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無限の大地と黒いエイ  作者: きーち
無限の大地と新世界の名前
106/165

① 門出

 世界そのものにそそり立つ壁。そこに入った切れ目というのは、距離を置いて見ればまるで巨大な剣で両断したかの様に見えるものの、近づくとそう単純なものでは無かった。

「例えば物を切る場合というのは、一旦切れ込みを入れたとしても、それが鋭ければ鋭い程に、その切り口と元の状態の差異は少なくなる。あくまでそこが二つに分かれているかどうかの違いでしか無くなるわけだな。だが、我々の眼前に広がる光景はどうだろうか?」

 ディンスレイは艦長席に座り、ブラックテイルⅡのメインブリッジ全体に問いかける。

 視線はブラックテイルⅡの進行方向。既に目指すべき山脈壁がすぐそこにあった。さらにあと数分もすれば、つい最近、突然現れた壁の割れ目へと入っていく事になるのだろう。

 その行程を既に命じているため、後は話をするくらいしかディンスレイには出来なかった。

 ある種の時間潰し。そんなディンスレイの言葉に答えたのは、テグロアン副長である。

「山脈壁の一部が崩れた。そういう表現をされていたわけですが、近づいてみると分かりますね。これは崩れたとも表現出来ません。一方、艦長がおっしゃりたい様に、切れたわけでも無い」

 まるでこっちが無駄口を叩いていた様な気分になってしまう端的な副長の返答に、ディンスレイは頷いた。

 ブラックテイルⅡがさらに近づけば、山脈壁の割れ目は報告にあった通り、ブラックテイルⅡが十分に通れる大きさがあるのだ。

 それでも大地の構造の変化に寄り気流が激しく、油断出来ぬ道程であろうが、そこは操舵士の腕が良いおかげで任せておける。

 自慢の操舵士だ。今の周囲の構造と大気の流れを彼女が乗りこなせていられるからこそ、ディンスレイ達が話をする余裕だって出来ていた。

 その余裕の元に、今の光景に驚愕する。

「これは言ってみれば……削り取ったと表現するべきなのだろうな?」

 その割れ目はひたすら長大だと言うのに、その光景を作るために退けられた土砂や岩盤はどこに行ったのか?

 地面に近づけば、幾らか土砂が山になっている光景は見られるだろうが、それでも、今、ブラックテイルⅡが通ろうとしている空間を作り出した残り物としては、余りにも質量が少なかった。

「あたしが想像出来る範囲だと、これを作った後の残土については、どこかへ運んだか、そもそも消したか……みたいになるけど……どうかしら?」

 自慢の操舵士ことミニセル・マニアルは、艦の操舵に集中している様でいて会話に参加するくらいは出来るらしい。

 もしくは、やや不安を感じているからこそ、話でもして誤魔化したいか。

 ディンスレイの方は特段、その点は気にしない事に努める。どんな方法であれ、その方法が自分をベストな状態におけるという個人の判断を、ディンスレイは否定しない。

 だからこそ話を続けた。

「その二つ、直感的に言ったのだろうが、一つの方法でまとめられるかもしれんぞ?」

 ディンスレイの言葉に反応する様に、メインブリッジがややざわつく。

 何かを喋ったわけでは無い。息を飲んだり、作業を続ける手の動きが少しだけ乱れたりといった音のせいだ。

 ただ、それはディンスレイの言葉に反応したわけでは無いらしい。

 ブラックテイルⅡが山脈壁の割れ目へと入って行ったのだ。前方にあった壁は分かたれ、今や両脇に位置する。

 ブラックテイルⅡごと、メインブリッジの視界は暗くなった。日の明かりが少なくなったせいだろう。

「で、艦長。その二つが一つに纏められるってなんなの?」

 一番に状況に動揺しても良いであろうミニセルが、気丈にも問い掛けて来た。何でも無い風に雑談を続行して来たのである。

 これに応えずして何が艦長か。

「そうだな。思い付いたのはワープだ」

「ワープですか。なるほど」

 納得した風に副長も呟く。彼にしたところで、緊張の色が見える今の状況を、多少なりとも緩和したいと思ったのだろう。または好奇心の芽が出て来たか。

「要は山脈壁の一部。それこそ今の割れ目の範囲をワープさせるわけだ。まさに、この場から消した上でどこかへ運んだ……という一つの話になる」

 その言葉が意味するのは、未だ飛空艦一隻のワープ実験を続けているシルフェニアに対して、これを成した側はより発展し、規模が大きいという事。

 シルフェニアより上の技術を持つ存在というのも初めての事では無いが、やはりいざ、肌で感じると恐れ入るところがあるだろう。

「それはどうですかね、艦長?」

「なんだ主任観測士。もうちょっと盛り上がる話でもしたいのか、それとも何かの報告か?」

「そっちについても一つにまとめられますね。山脈壁を割ってその内側の構造を覗けるっていうのは貴重な体験なんで、今、絶賛観察している最中なんですが……単に削ってどこかに運んだって感じじゃないです。多分……何らかの加工か変性をしてる」

「つまり……何が見えた?」

「ほら、割れ目って言うとその大きさにまず驚きますが、自然そのままの、本来の形では無くなってるって事は、それ以上に怖いじゃないですか。崩れやすい状態になるって事ですよね?」

「どういう形であれ、安定した自然状態の均衡を揺るがす形だからな。だからこそ今、こうやって通る事にも緊張がある」

 幾ら飛空艦が通れる程の幅が出来ているとは言え、いつ何時それが崩れ、再び世界を塞ぐ壁になるかも分からないという危機感。

 それがまったく無いわけでは無いのだ。

 ただし、その印象に対して主任観測士の観測は違う答えを出したらしい。

「この割れ目……僕たちから見たら崖なんでしょうが、暫くはこのままだと思います。なんて言うんですかね、断面が非常に滑らかなんです。ワープで無理矢理削り取ったというよりこれ……何と表現するべきなんでしょうね。固めた……違うか。馴染ませた? そうでも無い。なんと言うべきか……」

『焼いた』

「そう! そういう印象がえっ!?」

 話をしていたテリアンの横で、翻訳装置越しの言葉が聞こえた。

 勿論、それを持つ謎多き少女、スーサの言葉だ。

 その言葉にテリアンは驚いているが、ディンスレイの方は動揺を隠し、スーサに質問をした。

「焼いたとは剣呑な表現だな。焦げている様には見えないが……どうしてそういう印象になる? スーサ?」

 テリアンからの言葉より、今はこの少女に尋ねたかった。会話が出来るタイミングなら、幾らでもしたい相手でもあるのだ。

 彼女に対する好奇心もまた、ディンスレイにはあった。

『焼かないと、ここの道は拓けないから。焼くしかない』

「それって……」

 スーサの言葉で、隣に座っているテリアンの方は冷や汗を流していたが、ディンスレイは手を顎に置いて考えた後に言葉を返す。

「ふん……なるほどな? つまり君はここに来て、そういう記憶が呼び覚まされたわけだ。この崖はその様に作られた。それももしや、私達にそれを伝える仕掛けか何かか」

 壁の向こうから来たという記憶以外持たないスーサという少女が都合良く、それ以外の事柄を思い出すというのは、何らかの仕込みだと考えるのが自然だ。

 だからこそ、メインブリッジの緊張がさらに高まる。残念な事に。

『分からない』

 スーサからは緊張を和らげる言葉は出てこなかった。彼女が嘘を吐いているか、それとも実際にその通りなのか。どちらにせよ、何者かの意図を感じずには居られなかったからだ。

 罠に嵌っている。そんな考えが脳裏に過らない人間もまた少ないだろう。

 だからディンスレイは答えを出した。

「分からないか。なら仕方ない。また何か思った事があるなら伝えてくれ。当面、それが君の仕事だ、スーサ」

 そんなディンスレイの言葉に対して、スーサは頷き、艦の外を眺め始めた。

「良いのですか? 艦長? それで」

「仕方ないだろう副長。ここに来て、裏があるかなどと疑うのは馬鹿らしい。あるに決まってるし、それを上等でこうやってここに居る。スーサについても……これから交流を続けなければ実際がどうなのかなんて分からんね。それだけは断言出来る。だろう?」

 自分達の立場の再認識。今、唯一出来る事がそれだ。後はただ、この山脈壁と山脈壁の間を抜けて、その向こうへと辿り着くのみ。

「そういえばテリアン主任観測士。忘れていたが君の方も、この崖は焼かれたという印象を抱いたが、それはどうしてだ? そっちも分からないになるのか?」

「分からないにはなりませんし、そもそも忘れないでください。さっきも言った通り、見た感じの印象というか、焼け焦げてはいませんが、焼いた後の様な反応で両側を固めてるって印象が強いんですよね。今、こうやって出来ている空間に本来あった質量についても、木材が焼ければ化学反応で縮小して、残った部分は固まるみたいなのあるじゃないですか。そういうのを山脈壁そのものにしたんじゃないかって……変な事言いましたかね、僕?」

「変では無いが怖い事を言っているな。ワープでこの光景を作り出したのでは無く、ある種の兵器でそれを行った。そういう風に聞こえたが……意識してか?」

「ええっと……わ、分かりません?」

 そこは考えたくないだろう? とは返さなかった。空気は悪くするものではない。

 例えばそう。こうやって今、通っている空間が、兵器に寄って焼かれた場所なのだとしたら、今また、それをされた時、ブラックテイルⅡなどひとたまりも無いなどと想像するのは良く無い傾向だ。

(どうしようも無い心配をするのは、私だけで良いか。今のところは)

 緊張で身体が竦む。そういう状況を避けるためにこそ、人は悪い予感を封じがちだ。

 だからこそ、今のところ出すべき指示の無いディンスレイだけがそれを背負う。ブラックテイルⅡは個人で動かすもので無いからこそ、そういう分担だって出来る。

 ただ、緊張そのものは伝播するものだ。分厚い山脈壁の只中を進むには時間を要する。そう長い時間でも無いが、メインブリッジを包む空気がそれを長く感じさせる。

(少し、それは不味いか)

 どうしようも無い事に思い悩むのも不味いし、思い悩み手を滑らすのもまた不味い。だからこそ、ディンスレイはさらに空気を軽くしようとした。

 手っ取り早く、口を開けば空気を軽くする我らが主任観測士との話を続けたのだ。

「とりあえずこの崖の状況をまだ良く分かっていない主任観測士に尋ねるが……他に何か気になる事は無いか?」

「気になる事ですか? 崖側面は何らかの変質がしてるせいで、細かい部分の判断は出来ませんが……何か、見覚えがありますね。ほら、崖の側面にちらほら、光るのが見せません? こういうの」

「見覚えが……ふむ?」

 ディンスレイもそういう心持ちでメインブリッジからの景色に目をやると、確かに、記憶に引っかかる部分があった。

 山脈壁の只中を飛空艦で進む経験というのもこれまで無かったはずだが……。

「……思い出した。ダァルフの穴だ。ほら、皆、憶えているか? 西方の未踏領域を越えた先にあったダァルフという種族の遺跡を。彼らの浮遊石の採掘場の穴。あの底の方は、輝く浮遊石が彩っていて、その後……」

「ちょっと艦長。怖い事言わないでくれる? あそこがどうなったかなんて、嫌でも思い出しちゃうんだけど?」

 ミニセルの返答にはっとする。そう。ダァアルフという種族は高純度の浮遊石を得るために地面深くを掘り進め、そこにあった世界を支える程の浮遊石を掘り続けた結果、ある限界点を世界に現出させた。

「ブラックピラァか。すべての、浮遊石を除く物質は上から下へと落下する性質を持っているが、それを支えて我々が生きている世界の均衡を保っているのが浮遊石だ。その均衡を崩す程に、一定地点の浮遊石のみを掘り続ければ……」

 それはその地点の全物質が下方へ落ちていくという現象を引き起こす。ディンスレイは実際に、その現象が引き起こされる現場を自らの目で見ていた。空の果てから世界の底までの伸びる、あの真黒い塔を。

「艦長。私はその光景を直接見ていませんが、言葉にされてしまうと想像力を働かせてしまうものです」

「っと、すまんな副長。脅かすつもりは無かったんだが……だが、この崖であれが起こるとは思えん。これでもまだ浅いはずだ。山脈壁という大地の突出は、むしろその下方に浮遊石の埋蔵量が多いからこそ起こる現象であり、その上層が崩れたとして、それだけの量で落下する物質と釣り合いが取れなくなるという事も無いと私は考える。むしろ懸念するべき事があるとしたら―――

 やはり、好奇心を働かせるのは愚策だったか? 安心させるための言葉だったはずが、次の危機感を呼び起こした気がする。

 周囲にでは無く、まさにディンスレイ自身の危機感をだ。

「ミニセル君。速度上げてくれ。安定した航空を心がけているのは分かるが、すぐにこの通り道を抜けなければならん」

「了解! って言っておくし行動もするけど、何!? 何を思い付いたの!?」

「山脈壁の……今の位置がダァアルフの穴の風景に似ているという事は、良質の浮遊石がここにあるという事だ。それはつまり……それを餌にする輩がいるという事だろう!」

 ディンスレイの言葉が終わるより早く、ブラックテイルⅡが加速する。気流荒々しい場所であるからこそ、安定を考えぬ加速は艦を大きく揺らすが、これをある種の警鐘として察するのがこの艦とも言えた。

 艦の揺れより、もっと厄介な物が来る。

 視界が……揺れる。

「艦! 微減速! 食べられてるわよ、艦長!」

「以前の時より、こちらの出力は上がっている! 食いきれるものじゃあないさ! 操舵士、艦の出力をさらに上げて進め!」

「さらに不安定になるけど……大丈夫!?」

「もう随分と揺れている! 今更だ!」

「了解!」

 ミニセルのその言葉と同時に、傾く様な艦の揺れから視界は立て直す。もっとも、より激しい振動がブラックテイルⅡそのものを襲ってくるのだから、どっちが良いというものでもあるまい。

 いや……。

「無茶な前進で正解じゃあないか? 諸君! さっそく面白い景色が見られた!」

「私はあれを始めてみるわけですが……あれが良い物だと?」

 副長の言葉は、ブラックテイルⅡ後方を見る事が出来る、ブリッジの特殊な窓部分を見たが故の事。

 そこには、ディンスレイにとっては見た事のある景色が映っていた。

 いいや、見た事のある巨大な生物。

『蛇』

「さっそく思った事を言葉にしてくれたな、スーサ。だが、あれは蛇じゃあない。浮虫と言う」

 大蛇に似て、それ以上に甲殻類を思わせる凶悪な姿。浮虫と呼ばれる、浮遊石の力を生存するためのエネルギーに変える普遍的な生物。

 それは、高純度の浮遊石が発掘される場所おいて、体長が大きくなるという。

「副長、あれはまだ小さい方だぞ。この艦よりまだ一回りは小さい。つまり……まだまだ脅威では無いさ」

「主任観測士より報告! 確認出来る限り、三匹程が居って来てますね! うちの艦に搭載されてる浮遊石は上等だからなぁ……」

「艦長にとっても見た事が無い景色になったのでは?」

「複数匹相手となるとそうなるか……」

 浮虫にとっては餌が飛び込んできた形だ。あれに食われると浮遊石のエネルギーが食われるため、最終的に飛空艦も墜落する事になる。

 それを避けるために出来る事と言えば……。

「諸君。笑え」

「は?」

「今、うちの操舵士は全力で艦を進ませている。聞かなくても分かる。限界の速度だ。こんな場所では空戦など出来るはずも無い。幅は狭く、高度を上げたところで、両端の崖は高度限界まで伸びる山脈壁と来たものだ。故に、もう最適を我々は選んでいる。だから笑え」

 やるべき事はもうやった。後はただ、その結果を喜びながら待つだけだ。

「その場合、祈るとか願うなどが適切ではありませんか、艦長」

「ちょっと副長ー! だったらそれ、あたしにしなさいよ。っていうか今、まさにあたしの手に掛かってるのよ、この艦の運命!」

「なるほど。ではミニセル・マニアル様、どうか我らが未来を救い給う」

「やっぱ無し! 怖気で手が滑りそうだわよ!」

 さて、部下達の話を耳に入れる限り、メインブリッジの空気はかなり良くなった。他にする事も無いので頭だけ働かせる。

 そうして答えに至った。

「良し、ならこういうのはどうだ? 今回の旅路の門出は、見知った顔が祝ってくれた……というところで」

「言ってる場合!? さあここからもっと荒れるわよ! みんな、掴まるものがあれば掴まっておきなさい!」

 舌を噛むので、これ以上は言葉を発するのも難しい。

 だが、門出という言葉は言えた。まさに今、こうやって両脇が崖となる道を進み、向こう側へ辿り着こうとするのは、門出と言うに相応しいじゃあないか。

 後はただ、無事に門の向こうへと辿り着くだけ。

 ここ一年程、ただひたすらに焦がれた荒々しい空の旅の幕開けがここにあった。



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