロが許可を求めて来る。
「どうぞ」
「こういう構造の変化って、無駄じゃありません?」
「つまり、彼らの拘りだよ、これは」
閉じた形から開いた形へと変わった扉に対して、苦笑を浮かべたくなるものの、開いた以上は中に入らなければなるまい。
これが何らかの罠だったとしても、面白味のある罠だ。嵌ってみるのも一興だろう。
扉の向こうにあった空間。
それをどう表現するべきか。最初、ディンスレイには分からなかった。
恐らく、ここへと案内するために、今までの地下道はあったのだと思う。なんなら、生物都市自体が、もはやこの場所に外部の人間を誘う用途しか無いとすら言えるかもしれない。
そうして、そんな場所に広がる景色は、他の生物都市の外観とは一線を画すものではある。
全体の構造としてはドーム状であり、天頂付近の光源が、ドーム全体に明かりを届けている。と言っても、動力が完全に届いていないのか、かなり心許ない明るさではあった。
そのせいと言えば良いのか、それとも、このドームのデザインがそもそもその様に作られているのか、酷い不気味さがそこにある。
(いや、やはりデザインが原因か。これが明るかろうと、この床は……些か常軌を逸している)
ディンスレイはドーム内部へと入った自分の足元を見つめる。
地面を覆い尽くすうねり。良く見ればそれは太い配線である事がわかる。それらが隙間なく絡まり、密集し、ある種の床を作り出している。そんな景色。
「これ……この空間自体が、何等かの装置……っぽくありません?」
「見ただけの印象を言う様になってきたなロブロ君。確かに今、我々がいるのは、入って来られる扉さえ無ければ、何らかの機械の内側の様に思えるが……スーサ。君はどうか? ここへ我々を案内したのは君だ」
スーサと、そうしてドーム全体を見渡す。
ドームの方はやはり暗く良く見えないが、それでも、入って来た扉以外の出入口は存在しない様に見えた。やはりこのドームが突き当りであり、辿り着くべき場所なのだ。
そんな場所に案内したスーサは、この光景を見て何を思うか。今のディンスレイの関心事はそれである。
『……』
「スーサ?」
彼女は答えない。翻訳機の影響か生来からの特徴かは知らないが、言葉がやや少ない彼女。それでも、聞けば何かを答えてはくれていた。
だが、今、それが無かった。それもまた新たな変化と言えるのだろう。そんな変化は今なお続く。
彼女はディンスレイの言葉を無視したのでは無い。ただ、別の事に気を取られていたのだ。だから彼女は、そちらへと足を踏み出した。この気味が悪く、バランスだって悪い太い配線だけで作られた床を、それでも踏みしめて、ドームの中心部へと進もうとしている。
「……気を引き締めろよ、ロブロ君」
「スーサに、何かあるかもしれないって事ですか、艦長」
「かもじゃなく、何かあるぞ」
ドームの中心。そこにもまた、特徴的な構造があった。このドームが機械の内側だと思わせて来る構造。
ガラス状の、透明な筒が、ドームの頂点から真っ直ぐ下まで続いていた。床を埋め尽くす配線もまた、片側はそのガラス状の筒に接続されている様に見える。つまり、ガラスの筒自体も相応に大きな装置であった。
周囲が薄暗く、そうして床が敷き詰められた蛇の胴体が如くの不気味さがあるこのドームにおいて、どうしてかそのガラスの筒自体には荘厳を感じる。
それは別に飾られているわけでも無い。むしろ一装置、一機械としての複雑さと簡素さが同居していた。端的に言えば装置としての機能性のみにしか重点を置かれていない。そういうデザインであるが、どうしてか、そのガラスの筒に近寄りがたい畏怖心を抱いている。
だから……そのガラスの筒へと近づいて行くスーサを眺める事しか出来なかった。
「止めなくて……良いんですか?」
「止めるという選択は、取らなかったのが我々だ。彼女があれに向かうというのなら、その結果を受け止めるべきだろう。これは不思議な話なのだが……とんでも無い結果にはなる気はするが、危険な事態になるとも思えないのだよ」
「それは……艦長としての直感ですか?」
「スーサと付き合って来た、一人の人間として……かな、これは」
だから、しっかりと観察はする。あの少女がここに来て、漸く自ら、何かを行動し始めたのだ。それを見守らなくてどうする。
それに、観察に徹したからこそ分かる事だってあった。
(あのガラスの筒、割れているな?)
大きなガラスの筒に対して、その割れは小さいものであったから、気付くのが遅くなった。
しかし、確かにそれは割れていた。穴が開いて、そこから周囲に罅が走っている状態だ。
(あの中に何かがあって……それが外に出て来たか?)
何故か、そう思った。単純に他の場所と同様、経年による破損の可能性だってあるだろうに。むしろ、その可能性がずっと高い。
だけれどディンスレイは思ってしまうのだ。あの筒の中にあって、外に出て来たものも……もしかしたら目の前にあるのではないかと。
いいや、もう目の前には居ない。
ディンスレイが眺めている間に、スーサはガラスの筒へと触れられる位置まで辿り着いていた。
変化は……彼女のこちらへの振り返り。
片手を大きなガラスの筒の底辺へと触れ、半身と顔だけをこちらへ向け、少し離れたというのに、確かに聞こえる言葉で、スーサは話し掛けて来た。
「ディンスレイ。わたしは……ここで生まれた」
その声は……翻訳機越しの声では無かった。スーサの口から直接出た、けれども確かにシルフェニアの言葉。
その声が耳へと届くのと同時に、ディンスレイの視界は黒一色に飲まれていった。




