街灯
4721文字。胸糞注意。
恋愛は好かない、微塵もだ。
私は静けさの灯る闇夜の旅路を眺め、自若として呟いた。
ふと見れば、一本道の先まで所々置かれた街灯が沈黙に座している。
街から随分離れた民家のおよそ見えない田んぼ道、あるだけ感謝すべきだろう。
蛾の一匹でもいれば真夏の風光として明媚に映えるのだろうが、季節は冬。
凍てつく冷気は申し訳程度の安物コートを容易く貫通し、その下に着るポロシャツなど無いも同然。
二日間何も口にしなかった結果、私の体温維持機能は著しく劣化している。
最早頼れるのは一枚の薄いヒートテックだけだ。
やはり恋愛など無い方が良い。あんなものは仕事の邪魔だ。
理不尽な寒さに対する怒りと仕事への恨みが心中に吹雪く。
恋愛など、あるだけ無駄だ。
あんなものは心を犯すことしかしない。
万事完璧に卒なくこなしてきた私が恋愛ごときに、今更?
認めない、認められない。
遠くに聞こえる赤色灯のサイレンが胸を射る。
社会を円滑に回すための道具は反面、人間の心をデコボコにするようだ。
ふと、その時だった。
街灯の下にうずくまる黒い影に目が留まる。
凝らせば、小動物のように縮こまっている人だった。
服装からして齢17程の高校生。
影に見えたのは長い髪の毛が背中を覆っていたからなのか。
「……なんだ? こんな所で何をしている?」
意図せず私の口から流れ出たのは友好的とは程遠い不愛想な言葉。
その黒い人影はビクッと身を強張らせ、ゆっくりとこちらを向いた。
やはり私の目に狂いは無かった。
黒い長髪はゆったりと垂れ、短めのスカートから覗く足は白く細い。
反面、紅に染まった鼻は少女の体温の低きを如実に物語る。
澄んだ目に街灯の光が反射し、整った顔立ちは不覚にも我が意中を思い起こさせた。
「……誰?」
少女の声はか弱かった。
体温が低いのだろう、手は小刻みに震えている。
「誰でもいい。君を助ける人だ。夜も遅い、こんなところに居ては命に関わる」
またも不愛想に、しかし今度ははっきりと言う。
この少女を誰かに見られる前に、一刻も早く安全な場所へ移動させねばならない。
私の本能がそう訴えていた。
「私……。いい、放っておいて」
しかし、その思いも空しく少女は目を背ける。
突き飛ばす口調の中に、若干の哀愁を漂わせながら。
「私は君の事が心配なんだ。警察に連れていったりはしない。家に招くこともしない。親御さんに連絡することも無い。歩こう、温まるまで。少しは気持ちが落ち着くだろう」
言って、手を伸ばす。
私の体温も低いのだから、大した暖房にはならぬが無いよりかは良いだろう。
少女からの反応はしばらくなかった。
けれどもしゃがんで手を伸ばすこと十数秒、少女はようやく振り返る。
「……信じても、いい?」
少女の静かな問いかけ。
私はゆっくりと応じる。
「無論だ。行こう」
そうして私と彼女は共に歩き始めた。
歩いているうちに彼女から聞き出したのは、名前とその境遇だった。
彼女は名を道坂彩というらしい。
親と喧嘩したから家出をした、というのが彼女の一応の言い訳だ。
不審な点は多々残るが、彼女がそういうならそれでいい。
大切なのは寄り添う事だ、暴く事ではない。
私も彼女の警戒を解くために名乗らざるを得なかったが、幸いなことに彼女は新たな不信感を感ずることは無いようだった。
「あの......なんで西野さんもこんな道を通っていたんですか?」
「なんで、か……。少々嫌なことがあってな。君と同じだ」
彼女の何でもない問に、私もぼんやりと答えた。
自分でも何故か分からない。
仕事に失敗し、全てを失って自暴自棄になりフラフラとうろつき回った結果、こんな場所に流れ着いたまでの事。
特段の事情があるわけでもなかった。
「何かやらかしちゃったんですか?」
「まあ、そうだな。恋愛に現を抜かし過ぎたというべきか。職場から離れざるを得なくなった」
今思い起こしても悔やまれる。
恋愛、こんなたかが二文字に、私の人生は壊されたのだ。
抗えなかった。
人間の本能がそれを拒んでいた、結果、全てが瓦解したのだ。
それにしても人間としての本能がまだ私にも残っていたことが驚きだった。
エリート教育に揉まれ、社会の学歴主義制度に異議を唱える間もなく世を漂流しているうちに、いつしか人生に希望を見いだせなくなった。
その頃から私は自身に人間としての部分は残されていないと思い込み始めたのだ。
とんだ間違いだった。
「恋愛……ですか」
彩は呟くように繰り返す。
そうだ、と短く相槌を打つ。
どこを目指しているわけでもなくただ歩き続けるこの感覚は、如何とも表現しがたい。
隣にいる少女も同じ、不思議な感覚に囚われているのだろうか。
現状の奇異を疑うことなく、彼女はどんどんと警戒を解いているようだった。
「何か含みがある言い方だな」
「……はい。私もそうなんです。職場っていうより学校ですけど……」
私と彩は何度目かも知らぬ街灯の下を通った。
彼女の顔に光が射し、そして陰に落ちた。
「聞いても?」
「……はい。私、学校に好きな男の子が居たんです」
彼女は静かに語り始めた。
口調に多分の悲しみと悔しさを込めて。
「私、一年生の頃からその人が好きだったんです。
部活とか頑張ってるの、カッコいいなーって。
ずっと片思いだったけど、三週間くらい前にようやく思いを伝えれる機会が出来たんです。
そしたら彼、二つ返事でいいよって言ってくれました。
私、すごく嬉しくて、その日なんて日付変わっても電話し続けてて……」
彼女はふと上を向いた。
その目は光っていた、光る大粒の涙が零れ落ちた。
街灯が白光を注いでいた。
「けど、付き合って一週間くらいした時、その……少し体の写真欲しいって言われて。迷ったんですけど、彼だし大丈夫って思って送っちゃったんです」
「大丈夫では無かったのだな」
「……はい。三日後くらいに友達が『これって彩だよね?』って見せてきて……。
そう言う写真ばっかあるようなサイトに、彼に送った私の写真があったんです。
友達が知ってるくらいだったから、もうクラスの男子なんか皆知ってて……。
学校に居るのも、その地域に居るのも苦痛だったんです」
そこで彼女はとうとう口をつぐんだ。
片腕をギュッと握りしめ、静かに嗚咽を漏らしながら。
人間の脳とは何とも頼りにならぬものだ、私は彼女にかける言葉の一つすら見つけられない。
そうこうと悩んでいると、私は二つほど向こうの街灯の下に自販機があるのを見つけた。
温かい飲み物でも飲めば気が落ち着くだろう、ありきたりな妙案が脳裏に浮かぶ。
「そうか。……辛かったな」
彼女の返事は無かった。
出来る心情ではないのだろう。
致し方のない事だ、年頃の少女には重荷が過ぎたのだ。
沈黙のまま歩き続け、街灯を二度通り過ぎる。
新月の空が深々とした暗黒に染まり、見える星は少ない。
曇天の夜は如何ともし難い静寂に包まれていた。
「何か飲むか。寒いだろう」
私は目していた自販機の前におもむろに立ち止まり、彩も直ぐに気付いて立ち止まった。
「良いんですか……?」
「無論だ。寒い夜だ、体温を維持しなければ命に関わる」
とは言え、田舎の回転が遅い自販機に売っている温かい飲み物は少ない。
彼女が飲めそうなのはオニオンスープしかなかった。
注文を聞く事もせず私はポケットに残っていた百円玉を三枚取り出し、オニオンスープを購入した。
ガラン、と重い音がして中身の詰まった缶が取り出し口に落ちてきた。
手に取り、プルタブを引く。
「飲むといい。多少は温まるだろう」
差し出すと、彼女は頷いて受け取った。
「ありがとうございます……暖かいです」
私も自分の分のオニオンスープを購入し、またプルタブを引く。
「行こう」
はい、と彼女も短く応じた。
再び歩き出した私たちを迎えるのは相変わらずの街灯だけで、その視覚的な光景はさっきまでと変わりない。
しかし、私と彼女の間の妙な距離感は多少なりと縮まったようだった。
それでいい。
彼女が何も警戒しなくなるまでは行かずとも良い。
彼女はしばらく缶を両手で持ちその温もりを感じていたようだが、やがてそっと唇を缶の縁に付け、オニオンスープの一杯を啜った。
そうだ、それでいいのだ。
「あの......西野さんは何があったんですか?」
ホッと一息をついた彼女が澄んだ目をこちらに向けて問うてくる。
ここまで来たのだ、教えないのも無礼だろう。
私は自分の缶を少し傾け、ゆっくりと言う。
「仕事でしくじってしまった。私としたことが軽率だった。身分も立場も追われ、成果を出すまでは帰れそうにない」
ふと携帯を見る。
日が回って十分程度たったころだった。
電池も、二日間放置していた割には三割ほど残っている。
十分だ。
「そうなんですね……。その、恋愛で失敗しちゃったって私も同じだなって」
「そうだ。一人の女性が私の目にはどうしようもなく魅力的に映った。彼女を失うのは惜しいと思った。あるべからざる事だった」
彩の目が疑問に浮かぶ。
私の言ったことを理解できていないようだった。
「その……どんな仕事をされてたのですか?」
静かな問いかけだった。
私は直ぐには応じなかった。
遠くの方でサイレンが聞こえる、冬は音がよく通る。
街灯が二、三度点滅し、再び何でもなかったかのように灯る。
恋愛は好かない、微塵もだ。
そう心の中で呟き、私は口を開いた。
「……闇市場での臓器売買だ」
冬の疾風が一段と強く私たちの間を駆けた。
え、と短い応答は気のせいだろうか。
「私は臓器売買組織の解剖担当だった。ある日、さらわれた女性がいつも通り私の解剖室へと運ばれてきた。麻酔で寝ているから起きて暴れられる心配はない。私はいつも通り腹を切り開いて、腎臓や肝臓を取り出せばよかったのだ」
立ち止まって静かに言う私を少女は唖然と見上げる。
言っている事が信じられないという様子で。
「……しかし、彼女の肉体美やその顔立ちは、どういうわけかその作業を進める事を著しく困難にした。この女性が死ぬということが何故か恐ろしかった。彼女をこの世に固定したいと考えてしまった、それは思い立った以上消える事は無かった」
オニオンスープを傾け、彼女を冷然と見下す。
十七歳程という若い年齢。
健康な育ちに、程よい肉付き。
内臓脂肪レベルも低いだろう。
これ以上ない逸材だ。
「私は彼女の臓器を取り出すことはせず、病気持ちだとして不適合扱いにした。後に組織にそれが露見し、私はそこを追われることになったのだ」
ただし、条件があった。
三週間以内に自分が逃した女性と同じだけの資質を持つドナーを探すことが、そして提供することが出来たなら、私は再び組織に戻れると。
三週間が経ったら私は殺されることになっていた。
今日は二週間と二日が経った日だ。
運が、良い。
「え、う、うそ……」
彼女は私が話す間にもじりじりと後退り、今や道の反対側に立っている。
「ありがとう、道坂彩さん。私は真に感謝する。君のおかげで私と、その提供を受ける大勢が助かるのだから」
彼女はその眼をじっとこちらに向け、尚も私を見つめている。
そして、突然思い立ったように、私から逃れるように、駆け出した──
それも、ほんの一瞬だが。
彼女は直ぐにバランスを崩し、その場に倒れこんだ。
石があったのではない。
彼女の身体が最早限界なのだろう。
「君がスープを飲んだ瞬間からこうなることは決まっていた。安心していい、ここから先、苦痛は無い」
地面に崩れた彼女は、首を僅かに持ち上げた。
手術にも使う強力な麻酔だ、人間の理性が抗えるような代物ではない。
微かに見えた目に、多分の涙を認め最期、彼女は地面に伏した。
私は携帯を取り出した。
恋愛は下らないものだ。
ヒトに思い入れるような事は二度としない。
眼下に転がる組織への生贄を静かに見下しながら、私は目的の番号を呼び出した。