⑥ 決着を付けよう
ディンスレイの視界に映るアイ・オー艦が、ブラックテイルⅡへと迫る。
ミニセルが操舵しているシルバーフィッシュの牽制など、存在しないかの様に無理矢理に。
空戦を始めた時と同じく、瞬時の加速は容易くブラックテイルⅡとの距離を詰めて来る。
「攻性光線!」
ディンスレイがそう叫ぶより先に、火器管制担当の船員達が、既に判断を下していた。
出力を上げる必要は無い。瞬時の加速は艦の防御力とトレードオフだ。こちらに迫る勢いは、こちらが逃げずに最低限の火力さえ向けさえすれば削ぐ事が出来る。
その事を、既にディンスレイ含め他の船員達も学んでいる。だから今まで以上に早く対応出来る。
「敵艦減速! これより有利な位置を取る!」
「敵艦後方やや下方! 火力薄いです!」
ディンスレイが艦を動かすタイミングと同時に、テリアン主任観測士からの情報が入る。
その情報の意味が、アイ・オー艦が小型飛空船を射出した部分には構造的に攻性光線の射出機構と言ったものを配置出来ないため、隙と成り得る物だと気が付くのは、実際にブラックテイルⅡを動かした後。
意味など聞かずとも、今、ここにおいて他の船員からの言葉を疑う選択肢など、ディンスレイは無い。
「敵艦からの攻撃!」
「ここでか!」
ブラックテイルⅡの動きを妨害する様に、アイ・オー艦がその火砲すべてを機能させ始めた。
そんな事が出来る程、あちらの艦に余裕があるのか? 無いはずだ。そんな事が最初から出来ていれば、既にやっている。相応の無茶をしているのだ。
ふと、火器管制をしているレドと目が合った。なるほど、その目を見れば分かる。アイ・オーとて命がけの行動をしているのだ。
(確か、力場スライドとかいうのをしていたな? バリアを強制的に解除する事で起こる現象だとか。それとは違うのだろうが……ヒントにはなる)
ほんの数瞬の間だというのに、ディンスレイは頭の片隅で、悠長に構えながら考えを続ける自分に気が付く。
例えば、今、目の前に起こっている現象への考察。強制的に船体バリアを解除する様な機構があるという事は、艦の出力の根本であるエンジンの上限や下限を、幾らか無視出来る機構があるという事でもあるだろう。
それを今、発揮している。本来出せない出力を、今、強制的に出している。それがいったい艦そのものにどれ程の影響を与えるか。
向こうも命がけだ。艦がその様な無茶にどれだけ耐えられるか、実験出来るもので無い以上、今、この瞬間にも爆散する可能性だってあるだろう。
だから賭けなのだ。その賭けに、ディンスレイとアイ・オー、どちらが勝つか?
「悪いがチップは……こちらの方が多く持っている!」
悠長に考える事が出来る理由。それはやはり、頼りになる味方がいるからだ。
アイ・オー艦の直上へと、攻性光線がぶつかる。ミニセルのシルバーフィッシュからのものだ。
その火力は、当たり前にアイ・オー艦の装甲を打ち砕けない程度のものであるが、それでもシルバーフィッシュが出せる最大の出力。
それがぶつかれば、装甲を貫く事は出来なくても、アイ・オー艦の態勢を少し崩す事が出来るのだ。
ほんの少しの傾き。それだけで、ディンスレイには十分だった。
(後方に回れる……隙が出来た!)
ブラックテイルⅡが有利を取れる、アイ・オー艦との位置関係。
そこへとブラックテイルⅡは辿り着く。
今度こそ、仕留める。その意思でもって、ディンスレイはブラックテイルⅡに、その尾部主砲を持ち上げさせた。
「エンジンリミッターセット!」
艦の、絶賛悲鳴を上げているエンジンを、アイ・オーは切る指示を出した。
リミッターを一時解除する事で、本来不可能な出力を発揮させ続けている今。
それをした瞬間から、艦そのものの寿命が急速にすり減る事を覚悟した上での無茶を、今、アイ・オーは取り止めた。
それは降伏を意味するのか。いいや、そんな殊勝な心掛けを、アイ・オーはしない。周囲も期待なんてしていない。
例えばそう、今が命がけだとして、次の行動もどうなるか分かったものでは無い無茶をすればどうなる?
相応の確率で、アイ・オーの命は失われるだろう。
だが、失われなければ?
「相手が、正気かお前はって目で、こっちを見て来るのさ」
それは中々の快感では無いか? 連続で、二度も命を掛けるに値する。それほど価値のある無茶。
ブラックテイルⅡが、アイ・オーの飛空艦の攻撃を掻い潜り、もっとも弱い部分へと、その尾を向けていた。
黒いエイの尾には猛毒が仕込まれている。大半の飛空艦を一撃の元に刺し貫ける猛毒の攻性光線。
それが恐ろしく無いわけが無い。その恐ろしさをアイ・オーへと伝えるためにこそ、ブラックテイルⅡは、あそこで指揮を取るディンスレイ・オルド・クラレイスは、今もきっと必死になっている。
それを越える。そのためにこそ、解除したエンジンのリミッターを、今、この瞬間に、再び起動させた。
そうすればどうなるか? ブラックテイルⅡには一度見せている。
艦周囲に浮遊石からのエネルギーが充満する状況。それはバリアを発生させている時も、さっきまでの様に、周囲に攻性光線を放っている時も同様だ。
その発生源を強制的に、瞬時に断てば、発生源側は空間をスライドする。
力場スライド。
それがどの方向で、さらに艦に無茶をさせている状況ではどういう帰結となるか。アイ・オーに測り切れるものではない。
だがら二度の命がけ。リミッターの解除と起動。その二つの賭けに、自分と船員すべての命をベットさせる。
それをするだけの価値がこの瞬間にあるとアイ・オーは判断し……そうして―――
「まだ、オレは生きてお前を見ているぞ、ディンスレイ」
それは賭けの対価だとばかりに、アイ・オー艦が、ブラックテイルⅡの側面を眺められる位置へと運んでくれた。
これがアイ・オーの強さだった。手段を選ばない。それはまさに、自分の命すら軽く扱い、重荷を捨て、余人には辿り着けない場所へと運んでくれる、そんな強さ。
今、そんな強さがアイ・オーの元にあった。
だからアイ・オーは叫ぶ。
「残ったすべてを注ぎ込め! 攻性光線、発射!」
ディンスレイの視界が、ブラックテイルⅡのメインブリッジごと光に包まれる。
追い詰めたと思ったはずのアイ・オー艦が、眼前から消えたすぐ後の光景がそれだった。
アイ・オーという女。なんという奴だろうか。あの女は、続けざまに二度も、艦ごとその命を天秤に掛けたのだ。
自分だけで無く、恐らく自身を信頼しているであろう船員すら巻き込んで、次の瞬間には自分が滅びるかもしれない選択を、なんだとでも言う様に二度も、運命の天秤に掛けたのである。
あれは出来ない。ディンスレイに出来るはずが無い。自分一人だけなら兎も角、他をも巻き込んで、そこまでの判断なんて出来るはずが無い。
(私が命を掛けるとしたら、それはもうそれ以外に選択肢が無い場合だ。賭けに出た方が、より生き残れる可能性が高い場合だ。向こうにしてもそうなのだろうが……いやだが、そこに自棄の様な蛮勇を見せる。それがお前か、アイ・オー)
彼女の根本には、世界への絶望がある。それが分かってしまう。それはかつて、ディンスレイも持っていたものだからだ。
一度、すべてを破壊して、まっさらになった世界を望むその精神。その精神が、ディンスレイには至れない場所へとアイ・オーを至らせていた。
漸く、ディンスレイはそんなアイ・オーの位置を把握する。
ブラックテイルⅡの側面。やはり運命が彼女を選んだとでも言う様に、ブラックテイルⅡに攻性光線を叩き込める位置。
勿論、ここまで来ればブラックテイルⅡに逃げる隙など与えず、すぐさま攻性光線を放ってくる事だろう。
そう。それを見ているという事は、まだアイ・オー艦は攻性光線を放っていない。
ならば、今、ブラックテイルⅡを包んでいる光は何だ。
(そうだ、アイ・オー。私にはお前の様な選択は出来ない。どうしたって、こんな風に私の意思を言わずとも汲み取ってくれる仲間達を、危険な賭けの土台に立たせられない。それが私の弱さであり……お前が持てなかった強さだ)
ディンスレイは、今、この瞬間にブラックテイルⅡを撃沈しようとしているアイ・オー艦に向かって笑った。
気が狂ったが故の笑いでは無い。この笑みは、苦難と困難の壁を、仲間と共に乗り越えたが故の笑みだ。
ディンスレイは、そう易々と他者の命を無下にする事が出来ない。だからその分、他者を観察する。興味を持つ。何故それをするのか。どうしてそれをしたのか。それを考える。
他者が取った、優れた行動を、自分も出来ぬものかと勘案する。
特に今、敵対しているアイ・オーの戦術は見事だった。一番すごいと思ったのは、力場スライドとかいう事象を用いた戦術だろう。
あれが出来れば、随分と有利に事が進められる。
一方で、レドの話を聞く限り、その事象そのものが一種の賭けになるらしい。つまり……アイ・オーだからこそ出来る戦法。
ならば、自分の場合はどうしたら出来る様になる?
そんな自身への問い掛けこそ、手段を選び続けたからこそ出来る、ディンスレイの方法だった。
選べる手段を、他人からも学ぶ。学んだ事を自分の内に飲み込み、やはり新しい手段とする。
アイ・オーがやった事を、ディンスレイはもっと安全に、船員達の命を保障する形で出来るじゃあないか。
(私一人では無理かもしれないが、私と、この艦の船員達ならば出来る。お前が教えてくれた戦法をだ、アイ・オー)
だからこそ、メインブリッジは輝いていた。いや、ブラックテイルⅡそのものが光に包まれる。
指示を出したわけでは無いが、今、この瞬間、ディンスレイならそれを選択すると、誰しもが分かっていたから。
どうしてそれを温存し続けるのかと思い続けた船員だって居るだろう。そうして、それがこの瞬間のためにあると、皆が意識を共有した。
なのでこれからディンスレイが叫ぶのは、ただの後付けに過ぎない。けれどきっと、それこそが艦長の仕事でもあるのだろう。
「ブラックテイルⅡ! ワープだ!」
一度使えば、その後、時間を置き、準備だってしなければ出来ないワープを、その瞬間にディンスレイは行った。
グアンマージの軍港で整備万端の状態にしてから二度目のワープ。この二つの期間は短いものの、ワープ距離も場所もオヌ帝国探索の旅で使用した時より余程負担の軽いものであった。だからこそ、数刻の準備時間が用意出来れば、この空戦においても一度のみ、使用出来る状態へと持って行けたのだ。
その奥の手を、この瞬間まで使わなかった。まるでこの瞬間にこそ、使うべき運命が待っていたが如く。
ワープする先は決まっている。というより、そこ以外には無理なのだ。離れた場所にワープするには、今は鉄火場過ぎて調整など出来ない。
目の前だ。今、メインブリッジから見える景色にしか出来やしない。それより長距離は空戦中で無くても不可能であろう。限られた時間では、その程度のワープ可能状態にしか出来なかったとも言える。
けれどそれで良い。それだけのワープでも、瞬時の移動ならば効果がある。
それだけでは無い。アイ・オーが力場スライドという賭けに出た結果得た幸運を、こちらは意図的に得る事が出来る。
アイ・オー艦の攻性光線がぶつかるより前、空間を跳躍し、やはりすぐ近くへとワープしたブラックテイルⅡ。その艦の位置は勿論、その角度は、アイ・オー艦の真上から、ブラックテイルⅡが正面に向かう位置。
ワープ前と後なら、ブラックテイルⅡの向きまで変える事が出来る。それは極短距離のワープにおいてこそ真価を発揮した。
瞬時の移動で敵艦の攻撃を避けるだけで無く、まるでカウンターの様に、敵艦の隙を突ける位置関係に。
そうして、恐らく、アイ・オー側に返す様な形で、ディンスレイは叫んでいた。
「こちらも全力だ! 攻性光線、叩き込め!」
その言葉と共に、真っ先にディンスレイが尾部攻性光線をアイ・オー艦の船体に叩き込んだ。
アイ・オーが三度目の賭けに出る機会は……彼女にとっては残念な事だったろうが、この瞬間には無かった。
「以上が、グアンマージを襲撃したオヌ帝国艦及び、それを追撃する事となったブラックテイルⅡの動向に対する報告です。何分、状況が緊急を要する物でしたので、独断での対応を繰り返した事は、この場でも繰り返し謝罪させていただきます」
ディンスレイの声が響くのは、とある会議室での事。
窓があり、一定の広さの空間があり、長机もきっちり並べられたそんな部屋は、それがしっかり見える程に、何故か息苦しさを感じさせてくる。
ある種、それは人間の感覚の欠陥なのでは無いかと思うところもあるが、それでも、今、この瞬間には意図した効果が出ているのだろう。
軍の査問会議というものはそういうものだ。
「ではディンスレイ・オルド・クラレイス中佐。あなたの行動には罪は無いと?」
壮年の女が、ディンスレイからある程度離れた場所にある対面に、机を挟んで座り、ディンスレイへ話し掛けて来る。
女との間にある長机は三つ。横にぴったり並んでおり、それぞれに人が二人ずつ。
まあ結構な人数である。
彼ら全員がディンスレイの方を見ており、言葉を向けて来た女もまたそのうちの一人。
全員の階級がディンスレイより上であるが、高圧的では無いのが意外である。もっとも、同じ目線での圧力が掛けられているので、そっちの方がキツい。
だがそれも仕方ない。この場の主役はディンスレイ当人。今、絶賛、緊急事態に好き勝手をやった事に対して、吊し上げを喰らっている最中なのだから。
「私に罪は、勿論あります。国軍の軍人として、それでも指揮系統に入るべきであったとは考えています。私の個人判断で、軍事的行動を取った。あの瞬間、そうする事が軍人としてベストだとは考えましたが、それでも、組織内部指揮系統に入る事を優先するべきであったと今になれば思います」
大嘘である。今なお、ディンスレイは自分がやった事を後悔していない。
後悔があるとすれば、作戦途中、アイ・オーの後手に回っていた事くらいだ。あれは未だに痛い思い出であった。最後に勝利を掴んだとは言え、敗北する可能性の方も幾らだってあったのだ。
賭けにしても無茶であったろう。そういう評価をディンスレイは出している。
ただし、アイ・オーと決着を付けないという選択肢は論外である。論外であるので、こういう場においては言葉にしない。
事が終わったのだから、嘘でも何でも、殊勝にしておくべきだとディンスレイは知っている。こうする事で、得られるものだってあるのだから。
「あなたの発言は分かりました。つまり……あくまであなたの意思の元、オヌ帝国艦の撃墜任務を行った、という事で良いのですね?」
「勿論です。それが大それた事である以上、私個人の判断であり、尚且つ、私の身においても、荷に勝ち過ぎる事だったのでしょう」
「そちらの発言についても受け付けましょう。あなたの言葉、判断については、この査問会議においてそのままを受け入れ、検討を行います」
ディンスレイの言葉を聞いて、相対する女性、国軍の大佐格の一人が溜息を吐いた。
困った問題がここにある。それを受け入れる溜息であろうが、一方で、安堵のそれも混じっているとディンスレイは見た。
(これで……あくまでこの場での判断は、私の処遇をどうするかだけで終わる事になったわけだ。国軍全体が、勝手な暴走をしたという話では無くなるし、他の船員達の責任ですら無くなった)
ある意味、国軍上層部とディンスレイ個人で落としどころを見つけられたという事でもあった。
シルフェニアにとって、国軍にとって、今回のアイ・オーが絡む一件はどう扱うべきかという問題でもある。
グアンマージを攻撃したオヌ帝国艦を、シルフェニア国軍に所属するディンスレイが独断で追跡し、それがオヌ帝国側へと逃れる前に撃墜した。
起こった事象はそういう事になる。
襲撃者を倒したという表現が出来る以上、その部分についてを、シルフェニア国軍は問題にはしていない。
問題なのは、そこでの判断において、正常では無い部分があったという事。
それを、当事者であるディンスレイは、確かに正常では無かったと認める形となったわけだ。後は国軍側がディンスレイ個人をどう扱うか。それだけの話になる。
そうして、シルフェニア国軍が出す判断もまた、ディンスレイには予想が付いた。
「今回の査問会議は、実際にどの様な状況にあったかを把握するための会議です。軍人個人個人を裁く軍法会議ではありません。ディンスレイ・オルド・クラレイス中佐。あなたの判断には確かに問題があった様ですし、最終的な結論が出るまで、あなたを一旦、通常の任務から外します。よろしいですね?」
「勿論です。今後につきましても、如何なる場、会議においても、出頭、協力させていただきます」
「よろしい。では、退席する様に」
彼女の答えはつまり、判断の保留である。
今は戦時中。その手の状況において、軍事的な独自判断というのは、発生し得るものだ。今回あった事もその一つ。あくまでそう判断し、戦争が終わってから最終的な結論を出すと、そういう話になったわけだ。
(ま、つまりこれで正式に、最悪でも私一人の責任で済む事になったわけだ。言葉だって手段だって、ちゃんと選んでいたら、結構話はスムーズになるという事じゃあないか? これは)
事を終えた後の尻拭いみたいな今の状況。それだって上手く乗り切ったとディンスレイは思う。
思うわけだが、そうも行かないと考える自分も勿論、ディンスレイの中にはあった。
ディンスレイはアイ・オーに勝利した。その後の顛末がこれだけというのは、些か、物足りないものがあった。




