メイド様、落ちる
「アン!!しっかりしろ、アン。」
「な、ぜ・・?」
なぜ逃げたはずのシン様がここにいるの?
「アンの思いを無駄にしてすまん。しかしこのままアンを置いていってしまったら俺は俺じゃなくなる。アンのご主人様の資格もないくず野郎だ。」
「・・・」
「すぐに回復をかける。一緒に逃げるぞ。」
シン様が集中し回復魔法を発動しようとした瞬間、シン様の体が横に吹き飛んでいった。
「いたい、イタイ、痛い、痛いねー。このくそ餓鬼が!あんたの四肢を切ってくびり殺してやろうか。」
女の顔の4分の1、右上の目の辺りが赤く焼けただれ、嫌な匂いが漂っている。その顔に以前のような美しさはない。
シン様は動かない。当たり前だ。今の一撃は私を攻撃していたときの比じゃない。私が目で追うことさえほぼ出来なかった。
「く、っ・・うっ・・・。」
視線だけで追うとシン様も何とか生きているようだ。良かった。でも絶望的な状況であることに変わりはない。
「よし、決めた。お前は足を寸刻みにして徐々に・・・なんだい、うるさいねぇ。今からこいつを殺すところなんだ。邪魔すんじゃないよ!!」
女がシン様へ近づいていく途中でいきなり誰かに向かって話し始めた。どういうこと?
「わかってる、わかってるよ。あーあ、やだやだ。運が良いね、シン。あんたは命令で殺せない。だから・・・あんたの代わりにこの子に死んでもらうよ。」
女が私の腕を掴み引きずっていく。
「や、めろ。やめろー!!」
「私に傷を負わせたことを一生後悔するんだね。」
シン様がこちらに向けて必死に手を伸ばしているのが見える。やっぱり優しい。いつか私以外にもたくさん仲間ができるといいですね。
「やめてくれー!!」
私を引きずっている女の手が離れ、私は部屋の大穴へと消えていった。シン様の慟哭のような叫び声だけを耳に残して。
落ちる、落ちる、落ちる。まだ底は見えない。周りには明かりもない。希望など見えない。
でもちょっとだけ、生き残る努力をしよう。どんな絶望的な状況でも可能性を探そう。
ほとんど動かない腕を無理やり動かし腰のマジックバッグから毛布を取り出す。体をくるみ、少しでも衝撃を受けないようにしよう。これが精一杯。でも私は生きたい。
あの泣いていたご主人様を助けるために私は生き延びたい。
視線の先にぼんやりと明かりが見える。底だ。近づくにつれて徐々にはっきりと見えてくる。池がある。せめてあそこに。
体をひねりなんとか池へと向く。しかしそれが最後の力だったのか私の意識は衝突する前に無くなった。
ぺちぺちとわたしの頬を叩く感触がある。
「ほれ、ほれ。起きんか、馬鹿者。」
無理だよ。私は今全身を怪我していてしかもその状態で地面にぶつかったはずなんだよ。起き上がれるわけないじゃん。
「はよ起きんか。」
だから無理だって。ほらこうやって手を動かすことも・・・ってあれ?
「あー、もう面倒じゃ。さっさと起きろー!!」
「うわぁあー。」
体の下に手を入れられて空中に放り投げられる。一瞬の浮遊感の後、私の足がしっかりと地面を掴む。
「やっと起きおったか。人がいい気持ちで寝ているところに落ちてきおってからに。」
「えっ、えっ、何?というか誰?」
目の前には私と同じ黒髪を腰の辺りまで伸ばした眠そうな美人が立っていた。真っ白な布のような物をまとっているのだがそれが水に濡れて張り付いて透けてしまっている。さっきの女くらい大きい。敵ね、具体的に言うと私の敵ね。
「おうおう、人の住処に飛び込んできおってしかも助けてもらった恩人にそんな言い方かえ?」
その人の目が細められる。うん、私が全面的に悪い。いや落ちてきたことは不可抗力だったけど住処を荒らしてしかも助けてもらった人に言うことじゃないわ。
「ごめんなさい。私の名前はアンジェラって言います。試練の迷宮で殺されかけてこの穴に落とされてしまって。あなたの住処を荒らすつもりではなかったんです。本当にごめんなさい。それに助けてくれたって。本当にありがとうございます。」
礼儀作法なんかも忘れて精一杯腰を曲げて頭を下げる。絶対に死んでしまうところを助けてもらったんだ。どれだけ頭を下げても下げたりないぐらいだ。
「ほーん。その高さから落とされて良く生き残ろうと思ったの。普通の奴はあきらめるか、死にたくないと叫ぶだけじゃぞ。」
「私は生きて帰らなければいけない場所がありましたから。」
「それでどうやって帰るつもりかの?ここは迷宮じゃないしのう、上に昇る階段なんぞ無いぞい。」
確かに見たところ階段のようなものは影も形も無い。壁を登るというのも無謀だ。10秒は落ちていたはずだ。あまりでこぼこもないし体力がもつとは思えない。本当にどうしたらいいんだろう?
ぐー。
間抜けな音が響く。そういえばそろそろ夕食の時間だ。腹が減っては戦は出来ぬというしとりあえずご飯を食べてから考えようかな。えっとマジックバッグ、マジックバッグ・・・。無い、食料の入ったほうのマジックバッグが無い。どこで落とした?あの女に転がされていたときか?
「なんじゃ、腹が減ったのかの?」
「はい。でも食料が入った袋を迷宮で落としてしまったようです。」
「うっかり者じゃのう。仕方があるまい。そこのを食べるといいの。」
そうして指差された方向を目で追うと、なんだろう、黒というか濃い紫というかまがまがしい色の草が生えていた。
「これ、ですか?」
「そうじゃぞ。なあに見てくれは悪いが食べられんわけじゃない。ちょっと特徴があるがの。」
背に腹は変えられないのでぶちぶちと草を抜きそのまま食べようとする。調理道具関係も全て向こうのマジックバッグだ。
「ああ、それを食べるなら泉のそばのほうがいいぞい。」
「?・・・ありがとうございます?」
住人の言うことだ。間違っていることは無いだろう。泉のすぐそばまで移動する。
手にはまがまがしい黒色の草。でもいずれは食べないわけにはいかない。体力のある今のうちに試しておくべきだ。
女は度胸とばかりに口へと草を詰め込む。青臭いにおいと味が口の中で広がる。でもそれ以上は無い。うん意外と食べられるかも。なんだろう、あの女の人がすごく魅力的に感じる、いやすごく嫌な感じがする。というかなんか手が痺れる、
「ほら、はやく泉の水を飲まんかい。手遅れになるぞ。」
その言葉にあわてて顔を泉に突っ込む。水を飲むと変な思考に取り付かれていた頭がしっかりしてきて手の痺れも無くなった。
「なんなんですか、これ!?」
「あらゆる状態異常を起こす呪いの草じゃ。まあ生命の泉の水を飲めば回復するから食べられんこともないじゃろ。」
その女性は何のことでもないかのようにあっけらかんと言い放った。