9 地下迷宮の罠
生きてました
薄暗い地下から漏れる隙間風。それにより揺れる前髪をかき上げ、前方を見据える。この光景を見るのはおそらく初めてだろう、そんな事を考えながら。
地下迷宮の中央、転移魔法陣の周りには連日押し寄せるよう迷宮者が存在する。が、今現在は誰一人いない。数日前から世界樹周辺を封鎖し、誰一人侵入できない警戒態勢を発令したためだ。
迷宮者、及び王都の人々は事態の深刻さ人々は騒ぎ立て、不安を煽る。【灼熱英雄】の先鋭部隊が失踪した事、もしや【百六十七層】の探索失敗し、生存していないのではないか、と。
数々の憶測と噂、世界樹に広まった不安の種は開花し、確実に王都全土を埋め尽くそうとしている。
世界樹には現在、我々以外の者は存在しない。騒がしい賑わいはその也を伏せ、静寂が私の身体を震わせる。迷宮者は地下迷宮に立ち入る事を禁じられた、我々四人を除き。
「誰一人いませんね」
「当たり前だ、今回の侵入は俺達四人だけ。今回の件は緊急事態だからな」
カサル様の言葉に固唾を飲む。私は役に立つのだろうか。じわりじわりと溢れてくる不安と劣等感。それが私自身の胸の内を侵食する。
「ミーシャ、心配すんな。最悪、俺が盾になってお前だけを逃がす」
「ご主人様……」
「とかそれらしいこと言って、一番最初に逃げそう」
「ちょ、おま。ルルイエ?」
「確かに口説き文句だけの事は一級品ですから」
「ちょっと、ミーシャ。フォローないの」
「貴様ら、緊張感いうものを持て」
冗談はさて置き。
「ミーシャ、道具一式は揃ってるか」
「心配には及びません。三十名分のアイテム補充、確認をしておきました」
基本的な装備の類は私が持つ。彼らが生存していた場合、健康状態でないのは明らかだ。故に穏便に迷宮脱出をする事も考えておかなければならない。私の背後を覆う程の量はゆうに身長を超え、背後からでは私だと認識できないだろう。
「なあ、ミーシャ。少しくらいは俺が持った方がいいんじゃねーか? 流石に動けねえだろ」
「では試して見ますか? ご主人様」
「へ、試すって……」
ぽかん、と呆ける彼の目前に詰め寄り、ポーチから短剣を抜く。顎を引き刃の部分が皮膚に触れ、主人様の血の気はみるみる引いていく。
「あー、うん。全然問題ないみたいだな」
「当たり前です。それと、これは鍛錬用に扱う木製ですからご安心を」
木製の短剣を地面に突き刺し、踏みつける。その動作の内にご主人様の顔色はなる事無く、ルルイエの背後へと隠れた。
「なあなあ、ルルイエ。俺、何かミーシャが怒る事したか??」
「いや、毎日のように怒らせるようなことしてない。自覚ないの、カイ君?」
「けどあれは絶対怒ってる。下手すりゃ命刈り取られる」
ダダ漏れの内緒話を横目に、心の中で唸る。どうも腹の虫が、むしゃくしゃとした感情が収まらない。玉座の間以降、感情が制御出来ないのだ。ただ、一つ分かる事は。
なんだか、主人様を見ているとムカつく。
「ミーシャ。潜入直前に編成を乱す行為は止めろ」
「申し訳ありません」
カサル様に咎められ、頭を冷やす。やはりどうも調子が悪い。
「編成の確認だ。前方は俺とカイが前衛に立つ、後方はルルイエとミーシャに任せる」
「オッケー、任せなさい!」
ビシッ、と敬礼のポーズを取りそそくさと背後に回る。本来なら私も前衛に立つべきだが、この荷物では足手まといでしょう。
御二方の背を見つめ、【上層】の魔法陣へと足をかける。普段ならば騎士が案内役に立っているのだが、今回は不在。万が一を考慮し、一人でも被害者を減らすために。
瞬間、魔法陣特有の光が全身を照らし、視界が薄れていく。いつも通りの”転移”。
いや、違う。
「ご主人様!!」
「へっ?」
頭で考える前に手を伸ばしてた。彼の腕を掴み、身体全体を抱きかかえるように覆う。その呆ける顔が赤みを帯びた所で……意識が飛んだ。
「ミーシャァ!? お前何やってんだ!?」
主人様の怒声で意識が戻る。すくり、と立ち上がり辺りを見渡した。……なるほど。
「いきなり抱きついといて、お前あれか!? 獣人特有のあれが来ちゃった感じなのか!?」
「落ち着いて状況を把握してください」
私の身体から飛びのいた彼を尻目に、身体を払う。確かにこの軽装で抱き着くのは軽率でした。徐々に熱を帯びる頬を見抜かれぬよう、背を向けた。
腰のパックから魔法具を取り出す。《点灯》と称される松明代わりの魔法具を掲げ、辺りを見渡す。暗闇と静寂、時々滴る水音が反響することから、広い空間なようだ。
その状況に”私と主人様”は呆然と立ち尽くした。
「どうしてルルイエとカサルが居ねえんだよ!?」
「罠にかかりましたね」
「はぁ!?」
迷宮の構造は一層毎に異なる。複雑に入り組んだ迷路で迷宮者を惑わす層、一本道にも関わらず罠がふんだんに施される層、構造は簡易的だが数多くの魔物が出現する層。
最終部から次の層へと転移する《迷宮魔法陣》。今回、これ自体が罠であると考えるのが妥当だろう。
「【灼熱】の先鋭部隊も罠に嵌ったのでしょう。編成パーティを四方八方に散らされれば兵力は格段に落ちます。……ですが」
並の探索者達ならばこの罠でほぼ壊滅するだろう。編成パーティ個々の長所、短所を補い連密な構成の上で結成される。故に一人が死亡が、編成全体の死に繋がることは多々あるのだ。
いやな想像が頭を過ぎる。【英雄】が率いる先鋭部隊がそれしきの事で全滅に至るのか。過酷な状況下でも連携が崩壊せぬよう、様々な推測や予想の末に組み込まれるはず。
「ご主人様、警戒してください。この階層は危険です」
「わかってんよ、んな事は。とっくの昔にな」
腰に掛ける剣をさする。この動作を先程から何度も繰り返し、ブツブツと何かを口にしている。その姿を私は怪訝な面持ちで見つめる。何かおかしい、普段のご主人様に比べ挙動不審すぎるのだ、しかしと思い返す。
「ご主人様」
「んだよ」
「落ち着きがないようですが、大丈夫ですか?」
「あん?」
私の方を向く。額に伝う汗が見え、不安が一層深まる。
「大丈夫だ、大丈夫。キャロルとは腐れ縁だからな、どこか焦る気持ちがあんだろ。自覚はねえけどな」
お前が言うなら間違いないだろうな、と背を向け先を急ぐ。その背にどうにも腑に落ちぬしこりのようなモノを感じる。どうしましょうか、立ち入っていいものだろうか……我が主人の心情に。
むやみに立ち入るべきでないのだろう。一年以上、この方に付き添った中で過去を語ることが少ない人だと言うのは知っている。それは逆に、自分の過去にも触れずに済む。どこか落としどころのようなものがあった。
まあ、お互いに触れぬ様にしている部分もあるだろうが。
突然、耳が揺れる。何か異物の紛れ込んだ、生物特有の音を感じとったためだ。これは面倒ですね……。
「どうした、ミーシャ」
「魔物です。数はおそらく、十体近く」
「なに?」
急に立ち止まった私を不審に思ったのか、振り返る彼が尋ねる。私の言葉に剣を抜くと、制止した。声を出したわけではない、が彼が笑ったことを察した。
「なるほど【魔物巣窟】か。あの罠と言い、全滅するわけだ」
【魔物巣窟】。大量の魔物達が密集されし、閉鎖空間の罠トラップ。巣窟のたちが悪い点は狭い迷路空間に閉じ込められる点にある。編成は個人差があるものの、四人から十名程で組まれる事が多い。しかも、数が増える毎に統一性を無くす。
しかし、魔物巣窟の魔物はその数の二倍、三倍を軽々越える。熟練度の高い連携がない限り、唐突に現れるそれを回避する事は出来ない。掛かった最後、辿る末路は目に見えて明らかなのだ。
「ご主人様」
「決まってる、強行突破だ」
「……愚問でした」
彼の行動と性格は誰よりも熟知している。今回、私は邪魔になるだろう。では……。
「最低限、仕事させて頂きます」
言葉と共に宙に舞う。四方から殺意を込めるゴブリン一匹の肩に乗り、首を切り裂く。唐突な死に動揺する仲間、そのスキを狙い数匹を始末。噴水の如く立ち昇る血が降りかかり、顔を拭う。
私の戦闘態勢は獣人の身体能力を活かす、暗殺技能に近い。前線の邪魔にならぬ死角、死角へと移動し敵を殺戮する。私の役割は【目標】を殺す事でなく、主人様の協力サポートなのだ。
今回の置ける目標は、無力化されたゴブリンたちだ。
次々に殺される仲間に動揺し、彼らは一か所に固まった。ありがたい、私の役割はまさにそれなのだから。
故に今回のような溢れる敵を一掃する場合、私の役割は単純だ。出来る事は相手の注意や動揺を誘う、邪魔な少しでも数を減らす事。今回は前者だろう。
「ご主人様、後はよろしくお願いします」
「お前、よくその荷物であんな動き出来るね?」
「貴方に言われたくありません」
改造厨に褒められたら私も規格外と言う事になるじゃないですか。
突然の撤退に困惑するゴブリン。混乱に乗じ、主人様は剣を構える。刃を通し伝わる魔力が周囲を飲み込み、私の尻尾を逆立てる。剣先を地面へと向け、大きく振りかぶって突き刺す。主人様の異常性が肌を伝い理解できたのだろう。彼らの混乱は恐怖へと変わる。
《【岩氷柱】!!≫
瞬間、ゴブリン達の地面から現れる岩の柱。彼らは唐突な事態に抵抗する事すらままならず、全身が引き裂かれる。その氷柱の岩の数々に。再び静寂となり、血液が滴る音が規則的に反響した。
【特殊特技】。特技を極めし者が到達する、必殺技と言えば分かりやすい。彼の所持する『剣技』と『土属性』が常人をも凌駕する能力を生み出し、客観的に必殺技に映る。単体や多数の敵、状況に応じ瞬間的に発揮される【特殊特技】は特技の境地と呼べるだろうか。
主人様の場合、双方の特技が最高値のため、土壌で彼はまるで粘土をこねるが如く、土を操ることが可能だろう。私は自身の技量と重ね合わせ、尻尾を垂らす。
「この光景を見る度に私は必要ないと自覚します」
「あん? なにバカなこと言ってんだよ」
ポン、と後頭部に手を置かれる。
「ミーシャは俺の従者。いるに決まってんだろ」
「……ずるいですね、ご主人様は」
面と向かって言われては否定できないじゃないですか。
一時的に落ち着いた魔物の波。安堵の息を漏らしつつ、辺りを徘徊する。数十もの魔物が収容されるだけあって、大規模の空間が広がる。次の入り口となる扉を探索し、何かが手に触れる。《迷宮魔法陣》だ。
「こちらに魔法陣があります、ここから通れるのではないでしょうか」
「ああ、でもこっちにもあるぞ?」
彼の言葉に首を傾げる。魔法陣が二つある?
「ご主人様、少し待機して頂けますか?」
数分かけて空間一帯を散策する。壁伝いに感触を確認し、幾つか魔法陣の存在を発見し頭を唸らせる。
合計で四か所《迷宮魔法陣》が点在する。
迷宮構造の複雑さや罠の数々考えれば何ら問題ないように思えますが……一箇所にこれ程の魔法陣が固まる事があるだろうか?頭に過ぎる最初の罠、そして無数の魔法陣、嫌な気配が背中に登り尻尾を逆立たせた。
「どうした、ミーシャ」
「妙です。魔法陣の数が多過ぎます。念のためもう少し辺りを散策して別のルートを開拓した方が」
「まあ、悩んで仕方ねえ。とりあえず前進だ」
「お待ちを、ご主人様」
なぜ彼は間髪入れずサクサク進むのでしょうか。相談の一つくらいしましょうよ。
主人様が魔法陣に触れる。その瞬間、視界が薄れ気を失う……。
「……さっきと同じじゃねえか」
暗闇を照らし、再度辺りを見渡す。静寂のみの暗闇、既視感のある光景が映る。
魔法陣を主軸とした罠の階層。それが幾つも魔法陣を経由し繋がっている。
「本当に厄介ですね。部屋一つ一つが【魔物巣窟】になっているとは」
一定範囲の空間にランダムに魔法陣が組み込まれている。それぞれ次の部屋への入り口となり、まるで鼠算の如く増幅するこの仕組みは迷宮者にとって悪夢でしかない。
耳輪を触れる。この魔法具は特定範囲を《感知》するものだ、しかしこの階層に置いて何故か機能しない。処理不能な魔法具は音すら立てず、無用の産物と化す。
「ご主人様、方法は一つしかありません」
「わかってんよ、片っ端から漁っていくんだろうが。こういう系、面倒だから嫌なんだよな」
その言葉には魔物に対する恐れの部類がなく、呆れる。確かに面倒な迷宮構造であるが裏を返せば単純な罠とも言える。それに見合う技量がなければ食い殺されるのがオチだが。
気配を感じ身震いする、太腿から短剣を取り出し警戒態勢へと入る。その動作で主人様が気づき、前方を見据えた。
醜い容姿、筋肉質な四肢と丸々と肥えた腹。迷宮者から嫌悪の象徴とし語られる人型の魔物【オーク】。獣人特有の鼻の良さが災いし、思わず表情を歪める。独特の獣臭がどうにも鼻につくのだ。
「成程、骨のある魔物が出てきたじゃねえか」
主人様は不敵に笑い、剣を抜く。緊張感と高揚感が入り混じった表情は、迷宮でしか見られないものだろう。彼らしいと言えば、彼らしいが。
瞬間、危険信号が発せられる。視界の先に見える二匹のオーク、魔物達が抱えるその人物。下劣に涎が滴り、素肌を晒す彼女の太ももにかかる。
それは私達の目標の一つであり、主人様にとって大切な方。
目を見開き、妄想と現実の境目が分からなくなる。その人はつい先日会話し、雲の上の人間だと認識していた人物であり、主人様にとっては旧友。
【灼熱英雄】、キャロル・エマールその人だった。
悪夢以外の何物でもない。刹那の跳躍、咆哮と共に主人様は駆け出した。