初めに
初期の地球はとても生き物の住む場所になれなかったと、賢い人たちは言ったりします。 高い気温と息もできないレベルの空気調成は、生物の生成に多大な悪影響を及ぼしてきたと、しかし生物というものは、長い歳月にわたって海を変え、空気を変え、岩石と水しかなかった地球を青々とした惑星にしてくれました。 私たちが自ら家を作って暮らすものと同じく、地球上で生きていく存在たちは自ら生きていく環境を自分の手で変えてきたのです。
それでは一つ疑問が浮かびます。 生命とは一体どこから来て、何のために存在するのでしょうか? 宇宙の長い歴史と関連付けて思うと、ここに生きる私たちの寿命はあまりにも短いです。 百年も生きられない私たちは、なぜここで社会を築き、文明を建設し、競争し、考え、自らの存在を知りたがっているのだろうか。 一度この文を読むあなたは考えたことがあると思います。 今、これを読んでいる貴方、気になりませんか?
人類生命の誕生には、前述の事実に基づいて、数多くの人々が考えてきた仮説が存在しています。 ある人は創造主たる高貴な概念が、1週間にわたって世界を作り、最後にはそれらを治めて管理・保護する存在であり、恩恵を巡られるその存在が神様を記憶するために、神様と同じような形として作り上げられたのが人間であると主張しています。 またある人は、宇宙で外界の上位文明がまいた種から偶然知能を持って生まれた取るに足らない存在に過ぎないとも言っています。又ある人は偶然、事故で生み出された小さな存在から超時間にわたって環境に適応してきた存在であるとも言っています。
他にも数多くの仮説が存在していますが、一つ共通の思いが込められています。 "果たして人間が偶然生まれた存在なのか"という、極めて簡単そうな質問ですが、その短い人類の歴史の中でも、たった一瞬だけを生きれる私たちにとっては、その答えに辿り着くまでにはあまりにも与えられた時間が短いと思われます。
果たしてこのような原初的な質問に解答が存在すると、あなたを考えていますか? 私の考えを話す前にあなたの返事を聞いてみたいです。 私たちは果たして誰かの必要に応じて作られた存在なのでしょうか? あじると、取るに足らない長い宇宙の歴史の中で起きた偶然の結果に過ぎないのでしょうか?
もし誰か創造主的な存在が我々を作り出し、またこの偉大な文明の発展を成し遂げるよう我々の行動を設計したとしたら、それはまたどのような理由でそう行ったのでしょうか? 創造主という存在は、人間にとっては自分たちの人生をすべて知っていて、運命の枠組みの中で正しいと思えるような答えを提示できる存在となるため、彼らは私たちにとって非常に興味深い対象です。
しかし、彼らによって創造された私たちは、果たして彼らから温かい目で見られているのでしょうか? それとも恨みと怒りの目で眺められているのでしょうか。 また、私たちを作り出した創造主が存在するならば、また、彼らを作り出した者も存在するのではないでしょうか?
これから進められる話は、人間と文明の存在に対してその解答を見出す、一人の子供の目と耳を通じて話そうとする、私の小さな意見に過ぎません。