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無限の大地と黒いエイ  作者: きーち
無限の大地と新世界の名前
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⑤ 帰還

 トン……と、操舵桿を叩く。標準よりやや小さめのそれは、飛空船を操舵する際、小さな動きで大きな挙動をさせるためのもの。

 代わりに、操舵士には繊細な手捌きが要求されるものの、そこはこの超一流の操舵士、ミニセル・マニアルに掛かれば、無視したって構わないデメリットというものであろう。

 あくまで、万全な状態であればと注釈が付くわけであるが。

(左腕の痛みは……駄目ね。やっぱ折れてるわこれ。痛みを我慢したら良いつったって、感覚の中に余計な要素が増えるわけだし、何より動きが鈍い)

 痛み以上に、痺れの方が厄介である。手の動きがどうしたって荒くなる。実質、片腕だけでこのシルバーフィッシュを操舵しなければならないだろう。

 今、周囲の環境は比較的離陸し易い状況であるのは不幸中の幸いか。

 今の場所に着陸した時は、草地で覆われていたはずの大地が、今はやはり枯れている。

 この枯れた状態こそ、離陸を阻害するものが無くて好都合な状況であり、今まさに、シルバーフィッシュを再び空へ上がらせるに相応しい状態なのであるが、代わりにミニセル自身が万全とは言い難い。

(着陸の衝撃で不調になってるシルバーフィッシュの機能についてもそうだけど……そこは待ってたってどうしようも無い部分。今後改善するはずも無いし、やるしか無いか)

 出来るだけ骨折している左腕には体重を掛けない形で、ミニセルは操舵桿を握り直す。

 材料なら出揃っている。シルバーフィッシュは不調とは言え飛べる状態。ミニセルは負傷しているが、それでも意識を保ち、まだこの小型飛空船を操舵出来る。

 そうして、後ろの席に座っている少女、スーサと共に、近くの小山の上を登り、そこから見える景色を観察した。

(今、多分、あたし達は結構大変な状況の只中にある。それを観察し、調査出来たのは僥倖よ。後はこの情報をブラックテイルⅡへ持ち帰るだけ。出来るだけ早く)

 ミニセルは目を瞑った。そうして頭の中で反芻する様に、さっき見た光景を思い浮かべる。

 果てない大地であるはずが、生物の様に蠢く大地の姿。

 小山の上から見えた物は、シルバーフィッシュに乗って観察していた時とそう大きく変わるものでは無かった。

 無かったが、共にそこへ向かって景色を見たスーサの反応から、別の発見があったのだ。

『どーしたの? ミニセル? 飛ばないの?』

「うん。飛ぶつもりだけど……スーサちゃん。さっきの言葉、ちゃんと艦長の前でも言える?」

『さっき?』

「ほら、そこの山……丘? その上に登った時の……」

『竜が、死んでいる』

「それ。その言葉を、私に聞かせてくれた記憶の中の印象を、全部艦長に伝えるのよ。良い?」

『分かった』

 スーサは、この大地を見渡して、竜が死んでいると言ったのだ。そうして、ミニセルはその言葉を受け止めた上でまた景色を見て、なんとなく分かってしまった。

(この大地は竜。そうして……今、断末魔を上げている……いえ、死に行く身体をのたうち回らせている)

 大地の蠢きも、移り変わりも、竜という巨大な生物の、最後の営みに過ぎない。それが分かった。分かってしまった。

 そうして……艦長に報告しなければならない。そこから続く一連の話を。

「分かってるならそれで今は良し。じゃ、掴まってなさい。来た時より、荒い動きになるだろうから!」

 シルバーフィッシュが揺れる。まるで浮遊石からの力が、血が通うが如く船体に伝わる様。

 目を瞑り、開く。視界が届く範囲で周囲の様子を再確認。数瞬も掛からぬ時間で準備完了。後はすべて運任せ。やれる事をやった以上はすべてそうなる。

 後はシルバーフィッシュの力に任せ、飛空船は空へと向かう。

(ああもう、やっぱり痛いじゃない。我慢すれば良いなんて馬鹿みたいな強がり!)

 揺れる船体は容易くミニセルの身体を苛んで来る。左腕だって安静にしておいてくれやしない。

 だが、それでもシルバーフィッシュの体勢は正し続ける。

 空を飛ぶ瞬間と降りる瞬間。その二つこそが飛空船においってもっとも危険度が増す瞬間だ。

 その二つのうち一つを、運と自分の腕に任せてやり切る。

 結果はと言えば、シルバーフィッシュは再び空の上。

「よっし! どう、スーサちゃん! なかなかやるもんでしょう?」

 振り返るのは危険だから、前を向いたまま後方の席に座るスーサに話し掛ける。腕の痛みは絶賛継続中だが、だからこそ、明るく振舞わなければ誤魔化せない。

『腕……大丈夫?』

 誤魔化せなかったらしい。さて、どう返したものか。

 大丈夫では無いが、大丈夫では無いと返すのは自身の矜持が許さない。だから穏当な言葉だけ並べる事にしよう。

「さっさとブラックテイルⅡに戻りましょう。空からの景色をこうやって見て、色々考えようとも思ってたけど、一旦は後回し」

 腕の状況も心配だし、スーサからの報告の件もある。あの艦長、それらを知った時、どんな反応をするだろうか。

「楽しみにしておく……って感じに思っておきましょうか」

 目の前の問題は山積みだ。さらに将来の問題まで抱える必要もあるまい。

(抱えるべきは……今のこの、気流よね)

 シルバーフィッシュを着陸させた時よりはマシだが、大地そのものにしか見えない竜ののたうちが、周囲の空気を乱しているのは変わらない。

 近くでそれをされた時、やはりまたシルバーフィッシュを着陸させる必要もあるだろうが、今度はそれを無事に行えるとは自信を持って言えなかった。

 そもそも、一度目ですら無事では無かったのだ。次は腕だけで済まないかも。

(だとしたら、やっぱりさっさと帰還するっていう選択肢は正解かも)

 空さえ飛べる状況なら、ブラックテイルⅡはそう遠くない場所にある。周辺環境については運に任せている部分があるとは言え、幸運をそこまで望まなくても、可能となる行程のはずだ。

 実際、ブラックテイルⅡを視界に収めるまでは、問題無いままに空を進む事が出来た。

 問題はブラックテイルⅡが見えてきてから。

「うっそ、離陸してる……」

 ミニセルが帰るべき場所であるブラックテイルⅡは今、シルバーフィッシュと同じ空に居た。

 大地に安定して着陸していないという事だ。

「着陸したままだと危険だって判断したからなんでしょうけど、せめてあたしが帰還するまでは……いえ、それも無理だったっぽいわね。判断は正しいみたいだから、文句も言えない……!」

 ブラックテイルⅡが着陸していたはずの大地を見て、ミニセルは歯ぎしりをした。

 そこには灰色の枯れた大地がある……というだけでは無かったのだ。

 穴が開いていた。大きなものでは無いが、それでも幾つもの穴が出来き、大地がそこへと沈んで行っている様な光景。

(この大地が……生き物だっていうのなら、死した後は腐り落ちていくっていう事……?)

 学者では無い我が身であるから、確かな事など分からない。だが、今見ている光景は、良性のものとは言えないだろう。

 その手の危険性から、いち早く距離を取り、尚且つ未だミニセルを待つという判断をしてくれた艦長の判断力は認めたいところである。

(けど……問題はあたしの方。出来る? 今のこの腕の状況で、飛行状態の飛空艦への帰還が……)

 ミニセルは自身の左腕の状態を再確認しようとして、止めた。痛みが酷くなってきている。今は興奮状態であるから何とか我慢出来るが、一度冷静さを取り戻してしまえば、まともに操舵桿も動かせなくなりそうだ。

 つまり、繊細さなど欠片も発揮出来ない身体で、細緻な操舵が要求される動きをシルバーフィッシュにさせなければならないという事だ。

「落ち着きなさい……いえ、落ち着けないけど考えて。やるべき事は決まってる。まずはブラックテイルⅡ側との意思疎通。あたしが帰って来た事を伝えるために、ブラックテイルⅡのメインブリッジに高度を合わせながら、周囲を旋回する。うん。それくらいは出来る」

『ミニセル』

「問題はその後。ブラックテイルⅡ側はこっちを艦内に収容するための動きを取って来るはず。その動きに、こっちはどう合わせるか。双方の速度と高度を合わせつつ、徐々にシルバーフィッシュ側を減速させる必要があるわけだけど……」

『ミニセル……?』

「そうね。そこよ。痛みに麻痺して、少しでも操舵を誤れば、こっちが落下していくのはまだ良い方で、ブラックテイルⅡにぶつかって、向こうにまで被害を……えっと、何?」

 思考を続けつつ、興奮を維持しようとするなどという馬鹿な事を続けていたミニセルに対して、スーサが話し掛けて来た。

『ミニセル……不安……?』

「不安って、別にそんな事……いえ、そうね。隠したって仕方ない。正直、左腕の調子が悪くて、上手くブラックテイルⅡに帰る事が出来るか不安よ。スーサちゃんには悪いけど……それでも、上手くやってみせるから」

 命を掛けているのは後ろの席の少女も一緒だ。何なら、彼女は何も出来ない分だけ、すべてを運に任せるしか無いのだ。

 まだ何かが出来る側のミニセルの方が弱音を吐いてどうする。

『ミニセル……わたし……』

「よっし! 話は後にしましょ。これから、あたし達はブラックテイルⅡに帰還する。その後、幾らでも話す時間はあるはずよ。あ、けど、まずは腕の治療を優先させて欲しいかな」

 スーサの言葉を遮りつつ、ミニセルはシルバーフィッシュをブラックテイルⅡへと接近させていく。

 まずはブラックテイルⅡにこちらを気付かせるための周囲旋回。

 反応はすぐにあった。ブラックテイルⅡが水平に、安定した軌道を取り始めたので、こちらの帰還を歓迎してくれている事が分かる。

 もっとも、開かれるシルバーフィッシュ用の格納口は、今のミニセルにとって非常にささやかな物に見えてしまう。

(けど、もっとちょうだいなんて言える立場でも無いでしょうね。とりあえずお互い安全圏まで平行で移動しようなんて伝える事が出来たとしても、あたしの方がもたない。多分)

 今ここでブラックテイルⅡに帰還するのがベストでありベター。問題はそれが可能かどうかであるが、今は自分の身体に賭けよう。

 シルバーフィッシュの軌道もほぼ固定となった。後はブラックテイルⅡへとシルバーフィッシュを格納させるため、手元の操舵桿でシルバーフィッシュの速度を微調整させていく。

(痛い痛い痛い痛い。ああもう痛い。何時まで続くのこれ。痛い。感覚が無くなる。無理。こんなの。無理じゃない。やれ! もう少し。後少し! それが遠い。もっと近くはならないの!?)

 まともな思考すらも出来なくなっていく。何もこんなタイミングでとも思うが、そういう思いすら腕の痛みと心の焦りに流されて……そうして、当たり前に失敗する。

(やばっ……!)

 減速が少しばかり甘かった。本来自身が理想とするべき速度よりほんの少しだけ、心の焦りの分だけ速くし過ぎた。

 いや、まだそれは良い。普段の自分なら、そういう失敗くらいあるさと挽回出来る。実際、ブラックテイルⅡとの相対距離にはまだ余裕があるのだ。

 問題があったのはその後。挽回しようとして、また理想の速度から大きくズレたのだ。今度は遅すぎる。シルバーフィッシュが高度を維持出来ずに下降する様な挙動を見せたため、そこで漸く気が付いた。

(駄目……駄目だわこれ。挽回するための修正自体、出来ない状態になってる、あたし)

 長年の操舵士としての勘が何より告げていた。これは失敗する。

 失敗するなら、せめてブラックテイルⅡに被害を与えない方法が望ましい。そこまでを考えてしまった。

(無理をしてでも、着陸を選ぶ。大地は変異していて、もじかしたら今にも崩れ去るかもしれないけど、そっちの方が向こうに被害を与えず、こっちが生き残る可能性がある……でしょう? ああもう、相変わらず痛いっ!)

 前向きな方針変更なのか、それとも単なる後悔か、自分の中にある感情すら、身体の痛みにかき消される悔しさ。

 それに歯軋りしながら、ミニセルはブラックテイルⅡへの帰還を諦め―――

『ミニセル』

「スーサ……ちゃん?」

 窮地に話し掛けられて、守るべき物を思い出し……たわけでは無い。

 後ろの席に座っていたスーサが、前方へ乗り出し、その腕をミニセルが力無く握る操舵桿へと伸ばして来たのだ。

 普段であれば何をしていると怒るところであるが、その怒りを発揮できる余裕がミニセルには無かった。

 だからこそスーサに、操舵桿を握らせる事を許してしまったのだ。

 だが、より大きな驚きはその後にこそあった。

「あなた……これの動かし方を……」

『話は……後』

 操縦桿が、スーサの手の動きで誘導される。彼女がすべてを動かすというより、まるでミニセルの操舵を手助けする様に、主に麻痺している左腕の方をスーサはカバーしてくれたのだ。

 結果、落ちかけていたシルバーフィッシュの船体が持ち直す。

 想定していた通りの軌道に戻ったと言えるが、それを可能にしたのは、スーサのフォローがあったからだ。

 彼女の力加減は実に的確で、まさにミニセルに足りない部分を補ってくれている。

「スーサちゃん……あなた……」

『何? 話をする後になった……?』

 恐らく、首を傾げているであろうスーサへ顔を向けず、前を向いたままミニセルは言葉を返す。

「いえ、何者って言いたくなったけど、分かんないんだったわよね。なら、話をする後は、もっと後よ」

 今はただ、漸く安定した軌道を取り始めたシルバーフィッシュの操舵に集中する事にした。

 難しい事はすべて後回し。徐々にブラックテイルⅡへと近づいて行くシルバーフィッシュと、高まっていく腕の痛みの結果、今になって漸く、ミニセルは心身共に疲労を自覚していた。



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