メイド様、絶体絶命!
3階層の探索を続ける。4階層へいく階段は見つけたのだが時間までに安全部屋に戻ってこられなくなってしまうかもしれないのでそのまま3階層を探索することにした。
3階層の魔物はダークスライムとゴブリンなので本来なら注意する必要はあまり無いのだが、慎重に進んでいく。だって嫌な予感がどんどん大きくなっていくんだもん。
「アン、まだ嫌な予感がするのか?」
「はい。」
私の様子を心配してシン様が声をかけてくれる。口調は変わってもやっぱりシン様は優しい。シン様は腕を組みしばらく考える様子を見せた。
「うーん。そこまで言うなら次の部屋を確認したらちょっと早いけれど安全部屋へ帰ろう。」
「すみません。」
「いや、いい。直感は信じたほうがいいこともある。」
具体的に危険がわかればすぐにでも言えるのに、漠然とした不安で理由がわからないからなんかもやもやしてすごく嫌だ。シン様は何も感じていないみたいだし思い違いだといいけど。
しばらく歩いていくと部屋が見えてきた。
「うわっ!!」
「これはすごい。」
部屋に入ると部屋の半分の地面に大穴が開いていて覗いてみたが暗くて底が見えない。この迷宮の入り口どころじゃない。本当に飲み込まれるようだ。
「どれだけ深いんだろう?『ファイヤーボール』」
シン様のファイヤーボールが穴の中を飛んでいく。ファイヤーボールの明かりに照らされていくがどこまでいっても底が見えない。とうとうファイヤーボールが壁にぶつかって消えてしまった。
「落ちたら死ぬわね。」
「あまり近づき過ぎないようにしよう。」
そう言って穴から離れようとしたときだった。
「あんたがシンって奴かい?」
とろけるような甘い声に振り向くとそこには20代後半くらいの女の人が立っていた。ウェーブした髪の毛に魅惑的な黄色い目をした同性の私から見てもきれいな女性だった。しかしそれよりも目を引くのは大胆に胸元の開いた服からのぞく、その大きな胸だ。ちょっと激しく動いたらぽろっと出てしまいそうだ。
自分の体を見る。見事なまでに何も無い。いや、まだ成長期だからこれからのはずだ。記憶の中のお母さんも・・・うん、ほとんど胸が無いけどきっと記憶間違いだ。そうに違いない。
自分の中で葛藤を続けていたのだが、ふとシン様を見ると女の人に目線が釘付けになっている。やっぱり胸が大きいほうがいいのかな?
「あんたがシンだね。」
女の人がシン様を見ながらもう一度告げる。なんだろう。嫌な予感が膨れ上がってくる。
「アン、逃げるぞ。」
シン様が私にしか聞こえないような小さな声で話す。その声はかすかに震えていた。私をチラッと見たその目には恐怖が宿っていた。それが嫌な予感をさらに膨れ上がらせる。
私の中の何かが逃げろ、逃げろ、逃げろと告げる。
何も言わず視線だけで一斉に出口に向かって走り出す。このくらい、朝飯前だ。
「あらっ、人の質問に答えず逃げ出すなんて悪い子だね。フフフフフッ。お仕置きが必要かしら。」
突然目の前に現れた女の人から何かがシン様に向かって飛んでいく。
まずい、でもこれなら何とか届く。
「くっ!!」
剣で飛んできた何かを弾くと手に大きな衝撃が走り痺れる。これは剣の先生の一撃にも匹敵する威力だ。冗談じゃないわ。
「あらっ、見かけによらずいい護衛じゃない。その年で私の一撃を防ぐなんて大したものよ。ちょうどいいわ。あなたも一緒に戦いなさい。そしてシン。クリューウェル家の天才児といわれたあなたの実力を見せて頂戴。」
「俺はそんな家など知らん!!」
シン様が怒りをあらわにしている。今にも噛みつかんばかりだ。でもクリューウェル家って、天才児ってなに?
私の頭の整理がつかないまま事態は進んでいく。女の手にはいつの間にか鞭が握られている。先ほどの攻撃はあの鞭によるものか。女がそのままゆったりとこちらに向かって歩いてくる。
「アン、混乱しているのはわかる。だが手伝って欲しい。」
シン様の声に頭が冴えてくる。今するべきは迷うことではなくあの女からどうにかして逃げ切ることだ。
「ごめん、ありがとう。でも絶対後で説明してもらうから。」
「ああ、約束しよう。」
視線を交わす。やるべきことはいつもと変わらない。シン様と私が最も効率よく戦うことができる方法。私がシン様の盾になる!!
「行きます!!」
女に向かって剣を下段に構えたまま走る。鞭は相手をしたことがない。どんな攻撃があるかもわからない。まずは防御を中心に・・・。
女の手がぶれ、まずいと思った瞬間にはすでに鞭がうなりを上げながら私に向かってきていた。それにかろうじて反応して剣で弾こうとする。
「!!」
弾いた剣を支点にして鞭の先端が私の背中を打ち、強い衝撃と共にメイド服の一部が破れる。そのあまりの威力に片ひざをついてしまい声を出すすら出来ない。
「あらあら、さっきのは偶然だったのかしら。」
「貴様!!」
今の一撃でわかった。わかってしまった。この女には絶対に勝てないって。
女が私を見てニヤニヤと笑っている。とても艶っぽい笑みだ。街でたまに見る娼館のお姉さんたちに似ている。
勝てないならどうするべきか。それだけを考えた。そして結論を出す。
「あー!!」
体に気合を入れて立ち上がりシン様のところまでバックステップして戻りそして告げる。
「シン様、私が時間を稼いでみせます。その間にどうかお逃げを。」
「しかし・・・」
「今の私たちでは到底勝てません。2人で逃げることも不可能です。どちらかが少しでも足止めするしか可能性は無いんです。わかってください。」
体が震える。恐い。立ち向かえば私は確実に負ける。その結果が死なのかさえわからない。それが恐い。でも・・・。
「アンを残らせるくらいなら俺が残る。あいつの狙いは俺だ。アンだけなら見逃してもらえるかも・・・」
「シン様!!」
シン様の言葉を無理やり止める。エマさんに怒られちゃいそうね。
「私は誰ですか?」
そんな言葉をシン様に言う。女はニヤニヤしながらこちらを見ていて何もしてこない。
「アン、だろ。」
シン様が戸惑いながら私の名を呼ぶ。
「はい、アンです。アンジェラです。シン様のメイドで仲間のアンなんです。だからシン様、絶対に逃げて生き残ってくださいね。」
「アン!!」
シン様の返事も聞かず女に向かって走り出す。
この距離はまずい。剣は届かず、鞭を弾いてもそのまま襲ってくる。なんとか出来るとすれば接近戦。鞭を振るうことが出来ない距離まで近づくしかない。
「あらあら泣かせるご主人様への忠誠心ね。虫唾が走るわ。」
女から再び鞭が振るわれる。私の胴を横方向から薙ぐように。剣で防げばさっきの二の舞になる。避けるしかない。
前方に飛び地面を転がりながらその一撃を避ける。すぐに起き上がりあと2歩で私の間合いだ。
「くはっ。」
「あらあら残念賞。フフフフフッ。」
あと少し、あと少しだったのに転がされて元の位置まで戻ってきてしまった。先ほどまで何も持っていなかった手に短い鞭が今はある。あれのせいか。
打たれた腕には赤い筋がみみず腫れのように残っており、メイド服の腹部が切り裂かれお腹まで赤くなっている。そしてジンジンと熱くなって気持ちが悪い。
でも動けないほどじゃない。
何度も女に向かって行く。そのたびに打たれ、飛ばされ、切り裂かれる。メイド服はもはや見る影もなく、私の全身は赤い筋だらけだ。
「いいわぁ。あなた最高よ。逃げたシンなんて問題にならないくらい最高じゃない。お持ち帰りしたいわぁ。あなたはどんな声で鳴くのかしら。」
「へ、んたい、がっ。」
ぺっとつばを吐く。お行儀が悪いってシスターに怒られそうだ。吐いたつばは血にまみれていて真っ赤だった。
シン様、逃げられたかな?もう大丈夫かな?
私がいなくなっても孤児院にお金送ってくれないかな?ダメかな?
シスターやリーヴ、そしてみんなにもう一度会いたかったな。
エマさんに厳しくも優しく教えてくれてありがとうって言いたかったな。
先生たちに役に立ったよって伝えたかったな。
シン様に、ううん、強がっているけど孤独で寂しがり屋のシンにメイドだけど友達になろうって言えばよかったな。
後で説明してもらうって私から約束したのに破っちゃってごめんね。
もう・・・。
立っていられず両膝から崩れ落ちる。
「『ライトニング!!』」
巨大な雷が女を襲う。閉じそうな私の瞳に写ったのは逃げたはずのシン様の姿だった。