10 救出と違和感
あけおめです。
「ミーシャァ!!」
響き渡る主人様の怒声。それが意味するものを敏感に察知し、駆ける。人型の魔物は【上層】には多々出現する。彼らは他の魔物とは違い、少なからず知能を持ち合わせる。故にこれから起きる惨事は容易に想像がつく。
太腿の小袋から数本のナイフを抜き、投げる。濃厚な殺意に気がついたのか数本が空を切る。手前の魔物に命中したが致命傷には至らない、ここでようやく敵の正体が鮮明に浮かび上がる。
だらしなく垂れる舌がこちらを向き、闇に光る眼がこちらを睨む。中年男性のような腹と豚の様に剥き出しの鼻、醜い体躯。前世の記憶から浮かぶ知識。ファンタジーでも嫌悪を象徴として扱われるそれは、実物も強烈な威圧感がある。
「プゴォォォォォ!!」
怒声を上げたオークが武器を手に取り、私へと襲いかかる。所持するこん棒が空を切り、地面へ叩きつける。クレーターに砕け土や砂利が襲い、視界を遮る。その威力は間違いなく常人の脳天を砕くには容易であり、それはすなわち――死を意味する。
私は自分の用いる最大限の力を込め、飛んだ。
敵は三匹。後方でキャロル様を抱える一体、前方で警戒態勢の二体。稚拙ながら編成に近いそれは知性を証し、油断をすればこちらが危うい。背筋に悪寒が襲い、全身の毛が逆立つ。確実にこの豚達を無力化しなくては。
短剣を手にし、前方一体の豚の喉を裂く。瞬間、止めどなく血液が溢れて地面へと倒れ込む。息絶えた仲間の姿に咆哮、もう一匹が襲いかかる。それを回避、手のひらに刃をを突き立てた。悲鳴と同時にこん棒を落とし一時的に無力化。キャロル様を抱える、最後の一匹に詰め寄る。
両手を塞がれた状態で満足な戦闘は行えない。今が最大のチャンスだ。
敵に明確な殺意を放ち、瞬時に間合いを詰める。突然の事態、次々とやられる仲間に動揺し最後のオークは身動きする事が出来ない。そのスキを狙い、両脚の腱を裂く。
「プギャァァァァ‼︎」
悲鳴と同時に地面へとひれ伏せる。豚に似た奇声と共に脳天にナイフを突く、絶命する事を確認して彼女を奪還。
意識はあるが、かなり衰弱している。このままでは危険――。
瞬間、第六感が警告を鳴らした。即座に横跳び、同時に地面は柔らかな土の如く砕け、大穴を作りだす。
「負傷した両手で……!!」
無力化したはず、気絶していなかったーー。
両手を突き刺したはずのオーク。止めどなく血が溢れ出し、足元に血の水溜まりを作り出している。それを物ともせず、渾身の力を振り絞り大穴を出現させた。
もしも、これが人の身体に命中すれば、命が幾らあって足りない。身震いする悪寒を無視し、私は主人様に叫ぶ。
「動きを止めました!!」
「よし、充分だ」
彼の剣に蓄えた魔力の流れ。獣人の私をも震わせるそれは、彼自身の感情の昂ぶり。憤怒を象徴するように。
瞬間、跳躍。数十メートルもの間合いを一瞬に詰めた。
「キャロル様……!!」
頬を叩く。が彼女は動かず目を開こうとしない。だが息は確かにしているのだ。問題はそれ以外にある。心の中で彼女に断りを入れ、身体の各所を確認する。軽い擦り傷や打撲の跡あるのみで至って正常。顔色が悪いが一週間まともな食事をしていない為だろう。
「ミーシャ!!」
「キャロル様は無事です。安心して豚の処理をお願いします」
「はいよ!!」
安否を確認し、主人様は駆け出す。その表情は先程とは一変、口角が緩み刹那笑顔に見えた。私に見せた事の無いような、哀愁の籠る笑みを。
とたん、自分の中で安堵と共に不純物が紛れこむ。心底に眠る深い感情、沸々の煮えるような”負”の感情が。あの笑顔が私でなく、違う”誰か”に向けられていると確信したために。
――そういう事ですか。
自分自身で納得し、肺の中の空気が吐き出す。精神の乱れ、その理由に安堵し、嫌悪感に苛まれた。
残骸を踏みつけ、地面に剣を突きさした。初めて遭遇したオークはかなりの手練れであり、知性を持ち合わせていた。でなければ仲間のしかいに入り込んだ奇襲を行う事は不可能。連携による猛攻は間違いなく我々を追い詰めた。
「キャロル!!」
主人様は息を切らし駆けつける。その表情には焦りの色が。
「……ああ、カイ。久しぶりね」
「んな事言ってる場合か? 今すぐ治療してやる」
「私の事はどうでもいいのよ、他の編成の子たちを」
「どういう事だ、お前の仲間はどこにいんだよ」
「ここに侵入した直後、罠でバラバラにされたわ。編成は三十人、どの程度ばらけたかは予測できない……。一番の心配は、あの子だし……!!」
呼吸が異常に乱れ苦しそうにもがく。片腕を抱え這いずる姿は見ていて痛々しい。朦朧とした瞳で辺りを見渡すが暗闇の岩盤しか映りはしない。
「回復薬一つで充分、私も貴方達と同行させて……。少しばかり構造も把握しかけてるし、役に立てると……思うわ」
言葉と共に気絶する。倒れ込む瞬間にご主人様が支える、その姿は満身創痍。誰の目から見ても戦闘を行える状態でない。キャロル様、彼女は錯乱している。
「ご主人様、回復薬と聖水を」
「ああ、悪いな」
礼と共に立ち上がる。ふらふらと徘徊する彼女を掴み、聖水を無理やりに飲ませた。本来、聖水には魂を浄化する効果があるが、精神的な動揺や錯乱を鎮める効果もある。
聖水を口に含んだ瞬間、キャロル様は気絶した。精神疲労が聖水により露わになり、意識が飛んだのだろう。倒れ込む身体を支え、回復薬を布に浸し口に含ませる。
事態の深刻さが浮き彫りとなる。【灼熱英雄】彼女が満身創痍に加え状態異常、戦闘不可になるまで追い詰められた事実は変わらない。【百六十七層】は一英雄の実力をも凌駕する危険性がある。
対話用魔法具を手に取って応答を願う。が、依然として雑音が耳を焦がすのみで役に立たない。
「ルルイエとカサル様も応答なしです」
「……そうか」
ふと、違和感が過ぎる。先程から胸の奥が騒めいて興奮する。何かを忘れ、見落としている既視感。ご主人様の顔が優れず、普段のような余裕がないためか? いや、それはキャロル様が友人である点が大きいだろう。
胸の奥にある感情が溢れ出す。それは玉座で体感した嫌な、黒い何か。それに。
「ミーシャ、耳輪でも解読不能か?」
「……その通りです」
耳輪をさすり、冷静に状況を整理する。しかし頭に過ぎるのは最悪の事実。
「ご主人様。おそらく、この階層は【規格外】なのでは」
【規格外】。数百年、王都が迷宮探索を停滞させた訳、それこそ特別な悪魔の階層の存在。地下迷宮の階層出現条件は一つ、解放される全ての層の最終部にて財宝を入手、制覇する事。
だが不規則に迷宮者達の技量を抜かすような難易度設定のものが出現する。まるで我々の力量を鼻で笑い、神が仕向けた使いの一人ではないかと錯覚するの程の強さ。迷宮者は如何なる困難、自分たちの身を削り【規格外】を突破してゆく。が、【九十九層】を機に一切の進展せず、迷宮に挑む者たちは消え失せる。ご主人様が現れるまでは。
私の言葉にご主人様は答えない。その背中には普段の嬉々とした感情はなく、静寂がこの場を支配する。
「……キャロルを頼めるか?」
低い声と共に放たれる言葉に獣耳が立ち上がる。
「今回の階層は危険だ、ルルイエとカサルも危ない。ミーシャは二人と合流次第、ばらけた先鋭部隊の保護に向かえ。迷宮制覇さえすれば、《迷宮魔法陣》からの脱出は可能だ」
「単体で攻略するおつもりですか?」
「ああ、事は一刻を争うからな」
剣を腰に当て、真剣な眼差しで語る。いつもならばその眼を信頼し、何の門団もなく主人を見送るだろう。しかし、状況が普通ではない。
「失礼を承知で申し上げます、無謀です。本当に……私は、キャロル様をお守りできません」
「……ミーシャ?」
主人様が振り返る、その声色に疑問が浮かんでいる。だが私に弁解する余裕はない、ただキャロル様の額をさすり、俯く。
先程のオーク達の戦闘、咄嗟の事態に頭が追いつかず冷静に状況を把握できていなかった。不意打ちに近い状況でギリギリ対処できた。しかし一歩間違えば、彼らの打撃を一度でもモロに食らえば。私は動く事は出来なかっただだろう。
英雄の編成である事で誤解される事がある。人は私を英雄の肩を並べる程の技量を持つ、そう仰ることがあるがとんだ笑い話だ。私に対した経験と記述はない。転生者としての記憶と獣人の身体能力で、ようやく主人様の邪魔にならぬ程。故に、突然の出来事や事態には対処する能がない。
結局、私は要らない従者でしかない。
呆けたと同時に頭が揺れる。唐突な出来事に私は目を見開く、彼は私の額を叩いたのだ。俗に言う、デコピンだ。
「お前さ。獣人なのに真面目すぎんだよ」
「はっ?」
「時々、キャロルの連れてる獣人のバカどもが羨ましくなるぜ。あいつら信じたやつの言葉は絶対に守るし、応えるもんな」
「信じる……?」
「感情的になれ、とはお前の性格上言えないか。とりあえず、俺を信じろよ!! みたいな? んん、違うか……?」
ぶつぶつ、と頭を捻るご主人様の姿。おそらくこの状況で私を元気づけようと言葉を考えているのだろう。その姿に私は思わず吹き出し、口を覆う。本当に緊張感がないと言うか、彼らしいと言うか。
いつもは怠惰で頼りないのに。まるで、ご主人様はこう言う所では本当に「主人公」のようで。
「わかりました」
「へ、わかったのか?」
私は立ち上がり、虚勢を張る。その行為が彼を安心させるならば、喜んで道化を演じよう。
決意に燃える彼を横目に、俯く。沸々と煮え返る感情に嫌悪感を示しながら。
「ご主人様はこの階層を制覇して下さい。私はその間、この場で待機します」
「お前、いいのか? 下手すりゃ魔物に襲われるぞ」
「一つ、約束してください」
顔を上げる。心配そうに私を覗き込む彼に、笑いかけた。
「ちゃんと息の根を止めてくださいね?」
「こえーよ、やめろ」
彼は苦笑し、私の冗談を笑い飛ばす。これでいい、彼との会話はこの程度の気軽さが一番だ。きっとこれが主人様を安心させられる。
背を向け、迷宮魔法陣に姿が消える。眩い光は消え去り、魔法具の≪灯≫だけがこの空間を照らす。残像のように脳内に思い浮かぶ、彼の去った姿を見つめ。
「……私は、嫉妬してるんですね」
誰に言う訳でもなく吐き捨てる。自分のもやもやとした感情の正体を見極めた。自分の醜さは誰よりも知ってるはずなのに。
本当に醜い。
キャロル様との面識はあまりない。英雄名を貰う前、迷宮者として駆け出しの事からの旧友と話には聞いたはある。何せ、私自身も一年しか仕えていない従者。【宝剣英雄】としての、普段のカイ・イトウしか知らない。
彼女に嫉妬するのは、従者としての感情か。一個人としての想いなのか。”俺”としての理性が残る自分を女性と呼んでいいのか。もしそうならば”私”は女性としてご主人様に……。
違う、違うんだ。そう言う感情じゃない。
傍にいる人に見放されたような気がした。何処かに行ってしまいそうな気がしたんだ。
何故今日ここまで主人様に固執するのかようやく理解した。彼がどこかに行く気がしたのだ、キャロル様を想い私など見向きもせず、彼女の攫い消えてしまいそうな……不安と喪失感が。
今介抱する彼女がどうしようもなく憎らしく、妬ましい。あのような笑顔を受け取る権利の持つ、この方が。
本当に、憎たらしい。
視界が、意識が深く沈む。ずぶずぶと落ちていく感触は次第に視覚も、聴覚をも覆い尽くしていく。ふと蘇る光景が、この異世界に転生した頃の記憶が溢れ出す。
”俺“と言う人格が犯した過ちが、醜さが溢れ出していくーー。
瞬間、洞窟内が震える。身体を起こし、事態の把握しようと努める。私は目を見開き、この現状に対し呪いたくなった。
考えうる、最悪の事態が起こったのだから。
魔法陣が崩落、その正体が、何者による所業かなど、考えるだけ無駄であろう。瓦礫を踏み潰す音に、全身から危険信号を鳴らす。
「何故、オークがいるのですか……!?」
この空間の魔物は全て倒したはずなのに。違和感が過ぎり、魔物から視界を外す。魔法陣の一部が破壊され、ぽっかりと穴が開いている。あれを破壊し、強引に突破してきたのか。
次々と現れる醜い体躯の生き物たち、先程嫌と言う程に拝見したオーク。それも、五匹。
私の技量では到底、太刀打ち出来ない。ましてや、キャロル様を抱えての戦闘は。だが、魔物は律儀に待ちはしない。ここの生き物は欲望に正直で、非情だ。欲求を満たさぬ限り、私達を襲い続けるだろう。その先に見える未来は容易に想像できる。
彼女を抱えての跳躍、空間内は狭く、後退しても物の数秒で詰め寄られるだろう。しかし、一人の人間を抱えての戦闘は特攻と大差変わりない。
今の私に出来る事は”逃げる”事だけなのだ。
「ブォォォォォ!!」
咆哮。拙い編成ではあるものの連携の取れた打撃。何かを守りながらの戦闘は、両足に足枷を付けた状態に似ている。脳内に浮かぶ行動が身体の連動しない。
故に動きが散漫となり、油断へと繋がる。
「くっ……!!」
瞬間のスキを突かれ、打撃がかすめる。通常ならば大した痛手では無いはずだしかし、状況と立場が違えばそれは凶器と化す。魔物の持つ攻撃力の前に、オークの打撃の威力は掠め取るだけで十分なのだ。
「ブォォォォォォ‼︎」
叫びの響きが変化する。その理由が私自身への歓喜の嗚咽であると、容易に理解する。腫れ上がる腕、手のひらで支えるだけで触れるだけで大体の状態がわかりえる。幸いに腫れ上がっているのみ。仲間がいれば余裕さえあればいいのだ。しかし、身体の自由が利かない。
「私の、失態ですか」
根拠もない直感を、自分の考えを押し通したことで招いた事態。後悔がフラッシュバックのよう脳内に駆け巡り感情の渦が私の身体を完全に制止させる。
もしも、私が主人様を止めていれば―――。
私の視界は暗闇に包まれた。




