② 今、それはまだ待っている
空を銀色の魚が飛んでいる。
シルバーフィッシュ。本来は突貫かつ余りの装甲材やパーツ、浮遊石等を組み立てて作られた小型飛空船。
さすがに今、空を飛んでいるのはそれを元にして、一般的な小型飛空船並かそれ以上の安定性と機能性を持たせたものではある。
だが、元々の乗り手として考えられていたのが、相当に腕のあるブラックテイルⅡの操舵士が前提というのが、厄介な飛空船という基準にシルバーフィッシュを置いている。
(操舵士の癖もあるがな。ブラックテイルⅡで操舵桿を握っている時はその性格を抑えているが、ミニセル君は荒いタイプの操舵を好むし、その点を反映したセッティングがされている……わけだが)
やはり空を見る。
問題無く空を飛ぶシルバーフィッシュの姿そこにあり、次に隣の立っているミニセルを見た。
「どう? 艦長からの感想は?」
「少し前まで、まともに飛空させる事すら出来なかったはずだがな。彼女は」
ブラックテイルⅡが着陸している生物都市の近く。何も障害物の無い空を、シルバーフィッシュは操舵士のミニセル抜きで飛んでいた。
勿論、無人で飛空する機能はシルバーフィッシュには無い。あれにはミニセル以外の操舵士が乗っているという事だ。
その操舵士の名前はスーサ。つい最近まで、操舵訓練中ですら、真っ直ぐに飛ばす事も出来なかった少女。それが今、操舵が難しい飛空船であるシルバーフィッシュを、不足無く空に飛ばしている。
「艦長は既に、そのタネを知っているんじゃない? あのシルバーフィッシュ、計器類を増やす改修をしていたけれど、それ、艦長の指示だって聞いてる」
「ああ。その点は勿論、認識しているが……予想外なのはその影響だな。多少マシになるやもと思っていたが……おっ、横に一回転させたぞ、今」
「自分なりに、難度は高そうだけど、出来るって判断した動きをさせてみなさいって指示を出してるの。やっぱり今の腕を判断するためなんだけど、なんていうか……あそこまで突然出来ちゃうと、こっちの自信が無くなっちゃう」
ミニセル言葉はあくまで謙遜であろう。ディンスレイの目から見れば、今のスーサより、ミニセルの操舵の方がより上等ではあると思う。
ただ、ミニセルの補助要員としての水準ならば、小型飛空船の操舵に限り、スーサはその能力を発揮したと言えるだろう。
「もともと、空を飛ぶ感覚っていうの? それは不思議に身に付いてたってあたしは思ってる。以前、あの娘に操舵を手伝って貰った時にそれを感じた」
だからこそ、ミニセル自身、彼女に飛空船の動かし方を教えていたのだと思われる。
そんな彼女ですら、今のスーサの技術向上は予想外だったのだろうが……。
「これはあくまで私の考えでしか無いが、君の言う空を飛ぶ感覚や、操舵桿を動かす際の繊細な動きについて、彼女は既に身に付けていたのでは無いかな」
「その二つがあって、それでも今まで碌に飛ばせなかった……わよね?」
「今、スーサと親しくしている船員から聞き取りした内容からの類推なのだがね、彼女は身体の延長線上に道具や機械を置くという事に不慣れらしい。それも目も当てられぬ程に。それを補助するために、明確な数値として計器類を増設したのが、相当効いたのだろうさ」
シルフェニアの人間が操舵するなら、不要どころか、余計な機能でしか無い。だがスーサにとっては、飛空船に、外を見る窓が付いていて当たり前である様に、必要不可欠な装置であったのだろう。
彼女の視点で見るならば、今、彼女は漸く、自分の能力を発揮できる様な飛空船を与えられた事になる。
「あの娘、見た目以上に、内面があたし達と違う部分がある……そうは思わない?」
「まあ、その外観より、その考え方や視点に驚かされる事が多いな、彼女に関しては」
だから二人して考えている。
とりあえず、シルバーフィッシュは空を飛んでいる。怪我人のミニセルでは無く、身体は万全の状態のスーサが。
そうして、彼女はシルバーフィッシュを一定の水準で動かせる技能を手に入れていた。ならばこれからどうするか。
「あたしからの意見をまず言うけど、技術的には可能よ。空からの探索については」
「そうして、それ以上は言わんわけか」
ディンスレイの視線は、生物都市の方へと動いた。
黒々とした大きな、それでも統一的では無い大きさの四角。それらが家の様に並び、一見して街並みを作り出している。
ただ、土台となっている大地は入り組んでいるせいで、生物都市近くまで高度を落とすとなると、それなりに技術が必要だった。
その空を飛ぶ技術が、スーサには確かにありそうである。
「少し考えるべきだな」
「今から船内幹部会議をまた開く案件?」
「いや、あれだけ動かせるのなら、艦長判断でも十分だろう。スーサに関しては、彼女にシルバーフィッシュの操舵を任せる。第一、今のシルバーフィッシュは君の飛空船というより、彼女専用染みた改修が行われているわけだろう?」
「多少、計器が増えたり操舵席が狭くなっていたって、あたしならぜんぜん問題無く動かせるけど? ただ、スーサに関しても、艦長が問題無しって思ってるのなら……考える必要のある事ってなに?」
「私が、彼女の後ろの席に乗るか乗らないかだ」
「……」
ミニセルの目線がジト目に変わる。何時もならその視線を痛く感じるものの、今回はディンスレイの我儘からく来る言葉では無かった。
「言っておくが、私が探索好きじゃなく、好奇心が控えめな艦長だったとしても、スーサがシルバーフィッシュを飛ばして、あの生物都市を探索するとなれば、艦長が同行するべきだと判断を出すぞ」
「どういう事? それこそ、船内幹部会議を開かなくても良い案件?」
「決まりきっている話だからな。あの生物都市には、スーサに関わる何かがある。ジュウゲンジャ達からの言葉も、彼女自身の反応も、それを示している。だが、それが何であり、その反応をどう解釈するかは、艦長である私で無ければ無理だ」
他に任せられない。スーサがこのドラゴンゲートからシルフェニアに何を伝えに来たのか。もしくは何をしに現れたのか。そのメッセージを解釈する責任が、ディンスレイにはあるのだ。
恐らく、今回、ブラックテイルⅡ艦長の職に任命されたのも、そこに根がある。
「一応、決まりきっていても、副長や整備班長には、幾らかマシな言い訳考えておいた方が良いわよ。絶対に文句が出て来るでしょうから」
「その点は分かっているよ。だが、そう言ってくるなら、君は反対しないで居てくれるか」
「本当は心配。けど、ここでじっとしている艦長なら、そもそも着いて来てない。だからあたしからは文句は言えないってところかしらね。けど、言える事はあるかも」
「ほう?」
「安全性をもうちょっと高める工夫とか無い? さすがに昨日今日まともに飛空船を飛ばせる様になった操舵士の後ろに艦長を乗せるのは、そのままだと受け入れ難いし」
「ふん? つまりは、彼女の操舵の腕以外の部分で、何かしら、作戦成功の確度を上げる要素を追加しろと、そういう要望か」
「格式張った言い方だとそうなるの? 一応、船内幹部の操舵士からの意見だと思って受け入れてちょうだいね」
「了解した」
そうして、顎に手を当てて考える。
その方法をでは無い。方法なら一つ、浮かんでいた。
ただ、船員の約一名が、強烈に反対してくるだろうから、どう説得したものかなと思案しているのだ。
「なんで、なんで僕、こんな目に遭ってるんでしょう?」
そんな船員の言葉を、ディンスレイは後ろの席から聞いていた。
「自分で言うと何ですが、生まれてこの方、悪い事ってした事が無いはずなんです。どちらかと言えば真面目というか、むしろ小心者だから、他人の迷惑になる様な事を、どんな精神状態でも出来ないというか……き、聞いてくれてますか!? 艦長!?」
「あーあー、聞こえてるよ。そうして、若干迷惑かな?」
と、後ろの席に振り向かずに答える。
これはディンスレイの無精というより、席が狭いせいだ。身体を後ろ側に向けるのだってなかなか億劫になる狭さが、今の空間にはあった。
それと、その声の主、整備士ロブロ・ライツの顔は頭の中に記憶されているので、わざわざ確認する必要も無い。
「確か君、私が頼みたい事があると直接聞いた時、内容も聞かずに了承してくれたと思うが」
「それは艦長の直接の命令でしたので……け、けど、実際にこういう仕事だと事前に知らされていたら、もうちょっと慎重になっていたと言いますか……」
「スーサ、つまり彼は、君の操舵に不安があるらしい」」
『……大丈夫だから安心して』
「別に君の事は不安に思ってないよ、スーサ!? い、いや、ちょっと不安には思うっていうか、むしろ、いきなりで高難度な任務になってないかなぁ!」
叫ぶロブロの声が、シルバーフィッシュ内部に響く。
そう、今、ディンスレイ達は空を飛ぶシルバーフィッシュの中にいる。後ろからロブロ、その次にディンスレイ、そうして操舵桿を握るスーサが先頭に座っていた。
三人乗りのシルバーフィッシュに、空席無く座っている状態だ。狭苦しくもなるし、後ろの席からの愚痴だって良く聞こえる。
「一つ言っておくが、スーサの操舵そのものに不安を感じる必要は無いよロブロ君。それは君自身が良く分かってるのじゃあないか?」
やはり振り向かず、後ろの席へと話し掛けるディンスレイ。
彼の慌てふためいた表情は頭の中で容易に再現できるため、やはり視線を向ける必要が無かった。だいたいこのシルバーフィッシュの座席だと振り向いたって、後ろの席が良く見えない。今後の改善点の一つだ。
「確かに、スーサがシルバーフィッシュの船体を身体の延長線として捉えられないのなら、計器類を増やして、自分の目で直接その動きを確認、制御出来れば上手くやれるというのは、僕が出した仮説でしたけど……」
「そう。スーサにはそれが出来る。彼女の飛空船の動かし方というのは、感覚的なものでは無く数字的な物だとも言えるな。なら、一度普通に飛空出来たならば、数字が狂わない限り、彼女は安定して飛空船を動かせるはずだ。何せそれは感覚的では無く、もっと厳密なそれだからな」
機械的……とも表現出来るかもしれない。
実際、今のシルバーフィッシュの動きは、ミニセルのそれと比較すれば不気味なくらいに安定した軌道を取っていた。
これがある意味、スーサの操舵能力の癖なのだ。荒々しく直感的なミニセルの操舵に対して、落ち着き事務的なそれ。
やはり、それは不気味な安心感を心の中に呼び込んで来る。ともすれば眠気を感じる安定性がそこにあるのだ。
「そりゃあ今は良いですよ、艦長? けど、計器類が何らかの理由で故障して、狂った数字を叩きだして来たらどうなります?」
『数字が狂ったら困る。落ちる』
「だそうだ、ロブロ君」
「やっぱり安心出来ない!」
スーサ当人から聞かせられたら、ディンスレイの方も心はざわつく。だが、そういう問題点があるからこそ、今、五月蠅く叫ぶロブロがここにいる。
「計器に支障が出れば、君が何とかするんだ。整備士であり、このシルバーフィッシュを今の状態に改装した君がな」
「ですから計器を増設しただけで……」
「その計器さえ万全なら、スーサは十分に飛ばせると言っている。いや、私自身が判断した。だから君は……シルバーフィッシュの操舵じゃなく、何らかの故障を気にしてくれ」
「うう……理屈は通ってますが……」
しかし不満はまだあるのだろう。それは理解できるし、無茶に付き合わせているという自覚もディンスレイにはあった。
だからロブロを無理に黙らせる事はせず、文句を言わせるままにしている。任務を受けないという選択肢は排除させているものの、そこは真摯な誠意だと受け取って貰いたい。
「嫌がるだろうが、責任のある仕事だぞ、ロブロ君。作戦の安全度を上げるために、君でなければいけなかった。君以外では無理だから……そうだな、ブラックテイルⅡにおいて、君だけが出来る仕事という表現も出来るか?」
「僕だけが……!」
ディンスレイの言葉にどう感じたか。正確には分からないが、ロブロの口調からは、やや感情が弾んだ音があった。
ここで喜べる人間であれば、普段の自信無さげな彼に反して、頼りに出来る船員だと言えるのだろうが……。
「まあ、既に我々は生物都市の真上にある。細かい事で悩んだり、過ぎた事を後悔しても、現状が良くなるわけでも無い」
「そりゃまあそうなんでしょうけれど……そうか。ここはもう危険な場所なんだ……」
「ああ、その通り。操舵はスーサに任せているとは言え、我々も……むっ」
「なんですか? 何か見つけましたか!?」
「いや、過ぎてない事を後悔するというのはあるものだろうかと……」
「冗談言わないでくれません!?」
「すまんすまん」
ただ、空気は軽くなったろう。主任観測士程では無いが、この手の冗談で空気を軽くしておく事も重要だ。
特に、仕事に真面目な連中が集まっている現状なら特に。
『さっきのは……何が冗談なの?』
「そうかスーサ。君の場合、翻訳された君自身の言語で聞いてる事になるから、この手の言葉の冗談というのが理解し難くなるのか」
後悔の意味自体は分かるが、後から悔いるという言葉としては認知出来ない。そんなところであろう。
『良く分からなかった』
「気にしないで良いよ、スーサ。これに関しては感性の問題じゃあなく、それぞれの文化圏の話で……って、そういえば、スーサってどんな言語で話してるんですかね? 翻訳機通してだと、それが分からないからちょっと不便だ」
「聞こえはしているだろう? 単なる鳴き声や叫びでは無く、しっかりと何らかの語彙や文法があるというくらいならそれで分かるが……スーサ、君に思うところはあるか?」
『わたしの言葉……わたしは知ってるけど、誰に教えられたか……分からない。不思議』
「確かにな。君は不思議でいっぱいだ」
多くの事を知らないのに、多くの事を知っている。誰かに教えられなければ分からないはずの事を、既に彼女は知っている。それを誰かからのメッセージだとディンスレイは受け取ったが、そのメッセージを出した誰かは、ドラゴンゲートのどこかにいるのだろうか。
(この無人の生物都市に居たりしてな? そうであるなら、無人でも無いのか?)
そこは探してみないと分からない。だからディンスレイは言葉にする。
「そろそろ、君が気になると言っていた生物都市の中心近くだな。高度を下げられるか? スーサ」
『うん。建物の上なら……着陸も出来る』
「そうか。では、まずそこから始めようか」
誰かに出会うためには、自ら踏み出すしか無い。今、ディンスレイ達はそういう場所にいるのだ。




