表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無限の大地と黒いエイ  作者: きーち
無限の大地と立ち塞がる壁
12/164

③ 後悔が先に立ったとして

「とりあえず、現状は整備班の指揮に注力させて貰う。人員も不足があるなら他の部署から連れて来て貰って構わん。なんなら人事権も一時班長に渡すよ」

「そりゃあ良い判断だと思いますがね、言わせて貰えれば、そこまで深刻な話にゃあなりませんよ。多分ね」

 ブラックテイル号内の機関室。整備班が日々忙しく動き回っているその場所の端で、ディンスレイはこの場所の責任者であるガニ整備班長と急ぎ打ち合わせを行っていた。

「ガニ班長の言は不幸中の幸いを思わせてくれるが、状況が状況なのでな。出来れば、この後の行動は最善で行きたい」

「まあ、こうなったのは艦長の責任ではありますがね?」

「率直に言う」

「心が痛い部分があるなら、今後は危険な場所には近寄らずに……とは行きませんわな」

 ガニ整備班長がぼさぼさの頭をがりがりと掻く。

 彼の言う通り、ブラックテイル号はそもそもが危険地帯である未踏領域を探索、調査する仕事をしている。それを恐れて行わないという事も出来ないだろう。

「慎重には心掛けるよ。これまでも怠ったつもりも無いが、より強く意識しようとも」

「その方が良いでしょうな。ま、何度も言いますが、この艦はまた動きますよ。今は地面から生えて来た山のせいで、航行出来なくなっていますが」

「そうだな。大地から山が生えて来るなんて事態を、どんな慎重さを持てば回避出来るか……私にとっては課題だ」

 ブラックテイル号の現状を説明するならばそういう状況だ。

 山脈壁に接近して調査をしているところで、遥か下方にある大地がせり出して来たのである。

 それも相当な速度であり、危うくブラックテイル号はその迫り出した大地に直撃しかけた。

 操舵士のミニセルの巧みな操舵と危機判断力のおかげで、その衝撃を最小限に抑える事が出来たのであるが、迫り出した大地の上。今や山脈の上部となった大地に、半ば不時着する様な形でブラックテイル号は航行能力を失っていた。

 機能不全の故障範囲は、短期に修繕出来ない程では無いものの、船員の被害は怪我人が十数名程度と、それで済んだのが奇跡的と言った状況である。

 そんな、まさに不幸中の幸いと言える状況を作り出した、健闘賞を与えたい人物についてであるが……。

「なあ、艦長、ところであの嬢ちゃんはあそこで何をしているんだい?」

 ガニ整備班長が指差す先には、機関室の出入口付近の壁に背中を預けてこちらを見ているミニセルの姿があった。

「私の許可を待って居るとの事だ。なんでもこの山脈壁の、出来立てほやほやの頂上を調査したいとの事でな」

 駄目だと言う理由を探している。そう続けようとしたディンスレイであるが、ミニセルと目が合いそうになった瞬間、ガニ整備班長はすっと身体を揺らしてどこかへ去って行った。

 ごくごく自然に話を中断して、ごくごく自然に仕事に戻って行ったのである。

「いや、なんだ、その技能は」

「あ、艦長。話し終わった? まったく、最近はあのおっさん何時もこうなのよ? 上手い躱し方学んだつもりなんでしょうけど、無視と変わんないっての。あれよ? 良い年齢した大人が無視よ無視?」

「なるほど。彼なりに艦内の空気を良くする様に努めてくれているわけか……」

「なんでも良く取り過ぎじゃない? 艦長?」

「個人個人が妥協の産物とは言え、生活を改善しようとする行為を、私は肯定するよ。艦内の空気も、人類の文化だってそうやって良くなっていく」

「そうしてすぐ、壮大な話に向かってはぐらかす」

 はぐらかすつもりは……まあ少しばかりあるわけだが、こういう会話がディンスレイの癖だ。そっちは慣れて貰わなければ困る。もうそれくらいの付き合いだろうに。

「で、はぐらかさない話になるが、いい加減諦めてくれると嬉しいのだがね」

「そんなに夢と冒険の話が嫌い? こんな未踏領域の只中まで来て」

「嫌いでは無いが、自分の責任が持てる範囲であって欲しいとは願ってる。何より今は、艦の修理中だ」

 ガニ整備班長は大丈夫だと言っていたが、万が一という事もあるだろう。そんな危機的状況に、さらに危機を発生させる様な真似はあまりしたく無い。

「そうね。修理がもし上手く行かなかったとしたら、私達はこんな場所でサバイバル生活を始めなきゃならない。そうなると、否応無く周囲の環境や状況を調べる必要が出て来るわけだけど、そういう切羽詰まった状況になって、始めて探索するより、今の内に、出来る事をやっておくのも良い手段だと思うけれど……どう?」

 よくもまあ、都合の良い理由を思い付いたものである。

 彼女の本音のところを考えれば、こういう稀な環境。稀な地域で、冒険してみたいという欲求が一番に来ているはずだ。

 その点をディンスレイから追及させないために、妥当性のある内容を語って来たのだろう。

 確かに、保険の意味も込めて、今、ブラックテイル号が不時着している場所の状況を探る必要はあった。

 突然、大地がせり上がり、しかもその大地はどうにも森林地帯であったらしい。今、ブラックテイル号は半ば森に埋もれた状態になっている。

 再度、飛行出来る状態に修理したとしても、やはり周辺の環境や地形は探っておく必要があった。

 それを船員が積極的に行いたいと言って来ているのだから、断る理由が無くなってしまう。

「分かった。なら、艦の修繕が終わるまでに探索計画と人員の選抜を行っておいてくれ。間に合わなかったら許可は出さんし、手を抜いたものを出して来ても却下する。当たり前だが個人で行くのも禁止。それで良いな」

「まーかせて。すぐに完璧な物を仕上げてあげる」

 そう言って軽く手を振りながらミニセルは去って行く。その足取りを見ると、それはどう考えても軽いものであった。

「あれは既に準備していたな?」

 こっちが要求してくる内容を予想されていたという事だ。それはそれで高度な判断力と才覚で成したものだろうから文句は無いものの、どうにもこっちの考えが読まれているなと頬を掻いてしまう。

「それだけ、関係性が深まって来ているという事かな。この艦の船員達と」

 そういう結論を出して、ディンスレイはミニセルの判断を受け入れる事にした。

 つまりこういう部分に、ディンスレイの後悔はあった。あの時、ああしていれば。そんな思いの根本は今、ここにあると言えた。




「後悔という奴は本当に厄介だな。ではどうしていれば良かったのかと真剣に考えた時、その時の自分にはどうしようも無かったとしか答えが返って来ない」

 徐々に重くなっている足を誤魔化すために、ディンスレイは呟く。

 恐らく時間帯は昼と言える頃合いだろう。樹林内部は相当に暑くなっており、頬から汗が滴ってくる。これが全身になってきたら休憩を考えなければなるまい。

「そ、その……こう言うのは何ですが……み、ミニセル・アニマル操舵士が……た、探索に出てから、よ、予定された日数を経ても帰って来ない……。その事に、か、艦長がそれだけ感情的になっている事が……お、驚きです。はい」

 既に足どころか全身が重そうなアンスィの言葉に足を止める。

 彼女の様子を見れば、もう少し先では無く、今が休憩時だろう。

「船員の心配をするのは、艦長の仕事だからな、感情的にもなる」

「そ、それだけ……ですか? や、やっぱり、口が悪くなりますけど……せ、線引きをする人じゃないですかぁ……か、艦長は」

「だろうな。線引きをする。この樹林の探索任務を自ら申し出たのはミニセル君だし、その責任は彼女にある。だから何か深刻な失敗をしたとしても、いざとなれば切り捨てる。そういう判断を今、している」

「か、艦長……」

 だから感情的になっているのだ。ディンスレイ達は今、ミニセルが提出した探索計画の後を追う形でこの樹林を進んでいる。

 彼女の探索にはまず目的地があったからだ。距離の離れた場所からでも分かるより高い場所となっている崖。恐らく、ブラックテイル号が巻き込まれたせり上がる大地と、それ以前から山脈壁だった場所の結節点と思われる。

 大地がせり上がり山脈を形成するという現象がいったいどうして起こっているのか。その理由の一つでも発見出来るかもしれないという想定の元に彼女は探検計画を立て、実行に移していた。

 期間は道中の野宿を入れて三日。その三日のうちにミニセル・アニマルは帰って来なかった。恐らく、艦内でもっともこの様な任務の経験に長けた人物だと言うのにだ。

「今、この様に、艦長と船内幹部一人連れて彼女らの救出任務をしている事自体が、甘い考えだと思われるかもしれないが……」

「そ、そんな事は、無いのではないか……と」

「だが、それでも、ミニセル君と彼女が選んだ船員達が未帰還である以上、我々が適任だと思った。この樹林を探索する人員としてはな。実際、今のところ怪我人は出ていない」

「そうして……それでも目的を……は、果たせなければ……」

「無論、我々までそれ以上の危険を冒すわけには行かない。少なくとも、我々にとってはブラックテイル号の無事こそが優先されるのだからな」

 だから……やはり今の状況はディンスレイの甘さなのだろう。ここでこうして、サバイバルをしているのだって、まだ幾らか安全を考えての行為だ。

 そうして、ミニセル達が予定通りで無かったという事は、彼女達は何らかの危険に巻き込まれたか、自ら危険に挑んだという事である。

 要するに、安全を考えるディンスレイ達が追いかけたところで、彼女らに追いつける可能性は低いのだ。

「む、無駄な行動をしているとは、わ、私は思いません。はい」

「そうだな。それを言ってしまうと、本当に無駄をしている事になってしまう。それは避けよう」

 万が一にでも、船員全員が助かる方法があるなら、それを実行しよう。

 今、ディンスレイがしているのはそういう行動だ。無駄では無い。そう思う自分こそ、ディンスレイの在り方だと自分で思う。

「い、行きましょう、艦長。もう少しで、も、目的地です」

 どうやら会話の中で、アンスィの方は体力を取り戻してくれたらしい。もしかしたらやる気の方もかもしれないが。

「そうだな。そこに、ミニセル君達が居れば良いのだが……」

 どの様な結果が待つとしても、そう上手い話は無いはずだ。そういう予感だけはしていた。





 樹林を進んだ先にある目的地。植物には覆われておらず、剥き出しの岩肌が見えるその崖は、山脈壁の一部だからこそか、聳え立つ壁に見える。人間の視点で近づけば、それは遥かに高く、さらに左右どこまでも続いている様に見えた。ここより上も、今の樹林と同じ環境が続いているのであろうが……。

「か、艦長。さすがにミニセルさん達が……ここを登って行ったとは考えられません……よね?」

「そうだな。そもそもここが彼女らにとっても目的だったはず。そこより向こうに……というのは考え難い」

 ディンスレイもまた、その目的地である崖にやってきて思う。

 好奇心や行動力が豊富なミニセルと言えども、この崖を登るのは無いだろうと。

「彼女は計画上の目的について幾らかズルをしたり、少し変えたりはしても、時間は厳守する方だと思う」

「し、信用は無いのですね……」

「いや、それ込みでの信頼さ。要するに、独自の判断はしても、全体の辻褄はちゃんと合わせてくれるタイプという事だな。この崖を見た時の彼女の考えを類推すると、この上側も興味深いが、登っている間に予定の時間が過ぎて行く。なら、別の事を調べてみよう。と言ったところか」

 崖の上だけに謎があるわけでは無く、この崖そのものがまず謎だ。いったいどうして出来たのか。単なる大地の動きだけの産物か。そういう事をまず調べるのだって、好奇心を満たす方法だろう。

「べ、別の事……例えば、この崖の性質とか……ですかねぇ?」

「何か特別な物に見えるかな?」

「あ、あまり、地層については詳しく無いと申しますかぁ……」

 と言いつつ、手で触れたり、その眼鏡越しで観察してくれたりするのは、アンスィの性根が真面目な物であるが故だろう。

「あれ?」

 不得手と言いつつ、真面目に挑戦するからこそ、何かを感じたらしい。

 彼女はじっと崖の岩肌を見つめて、首を傾げた。

「何か見つけたのかな?」

「み、ミニセルさん達と関係は無い……とは思うんですけど……い、いえ、それどころか、ま、まったく関係の無い発見をしてしまっただけと言うかぁ……」

「この際だ。気が付いた事は何でも報告して欲しい。実のところ……ここに来て手詰まりになっている」

 ミニセル達がここで何かをしたか。その手の痕跡が何も残っていないのだ。崖を目指していたとは言え、正確な場所が違うのか、それとも、ここへ辿り着いていないのか。もしくは、すぐに他に移動した可能性もあるか。

 何にせよ、そのどれかに絞れるくらいの情報は欲しかった。

「ほ、本当に関係無いんですよぉ……この崖、ど、どこにも生痕みたいなものが無いな……とだけ思ったというか……」

「生痕?」

「せ、生物が生きた痕……ですねぇ。例えば私達も、ほ、ほら、歩いただけでも、あ、足跡が残ります」

「それは崖なのだから当たり前なのでは? ここに住むという生き物も居ないだろう。さらに歩くなど論外だしな」

「いえいえ、あ、あのですねぇ。生き物って、本当に、どんなところでも住んじゃうものなんです。び、微生物なんかだと、ほ、ほら。こういう細かい凸凹だって、ちゃんとした足場になりますしぃ……」

 そうこうしている内に、アンスィの生物講座が始まって行く。

 彼女曰く、むしろこういう崖は生痕というのが豊富に見つかるのだそうだ。さっき行った微生物であれば、表層だけで無く、岩の奥まで染み込んだりするし、地上で暮らして居る動物のものとて、時が経てば土が積もり、折り重なる中で地層となり、いざ一部分が崩れて崖となれば、さまざまな生きた痕跡を化石の形で見せてくれるのだとの事。

 そんな痕跡が、この崖には無いらしい。

「地層の性質に寄っては、そういう事も有り得るのでは無いかな?」

「そ、それはそうなんですけどぉ……ほ、ほら、地表部分は生物層の多様性があるじゃないですか、ここって」

 確かに、高い高い山の頂点だとは思えない程に森が広がっていて、そこに生息する獣や猛禽類も沢山いた。

「そうか。それなら、幾らでも残るはずだな。その痕跡が」

「で、ですのでぇ……この崖、不思議なわけですねぇ。それがどうして消え去っているのか……い、一応、考えられる事としては、二つくらい考えられます。もしくはその両方……かも?」

 どうにも彼女の知識欲を刺激してしまった様子だ。ディンスレイ達の方は、この崖そのものが目当てだったわけでも無いが、話を促したのはディンスレイの方だ。途中で止める段階では無いだろう。それに……。

「良い話では無さそうだな。それは」

「は、はいぃ……ま、まず一つの可能性として、せ、生物にとってあまり良い……環境じゃないから……というのがありますぅ……」

「この崖が?」

「は、はい。ど、毒とかあれば、生き物が棲めないので、痕も残りません」

「そうか……」

 一歩。いや、三歩程崖から身体を離す。あれだ。触っているアンスィの方は大丈夫だろうか。

「あ、い、いえいえ……た、多分、表面にはそ、そんな毒性は無いかな……と。じ、実際、表層にあたり大地には、い、生き物が居ますしねぇ……?」

 そこは疑問符を付けずに断言して欲しいところだった。

 アンスィの言っている事が正しいと思いたいところであるが、実際そうだったとして、土に徐々に蓄積するタイプの毒があるという事だろうか。

「で、もう一つの可能性はどんなものがあるのかな? できればそちらは剣呑なものであって欲しく無いのだが」

「け、剣呑だと思いますぅ……」

「そうかぁ。剣呑かぁ……」

 なら、聞かないわけにも行かなくなった。知って置いた方が後悔を先に感じられる。

「と、というより、ほぼ、こちらの理由は実証されてしまっている……と言いますか……地層が劇的に動く……そ、それこそ頻繁にかき混ぜられる場合……ち、地層そのものに……生物の痕跡なんて残りません」

「ああ。確かにここは……その通りだ」

 劇的に大地の形が変わるのだ。今、こうやって山の形で安定していると言っても、長い目で見れば現在進行形で変化を続けていると表現出来る。

「活性山脈壁。そんな風にこの土地は言うべきかな? もしかしたら、シルフェニア内にある山脈壁もかつて、この様だった時期があったのかもしれない」

「し、シルフェニア国内の山脈壁は……そ、それこそ、山の上に変わった生態系すら……あ、ありませんけれど……」

 恐らく、この場所の様に、活発な大地の変動が無くなり、高度の低い場所から高い場所への、生態系ごとの流入が無くなったからだろう。不気味で強大な現象が起こらなくなった結果、それに伴う不可思議な環境も存在出来なくなった。そんなところだと思われる。

「さっき、大地に毒がある可能性と、地層が活発にかき混ぜられている可能性……二つどちらも起こっているやもと言っていたな?」

「そ、それについても、可能性の話です。ど、どちらかだけだったり、それ以外の理由も……」

「いや、多分、その両方だ。見ていて、私はどうにも、この崖を不吉な物だと思う様になった」

 こんな森林地帯を遥かな高さまで連れて来て、常軌を逸した光景を作り上げながら、最終的にはそれすら死に絶える結末が待つ。このマグナスカブという畏怖すべき大地に数ある人類に対する脅威一つ。それがここだ。

 生存本能に直接危機を訴えかけて来るそんな場所だというのは、アンスィの仮説が正しい事を裏付けている……とディンスレイは少なくとも考えた。

「な、ならば……早く退散すべき……だと?」

「それも今後の行動の一つになるだろうが、今は建設的で前向きな話をしよう。我々が今、そういう危機感を抱いたという事は、先に来たミニセル君達も同じ様な感覚を持ったと考えられる」

 あちらは本物の冒険者だ。その手の勘はディンスレイ達より余程鋭いはずだろう。

「……つ、つまり、やっぱりどこかへ退避しているのでは……?」

「いいや違うな。彼女は君の様に具体的に何が危険なのかまでは判断出来なかったはずだ。そうして、その状況で彼女はどう判断するか。私にはなんとなく分かる」

「性質が……似てますからねぇ」

「何か思うところがありそうな発言だが」

「いえいえいえぇ……つ、続きをどうぞう……」

「ま、碌でも無い事ではあるだろうが、彼女はこういう時、こう考える。危険の原因が何か。それを探ってみよう……とな」

「こ、この活性山脈壁の毒を……自分から探ると……?」

「この規模の現象を引き起こす原因であればこそ、そりゃあ探したくなる」

 むしろ、それこそミニセルが探検に出た理由の一つだろう。どうして山脈壁が出来るのか? その謎が解けるとしたら、それに挑みたくなるのがアンスィの言葉を借りて、そういう性質を持つ人間というものだ。

「さ、探すとなっても……ではどうするかで困ると思うのですが……」

「ふむ。それについてもその通り。そうして彼女の場合、理屈では無く勘で選び出すはず。おっと、そんな目をされるくらいに馬鹿な判断というわけでは無いぞ? 彼女の場合、しっかりと頭の中では理屈が出来ている。言動に出るにあたり、それが直感で選び出した様になるだけだ」

「じ、自分の能力を隠しているタイプ……ですかぁ?」

「そう見えるかな? そうじゃあないだろう? 要するに、理屈を言葉に出来んタイプなんだ。彼女は」

 もしかしたら、勘が鋭いタイプの人間とは、そういう思考方法をしているのかもしれない。理屈の方が彼らの直感に追いついていない。そんなところだ。

「一方、私の方はある程度、言葉に出来るな」

「は、はぁ……?」

 良く分からないと言った様子のアンスィに対して、具体例を示して見せよう。

「例えば、この崖とその周辺の地域をざっと見てみる。それだけで、ここは危険かもしれない。そんな風に思う景色が一つある」

「……むむ。が、崖そのものでは無い、ですよねぇ?」

「その通り。君が発見した生痕が無いという部分に、私は気付けないからな。だが、全体を見れば、それに近い物は分かる。崖の近くには、植物が無い」

「あ、ああ。それはそう……ですねぇ」

 さっきまで森の只中を突き進んで来たが、今は少しばかり視界が開けている。崖の近くで、生物が生きて行き難い環境があると言う事だ。

 崖が剥き出しになっていると遠くからでも分かったわけだが、何故分かったかと言えば、その周辺を覆う植物が存在しないからと言える。

「その理由はさっき船医殿が語ってくれた通り、大地にある何某かの毒なのだと思うが……それを探る。つまり、この光景がより顕著な、森が崖の近くで大きく後退している場所があれば、探ってみるべきだろうと、ミニセル君なら考えるはずだ」

 自分で語り、さっそく視界を左右に動かして行く。自然の形が、崖と森のバランスが、崩れている様な印象の場所。

「こっちだ。船医殿」

 より崖から森が後退している。そんな印象が強い方向へ、さらに足を進めていく。

 一歩二歩。ここに来るまでも歩き続けていたが、これからも歩かなければ何も進展しない。それに、今回の一歩は些か軽かった。

 頑張ったところでミニセルを助けられるという可能性が低い状況から、明確に、彼女達を追っているという感覚が強くなっていたからだ。

 そうして、ディンスレイはそれを見つけた。

「あったぞ。彼女らの足跡だ」

 生き物は生きているだけで痕を残す。他の生痕が見えなくなっていたこの崖の近くにおいて、それでも彼女らはその痕を残していたのだ。

 そうして、どこへ向かったのかも良く分かった。

「洞窟……と、というより崖の亀裂……ですか……? これ?」

 アンスぃが言う通り、崖がその部分で割れ、人が数人入り込めるくらいの穴となっている。

 ミニセル達の足跡は、その穴の方へと続いていたのだ。




 穴を進むか進まないか。

 それは一つの課題であったとディンスレイは思う。

 前人未踏では無く、その前人、ミニセル一行は行きだけの足跡を残し、未だ帰って来て居ない状況だ。

 その道を進むというのは、ディンスレイとアンスィもまた同じ失敗をしてしまう可能性があった。正直に言うとそちらの方が高いと感じた。

 感じた以上、ブラックテイル号に戻り、探索班の救出活動を中止してから、この活性山脈壁を去る方が正しいだろう。

 それを覆す意見というのはなかなかに難しい。何よりそれは、ディンスレイの思考から導き出される、当たり前の理屈である以上、それを否定するのは自分で自分を否定する行為だった。

 なので、普段から自分を疑ってかかるタイプのディンスレイにとっては、やって出来ない事でも無かった。

「しょ、正直、後悔しても知りませんよと、わ、私なんかは思いますねぇ……」

「その割には、君も付いて来ているな、船医殿」

「わ、私も好奇心の生き物……ですのでぇ……」

 お互い様と言うやつだろうか。

 薄暗いどころか真っ暗な空間。手に持った護身用の魔法の杖は尖端が輝き、光源としても使える機能もあるため、その光を頼りに、ごつごつとした岩肌と、足元はある程度の土や砂。そんな空間を二人で進んでいる。

 こうする事は正しくは無い。むしろ全力で間違っている。ディンスレイ自身の道徳が告げているその言葉を、ディンスレイ自身が否定したのは、アンスィの言う通り好奇心に寄るものが大きい。

 ミニセル達をただ助けるという善性から来る行為だけでは道徳を否定できないが、それはそれとして、自分もこの活性山脈について知りたいという悪性からくる欲求は、その道徳を上回らせる。

 結果として、ディンスレイはこの洞窟の様な崖の亀裂を進む事になったのだ。

「ミニセル君達が足を進めるわけだな。これは警戒を上回る」

「と、というと?」

「崖に自然現象に寄って開いた亀裂のはずが、こうやって普通に歩ける」

「あ、足元は、覚束ないですけどぉ……」

「暗いし壁側は岩肌だからな。だが、大地が短時間で山になる自然現象に寄って出来上がった亀裂だぞ? 覚束ない程度で済んでいるのが妙だ」

「た、確かに……もしや、人が作ってる……とか!?」

「それも無いな。この崖……恐らく、既にあった山脈壁の周辺で、我々が押し上げられた大地の変動があった結果、層のズレで出来上がったものだろう。つまりは……人の手に寄るものだとしたら、その形に整えるのが早すぎる」

 かつかつと足を進め、順調には決して進まないこの足元を見れば、誰かが作ったにしてはちゃんと整えられていない気もする。

「と、となると……自然現象であるのに……わ、私達にとって歩ける程度の亀裂が出来ている……と?」

「一つ、仮説がある」

「ほほう?」

 どうにも興味深そうなアンスィ。彼女の気分も上がって来たらしい。彼女もまた、未踏領域へ進む事を自ら選んだ奇特な人種という事だ。

「我々にとって歩きやすい様に整えられたのでは無く、足元の高さが、新たにせり上がって来た大地と同じ高さになっているという可能性だ」

 だから、高さが整えられて、とりあえず歩ける程度の起伏になっている。この洞窟内の壁面を良く見れば、地面と違ってごつごつとしており、起伏にも富んでいた。

 高さの部分……足元だけが、その様な形となった。そう考えるべきだろう。

「か、仮にそれが事実であったとして……その様な自然現象とはいったい?」

「奥に行けば分かって来る……と言うべきだろうが、やはり仮説なら立てられるだろう。この洞窟……崖に開いた亀裂とも表現出来るこの空間がどうやって出来たかを想像してみよう。この亀裂がそもそもそこにあったかどうか。それは置いておく。それよりもまず、今は崖となっている場所は、山脈壁のまさに壁面部分だったというの直視するべきだ」

 そんな山壁のすぐ横に、新たな大地が上がって来る。一定の位置にだ。その時点で、漸く壁は崖になり……そこに亀裂が出来る。もしくは、既にあった亀裂が形を微妙に変化させる。

「崖には亀裂があった。そうだ。そこが重要だ。例えば亀裂が出来たとして、そのすぐ傍に、一定の高さの大地があったとしたら、どうなる?」

「じゅ、重力に従って、そのすぐ傍の大地から、……土砂が流入する?」

「そう。そうなる。亀裂そのものは、別になんら整えられたものではなく、隣に出来た大地が、亀裂の一部分を埋める様にその大地が崩れたわけだ。結果として、平均化された高低のこの洞窟が出来上がるというわけ……だが」

 一旦、思考を落ち着かせるために立ち止まる。些か興奮が過ぎた。そんな感覚がある。

 その興奮のせいで、あまり想像したくないところまで想像してしまったからだ。

「つ、続けてもよろしい……でしょうか?」

「悪い予感とやらを払うべく一旦言葉を止めたわけだが、続けたいのであれば聞く姿勢ではあるよ」

「で、では、その、一つ。こ、この洞窟の形成過程について……か、仮説を聞かせていただきました……き、亀裂に土砂が雪崩れ込む形で、足元が整えられた。そ、その可能性はあると思い……ます。それで、き、亀裂の方は……どうして出来たんですか?」

「まあ、そこだな」

 さて置いていた、亀裂はどうして出来たかという謎。大地がせり上がって来るという大規模な自然現象に対して、土砂の流入から、その地形はある意味整えられる事になる。繰り返せば、偶然出来た崖の亀裂なぞ、すぐに失われてしまうはずだ。

 しかし事実は反して、亀裂はその構造を今も維持している。それはどういう事か。

「大地のせり上がり後に出来たとしても、それより以前になお存在し続けたにしても、その構造を失わせない、亀裂を作り続ける力があるはずだ。多分、それはまさに崖に亀裂を作り出せるだけのパワーであり、生身に襲い掛かれば……我々は……」

 言葉がまた止まる。これだから不吉な想像は嫌なのだ。言葉にした時点で、想像よりもなお一歩、現実に近づいてくる気がするから。

 今回に関しては、一歩近づくどころか、それは音まで伴っていた。

 洞窟の奥から、低い音が聞こえて来たのだ。具体的な言葉にするのは難しいが、洞窟と空気そのものが震えている様な、そんな音。

 問題としては、その音がどんどん強くなっているところ。というより、近づいて来ている。

「走るぞ、船医殿!」

「ど、どちらへ!?」

「無論、今は出口だ!」

 こうなると好奇心より生存本能が先んじる。この奥にいるかもしれないミニセル達の命についてもさて置いておく。

 今、この瞬間に、自分の命が無くなれば、後悔する思考すら消え去ってしまうからだ。

 だが……。

(やはり、私も中々に救いがたい性質だったらしい)

 生存本能は、やはり好奇心に負けていた。

 逃げるために足を踏み出したはずの一歩。それが空を切って、遥か下方まで身体ごと落ちて行く中で、ディンスレイは自らが命より冒険を選んでいた事を自覚したのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ