メイド様、命令される
大通りから一本奥に入った通りの突き当たり、地下へと降りる薄暗い階段を進むとそこには一軒のバーがある。魔道具の弱々しい光だけしかないほの暗い店内に客の姿は1人しか見えない。カウンターの向こうではマスターが黙々とグラスを磨き続けていた。
客の男は手に持った琥珀色の液体の入ったグラスに魔道具の光を透かしながらカウンター席で1人たそがれていた。全身をしなやかな筋肉に覆われ、苦み走った顔をした40代くらいのその男にその姿は良く似合っていた。
その時、バンっという荒々しい音と共に乱暴に扉が開かれ2人の男が入ってきた。マスターはその様子に顔をしかめたが、目線で注意を促すだけだった。
入ってきた2メートルに近いどっしりした筋肉隆々の大男と、ひょろりとした印象を受ける長髪の男がカウンター席で1人たそがれている男の肩を掴む。
「どういうことだ!試練の迷宮に向かわせたと聞いたぞ!」
「そーだねー、予定では後1年半後のはずだねー。ちょっと早いんじゃないかな?」
2人の視線と言葉にはその男を非難する色が含まれている。男は2人に向き合うがその様子は全く変わらずグラスも持ったままであった。
「もともとは誰かに一撃を当てられるくらいまで成長したら行かせる予定だったはずだ。」
その言葉に、2人が驚愕する。
「まさか、お前が当てられたって言うのかーい?」
「2人はまだ11歳、シン様はLv5、アンにいたってはまだLv1のはずだろ!!」
2人は男の実力を良くわかっていた。そんじょそこらの騎士や冒険者では触れることさえ叶わない、自分たちと同等の力があることを。
固まる2人をそのままに、赤髪の男は手に持っていたグラスをくいっと一気にあける。そしてタンッとグラスをカウンターに叩きつけた。
「ああ、そうだ。喜ばしいことなんだろうが、俺はあの2人が恐ろしい。俺が3年以上かかるだろうと思っていた修行を1年かからずに終えるどころか今はそれ以上を吸収している。お前たちもそうだろう?」
「「・・・」」
2人は答えない。しかしそれこそが男の言葉が当たっていることを示していた。
「天才、そして呪われし血の力か・・・。」
ぽつりと誰からともなくつぶやかれたその言葉を最後に、マスターがグラスを磨く小さなギュッキュッという規則的な音だけがバーに響いていくのだった。
剣の先生から渡された地図を見ながら道なき道を進んでいく。2時間ほど街道を歩き、目印の岩のところで街道を外れ草原を歩いていく。考えてみればこんな風に街の外を歩くなんてことは初めてだ。本で街の外の危険性は十分知っているので、生き物の気配を避けながら進んでいく。孤児院でかくれんぼをしていた時に出た『気配察知』のスキルがとても役に立っている。
「あの森か?」
「そうですね。地図を見る限りあの森だと思います。」
「アン、話し方。」
「しかし、シン様。」
「シン!」
「わかったわよ、シン。」
私の返答に満足そうに笑うシン様をよそに、私はこっそりとため息をつき、なんでこんなことになってしまったんだとそのきっかけを思い出していた。
時間は2時間前にさかのぼる。
エマさんと一緒に準備したマジックバッグを持ち、訓練で使ったことのある剣を腰に携えシン様と一緒に屋敷を出た。マジックバッグというのは見た目よりもはるかに多い物を入れることが出来る魔道具のカバンだ。とても高いのだがそれを2つも持っている。盗まれないようにしなくちゃ。
この街の中を買い物以外で歩くこと自体が珍しく、メイド服に剣を携えている異様な格好の私は人々の好奇の視線にさらされた。走って逃げたい気分だったが、シン様はそんな視線など気にせず街並みを楽しむようにゆっくり歩いていらっしゃったので我慢した。
門番にシン様が何かを見せ、慌てて敬礼する門番の見送りを後に街の外へと踏み出した。
門を出た所にはこれから街に入るのであろう数台の馬車があり、商人らしき男が門番と話している。街道の遠くの方には数人の冒険者の男たちがこの街から離れていくのが見える。周囲には簡単な柵に囲われた小麦畑が広がり、そこで農夫たちが収穫作業をしていた。その畑の先には20センチほどの高さの一面の草原が広がっていた。
「うわぁ・・」
自然と声が漏れる。この街に来るまでの馬車以外で壁のない風景を見るのはこれが生まれて初めてだ。一面に広がる草原は雄大できれいだと思うのだが、同時に守られていないという不安で足がすくむ。
そんな私の手を温かくて剣ダコでちょっとごつごつした手が包む。
「じゃあ行こうか?」
シン様に手を引かれ街道を歩きだした。
「って、何をしているんですか?シン様!」
「何が?」
慌てて手を振りほどく。なんだろう同い年なのになんかちょっとごつごつしていて、力強くて、こんなに男と女で違うんだなって感じる・・・ってそんなこと考えてる場合でもない!
「同い年のメイドと手をつなぐご主人様がどこにいるんですか!」
「いるじゃない。ここに。」
「そういう事じゃありません!」
こてんっと首をかしげ自分を指すシン様に抗議するが笑って流されてしまう。この顔絶対にわかっているのにわからないふりしているでしょ。
「そうだな、いい機会だし。アン、今回の迷宮の探索が終わるまで俺の事は呼び捨てで呼ぶように。あとご主人様に対する言葉遣いも禁止。」
「しかし、シン様。私はシン様のメイドですし、さすがに主人を呼び捨てで呼ぶなどめっそうもありません。それにエマさんに知られたらどれだけ怒られるか・・・」
自分で想像して恐ろしくなる。エマさんはシン様が一番だから一週間以上午前中はメイドとはなんたるかについて説教されそうだ。しかも正座のままで。
「シンだ。成人したら同じパーティの仲間になるんだ。その練習だ。」
「しかし・・・」
「アン、こんなことは言いたくないんだけどこれはお願いじゃない、主人としての命令だ。」
「くっ!」
ご主人さまの考えを読み、出来うる限り叶えるのがメイドの仕事だ。命令は絶対ではないが可能ならば聞かなければならない。しかもシン様の初めての命令だ。というか初めての命令が主人を呼び捨てにすることって私のメイド人生間違ってない!?
「わかりました、シン。」
「話し方。」
「わかったわよ、シン。」
「うーんちょっと硬いかな。もう一回。」
「わかったわよ、シン。」
「うんうん、いいね。次は好きな人に言うような感じで。」
「わかったわよ、シンって何を言わせるんですかー!!」
「はははっ、ごめんごめん。」
好きな人って異性としてってことだよね。よくわからなかったから孤児院のちっちゃい弟や妹たちの頭をシスターが撫でてあげているときのお母さんみたいな優しい声をだしちゃったわよ!
恥ずかしい、穴があったら入りたいくらい恥ずかしい。
「うう~。」
顔が熱い。鏡を見なくてもわかる。絶対に真っ赤になってる。
「アンってかわいいよね。」
「冗談はほどほどにして!!」
「冗談じゃないのに。」
慌てる私を見て、シン様は笑っている。シン様がこんなに笑った顔を見たのは初めてだ。というよりもシン様と2人きりで過ごすこと自体珍しい。私の知っているいつものシン様と今のシン様は全然印象が違う。
「シンさ・・、シン。性格が変わってない?僕じゃなくて俺って言っていたし。それに言葉遣いも荒いし。」
「ああ、俺の性格はもともとこっちが本当だ。」
「じゃあなんでいつもは違うの?」
「・・・」
私の質問にシン様の顔がちょっと赤くなっていく。そしてそっぽを向いて、ぼそっと小さい声でなにかを呟く。
「だってエマが怒るし、悲しそうな顔をするから・・・」
「えっ、何ですか?」
「理由などない!ロールプレイだ、ロールプレイ!」
聞こえなかったので聞き直したらそう言ってずんずん先へ進んで行ってしまった。置いて行かれないように慌てて追いかける。
それにしてもロールプレイってなんだろう?