港町
小学生の頃の話だが、私には友達がいた。 私より少しばかり背の低い、丸い目をした女だった。
いた、というのは半ば失礼な話だが、だとしても、いた、というのが合っているだろう。
なにせ、その友達は、中学校に上がる際に引っ越して以来音信不通だからだ。
といっても、まあ探そうと思えばどこかで生きているのだろう。
けど、小学校の連絡網には当時の家電の番号しか乗っていないし、住所だって当時のものが当時の年賀状の裏にあるのみだ。
そんな状態から、わざわざ探して何をしようと言うのか。
というわけで、本当の彼女はどこか知らないところで生きていて、私の思い出の中には、私と友達だった頃の彼女が生きているのだ。
前置きはここまでとして、これから語るのは私と友達だった頃、小学生の頃の彼女の話だ。
初めて彼女と出会ったのは、二年生の二学期だったと思う。 彼女は転校生だった。
それが物珍しく、私はよく彼女に声をかけていた。
転校、というものをよく知らない私は、彼女が元々住んでいた場所にとても興味を持って、よくそれについて訊ねていた。 見知らぬ土地に憧れる私に彼女は
「こっちの方が海が近くていいのに」
とぼやくので、海が好きなの、と問うと、彼女は強くうなづいていた。
もともと彼女は、水にえらく関心を抱いていたように思う。
あれは……梅雨の頃だっただろうか、湿っぽい空気がまとわりついて、なんだかイヤな気分だったことを覚えている。
雨が降らなくてよかった、と言う私に、彼女は
「え、むしろ降った方がよかったじゃない」
とかなんとか言っていたような気がする。 私がなぜ、と問うと
「たくさん水浸しになった方がただ湿っぽいよりいいよ」
なんて、にやりと笑っていたことは覚えている。その雨の話も言うなればそうだが、彼女の水への興味に関してはもっと印象的な思い出がある。
掃除の時間、と言ったら大体の人はわかるだろうか。 一応詳細を添えると、私の通っていた小学校には、給食と昼休みの間に生徒が教室の掃除をする制度があった。
彼女が雑巾係になったときがすごいのだ。 先ほども述べたが、彼女は水への関心をずいぶん持っている。
だから、ずっと見ていた。 雑巾を濡らすためのバケツを。
動かない水面をひたすら眺めていたり、たまに自ら水滴を垂らして波紋を観察していた日もあった。
もちろん、掃除の時間は水を観察する時間ではないので、私や教師はそれを見つけ次第声をかける。
すると、慌てて顔を上げ、丸い目をさらにまんまるにして、
「いっけなあい」
なんて言っては、そそくさと掃除に戻っていくのだった。
そんな彼女を、私は変わっていると感じていたが、なんだかんだで好意的にも思っていた。
変わっていることには変わっているけど、なにせ、話が面白いのだ。
人は水が9割だとか、クラゲは水が9割だとか、概要こそ図鑑で見ればわかるようなことだが、彼女が楽しそうに話しているところを聞くと、なんだか私まで楽しくなる。 一度彼女が話し出すと、私は時間が無くなるまでずっと聞いていた。
正直、私は彼女のことが本当に好きだった。 もちろん、小学生の頃のことだから、恋愛的な意味なんてあるはずがない。 ただ純粋に、友達として好きだった。
彼女が引越しをすると知ったのは、卒業式の少し前ほどのことだった。
なにせ昔のことなので詳細は覚えていないが、父親の仕事の都合がどうとか、だった気がする。
隣の県まで引っ越して、中学校もそこの近辺に通うことになった、と悲しそうに話していた。
その少し前まで、一緒の中学校にいこう、なんて話し合ったりしていたものだから、聞いた当初は、"嘘つき"なんて思ったこともあったし、実際に喧嘩になったこともあった。
卒業までになんとなくの和解はしたが、そのことについて謝ったかどうかは記憶が定かではない。 できれば、謝れていたらいいなと思う。
卒業式が終わって、春休みが始まって、彼女が居なくなるより一日前に、私は彼女と海について話した。
なんでも、隣の県には海が無く、さらに家の近くには川がないらしい。
海もしばらく見納め、と、海沿いの道を下校しながら、海の魚やら、海水やら、海について、ずっと話していた。
「海に出られれば、船に乗ってこっちに遊びに来れるのに」
彼女はそう言っていたが、私はそれにはそこまで納得できていなかった。
が、それをそのまま言ってしまうと、もし船があっても彼女は遊びに来なくなる気がしたので、そうだね、なんて適当な返事をしていた。
私も彼女も、別れが惜しくゆっくり歩いていたが、それでもどうしても家にはついてしまうので、
「また会おうね」
なんて言いあいながら、お互い何回も何回も言いあいながらも、いつかは家のドアを閉めなければいけない。
彼女を見届けて、一人で家までの残りの道を歩くのが、とても心細かったことは、今でも、ずっと心に残っている。
小学校、なんて遠い遠い思い出になるほど時が経ったが、私は今も変わらず同じ町に住んでいる。
彼女は今、どうしているだろうか。
私の部屋の窓からは、近場の港や、そこに泊まる船が見える。
あそこにつくのはただの漁船だけと知っていながらも、私は少し、少しだけ、彼女が船に乗ってこないかなあ、と毎日淡い期待を抱いていた。