リリーティアと新人冒険者
桜色の髪をご機嫌に風になびかせ少し垂れ気味の長い耳をしたエルフの少女は石畳の歩道を歩いていた。
右手にツタの絡みついた大きな花の咲いた枝のような杖をもち、肩からは大きな革製のカバンを提げ頑丈な革ブーツで歩いている姿を見れば、冒険者ギルドのある小さなこの町で暮らす人々は一目で彼女が魔法を使う冒険者だとわかるだろう。
たとえ、ふわふわの長いくせっけを右側のひとふさだけパステルオレンジの大きなリボンで結んでサイドポニーにしていようとも、さらには左の前髪は大きな花飾りがついたヘアピンでとめていようとも、カバンの肩紐にかわいらしい飾りのリボンがついていようとも、厚手の白いローブを腰できゅっとベルトしめることでワンピースのようにみせていたとしても、さらには裾をあげてミニスカートにするだけでは飽き足らずフリルを縫い付けひらひらさせていたとしても冒険者なのである。
危険と隣り合わせの冒険者である前に彼女は年頃の少女でもある。オシャレをせずにはいられないのだ。
そんなありふれた年頃のエルフの女の子であり魔法使いの冒険者である彼女リリーティアは扉が開けっ放しの冒険者ギルドへとニコニコしながら入っていった。
冒険者ギルドの看板が出てはいるレストランと酒場も兼ねている建物は、ランチタイムを過ぎていたためか広さと机の数に対して少し寂しげだった。
「ただいま戻りました。お姉さんハンバーグ定食とチーズケーキくださいな」
リリーティアは大きなカバンをカウンターによいしょと乗せると中から小さな革袋を取り出し、店主の二十歳前後に見えるニコニコしたエルフの女性、ギルドマスターへと手渡してカウンター前の高めの椅子によじ登るように座った。
「リリちゃんお帰り。薬草集めとかそういうお仕事はほんとリリちゃん頼りになるわ」
ニコニコと笑顔を崩さずギルドマスターは豊かな胸をカウンターに押し付けるよう身を乗り出してリリーティアの頭へと手を伸ばしなでた。
「その言い方だとそれ以外できないみたいですよぉ!みんなやりたがらないから私がやってるだけです」
リリーティアはぷくーと頬を膨らませ口をとがらせると頭をなでられている状態なせいもあり、もともと幼い顔立ちがより幼く見えた。
「むくれないむくれない。うん、たぶん大丈夫」
革袋の中身をろくに確認もせず女性は適当にオッケーを出す。
「リリちゃんのお姉ちゃんと妹ちゃんが帰ってきてるみたいだからお姉ちゃんのところにいくのかしらねこれ」
「え!?お姉ちゃんかえって来たの!?」
リリーティアは目をキラキラ輝かせて身を乗り出したあと小さく声をあげて椅子に座りなおしわざとらしい咳払いをする。
旅の薬師の姉とその護衛をしている妹はリリーティア自身も冒険者をしているためなかなか会う機会がないため思わずはしゃいでしまい頬を恥ずかしそうに染めた。
「姉が帰って来ているんですね」
「別に言い直さなくてもいいじゃない。姉妹仲がいいのはいいことよ」
「でも外でお姉ちゃんって呼ぶのちょっと子供っぽいじゃないですかぁ」
頬を紅潮させ少しむくれて上目遣いに言うリリーティアの様子が既に少し子供っぽいのにギルドマスターは思わず吹き出しそうになる。
「それはそうと注文のお代を引いてこれが報酬ね」
用意していた報酬から紙幣を一枚抜き取ってからリリーティアへと手渡したがリリーティアはころりと表情を変えて怪訝そうな顔をする。
ギルドマスターのどんぶり勘定はいつもの事だし、何を頼んでも紙幣1枚とられるのでリリーティアはできる限り高い注文をしている。値段も見ずに適当に報酬を抜かれたことに不満があるわけではない。その逆だ。
「……ねえ、ずいぶんと多くない?」
リリーティアが受けていた薬草採取の依頼の報酬の3倍はありそうな紙幣の束を数えながら不安そうな表情を浮かべた。彼女は質の良い薬草を選んだつもりではいたが、依頼人の手元へまだわたっていないので追加報酬が出るはずがないのだ。
「前金よ、前金」
「何のですか!?」
「お仕事」
眉間にしわを寄せるリリーティアの前に一枚の紙が差し出される。
見たところ冒険者への依頼書だがインクがところどころまだ乾いていなくまだ書かれたばかりのようにみえた。
「昨日、森の廃城の見回りをお願いした新人さん達が帰ってこないのよ」
「あ、あー……」
笑顔のまま告げるギルドマスターに渋い顔をするリリーティア。
冒険者が行方不明になることは珍しくない。特に新人ならばなおさらだ。
怖い思いをしてギルドへ報告もせずに逃げてしまう者。前金だけ持ち逃げする者。死体で発見される者、死体すら発見されない者……
「でもそれだったらぼっちの私よりきちんとパーティー組んでるベテランさん達に任せた方がいいですよね?」
人探しは危険度の高い仕事の一つだ。人がいなくなる理由は大体まともな理由じゃない。
人さらい、危険なモンスターの餌食、事故。
特に戦闘力を持った集団が行方不明となればそれ以上の戦闘力を持った相手がいると考えてよいのだ。だから、報酬がいくら良くても誰も請け負わないまま何週間もほったらかしにされついには依頼人が依頼自体を断念することも珍しくはない。
そんな依頼をリリーティアももちろんやりたくはない。
「もちろん。でもこのあたりで暇してるのリリちゃんだけみたいなのよね。みんな私が仕事させちゃったから。それにこのままだとまた誰も探しに行ってくれないでしょう?」
「そうですけどぉ……」
ニコニコと微笑んだまま顔をじっと見られ居心地が悪くリリーティアはギルドマスターから視線を逸らす。
「それで、行方不明になったのはどんな人なんですか?」
笑顔を崩さないギルドマスターに対して不満げに唇を尖らせたままリリーティアが尋ねるとどこか愉快そうにギルドマスターは答えた。
「武器を持った素人が三人。みんなリリちゃんくらいの人間の女の子ね。装備はお揃いの鉄板入り革鎧に革ブーツに革グローブに革帽子に革盾そして革鞄。武器は鉄の両手剣に木の弓と木の杖ってところだったかしら」
ギルドマスターがすらすらと特徴を伝えている間に給仕がリリーティアの目の前にハンバーグ定食とチーズケーキをもってくる。
「廃城の見回りってことはたまに私もやってるあれですよね?廃城近くの小屋の備品と食料を補充して、廃城にモンスターが入り込んでたら追い払うあれ」
そう尋ねるとリリーティアはハンバーグの上の目玉焼きの黄身を崩し、切ったハンバーグにからめて口へ運ぶ。
「そうよ。いつもの仕事に死体と出会う可能性があるってだけで報酬がこんなに増えるなんてお得だと思わない?」
「食事中に死体とかいわなでくださいよぉ……」
「ふふ、ちょっとデリカシーがたりなかったわ。みんなで定期的に見回ってるコースだから危険はほぼないはずなのよ。だから前金の持ち逃げをしそうな子ではなかったし……迷子……だと思うのよね」
「迷子かぁ……それって」
「いつものコースだけ見てくれれば大丈夫よ」
リリーティアがどこまで調べればいいのか聞こうとする前に察したギルドマスターが答えた。
その廃城はリリーティアが主に活動をしている町から森の廃城は見れるような距離にあるため誰でも知っている場所だ。
たまにモンスターが出現するがたどり着くまでの道も険しくなく、やんちゃな若者が度胸試しに使うことがあるような場所だ。
数百年前に落城し廃墟となっているが、現領主がいつか使うかもしれないと冒険者ギルドに定期的に見回りを依頼している場所でもあり、ギルドの人間が口にする廃城の見回りコースと言えば誰でもわかるルートであり、新人が最初に依頼される通過儀礼のような仕事でもある。
そんな場所なので万が一モンスターが入り込んでいてもすぐに追い払われたり退治されたりしてしまうので賢くないほとんど野生動物みたいなモンスターがたまに迷い込んでいる程度の危険度だ。
そんな場所なので床や壁が崩れてしまっている場所があり多少入り組んでいるとはいえそれなりの頻度で人が出入りしているのでよく使う道はそれなりに整備もされていて遭難をするような場所ではない。ただしそれは地下を除いてである。
光の差し込まない地下は視界が悪いというだけで危険だ。さらにはかつで王族が逃亡するための隠し通路として使用されていたと思われる通路は天然の鍾乳洞とつながっている。
今はその通路自体に入れないよう分厚い鍵のかかった鉄扉が設置されてはいるが、かつてはいつのまにか天然の迷宮に迷い込み遭難する者もいれば、逆に危険なモンスターが隠し通路を通って廃城の地下へ迷い込み猛威を振るったこともあって人によっては未だにリスクを嫌がりそこに入りたがらない。
そもそも危険を冒してまで得るものもないさびれた場所だ。そのためよほどの用事がない限りは誰も近づこうとはしない場所である。
当然『いつものコース』からも外れていて、地下への道もまた迷い込まないよう鉄扉が設置されてはいるが鍵もかかっておらず誰でも入れてはしまう。興味本位で入り込む命知らずもゼロではないのだ。
リリーティアは地下へ入って迷子になった可能性を考えたが、ギルドマスターのいつものコースだけでいいという言葉にはそんな場所に勝手に行くような人間は気にしないでいいとでも言いたげな厳しさがあった。
「コースのギルドの備品は確認だけでいいわ。食べ終わったら日没までにはどんな状況であれ一度帰ってきてね」
「わかったわ」
一応状況だけ聞いてみようと思っただけだったのだが、いつの間にかリリーティアが依頼を受ける形になっていたが今更断る気も起きなかった。
「なんだかんだで請け負うことになっちゃってる」
ふくれっ面でハンバーグを口に運ぶリリーティアの頭にギルドマスターの手が伸びた。
「ほんとリリちゃんはちょろくて助かるわ」
「ちょろくないですから!」
リリーティアは頭をなでられたまま抗議した。
お腹を満たしたリリーティアは桜色の髪をなびかせ廃城へ続く森の小道を歩いていた。
雑草も生えないほどに踏み固められた歩きやすい土をブーツで踏みしめながら歩くのは食後の散歩には丁度よい感じではあった。
「見つからなかったら、気乗りしないけど地下も少しだけ覗こうかなぁ」
それなりの冒険者としての経験があるリリーティアは死体を何度か見たことがあるとはいえ、できれば見たくはない。だけれども死体をそのままにしておけるほど冷徹にもなれなかった。
リリーティアの実力ならば地下にいるモンスター程度なら魔力さえあれば一人でも難なく撃退できるし、地下のモンスター一掃の大規模作戦やその他様々な依頼で何度も足を運んだ場所ではあるので地図も頭の中に入っている。
動物や植物と会話のできるリリーティアは小道の入口の木に人の出入りを聞いてみたが廃城へ向かった3人が帰ってきた様子はなさそうだった。
ただ、動物も植物も言うことが結構適当なので言うことすべてを真に受けて何度も失敗もしているのでこの事は参考程度に留め、帰っていそうな痕跡が見つかればギルドに帰るつもりでもあった。
どうしようかとあれこれ考えながら10分も歩くと、動物にもモンスターにも出会うことなく無事に廃城の門にたどり着いた。
リリーティアはまずは冒険者の休憩所となっている小屋へと足をむける。いつものコースのスタート地点だ。
いつものコースはギルドが管理している休憩所にもなっている小屋の備品の確認と補充から始まるのだ。もしこの備品が補充されていなければそもそも三人はこの場所にすら来ていないことになる。それなら前金の持ち逃げか森で遭難ということになる。
おそらく昔は詰所として使われていたであろう小屋のしっかりとしたドアは修繕されているが人の出入りが多いためドアノブ付近はすっかり汚れてしまっている。
一度リリーティアが綺麗にしようと何時間もかけてピカピカに磨いたこともあったが、次の当番の時には同じように汚れていたのでもう二度とこの汚れを落とすまいと心に決めたこともあった。
そんなこともあったので小屋の扉を見るたびに思い出されて少し気持ちが沈むのだが、小屋に近づいたリリーティアは急に真剣な表情になり長い耳をぴくりとさせた。中から何かの声が聞こえたように思えたからだ。
リリーティアは気配を殺し小屋に近づくと耳をそっとドアに近づける。それは女の子がすすり泣く声に聞こえた。
リリーティアは小さく息を吸ってからドアを優しくノックした。
「入りますね」
ドアノブに手をかけ、開く。すると中には毛布にくるまり真っ赤に目を腫らしている少女と目が合った。
壁には新品のような弓矢。おそらく依頼にあった3人のうちの一人だろう。
リリーティアはローブのポケットにしまっていた三人の特徴が書かれたメモを取り出すとそのメモと少女を見比べた。
人間の少女で肩までのブロンドの髪に涙でぐしゃぐしゃで台無しになっているが気の強そうなきりっとした目に木製の弓矢。メモの行方不明の3人のうちの一人の特徴にぴったり当たっていた。
「アーシャさん、かな?」
「……」
少女は不安げにゆっくりと頷いた。
「あのね、帰ってこないからギルドマスターのお姉さんが心配してたんだよ」
リリーティアは同い年くらいに見える少女の目の前にしゃがみこんで優しく声をかけた。
「……助けに来てくれたの?」
「何かあったのね?」
リリーティアが極力優しく声をかけるとアーシャは毛布で顔をぐしぐしと乱暴に拭うと「はい」と答えた。
「メイちゃんが床の穴から落ちたんです。だからこの小屋に集合することにしたのにメイちゃん帰ってこなくて……助けを呼ぼうって言ったらファータちゃんがそんな暇ないって……ケンカになって……でももう二人とも帰ってこなくて……」
だんだんと鼻声になっていくアーシャにリリーティアはあわあわと慌てながらなんとか安心させられそうな言葉を探した。
「大丈夫、私が二人とも見つけるから」
「でも……あなた弱そう……」
「なっ!?」
ふわふわの桜色の髪にパステルオレンジのリボンに大きな花飾りの髪留め、防御力などまったくなさそうな白いワンピースへ魔改造済みのローブ。大きな杖と鞄とごついブーツがなければどうみてもただの背の低い華奢なエルフの村娘のリリーティアを弱そうと言うのも仕方のないことではある。
魔力強化や防御魔法の処理が施されているので見た目以上に、それどころか見る人が見ればそれらは下手な鎧よりもよっぽど頑丈かつ確実にリリーティアの身を守る防具であるのがわかる。
ちょっぴりカチンときてしまった彼女は少しムキになりながらこの失礼な新入りに抗議した。
「魔法使いの実力は見た目じゃないからね!?筋肉とかなくても戦えるからね!?」
「……じゃあ、二人を助けられるの?」
捨てられた子犬のようにじっと目を見つめられたリリーティアは視線を泳がせた。
助けるどころか最悪すでに手遅れの可能性もある。
「床から落ちたのは地下?」
「……はい」
はっきりいって最初から泊まり込む準備もしてない新人が一晩過ごせるとは正直思えない場所だ。
「地下の説明は受けた?」
「……はい」
じわりと目に涙を浮かべアーシャはゆっくりと頷いた。
リリーティアはしばらく言葉を選んだあと、口を開いた。
「ごめんね、助けてはあげられないかもしれない。でも、見つけてはあげるから」
「……でも」
「メイさんは昨日地下に落下してファータさんはいつ行ったの?」
「ファータはついさっき……」
さっきというのがどの程度かはわからないがファータは急げば追いついて止めれそうだしケガをしていても程度によっては治療もできるだろう。
すぐにギルドに報告に来てくれれば助けられたと思うが今更せめても仕方がないことだ。
「アーシャさんはギルドに戻って何があったかと私が地下に行ったことを伝えてきて。私は地下に探しに行くから」
「……」
毛布を抱きしめて反応のないアーシャに不安を覚えながらもリリーティアは声をかける。
「お願いね」
リリーティアはとりあえずファータだけでも止めるために小屋を後にした。
リリーティアは迷いのない足取りで廃城の地下へと向かう階段のある部屋へとやってきた。
大きな窓枠が残っている場所と違い窓一つないその部屋は真っ暗なので光源はリリーティアが魔法で作り出した白い光の玉だけだった。
この部屋には誤って誰かが立ち入らないよう錆びた鉄扉がしめられているのだが、彼女がついた時にはすでに開いており、またかすかにランプの油が焼けた匂いも地下へと続いていた。
ギルドの冒険者が地下に向かった場合はきちんと扉を閉めるのだがそれがされてないのはそういった事情をしらない素人もしくは素人同然の誰かが通ったという証拠だ。
幸い、ランプの匂いが残っているので地下へ誰かが向かってまだそれほど時間はたってなさそうだ。
(あるいはもう脱出しているか、よね)
地下のモンスターは一般人には命を失う可能性がある程度には危険だが駆け出しでも冒険者としての訓練の度合い次第では何とかならなくもないものも少なくない。運が良ければ脱出している可能性もある。
転ばないよう壁に手をついて一歩一歩慎重に地下へと続く階段を下りていくリリーティアは遭遇する可能性のあるモンスターを思い浮かべながら一つ一つ対策を考えながら杖を握る手に魔力を込めた。
攻撃、回復、補助とどんな魔法も器用に扱える彼女が最も得意なのは補助魔法。正しくは補助魔法以外は使えるだけでそれほどの効果が期待できない器用貧乏なタイプだ。彼女は集団での冒険では同じ程度の練度の魔法使いと比較すると高火力の攻撃魔法や解毒や精神障害の類が治せる治療魔法が扱えないためあまり役割がなく得意ではない。
補助魔法で魔力の強化をすれば火力の問題も治療魔法の効果も跳ね上げられるのだが、魔力強化は燃費が悪いので魔法使いに攻撃を期待するのであればそもそもそれを得意とする人を雇う方がよいし、治療魔法は命に直結するものなのでより専門家のほうが人気がある。
ただ、大規模な活動での補助魔法でのバックアップ、そしてなによりも色々なことが出来るため個人活動には自信があった。
金属の鎧のような強度を誇るバリアを全身に張り巡らせ、治療はできなくとも、毒に対する治療する魔法も知識もないが、代わりにそもそも毒を侵入させないバリアを張ることで対策をする。
五感の強化で魔物の気配にすぐに気づけるよう注意を払い、モンスターと遭遇した場合は初級の攻撃魔法も範囲の拡大や威力の上昇といった魔法と組み合わせて一撃必殺の技にする。
万が一ケガをしてもすぐに傷が治るよう再生の魔法もかけておけば相当ひどい傷でない限りすぐに治ってくれる。。
これだけ同時にたくさんの魔法を使うため魔力の燃費は非常に悪いがもともと魔法が得意なエルフという種族故にリリーティアはけろっとした表情でそれらを難なくこなしてしまうのであった。
とはいえそのまま探索ができるほどの魔力は残らないので長い階段を下りきる前に鞄から一本、自作のマジックポーションを飲み干し消費した魔力の補充を済ませる。
魔力切れを起こしてしまえば激しい疲労感に襲われ失神してしまうこともあるし魔法が使えなければリリーティアは見た目通りのエルフの村娘程度の力しか発揮できない。できて棒切れになった杖をぶんぶん振り回す程度だ。
「よしっ」
小声で自分にカツを入れてから最後の一段を下りるとリリーティアはゆっくりと周囲を見回した。
普段ならば魔力切れ対策にいくつかの護身用のマジックアイテムも用意するのだが何度か足を運んだ場所のこともあり今回は魔力で強化されたナイフ程度しか用意していない。
なのでいつもより少し慎重に魔力の無駄遣いはしないよう気を付けて探索をしようと思っていた。
石壁と石畳で作られた地下道はかび臭く、染み出した地下水が作った水たまりやあちこちに生えたコケに足を取られて簡単に転んでしまいそうだ。
また、小型ではあるが水たまりに擬態して獲物を襲うスライムも地下では何度も確認されている。不用意に踏みつけてしまえば武器を持った素人に勝てる道理はない。
運がよければ逃げれるが悪ければ踏みつけた足を食べられて歩けなくなってしまうだろう。
スライムの核であり急所となる臓器があるので水たまりと見分けを付けるのは簡単だし、それを傷つけてしまえば撃退は難しくないが、ギルドマスターの口ぶりだとそれすら知らない駆け出しのようにも思えた。
足元を見下ろす。きれいに靴の形が残っているコケがいくつか。
(こっちね。よかった鍾乳洞側じゃない)
鍵のかかった扉があるので迷い込む方が難しいとは思うが、万が一にでも鍾乳洞へ迷い込んでいたらリリーティアの実力ではお手上げだった。だが、ほかの場所も決して安全ではない。
廃城の地下は地下牢もあり、また瓦礫で道がふさがってしまった場所もある。かつて倉庫として使われていたらしい部屋もたくさんあるが、壁が破れて通路のようになっている場所もあれば扉が残ってない場所もあり歩きなれた人間でなければ簡単に迷子になってしまう。
それに視界のない場所で生きることに特化した生物と視界の悪い場所で戦うのはただただ不利でしかないのだ。
魔法で強めの光で照らせれば不意打ちは避けらるが、ランプ程度の光では数メートル先までしか見えないだろう。
スライムを踏まないよう水たまりに気を付け、天井からの不意打ちにも警戒し一歩一歩慎重に歩を進め、見つけたスライムは安全のために魔法で確実に焼いていき、思いつくまに歩いたとしか思えない足跡をおいかける。。
(これで4匹目…あら?)
いくつかの分かれ道を通ったあたりでリリーティアは今まさに焼き払われようとしているとも知らずにじっとしている小型のスライムの中に革製のブーツがあることに気づいた。
おそらくうっかり踏みつぶしてしまった誰かがブーツを脱いで逃げたのだろう。とりあえず安全のために炎で焼いてからブーツを確認する。まだあまり消化も進んでいないので、ブーツの主が通ってからまだそれほど時間は立ってはなさそうだ。
そして靴がない状態であまり遠くへと行けたとも思えない。リリーティアは危険を覚悟で大きく息を吸った。
「誰かー!誰かいませんかー?」
狭い地下通路にやまびこのように声が反響する。声につられて探している相手だけでなくモンスターもこちらへやってくる可能性があるため杖を握る手にも自然と力がこもった。
「誰かいるの!?」
返ってきたのは悲鳴にも近いくぐもった答え。おそらくどこかの部屋に身を隠しているのだろう
「メイさん?ファータさん?アーシャさんに頼まれて探しにきたリリ……きゃあ!?」
突然通路の奥の暗闇から何かを吐きかけられとっさに跳ねのく。
「気を付けてください!スライムとすごく大きな蜘蛛とバカみたいに巨大なカエルと怖い顔したコウモリと……」
「とにかくいっぱいいるのね!なんで!?」
想定外の事態に八つ当たり気味に叫ぶリリーティア。おそらくめったに現れない新鮮な肉につられてあちこちから集まってきたのだろう。
まだ興奮気味のモンスター達は我先にと新しい肉にありつこうと全速力で突っ込んでくる。
一匹ずつなら軽く追い払える相手だが、さすがに数が多すぎる。さすがにこのまま相手にしていてはもみくちゃにされて身動きが取れないまま袋叩きにされかねないのでリリーティアは全力で逃げ出す。
「逃げてたらどんどん増えちゃったんです!」
遠くなっていく声を背中で受けながらもリリーティアは必死にもと来た道を走った。
全力で走りながらでも使える簡単な魔力強化を二重、三重と重ね掛けをすることで強引に魔力の底上げをする。
重ね掛けをすることで次に放つ魔法の威力を劇的に引き上げることができるが体から抜け出す魔力も何倍にも跳ね上がってしまうので可能であれば同じ魔力強化であっても強力なものを一度使う方が効率的にはずっといいのだが足を止める余裕などなさそうだった。
次に体から抜け出すであろう魔力の大きさを考え、ここまでに失った魔力を補充するため鞄からマジックポーションをとりだす。
それを走りながら飲み干そうとするが咽てしまい全部吐き出してしまった。
涙目でせき込みながら口元を拭い空き瓶を八つ当たり気味に投げ捨てる。
瓶が割れる音を聞きながらさらにもう一本鞄からマジックポーションを取り出して振り返りながら急ブレーキをかけ、一息ついてからそれを飲み干し、瓶を投げ捨てて杖を構えなおした。
「まとめて焼けちゃえ!」
目前まで迫っていたモンスターの群れへ魔法使いが最初に覚える攻撃魔法の初歩ともいえる一番簡単な火炎魔法が本来の何倍もの威力となって眼前の地下通路全体を焼き尽くすような業火となり放たれた。
極限まで強化された魔法の炎は3分ほどの間廊下を焦がし続け、肉が焦げる悪臭だけを残して何事もなかったかのように音もなく消えた。
自分を追いかけていたモンスターの正確な数や強さはわからないが並みのモンスターが耐えられる火力ではない。最後のマジックポーションを飲み、ポーションの飲みすぎて少し胃がもたれるのを感じながら慎重にまだ熱気と消し炭の残る通路を戻った。
原型をとどめていない消し炭を眺めながら歩いていると先ほどの声の主が自分とモンスターの事を追いかけて来ていた場合を失念していたことに気づいて嫌な汗が全身から噴き出した。
「メイさん?ファータさん?もう大丈夫ですよ。どこにいますか?」
少し疲れた声でリリーティアが声をかけるとドアが一つ開いた。
「……ファータです」
バツが悪そうに顔を出したショートカットの少女。傷だらけの革鎧に革ブーツに革グローブに革帽子に革盾そして革鞄。右足は裸足なのでおそらくスライムが食べていたブーツは彼女のものだろう。
むき出しの肌はあちこちに生々しい傷が残っており、少し無理をして戦っていたであろうことがうかがえた。
「生きててよかった。ちょっと傷みるね?」
リリーティアは彼女に小走りで駆け寄ると目に付いたまだ出血の止まっていない切り傷のある腕に杖をかざし回復魔法をかける。
「ほかに大きな傷は?」
細かい傷を一つ一つ治すよりも効率が良いと考え、新陳代謝を高める魔法をかけながら訪ねると弱々しく首を横に振った。
「わたしのせいで危険な目にあわせてしまって……」
「次からはギルドに事情を説明しにすぐに戻ってね。でも、友達が迷子だなんて心配だものね」
バツの悪そうな顔の彼女を責めないよう気を言葉を選びつつも、リリーティアは少し厳しい口調で告げた。
初仕事で問題を起こしたくなかったのかもしれないが、一晩も放っておくのは褒められたものではなかった。
「……妹」
ファータはぽつりとつぶやく。
「友達じゃなくて……ただ一人の家族なんです」
「……」
想像以上に重い答えに言葉に詰まるリリーティア。
「一晩たっても戻らなかったら助けてくれって言われたんです。足はひっぱりません。妹を探すの……手伝わせてください」
「で、でも……」
でももう死んでるかもしれないとは言えず口ごもる。
「お姉ちゃんだから……私が助けないと!」
妹がいるリリーティアにファータの気持ちがわからないわけではない。だから今にも泣きそうな声で訴えられては邪魔だから帰ってとはとても言えなかった。
「じゃあ、部屋の中で作戦会議。いいよね?」
「はい」
ファータは真剣な表情で頷いた。
作戦会議といっても大したものではない。
リリーティアの魔力が心もとないので逃げると言ったら素直に逃げること。
下手したら魔法に巻き込むのでリリーティアより前に出ないこと。
ファータの獲物は両手剣だが廊下がそんなに広くないから危ないので振り回さないでほしいこと。
探索ルート、逃走ルートの確認、そして見つからなかった場合は諦めて帰ってきちんと依頼として妹をさがしてもらうこと。
リリーティアがほとんど一方的にあれこれ指示をしながら万が一の不意打ちに備えて彼女の体に鉄鎧ほどの強度を持つバリアと擦り傷や切り傷ならあっという間に治してしまう再生の魔法をかけておく。
まだほんのりと焦げ臭い空気が残る廊下に二人が戻ると打合せ通りのルートへ向かった。
「……水がしみて気持ち悪い」
裸足よりはましということでファータにはリリーティアの予備のサンダルを渡していたが苔むした廊下を歩くには少しばかり不便そうだ。
「裸足よりはマシだと思って我慢して」
リリーティアはいいながら手で彼女を制し、天井に張り付いていたスライムを炎の魔法でためらいなく焼く。
「私とあまり歳が変わらなさそうなのに強いんですね」
「私なんてまだまだよ。それにエルフだから実年齢はもっともっと上だもの」
言いながら左手で自分の長い耳をつんつんとつついてみせながら再び歩き出すが曲がり角を前に再びファータを手を制した。
「待って、曲がり角の先に何か光があるみたい」
リリーティアの記憶では天井が崩れている場所ではあるが光が差す場所でもない。例えばランプが燃えているようなオレンジ色の明かりである。
少し警戒気味に角を曲がると床にはきちんと置かれたランプ。そしてランプの隣には痛んだ扉があった。
リリーティアは小走りでランプに近づき、ドアを確認する。ドアにはチョークのようなもので「助けてください」と殴り書きされていた。
「ファータさん、もしかしてこの字」
「はい!妹の字です!」
明るい声でファータが答えドアを開く。
「メイ!?メイなの!?」
「お姉ちゃん!?どうしたの!?助けを呼んでって伝えたからてっきりなんか探索のプロって感じのごっついおじさん達がわらわら助けに来ると思ってたよー」
メイと呼ばれたやっぱり全身革装備の床に座っていた少女は意外とのんきな声で答えるのでリリーティアもファータもすっかり気が抜けてしまった。
しかも三人で言っていることが違う。きっと相当大パニックだったのだろう。
外にランプが置いてあったが中には魔法で作った光源が浮いており外より明るいくらいであった。
姉妹というだけあって顔立ちはファータと似ているが髪が長いのと姉より小柄なため見分けるのに苦労はしなさそうだった。
「持ってきたお菓子も非常食もあんまりなくってね、覚悟きめて自力で脱出しようかなーって思ってたとこだったんだよ」
立ち上がりパンパンとおしりをはたくと壁に立てかけていた杖を取るメイにファータが飛びついた。
「馬鹿!心配したんだから!それなのに!あんたはほんと!ほんと!」
そのまま声をあげて泣き出すファータにメイは少し恥ずかしそうに姉とリリーティアをちらちらとみてから「ごめん」と短く謝罪をした。
「でも、お姉ちゃんありがとう。だけど恥ずかしいから…ね?あの知らない人も見てるし」
メイは抱きしめるファータの腕の中で体をよじりながらリリーティアはの方を向いた。
ファータはメイを離すと鼻をすすりリリーティアへ向き直った。
「ありがとうございます。おかげで妹を助けられました」
ファータが深々と頭をさげる。つられてメイも頭をさげる。
「いいえ。妹さんが無事でよかったね」
リリーティアも自分の事のように顔をほころばせ笑顔をみせた。
仲がよさそうな二人を見ていて、自分も早く姉に甘えたいと姉が帰ってきていることを思い出して考えた。
とはいえあとはもう来た道を二人を連れて帰るだけだ。メイがケガをしている様子もないので簡単な仕事である。
「メイ、この人はあなたを助けに来てくれて私も助けてくれた……えーと、名前聞きそびれちゃってましたね」
バツが悪そうなファータにリリーティアもつられ苦笑いのような曖昧な表情を浮かべる。
「どうしてかしら、なんだかよく名乗り損ねちゃうのよね」
考えてみれば小屋で出会ったアーシャにも名前を告げていなかった気がする。リリーティアはどうも昔から間が悪く、名前を名乗るタイミングを逃してしまうことが多かった。
「私はリリ……」
「いやぁああああ!!」
鋭い少女の悲鳴は狭い地下を何度も反響する。ハッとしてリリーティアが慌てて廊下に飛び出し周囲を見渡すが、その間にファータが廊下に置きっぱなしのランプを手に取りものすごい勢いで暗い地下道を駆け出した。
「待って!場所も相手もわからないのに!」
「今の声アーシャの声!!」
リリーティアの警告に鋭い叫び声で返すファータ。リリーティアがメイを置いて追いかけるかどうか一瞬悩んでいるうちにメイは魔法で作った光源を目の前に浮かべながら立ち上がりリリーティアの横を駆け抜けた。
「お姉ちゃん、考えるよりも先に動く人なの!」
慣れているのか似た性格なのかメイもランプの光を追いかけて突っ走っていく。
「ちょっとは考えてから動いてよぉ!」
アーシャにはギルドに戻って状態を報告するようお願いしたはずだったが結局自分で来てしまったのだろう。無理やりにでもギルドの方へ送り出せばよかったと後悔する。
反響のせいで悲鳴の方向もわからないので仕方なくリリーティアはどんどん走っていく二人を追いかけることにした。
さらに都合が悪いことに助けを求める悲鳴は断続的に聞こえてくるが移動しているようだ。それもがむしゃらに曲がり角という曲がり角を曲がってめちゃくちゃに逃げ回っているように感じられた。
そんな声に翻弄され焦る二人はアーシャの名前を叫びながらついには好き勝手に走り出すので追いかけなければならない相手が二つから三つに増えてしまった。
「もう!どうしたらいいの!?」
もう最初に悲鳴が聞こえてから2分は立っている。そろそろ悲鳴の主が体力を切らして手遅れになっていてもおかしくはないし声につられたモンスターが誰かに襲い掛かっていてもおかしくない
リリーティアは息を切らしながら声がしたと思われた方向へ走っていたがもうどこにだれがいるかさっぱりわからなくなっていた。
そんなリリーティアの右足が突然何者かに掴まれた。
「へぶっ!?」
全力で走っているのに足を掴まれれば当然ものすごい勢いで前につんのめって転ぶ。顔面から勢いよく地面にたたきつけられ手に持っていた杖も乾いた音を立てて転がって行ってしまった。
地下に降りてすぐに防御魔法をかけていたにも関わらず鼻頭がじんじんと痛み鼻血が垂れている生ぬるい感覚が気持ち悪い。
慌てて生ぬるい感触のする掴まれた自分の右足を見ると小型のスライムがリリーティアの右ひざのあたりまで包み込み美味しく栄養として消化しようと蠢いているところだった。
顔面と違い、あまり強くないこのスライムの消化液は防御魔法が完全に防いでいたので痛くもないが放っておくわけにもいかない。
「びっくりさせないでよ!」
鼻血を垂らしながら素手でスライムに手を突っ込むと核となってる本体に直接火炎魔法を放つ。あっさりと体を保てなくなり粘度を失ってスライムはただの水たまりと黒焦げの塊になる。
無警戒にまだ安全を確認していない道を走り回ってしまった事を後悔しながら自分の位置と周囲の様子を確認する。
「いたた……でも今のでちょっぴり頭冷えたかな」
リリーティアは転がっていった杖を拾うと深呼吸をしてきた道を少し戻る。
地下は曲がり角や十字路が多いが階段のある通路を起点に数本の廊下がクシのように伸びた先で折れ曲がったり枝分かれしたりしている。
リリーティアはその通路まで戻り迷わず階段の前まで戻ると杖を暗い廊下の奥へと向け、まぶしく輝く緑色の光球をいくつも作り出した。
廊下が優しいながらも強烈な光に照らされ階段のある廊下だけでなくそこから延びる廊下までまぶしく照らした。
光に驚いて数匹の吸血コウモリが飛び出してきたが襲われる前にすべて火炎弾で焼き払う。
「みんな!緑の光の方にきて!」
精一杯の大声を出すとばらばらの方向から叫び声のような答えが返ってくる。
(あとは誰もモンスターに襲われたり足止めされずにこっちに来てくれれば……)
誰も行けないとは答えていないし、最初の悲鳴の主もまだ生きているようだ。
最初に廊下にやってきたのはメイ。一番遠い廊下から汗だくでもう走るというよりへろへろと歩きながらリリーティアの方へと向かってくる。
次にランプをもったアーシャが涙と鼻水でもう見ていられない表情で階段から2番目に近い廊下から駆け込んできた。
リリーティアはその後から襲い掛かってくるであろうモンスターから彼女を守るために駆け出す。
「無事でよかった!」
すれ違いざまにアーシャへそう言うとリリーティアは強く石畳を踏みしめアーシャが飛び出した廊下の前で杖を構えた。
廊下からゆったりとした速度で姿を現したのは3メートルほどの大きさのナメクジ『ジャイアントスラッグ』だった。地下だけでなく地上でも見かける珍しくはないモンスターでだ。
だが、廃城の地下ではそれほど目撃例のない相手であり廃城に生息するほかのモンスターと比較すると比較にならないほどの危険度がある相手だ。
巨体故に体力もあり生半端な攻撃では倒せず、また体表を覆う粘液は熱を遮断するため半端な火炎魔法も通用せず、さらには食欲に忠実で傷を多少負ったところで動く相手を捕食しようと動きを止めないため見た目以上に凶悪なモンスター。
数本の矢が刺さっているところを見ると追い払おうとアーシャも攻撃を仕掛けたのだろう。だが、どれも目に見えて刺さり方が浅かった。
「ジャイアントスラッグ!メイさん!炎以外!できれば氷の魔法で援護をお願い!」
「火炎魔法しか使えません!」
「アーシャさんを連れて地上に逃げて!」
リリーティアは叫びながら杖から氷の矢をジャイアントスラッグへ一本放つ。
魔力を強化する余裕のなかった攻撃魔法はジャイアントスラッグの体にぷすっと刺さると粘液ごと体表を少し凍らせるがジャイアントスラッグは新しい獲物を胃袋に収めようと歩みを止めずに口を開いてずるずると近づいてきた。
(ファータさんがまだ戻ってない……でも今の私でこいつを倒せるかどうか……
でも、ここでもたもたしてたら階段への道がふさがっちゃう……)
魔力は残り僅か、恐らく走りながらでも使える魔力強化を二度はかけないと致命傷になるような威力の攻撃魔法は使えないだろう。ただ、魔力強化は魔力の出口を広げる魔法だ。強化すればするほど瞬間火力は上がるが消耗も激しくなる。今の状態で使用すれば魔力切れで失神は避けられないのでよくて相打ち。最悪のケースでは倒しきれず撃退もできずジャイアントスラッグに襲われ二度と目覚めないか目覚めたとしてもその場所は胃袋の中だろう。
さらには全力でモンスターの群れから逃げただけでなく、ついさっきまで走り回っていたせいで脚に感じる疲労感も無視できない状態だ。
階段がある部屋まで逃げてしまえば扉のサイズより体の大きなジャイアントスラッグは入ってこれないだろうが先ほどのリリーティアの指示に従ってこの廊下へファータが到着すればジャイアントスラッグに遭遇してしまいファータが襲われ食べられてしまう可能性もある。
(どうしよう……こんな状態でこんな大物に会う羽目になるなんて思わなかったもん……)
魔力の無駄遣いが多かったと後悔しながら必死に頭を回転させ状況を打開する方法を考える。
(とにかく、最後のマジックポーションで魔力の補充だけでも)
最悪、威力のない強化がされていない魔法でも5,6発も当てれば逃げるなり動けなくなるなりするはずだ。
(さっきは走りながら飲んで飲み損ねちゃったから走る前に……)
リリーティアはジャイアントスラッグをにらみながら一歩、二歩と後退しつつ鞄に杖を持っていない左手を突っ込みポーションの瓶を探す。ない。
「あ、あれ?3本しか飲んでないのに……」
焦りから思わず声に出る。
(階段を下りて一本飲んだ。モンスターの群れから逃げながら一本飲……み損ねたんだった!)
「ファータさん!廊下に突き当たったら右手側に行けば階段のある部屋に行けるから!そこから逃げて!逃げたら大声で教えて!」
半泣きになりながらリリーティアはジャイアントスラッグに背を向けてくたくたの足で暗い廊下へ逃げ込んだ。
走ればジャイアントスラッグよりも速い。もう自分が囮になって時間を稼いでファータが逃げた後に自分も階段のある部屋に逃げ込む事にして今日何度目かわからないマラソンを開始する。
(この道はさっき通ったから安全だけど……)
ぐるりと廊下を迂回して時間を稼ぎ、その間にファータに階段から逃げて貰う。ただ、逃げるルートの半分くらいは今日はまだ通過していない場所だ。
最悪、何かモンスターに遭遇する可能性もあれば先ほどのようにスライムに足を取られて転倒する危険もある。ある、というより非常に高い。
歩く人間より少し早い程度の速度で追いかけてくるジャイアントスラッグとはそれなりの距離ができてはいるがゆっくりと足元を確認しながら歩いている時間もない。
ジャイアントスラッグの捕食者としての恐ろしさはそのしつこさだ。獲物が逃げても逃げてもしつこく逃げる獲物の体力が尽きるまで追いかけ続ける気の長い狩り。獲物の匂いを追って延々と追いかけてくる。
ただ雑食性のため自分の腹により収めやすそうなものがあればそちらに注意を向けてしまうこともある。つい先ほどまで自分を追いかけていたジャイアントスラッグが野草を食べて去っていったなんてこともあれば近くを逃げていた仲間を転ばせて囮にして逃げたなんて冒険者もいる。
リリーティアよりもおいしそうな何かを見つけてくれでもしない限りジャイアントスラッグはいつまでも追いかけてくるだろう。
(この角を曲がったらまだ今日は行ってない場所……)
疲労だけでなく不安と恐怖で汗が吹き出るのを感じながらリリーティアは転ばないように気を付けながら、しかしできる限りスピードを落とさないように角を曲がる。
目に飛び込んだのはランプのオレンジ色の弱々しい炎と地面に横たわる人影だった。
狭い地下廊下には明らかに向いてなさそうな長大な両手剣を背負ったショートカットの少女。
「ファータさん!?」
リリーティアが慌てて足を止めると今までの疲労が一気に噴き出したかのようにがくんと膝から倒れこんでしまう。
気合を振り絞り手足に力をこめ立ち上がるとリリーティアはファータのそばへと向かった。
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」
泣きながら謝るファータの右足はふくらはぎの半ばまでスライムに捕らわれていた。リリーティアが貸したサンダルはすでに形が崩れ始めており、リリーティアがかけた防御魔法もすでに破られているようで彼女の足の消化も始まっているようで、肌は痛々しくただれていた。
「助けて……ごめんなさい……助けて……」
「熱いけど我慢して」
ファータの足を蝕むスライムに杖を向け火炎魔法で一瞬で焼き払う。
スライムは形が保てなくなりどろりとただの水のように溶けるがファータの足もその熱に晒されることになり耳を覆いたくなる悲鳴が彼女の喉から漏れるが、有無を言わさずすぐに回復魔法をかけ治療する。。
「これでもうほとんど魔力切れ。危険なモンスターが追いかけてくるけど慌てないで。水たまりは絶対に踏まないで。今みたいになっちゃう。滑るかもだけどできるだけコケを踏んでいって。何かに襲われてもひたすら逃げて。裸足じゃ大変だと思うけど諦めて。ずっと一本道だから道なりに進んで突き当りを右に。左側にのぼり階段のある部屋があるからそこから地上に。他の二人はもう逃げてるから」
リリーティアは一気に状況と対策を伝えるがファータは理解しきれず呆然としてしまう。
「とにかく逃げて。もう何かあっても助けられないの」
これは半分は嘘で半分は本当だ。
残り魔力的に小物のモンスターならば数匹くらい撃退できるだろう。だが、先に逃げたファータに追いつける保証もなければ自分が襲われて魔力が尽きる可能性もある。助けられるかもしれないけど助けられる保証もない、というのが正しい。
リリーティアは言いながら魔法の光で足元を照らし、自分自身も足元に気を付けながらほとんど徒歩と変わらない速度で走りだす。
その横を駆け抜けたファータだったがすぐに心配そうに振り返る。
「ちょっと走りつかれただけだから。早く」
必死に走ったのでジャイアントスラッグとの距離は十分にあるはずだが、二人でのろのろと歩いていたら追いつかれどちらかが犠牲になることは避けられない。
冒険者なんて仕事をしてはいるがリリーティアは年相応の少女よりも臆病だ。器用貧乏と同業者に皮肉を言われる程いろいろな魔法に中途半端に手を出しているのも何かあったときにこれが出来なかったらどうしようという不安が原因だし、身を守る補助魔法を多く習得しているのも天性の才能や相性といった類のものもゼロではないが、安心や安全が欲しいという動機が大きかった。
出会って間もない新米冒険者なんて助けなければよかった。情にほだされて妹探しになんて付き合わずまずはファータを無理やりにでも地上へ帰せばよかった。アーシャがギルドへ向かうまで見届けておけばよかった。こんな自己犠牲みたいな作戦取らなければよかった。
「怖いよぉ……」
マイナスの感情がこらえ切れず涙と一緒に本音もこぼれる。
追いつかれたらどうなるのだろうか。生きたまま食べらてしまうのだろうか。もしそうなったらどれだけ痛いのだろうか、どれだけ苦しいのだろうか。防具や魔法による防御はどれほど効果があるだろうか。
袖で涙をぬぐいながら気力だけで前へ前へと進んでいく。稼いだ距離もおそらくはどんどん詰められていることだろう。何もハプニングがなかったとしてこのペースでは逃げ切るまでに追いつかれてしまうのは間違いない。
助けが来たとして、自分はその時まで生きていられるだろうか。
「あ……」
足がもつれて力なくうつ伏せに倒れる。
(少しだけ……本当に少しだけ休憩……)
大きく背中を上下させ地下のひんやりとした空気を肺の中に何度も送り込んでから魔法を放つために使う杖を本当に杖代わりにして立ち上がろうとする。その時、何かにぐいと腕を引っ張り上げられた。ファータだった。
「逃げてって何度も……」
「これ、体力とか瞬時に回復するらしいすごい薬です!」
リリーティアの言葉をさえぎるように鮮やかな緑色の液体の入った顔面の前に試験管のような瓶を突き出してファータが言う。
「自分で飲めないなら飲ませますから口をあけてください」
「飲めるよ」
薬は副作用があるものもあるため、効果がはっきりしないものを飲むのを避けるのは冒険者の基本であるが汗をかきすぎて喉が渇いたリリーティアは疲労で判断力が低下していたせいもありひったくるように薬を奪うと一気に飲み干した。
「ありがとう…うっ!?」
ドクンドクンとただでさえ早鐘を打っていた心臓がさらに加速し全身がカッと熱くなる感覚に空になった試験管を取り落として思わず胸をおさえて座り込む。
「副作用って知ってる?」
薬師の姉に飲まされたり混ぜ込まれていたりした嫌な思い出が走馬灯のように脳裏をよぎる。
「だ、大丈夫ですか?すごくお腹がすくかもしれないとは言われましたが……」
心臓だけでなく全身の臓器が通常の何倍もの速度で稼働しているのだろう。体力や魔力が強引に作り出され頭に響くドクドクと異常な速度の心音がそれをパワフルに全身へ送り出しているのを感じた。
30秒もすると心音は落ち着き驚くほど全身に力がみなぎっていた。
「あの……その……」
回復どころか自分の渡した薬で予想外の事態に逃げることも忘れおろおろしているファータを安心させるようリリーティアは優しく声をかけた。
「大丈夫、効果が強すぎてちょっとびっくりしただけ」
リリーティアは服の袖で顔を拭くとしっかりと立ち上がり杖をジャイアントスラッグが来るであろうほうへ構えた。
「ファータさんもう逃げなくていいよ」
魔力と体力が戻り自信も取り戻したリリーティアは力強く言った。
もしかしたら気持ちを高揚させる効果も薬の成分に入っていたのかもしれない。
冷静に強く光る魔力の明かりを作り直し今いる廊下をはっきりと明るく照らす。もともと簡単に扱える魔法であるがそれを扱っただけでもわかるほど、不自然なくらいに全身の調子がよかった。
曲がり角からぬっとジャイアントスラッグがぬめった頭を出すのが見え、ファータがひきつった悲鳴をあげるが、リリーティアは落ち着いて両手で杖を抱くように持つと以前廊下を逃げながらかけた魔力強化の魔法より数ランク上の魔力強化の魔法を自身にかける。
魔力の流れが周囲の空気を巻き上げスカートのようなローブの裾をふわりとはためかせる姿からは先ほどまでのぼろ雑巾のような印象はなく、どこか優雅さすらあった。
リリーティアに向かい大口を開けてにじり寄るジャイアントスラッグへと杖を突き出すとそこから氷の矢というよりも長大な槍のような氷塊がパキペキと周辺の空気も凍てつかせながら姿を現す。
それはヒュンッと鋭く風を切り一瞬でジャイアントスラッグの巨体を貫きその体ごと壁に突き刺さる。はりつけにされ頭部を凍らされながらもなお胴体をくねらせのたうち回るジャイアントスラッグだったかその動きは少しずつ弱々しくなっていきやがて動かなくなった。
「気持ち的にすごく疲れた……」
一撃でジャイアントスラッグを撃退したリリーティアはその場にぺたんと座り込むと大きくため息をつく。
「あの……」
ファータがおずおずと声をかけてくる。
「すごい薬ありがとう。高かったでしょ?」
「いえその」
ぺこりと頭をさげるリリーティアに困ったように口をもごもごさせるファータ。なんとなく言おうとしている言葉がわかっていて少し意地悪をする。
「とにかく地上に戻りましょ。きっと二人が心配してるよ」
リリーティアは地上へ戻り再開を喜ぶ3人を廃城の外まで案内するとそのまま小屋で休憩をとらせて少しきつめに寄り道せず町に帰ってギルドへ行くよう伝え、また何かあったらすぐにギルドに報告するよう伝えた。
当のリリーティアはというと得体のしれない強力な薬の効果で体力に余裕があったので休憩をせずまっすぐにギルドへと顛末を伝えに帰っていた。
「とまあ振り回されて死にかけてこのざまです。今は正体不明の劇薬の副作用に怯えているので詳しい人がいたら教えてください」
その副作用の一種と思われる空腹にやられ、カウンターで夕飯のキノコパスタをくるくるとフォークでまきながら不満そうにリリーティアが言う。
ちなみに説明をしながらすでにエビグラタンとチキンのハーブ焼きも食べている。
「それで泣いた跡があったのね。災難だったわね」
ギルドマスターに言われて慌てて顔を真っ赤にして近くの窓を鏡代わりにして顔をペタペタとする。
「あら、やっぱり泣いちゃったんだ」
くすくすとギルドマスターが笑うとリリーティアは耳まで真っ赤にしてほほを膨らませる。
「ひどい!からかったんですね!」
そんな反応すら楽しむように眺めながらギルドマスターはニコニコとする。
「ごめんごめん、デザートサービスしてあげるから
「じゃあプリンとシュークリームとイチゴタルト」
そういうとふくれっつらのままキノコパスタにがっつき始める。
「あとミルクティーおかわり」
「はいはい、ミルクティーもサービスしてあげる」
ギルドマスターは背後のキッチンにオーダーを伝えた。
「薬に詳しい人を紹介も何も薬のことならリリちゃんのお姉ちゃんに聞けばいいじゃない」
「う、うん……お姉ちゃんは大好きだけど……マスターも知ってるでしょ?」
リリーティアの姉の薬師としての腕は一流だが薬が絡むとその好奇心故か若干人が変わる。
そして姉の薬が関係する出来事にはリリーティアはいくつかトラウマがあったりする。
姉と妹から離れて一人でフリーの冒険者をやっているのも姉の薬関係の事件が理由だったりする。
「でもそんな状態が続いたら大変でしょう?食費も下手したら体重も」
「そうだけど……そうだけど……お姉ちゃんと薬を一緒にするのだけは絶対ダメなの……」
体重という単語にぴくりと反応するがそれでもなお嫌がるリリーティア。
そんな彼女の背後からのんびりとした声がかけられた。
「お姉ちゃんのお薬の腕が信じられないのー?リリーちゃんひどーい?」
「ぴっ!?」
久しぶりに聞くがききなれた声にリリーティアは思わず引きつった声をあげた。
普段ならそのまま飛びついて頬ずりをして甘えている相手だが今のマスターとの会話を聞かれていたとなるととてもよくない事が起こりそうなのは容易に想像ができた。
「大丈夫、ごはん食べ終わったらお姉ちゃんがちゃんと正確な副作用とか調べてあげるー。どんな薬を飲んだのかしらー?どんな効果があってどんな副作用があってどんな薬で副作用を抑えられるのかしらー?お姉ちゃん珍しい薬草とか虫とか粘液とかいっぱい取ってきちゃったのよー」
振り返るとリリーティアと同じ桜色の髪をしたすらりとしているが出るとこは出ているおっとりとしたエルフの女性が立っていた。
「お、お姉ちゃんお帰りなさい」
リリーティアは完全に怯え切った顔だが姉はというと久しぶりに妹と会えた嬉しさと新薬への興味で瞳ががらんらんと輝いていた。
「ただいまーリリーちゃん。大好きなリリーちゃんでもお薬の事で頼ってもらえないって言われたら
お姉ちゃんちょっと傷ついちゃうなー」
食事が終わったらと言っていたのにリリーティアの左腕にちくりという刺すような痛みがあった。話しながらとんでもない手際の良さで小型の注射器でリリーティアの血を抜き取っていた。
「それじゃーお姉ちゃん食べ終わるまであっちの席でのんびりしてるからー。あ、マスターさん私はイチゴショートケーキでー。あとリリーちゃんのお勘定もお姉ちゃんが払いますねー。あら?この成分が血液に入っている薬って私がお試し品を配った新薬くらいしかないようなー?」
しゃべりながらも魔法やら何やらを使ってどんどん抜いたリリーティアの血液を解析していく姉の気配にリリーティアの異常な食欲はほとんど失せていた。