5 地下迷宮
”ハイリスクハイリターン”という言葉がある。これはどの世界でも共通する真実なのだなとご主人様に仕える身として実感する。生物には必ず生と死が存在する、この異世界もその例に漏れない。
【地下迷宮】を志す者が命を落とす事は稀ではない。冒険者達と探索達も個人もしくは組織でリスクの差はあるものの、死が常に背中に張り付きその身を焼くかわからない。
だが、憧れと共に命を捧げる者は後を絶たない。その姿はまるで罠だと理解しながら樹液に群がる虫達を連想させた。人は夢を見る生き物、希望に縋る者なのだから。
まあ、私は一切理解できないのですが。
迷宮への挑戦道を抜けた先、世界樹の根と言われるその地下に迷宮は存在する。世界樹の周辺は王都に仕える騎士たちが厳重に警備し、平民や貴族でさえ立ち入る事は困難だ。地下迷宮に潜る事は死に直結する。国民は重々理解し、決して世界樹へ向かう者はいない。バカを除いては。
ご主人様は相変わらず満ち溢れた自信を隠すことなく、世界樹へと接近。警備兵に挨拶半分に通り抜ける。その姿に警戒し止めようと手を伸ばすが、先輩らしき騎士が静止をかける。
ギルドから王都へと手回しした件、上手く伝わったようです。【宝剣英雄】の権力を扱えば強行突破も容易いですが、これ以上王都との関係を拗らせる理由もない。
「にしても随分あっさりと行けたな。久々なもんで【上層】の立ち入り許可出るか不安だったんだが」
「その点は問題ありません。今回ご主人様が迷宮探索する趣旨をギルドから王都へと伝達したので」
「え、マジ。そこまでやってくれたの?」
「従者として当たり前です。理想を申し上げるならば【中層】から慣れて頂きたかったですが」
「いや、それはない。絶対に」
断言する彼の言葉に呆れる。その決意の原因は何なのやら。
今回の迷宮探索もそうである、唐突に切り出した瞳は真剣そのものだった。迷宮にそのヒントがあるのでしょうか……?
迷宮の階層はそれぞれ仕分けがされている。
第一層から五十層までは【下層】と呼ばれる。新人の探索者および冒険者はこの近辺を周回し徐々に迷路構造と罠、魔物との戦闘に慣れていく。
五十層から九十九層までは【中層】と呼ばれ、主に中級から上級の探索者をほとんどを占める。探索者達と冒険者達の比率は九:一程。この時点で冒険者が敬遠される理由が分かるものだ。
百層以降は【上層】と人々から畏怖される。中層以下の階層は既に開拓及び整備された狩場。逆を返せば上層は並外れた技量を持つ迷宮者しか立ち入る事すら出来ない危険区域。
私達が今、向かう【上層】は迷宮探索者ですら、王都の許可なしに侵入する事すら困難。しかし、英雄名を持つ【宝剣英雄】は別だ。
「さて、【百六十六層」行くか」
「お待ちください、その階層はカサル様とルルイエ様が攻略進行中です」
「いいんだよ、こういうのは早いモノ勝ちなんだよ。へへ、カサルの間抜けた面が浮かんでくるぜ」
私には憤怒しつつご主人様を地の果てまで追いかける想像しか出来ませんが、黙っておきましょう。
世界樹の根に近づくと騎士たちが敬礼をする。態度と表情から王都からの報告を受けていたのでしょう、軽く血の気の引いた表情に、心の中で謝りを入れつつ地上を後にする。
人の身長をゆうに超える世界樹の根と根の”間”。そこが地下迷宮への入り口となる。止めどなく溢れんばかりの探索者たちは宝剣の存在に気づき、ざわざわと私達の周りで騒ぎ立てる。しかし、街の中とは違い【英雄】の技量、雰囲気を感じ取った同業者のほとんどは主人様に近づこうとはしない。身に染みて迷宮の希望と絶望を体験しているからこそ【英雄】の化物じみた”力”に畏怖しているのだ。
「ミーシャ、準備できてるか?」
「ええ、もちろんです」
上半身に纏う胸にあてた鉄製の防具、メイド服とは正反対の機動性を重視したの短パン、ベルトに装備した回復薬と薬草。太腿に巻いたケースに触れ、ナイフの残量を確認する。その格好は明らかに異性の主に下半身を刺激する軽装であると重々理解している。が、迷宮に置いて容姿など気にする余裕はない。
【転移広場】。地下迷宮に置いて、唯一の平穏の地である。樹の根が剥き出しとなった数百人程の人々が収容できるスペース、そこに馬鹿でかい魔法陣が三つ並べられる。どれも先駆者たちが以後の探索者に向け、用意された階層への《転移魔法陣》だ。右から【下層】【中層】【上層】へのアクセスが可能である。
ご主人様と私は迷う事無く【上層】へと続く魔法陣に歩を進めた。下層には迷宮者がごった返し、中層にも探索者達が集団でまばらに存在する。しかし、上層の魔法陣には数人の騎士が厳重な警備を覗けば、人っ子一人いない。
「お待ちしておりました【宝剣英雄】様。どうぞ、こちらへ」
私は息を呑み、魔法陣へと足を踏み入れた。
地下迷宮、【百六十六層】。今、私達はその未知の領域に存在し、探索しようとしている。 静寂。物音のたたぬ暗闇と不気味さ、常人の神経なら数分として持たない。新人の中には密閉された異様な空間に慣れる事が出来ずに脱落する事さえある。
【百六十六層】の構造は単純な迷路のようだ。上下左右の幅は成人男性がやっと通れる程しかなく、明かりなどはない暗闇。魔法具の《灯》を頼りに一歩一歩先へと進む。全神経を尖らせ、周囲を警戒する。地下迷宮の罠は当たり前だが不意打ちなのだ。ほんの一瞬でも気を許せば、自分や仲間にも危害が及ぶ。故に、慎重に……。
「あー、つまんねなぁ。迷路じゃねえか」
「お願いです、緊張感を持っていただけますか?」
でなければ、従者の私がバカの様です。
「んだよ、久々の迷宮なんだ。もっとド派手な罠とか魔物とか出てこんとつまらん。ミーシャ、その辺に作動式のヤツない?」
「いいからお黙りくださいご主人様。その口を絞めますよ?」
瞬間、私の獣耳が立つ。僅かな擦れる、鉱石がぶつかり合う音に近い。意味する罠を本能的に察知し、構える。
「前方から罠が迫っています。能力と剣の準備を」
「特殊特技とか属性はいるか?」
「いりません、属性はご自由に。球体の岩石ですから」
「了解」
何をどうとは言わない。これだけで意思伝達は十分なのだ。
徐々に地面に響き渡る轟音。地震かと錯覚する振動と共に現れし罠。人の身長をゆうに超える球体の岩石が尋常じゃない速度で向かってくる。創作物にありがちな古典的な罠だが、人の身を潰すのは容易。
瞬間、ご主人様は剣を引き抜いた。先程まで沈黙を保っていた通路から鼓膜に響く高音、吹き荒れる風で肌を刺す。
直感から悪寒が襲う、口を開こうとした時点でご主人様の行動は終了していた。剣の刃に纏う淡い緑色、付加される属性は《風》。迫る岩石に向かい虚空を切り裂き、遅れて付加された”それ”が主人の手を離れた。
【かまいたち】。日本人が目にすればそう表現するだろう、半円形を描く風の塊は岩石を切り裂き豆腐を切るように、あっけなく崩壊する。同時に襲い掛かる余波、行き場を失った風たちが四方八方に襲い掛かる。
狭く閉ざされた閉鎖空間において自滅に近い暴挙。
「……何故、《風》属性を付加なさったのです?」
「いや、通路狭いから風圧で壁ぶち壊せたらなぁ、と」
「危うく生き埋めになるところでした」
主人様には調子に乗って必要以上の力量を見せる癖があります。編成としては迷惑以外の何者でもないのですが。
右耳に装着する《感知》の魔法具を揺らす。瞬間、辺り一帯に鈴の音が響き渡り迷路の構造が脳裏に鮮明に映し出された。
「崩壊した右側の通路に広間が見えます。おそらく【最終部】かと」
「おっ、マジかよ。ラッキーじゃん」
行こうぜ、と遠足を楽しむ子供のような無邪気さに、緊張感が薄れる。
もしかして意図して行動したのではないか? 時々ご主人様の不可解な挙動に頭を悩ませている。前世で言う所の主人公補正というものだろう。
階層にはそれぞれ【最終部】はと呼ばれる空間が存在する。この場所こそ階層の終着点であり財宝が眠る。最終部の形態は様々、地下迷宮の構造が異常なようにこればかりは予測のしようがない。
故に私は願います、どうか頭を使ってください。
「ん、ここみたいだな」
急に天井が広くなり、辺りを見渡せる程になった。相当の空間があるようで、《灯》の光では全体を照らせない。
唐突に私達に衝撃が襲いかかる。何か巨大なモノを叩きつけるような打音に緩んでいた警戒を強め、気配のする方向へ殺気を送る。
大地を震わせん程の体躯と、全てを薙ぎ払う威圧感を纏うそれに全身が震え上がる。ケンタウロスと称される【奥地魔物】最終部に住まう魔物は強力な生物がほとんどだが、やはり殺伐と雰囲気を隠さずさらけ出す。
「奥地魔物との戦闘も久々ですね、大丈夫ですか?」
「……ああ、忘れてた感覚なもんで震えてた」
興奮状態が収まらない、とそう言いたげに目を見開き唇を舐める。なるほど、闘志は燃え続けているわけですか。
「では、私は私の協力をさせて頂きます」
瞬間、私はケンタウロスの視界から失せる。
一匹の標的を見失い、頭を左右に振る。感知力はあまり高くない。太腿に収めるナイフを一本手に脚を切り裂く。瞬間、咆哮ともとれる轟音と共に体制を崩した。血に濡れたそれを逆手に持ち替え、攻撃の隙なく追撃を重ねる。この手の魔物の対処法は簡単だ、軸足である細い二本のそれにダメージを加えれば重みに耐えれず、沈静化くれる。
一時的な足止めにしかならない、がご主人様に攻撃のスキくらいは出来た事だろう。
「相変わらずエグイよな、お前」
「れっきとした戦法です」
脚力を駆使し、即座に舞い戻る。顔が引きつっているが私にしてみれば主人様の方がタチが悪い。
第一、私の能力値じゃ傷は与えられても致命傷ではない。あくまで援助なのだから。
「ま、お蔭で楽に倒せるんだけどな」
にやり、と笑いながら駆ける。剣先は赤く染まり、剣に纏いし《炎》と化す。挑戦道で見せた紅蓮の剣はケンタウロスの胴体を切り裂く……事はなかった。
殺意を敏感に感じとったのか。ケンタウロスは紙一重で攻撃を回避、空を切った斬撃、その炎は地面を焦がし炎々と連なる一本の線となる。
「成程、やるじゃねえか。リハビリにはもってこいだ!!」
英雄は叫び、駆け抜ける。その表情は見えないが、従者の経験と感覚から容易に想像できる。彼は誰よりも、この戦闘を心から楽しんでいる。
その類稀なる能力を持ち、【地下迷宮】を制覇、英雄名を欲しいままにして来たカイ・イトウ。彼の性格と持ち前の演出者としての彼を知る者はいても、地下迷宮を攻略する姿を知る者は少ない。当たり前の話、彼は常に【単独】で潜り、いともたやすく制覇するのだ。
この光景は私だけが唯一見る事の出来る”舞台”。その特等席のようなものだ。
「ぐもぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
地響きする程の咆哮。振るう拳と突進は空振り、ご主人様は魔物の死角へと入り込み着実にダメージを与えていく。
その光景を見た迷宮者はおそらく、呆然と立ち尽くす事だろう。剣に付加された《炎》の揺らめきはケンタウロスの周りを包み、巨大な身体から徐々に体力を奪っていく。圧倒的な力の差が生み出す、地獄火の舞とでも言うべきか。捉えれた魔物はなす術なく足掻き、そして絶命する。
「ん、もうお終いか。つまんねえな」
「人の事言えないじゃないですか」
初手で仕留められないと踏んで、直実に斬撃を与えたのでしょうが。なぶり殺しとか鬼畜ですか、貴方。
しかし、見る者が見れば。魔物との戦闘経験が豊富な迷宮者が目撃すれば、やはり魅入ってしまう戦い方だ。こびりつく様な死の匂いも、生命を奪い取ろうとする泥臭さもない。まるで、強者が弱者に軽く捻る様な無駄な力のない、呆気なさ。
「やはり、能力のなせる業ですね……」
【上限付加】。ご主人様が持つ能力は自身の武器に自由自在な【付加】を与える。
付加とは魔法などで用いられる術式や魔力を蓄えたり、使用者の属性の一部を具現化するいわば「後づけ効果」。一度込められた付加効果を与えた本人の任意で追加、解除可能。
この技術自体は大した能力ではない。熟練とされる戦士、魔法使いなどにも可能な事で、我々が日常的に扱う【魔法具】にも扱われるごく一般的なものだ。
しかし【付加】とは本来、本人の魔力や精神力を材料とする。自分の魂の一部を削り取り、道具に埋め込むのだ。故に魔法具を製作する者を【術師】と呼び、数々の方面から重宝される人材。
【上限付加】は頭で浮かべた【付加】をそのまま武器に反映させる。
これがどれほど驚異的か、分かるだろうか。
例えるならば……何かを表現、具現化させる行為。現代社会にある、絵を描く、文章を書く、音楽を作り奏でる、感情を踊りや舞いで表現する……いわば、この能力は思い描いたそれらを”正確に具現化”出来るに等しい。
もし現実世界にこんな能力を持った超人が居たら、どうなるだろうか?
この世界に置いては上記と同等なのだ。迷宮制覇は異世界に置いて人々の憧れと希望なのだから。
しかし、当の本人は堕落だ。ご主人様が本気になれば、世界を征服するのも夢ではないだろう。
ふと、思い描く。彼が玉座に座り、大笑いする格好は容易に想像できる。だが、指導者として人々を導くような姿は一瞬も浮かんでこない。
「……ふふ」
「? 何がおかしいんだ、ミーシャ」
「いえ、何も」
人柄、と言うものがある。誰しも性格や趣向があり、その人間がこういうであろうと推測できるものだ。
彼は人に迷惑をかけ、自分の道を歩む自由奔放な少年。だがそれ以上に人々から好かれ、人を心から愛すことが出来る純粋な方なのだ、ご主人様は。
突然、地下全体が振動する。地震かと疑いたくなるそれは迷宮制覇した証拠に他ならない。何の変哲もない岩盤から、眩い光がこの場を包み込む。【迷宮魔法陣】と称されるそれから出現するのは、平民ならば一生のうちに見る事すらないだろう金銀財宝の数々。
「うひゃぁ、相変わらず大量だな」
足場すら見当たらない程の財宝の山。宝石や金銀、希少素材や魔法具に等々。この世界に置いて価値があるだろう品々が一生をかけても扱いきれない程に溢れている。
「これと、あとこれか。他は要らねえ。カサルやルルイエの土産にでもするか」
「ご主人様……」
ほとんどの財宝を雑に扱い、数個の素材や宝石だけを手に取る。限りない迷宮制覇をして来た主人様にとってこの財宝は大した事ないのでしょう。何故ですかね? 無性に腹が立ってきました。
「おお、やっぱりあったか。絶対あると思ったんだよ!!」
目を輝かせ、宝の山から取り出したのは金色の宝箱。迷宮制覇した財宝の中には十割方【魔法石】が眠っている。先述の通り、魔法具は術師の一部を削り取り製作される。
しかし、【魔法石】一つあれば道具に装着するだけで魔法具の製作可能。故に、迷宮制覇した者は必ず魔法石を重宝し、今後の迷宮探索の主力となる。英雄の中にも魔法石の恩恵を受ける者がほとんどだ。
ご主人様を除いて。
「魔法石がどうされたのですか?」
「ミーシャ、祝いだ」
ポンッ、と宙を舞う宝箱。慌てて掴むが意図が理解できない。
「ウチに出迎えて一年が経つからな。まあ、お前へのプレゼント、と思ってくれていい」
照れるように頬をかく。その顔面はほんのりと赤く染まり、彼自身が照れているとわかる。
素直じゃない人ですね。従者を労うくらいで迷宮制覇しますか? 大通りで売られる安い宝石類くらいでいいでしょう。
「な、なに笑ってんだよ、これの為にわざわざ重い腰を上げてだな!?」
「ありがとうございます。ですが、随分と軽い腰ですね」
るっせんだよ!! と激怒する主人を横目に、宝箱の中身を開ける。輝く瑠璃色の石、宝石の発色とは違い、深みある光沢は引き込まれるような錯覚を覚える。どこか心が落ち着く不思議な石だ。
この人は本当に、私に迷惑ばかりをかける。感謝してもしきれないのは、私の方なのに。
ご主人様に気付かれぬよう、ただ静かに微笑んだ。
Q 百合は?
A 次回まで待って頂ければ、おそらく