メイド様、天使様に会う
廊下の奥にある、古ぼけているがしっかりした木の扉をノックする。
「はい、どなたかしら?」
「アンジェラです。」
「どうぞ。」
扉をゆっくりと開け、乱暴にならないようにゆっくりと閉める。壊れたら大変だ。
部屋の奥の椅子に座っている、紺の修道服を着た60代の女性がシスターアンジェラだ。なんと私と同じ名前だ。ややこしいので皆は私をアンジーと呼び、シスターの事はシスターまたはシスターアンジェラもしくはアンジェラ先生と呼んでいる。
この孤児院の建築記念に贈られたと言う古びたマカボニーの机に書類を並べ、難しそうな顔をしている。修道服から最近増えてきた白髪がのぞいていた。
「今月も厳しいですか?」
「そうね、こんなところをあなたに見せるべきじゃないとは思うのだけど。」
「いいんです。私が好きでやっていることですし。」
シスターが私の頭を撫でてくれる。5年前に私が孤児院に来た時と同じように。一人ぼっちだった私がこの孤児院を逃げ出さなかったのはシスターと図書館のおかげだ。
「うーん、やっぱり収入が少ないですね。」
「そうね、なんとか切り詰めてはいるのだけれど最近はなかなか寄付も集まらないし。」
書類をペラペラと見ながら確認していく。孤児院の収入は基本的に善意の寄付によるところが大きい。先輩冒険者たちのように定期的に寄付をしてくれる者もいることにいるが、先輩たちもまず自分の生活が第一だ。大きな額が入ることなどない。あとは子供たちが内職で作ったものを売ったりするがそれは微々たる物だ。それ以外には・・・
「最近は引き取られる子が減りましたしね。」
「そうね。逆に孤児院に来る子は増えているのにね。」
シスターが寂しそうな顔をする。子供には親がいた方がいいと言うのがシスターの持論だしね。
孤児院を出る機会は何も成人するだけではない。子供のいない親に引き取られることもある。その時に親は教会に特別寄付としてちょっと大きい金額を寄付するのが通例となっているのだ。しかしここ2か月ほど引き取り手は現れず、逆に孤児院に来た子は3名もいる。
「またポーションを作りに行きましょうか?」
町の薬屋に行けば、冒険者の先輩に教えてもらって【調薬】を覚えた私なら一日大銅貨3枚もらえる。銅貨1枚でリンゴが1個買えるからその30倍だ。ちょっとは足しになるはずだ。まあ朝から晩までずっとポーションを作り続けるのは大変だが。
「アンジーばかりに迷惑をかけるわけにはいかないからね。」
「そんな、迷惑だなんて。」
シスターには返しきれないくらいの恩を受けている。話すことの出来ない私を心から受け入れてくれたのもシスターだ。失礼かもしれないが2番目のお母さんだと思っているのだ。
「アンジー。あなたはとても頭がいいわ。でもね、なんでもかんでも1人で抱え込まなくてもいいのよ。」
「でも、シスター・・・」
「いいから聞きなさい。皆をまとめてくれているだけでもとても助かっているのよ。それにこんなお手伝いまで。あなたは十分すぎるくらいに役に立っているわ。あんまり抱え込みすぎると自分の将来まで潰してしまいかねないわよ。司書になるのでしょう?」
「はい・・・。」
シスターが微笑みながら私の頭を撫でてくれる。
「私も神父さまや知り合いに声をかけてみますから。本当に大変になったらその時には一緒に頑張りましょうね。」
「はい!」
コンコン。ガチャ。
「シスター、お客様が来たよ。なんか偉そうな人!」
リーヴがノックのすぐ後に扉を開けて飛び込んできた。
「リーヴ、あんた返事がある前に開けたらノックの意味がないって何度言ったらわかるの!」
「うわっ、アンジーいたのか。」
「シスターを手伝いに行くって言っておいたでしょ。」
「ほらほら、やめなさい。お客様の所まで案内してくれるかしら。」
「うん、こっち。」
リーヴがシスターの手を取って入口の方へ歩いていく。偉そうな人か。どこかの商人さんかな。
「シスター、私は夕食の手伝いがありますから食堂で待っていますね。」
「はい、お願いします。」
リーヴにぐいぐいと引っ張られているので半分だけ体をこちらに向けて振り向きながら、シスターは手を振ってくれた。
食堂で借りてきた本を読みながらシスターを待つ。夕食の時間になれば大騒ぎになる食堂もこの時間はまだみんな外で遊んでいたりして誰もいない。もう少しすれば今週の料理担当の子が来るだろうから一緒に仕込みだけでもやってしまおう。
本のページをめくる音だけが食堂に響く。皆と過ごす時間も楽しいがこんな風に1人で本を読んでいる時間も好きだ。何と表現したらいいのかわからないがちょっと好きの種類が違う。穏やかな時間が好きなのだ。
コツ コツ コツ コツ。
誰かが食堂へやってきたみたいだ。特にそちらに目を向けることは無い。本を読んでいる私に話しかけてくるのは用事のある人だけでそうでないときは皆がそっとしておいてくれる。
コツ コツ コツ。
足音が私の横で止まった。何か用だろうか?
本から目を外し、そちらを振り向くとそこに天使様がいた。
昔、絵本で読んだ通りだ。真っ白な肌、クリクリの赤髪、男か女なのかさえわからない中性的な顔が私を見て人懐っこい笑みを浮かべている。
「ねえ、君。僕のメイドになってよ。」
突然、天使様が話しかけてきたので訳も分からず固まっていると、黙って見上げる私に、もう一度天使様は言った。
「僕のメイドになってくれないかな。」
その細く白い手をこちらに差し伸べ、私に掴むように促してくる。その白い手に夕日が当たり赤く染まっていく。その光景が綺麗で思わず見とれてしまう。
「こちらにいらしたのですか、シン様。」
パタパタという足音とともにメイド服を着た栗色の髪の30代くらいの女性とシスターがやって来た。メイドさんは目の下にちょっと大きな泣きぼくろのある綺麗な女性だった。2人が来たことで回っていなかった頭が回りだす。天使様ではない。リーヴが言っていた孤児院に来た偉そうな人がこの子のことだ。
ばっと立ち上がり、慌てて頭を下げる。とても失礼なことをしてしまった。
「ごっ、ごめんなさい!!」
「えっ、ダメかな?出来る限りのことはするよ。」
「シン様、この子に決めるのですか?シン様の役に立つとは思えませんが。」
「口を慎め、エマ。彼女でなくてはダメだ。僕が間違ったことがあったか?」
「いえ、申し訳ありませんでした。」
シン様と呼ばれた少年にエマと呼ばれたメイドさんが頭を下げる。それを見て、本には書いてあったけれど主人とメイドって本当にこんな感じなんだと場違いな思いが頭をよぎる。
それにしてもメイドになって欲しいか。でも私がなりたいのは司書だし、今私が孤児院からいなくなったらシスターを助ける人がいなくなってしまう。それは困る。
返事に困っていると、シスターが後ろから助け舟を出してくれた。
「申し訳ありません。アンジーはこの孤児院を卒業して司書になりたいという夢がもうあるのです。頭は十分良いですし、私としても出来る限りなら叶えてあげたいと思っています。それに今日中にこの街を出るというお話ですよね。どうか勘弁して頂けませんか?」
「ごめんなさい。」
シスターと一緒に頭を下げる。こういう偉い人の機嫌を損ねるのは絶対にダメだ。昔そのせいで嫌がらせを受けてこの孤児院が潰れそうになったこともある。そのときは冒険者の先輩たちがいろいろと助けてくれて何とかなったが今度もなんとかなるとは限らない。
「お給金として金貨1枚差し上げますが?」
「!!」
金貨1枚といえば銅貨1万枚分だ。りんごが1万個買える。孤児院ではほとんど見たことがないお金だ。良くて大銀貨、普通は銀貨くらいしか見たことがない。
メイドさんが続ける。
「見たところこの孤児院の経営も思わしくないご様子。引き取るに当たりそれなりの謝礼もさせていただきます。」
シスターも言葉を詰まらせている。この孤児院の窮状を知られてしまっていることもそうだが、まとまったお金はそれこそ喉から手が出るほど欲しい。でもシスターは迷っている。私の夢を心から応援してくれているのを私は知っている。だからここは私が決めなくちゃいけない。
「わかりました。そのお話、受けさせていただきます。」
「アンジー!!あなた・・・」
私の手を握り、悲しそうな目で私を見ているシスターに首を振りながら微笑みかける。
「シスター。私、シスターが好き。この孤児院のみんなも、たまにお菓子を持ってきてくれる先輩たちも好き。この孤児院が大好きで、ここのみんなが家族なの。だから私、メイドになる。本は好きだけどメイドになっても読めるもの。」
「アンジー!!」
シスターの目から涙が流れていく。あれっ、なんでだろう?ちょっと視界がぼやけてシスターが見えにくくなってきちゃった。笑わないと。笑っていないと心配させちゃうじゃない。
「だから私は行くね、ばいばい・・・お母さん。」
私は腕で顔を拭い、出来る限りの笑顔を2人目のお母さんに向ける。そんな私を見て顔を覆ってしまったお母さんを残してメイドさんに連れられ孤児院を出た。




