11 死の気配
「警戒が散漫になっているぞ、ミーシャ」
痛みはなかった。ただその言葉だけが身体中に響きわたる。
唐突な出来事に頭を上げ状況を見極める。襲いかかるはずのオークの脳天はひしゃげ、鮮血が噴き出す。倒れこみ絶命する同房の姿にオーク達は怯み、その原因を睨みつける。
彼の手に持たれるモノは血が滴り、私は呆然と状況を見つめた。彼の持つ剣、それはあまりに巨大で歪だ。しかし、それこそが彼の真骨頂、鈍器をも上回る大剣。それが目に入り、誰なのか理解した。
「下がっていろ」
ただ一言、深淵から響く様な声が呟かれる。事態を把握し、抱きかかえるキャロル様と共に地面へと伏せる。全身を持っていかれるような風圧、遅れるよう鼓膜に響いた甲高い風を切る音。後に残された静寂に顔を上げる。
目の前のオークの姿は消え失せ、後に血だまりが残る。見るも無残な肉塊だけが空中から転がり落ち、同房たちはマヒしたように硬直。
私はその光景を呆然と眺めるほかない。カサル様は血の汚れを振るい落とし、振り返る。
「無事か」
「カサル様、どうして」
「いやぁ、本当に大変だったよ」
ピョコ、と彼の背から現れる少女。ルルイエ様は笑いながら語る。
「いきなり戦力分散されちゃ編成もあったもんじゃないよねぇ。ホント、取り越し苦労って言うか」
「しかし、何故お二人はご一緒に……」
「何たって私はいつも肩見放さず身につけてますから」
ポンポン、とカサル様の後頭部を叩く。それにより彼の表情がより剣幕なものになっていくが私自身の心情はそれどころではない。安堵から全身を脱力させ、現状の深刻さに身震いした。
彼らの救援がなければ、私達は……。
「腕を出せ」
突然の言葉に脳が追いつかない。地面に膝をつき、右腕に触れる。その鋭い眼力は腫れあがった打撲痕に向き、すり潰した薬草をあてた。染みる痛みに表情を歪ませるがその間に処置を済ませたようだ。巻かれた布切れに触れ、礼の言葉を告げる。
「しかし、何故。どうしてお二人が……」
「急かすな、順を追って話す」
「カサルが魔法陣で転移する瞬間に気がついたの。一応、両者が触れていればばらける事はなかったみたい」
ルルイエ様はあっけらかんと言うが、通常ならば不可能な反射神経だ。
「流石ですね、カサル様は」
「お前も気づいたのだろう、転移時の違和感に。ならばそう自身を卑下するな」
「……心遣い感謝します」
素直に喜べない。私の直感は自身の能力でなく、この身体の能力なのだ。自分の感情に左右され、キャロル様を危険に晒したのも事実。
私はただ、三人の足手まといになっている気がしてならない。
地面へと降り立ち、ルルイエ様が近づく。抱き抱える人物を見つめ、目を見開いた。
「誰かと思ったらキャロルじゃん、大丈夫なの!?」
「ええ、ご安心ください。命に別状はないようで……」
「そう、気になっていた点だ」
彼の尖った視線が、私に向く。
「カイはどうした」
「ご主人様は、最終部に向かいました」
「何故行かせた」
「……それは」
私自身の失態です。言葉を脳内に浮かべ、止まる。言葉にせずとも彼らには分かる事であり、現に声が上げる事が、その視線を正面から向き合う事が出来ない。
カサル様は俯く私に、ただため息をつく。
「一足遅かったか」
カサル様は懐から何かを取り出す。紙代わりの動物の皮紙のようだ。
「先鋭部隊を発見した。キャロルを除いた全員がこの地点で待機している」
「本当ですか?」
指を指すのは赤く丸印。定規などの道具を使っていない、炭で描いた簡易的な地図。数十個の空間に分かれ、複雑な構造を示す。もしやこれは。
「これは【百六十七層】の地図なのですか」
「奴らの話ではこの階層はそう複雑ではないそうだ。幾つかの検証の結果、未開拓の空間が一つ残されている。そこが最終部なのだろう」
私に手渡すのは羅列の並ぶ皮紙。赤く記される地点が先鋭部隊の現在地なのだろう。
「早急に頼む、この場とキャロルは俺達に任せろ」
「はやく行ってあげてね、みんな待ちぼうけ食らってるんだから」
「私が、ですか?」
思わず躊躇する、今ここにいるのは私一人ではないからだ。抱き抱えるキャロル様に籠る力が強くなり、その感情が伝わったようだ。カサル様は何も言わず彼女を掴み、肩へと乗せた。
「お前の事だ。自分が介抱するとでも言ったんだろう……いけ」
背中を向けて大剣を抜いた。彼の威圧に押されたオーク達は未だ手を出せず、距離感を保ち続ける。そのスキは長く持ちはしないだろう。思考する時間はない。
「……ありがとうございます」
私は礼を述べ、迷宮魔法陣に駆ける。
余計な言葉などは要らない、カサル様が言わんとする事は想像できた。「主人よりも本命を優先しろ」彼の目はそう語っていた。
今優先すべきなのは【灼熱】の先鋭部隊だ。主人様でも自分の感情でもない。そう、自身に言い聞かせた。
♢
幾つかの魔法陣を通り抜けて、ようやく目的地にたどり着く。降り立った空間に感じられる多数の気配、獣臭が鼻腔につき状況を確認する。
≪灯≫が反射し視界に飛び込んだ壁、この空間の中央にそびえる岩石の石壁。その中から多数の気配と人影が見え隠れする、おそらく探索者達の創り上げた物。
しかし、この殺意の交わり方は――。
石壁を死守するよう、懸命に剣を振るう。揺れる金色の頭髪の姿に見覚えがあった。
ーーたしか、ケルベと言った。
先日、制覇祭で偶然遭遇した【灼熱】の探索者達、彼も迷宮内に閉じ込められていましたか。侵入したオークの数は三匹、戦闘に加わる者は既にケルベ様しかおらず、オークも二匹。不利な状況下だ、にも拘らず獣人の身体能力を活かした俊敏な動きで、剣技を舞う。それが敵を翻弄し、オークを軸足を裂いた。自立できず戦闘不能となったオーク、あえて殺戮せず最小の行動で制圧する技量、その光景に思わず魅入ってしまう。
流石、【灼熱】の先鋭部隊なだけはある。
しかし、彼自身の疲労はピークを達している。足取りは乱れ、時折僅かなスキを見せるのだ。しかし動きの遅いオークには突き崩す事は不可能。瞬間、ケルベ様は畳みかける、が脚を取られバランスを崩す。オークにとって、これ程の好機はない。大きく振りかざすこん棒はケルベ様に襲い掛かる――。
「させませんよ」
背中に短剣が食い込み、鮮血が吹き上がる。全身が痙攣し地面へと倒れこむ。死に絶えた事を確認しナイフを引き抜くと、ケルベ様へと顔を向ける。その表情は引きつっているものの声を漏らす。
「あ、あんたは街で会った……」
「王族直々の緊急依頼クエストで参りました。生存不明となった【灼熱英雄】の先鋭部隊の救出、及び迷宮制覇を目的とした正式な救援です」
「首領は大丈夫なんすか!?」
「ご安心を、戦闘不能で意識を失っていますが命に別状はないものかと」
「よっ、よかったぁ……」
張り詰めてた緊張の糸が切れた。そんな風に倒れこむ。
防具は破壊され、本来の役割を果たさず土砂と傷より鉄の色はくすみ、へこみを帯びる。ここまでよく耐え抜いたものだ。彼の頬に触れる、意識は混濁していない、正常な精神状態のようだ。
「えっ、ちょ」
「動かないで」
背負う荷物を降ろし回復薬、薬草を取り出す。草をすり潰しペースト状とした塗り薬だ、木製のケースから取り出したそれを彼の傷に塗っていく。その間、ケルベ様は赤面してはいましたが静かにしていました、主人様とは大違いですね。
「そ、そのデカイ荷物、一人で持ってきたんすか」
「一人ではありません。私の主人と共にです」
「いや、担いできたのはあんたでしょう…?」
部隊の規模は三十人程と事前に報告を受けていた。一週間近く迷宮に缶詰状態を考慮すれば必要以上に詰めるのは当然だ。回復薬や薬草は勿論、キャロル様の場合にような状態異常や脱水、栄養失調のよる意識低下で身動きが取れない場合、迷宮離脱すらままならず全滅する。
第一、獣人の性能を持ってすれば容易。大した荷物ではない。
塗り作業を終え周囲を見渡す。石壁から表す彼らの表情は様々、喜怒哀楽の感情を出している。探索者達のほどんどが獣人、逆に獣人であるからこそ閉鎖空間で耐えきる事が可能であったのだろう。階層自体も籠城可能な環境下にあった。不幸中の幸いと言うべきか。
「重傷者はいますか?」
「一応、命にかかわる奴はいないっす。もう、回復薬も底を尽きてギリギリだったんすけどね……」
「階層の特性を生かした見事な判断でした。彼らを指揮していたのは誰ですか?」
「ああ、俺っす……こう見えて、隊長補佐なんすよ?」
「ええ、本当に懸命でした。迷宮の構造をよく把握して……」
部隊全体の状況は負傷者多数、重傷者や死者はなし。だが一週間の疲労と極度の緊張による精神的苦痛は並外れたものではない。事実、半数以上のものが寝込み、極度の栄養失調と言った症状を起こしている。
【百六十七層】の迷宮構造、魔物部屋を事前に知らされていれば【宝剣】と【鉄壁】の編成構成で潜る事はまずない。今回はクリエーターと階層の相性があまりに悪すぎた。【灼熱英雄】でなく【鉄壁英雄】を王様が派遣すれば状況は悪化しなかっただろう。
「も、もしかして。ミーシャさん、俺達の為に危険と知りながら潜入してくれたんすか?」
「ええ、そうですが」
「なんでそんな、無茶な事を……!! 俺達だって、曲がりなりにも探索者達なんすよ!?」
ケルベ様は私の顔を覗き込み、声を荒げる。その表情は心配を体現したように悲壮感漂うもの。確かに死んでもおかしくない行為だ、それを自分も理解している。ただ命を賭してまで貫く事柄が、今の【私】にはあると言うだけの事だ。
それに。
「私は従者ですので。主人様の言う事は絶対です」
「いや、従者はそんな過激的ではないと思うんすけど」
と、ジト目で呟かれる。おっと、オークの返り血をふき取るのを忘れてましたね。一人の女性としてはしたない行為です。
突然、迷宮魔法陣が点灯した。周囲に即座に緊張が走る、動けるものは戦闘態勢に入り、魔法陣に殺意を向けた。が、すぐに余計なことであると察する。
「合流できたようだな」
「カサル様」
即座に警戒を解く。彼らは難なくオークを殲滅されたようだ。カサル様は抱きかかえたキャロル様を地面へと下ろす。
「首領、大丈夫なんですか!?」
「心配するな、軽く錯乱してたが今は落ち着いてる。状態も良好だ」
肩を撫で下ろす彼を尻目に、それよりもと続ける。まずは無事に合流した彼らを迎えて状況の整理を始める。
「……ここは?」
聞き覚えのある声に耳が反応する。即座に団員達は声の主へと駆け寄っていく。【灼熱】のキャロル・エマールの元へ。
団員達は皆不安げな表情を浮かべ、団長の帰還を喜んでいる。
「首領。生きててよかったっす」
「私の事はいいわ。団員達は?」
「ほぼ全員、合流出来たっす。幸い通信魔法具が機能してたっすからね、数日がかりとはいえ何とか……」
「……そう、ならよかったわ」
ため息と同時に彼女は表情を曇らせ、勢い任せに立ち上がる。団員達一人一人を見渡し、徐々に表情には焦りが募っていく。
「ルニはいないの!? ケルベ、私はいいから今すぐに探して」
「無理っすよ首領、俺達だって探しまくって……この様っすから」
目を後ろにやり、状況を確認させる。九割方が疲労と栄養失調で立ち上がる事すらままならず、地面へ伏せる。その状況にキャロルは青ざめ、言葉を畳みかける。
「あの子の能力は知ってるでしょう!? この中で感性が強いのはあの子なのに、どうして!!」
「落ち着いてください、キャロル様」
取り乱す彼女の肩を掴む。場を弾圧する首領の言葉に団員たちは黙り込み、目を伏せる。
「現在、ご主人様が最終部に奥地魔物制覇へと向かっています。制覇後、安全を確保した上で捜索しましょう」
「一刻を争うのよ‼︎ あの子はまだ十にもならないのに、今生きてるかも分からないのに……‼︎」
地面へと伏せる彼女を見下げ、私はケルベ様に問う。
「ルニ様は何か連絡手段を持っていないのですか?」
「いや、一応通信用魔法具は常備してるはずっすよ……」
ちらりと、団員の一人を見やる。獣耳に魔法具を付けた彼は、バツの悪そうにこちらを向く。
「隊長、ダメです。反応無しです……っ」
「そう都合よくいかねーすよね」
「い、いや、待ってください……!!」
声色が変わる。団員はそれがどう言う意味か、その場の者達は察し伝達されていく。
「反応、ありです。途切れ途切れですが」
「貸しなさい‼︎」
彼女は乱暴に魔法具を取り、叫ぶ。
「ルニ、ルニなの!?」
「……首領様?」
「今どこに居るの、無事でいる!?」
「大丈夫、生きてる。それより……宝剣英雄さまが」
彼女の言葉に周囲に動揺が走る。主人様と一緒に居ると言う事はもしや、ルニは【最終部】に居るのですか。
その結論に至る者は少なくなかった。神妙な雰囲気の中、魔法具から漏れる言葉が通り抜けていく。
「宝剣英雄さまが……死んじゃう」
最悪の情報と、共に。




