27歳の不安12月19日の物語
27歳の不安 12月19日(土)
『いい男に出会ってたんだな』
裏切者は、きっと私のほうだった。
およそ1年ぶりに再会した彼は、私の記憶の彼よりも、ずっとやつれて疲れ果てていた。何日もあちこちにお世話になり、いい加減家に帰りたいと彰に電話をして、やっと迎えに来てもらった日。最寄駅で降りた私と彰の目の前に、彼は立っていた。
「ただいま」
彰と話がしたいと彼に言われ、拾ったタクシーに乗せられてひとりで先に帰された部屋に小一時間ほどで彰は帰ってきた。
「おかえりなさい・・・私・・・」
「もう大丈夫だよ。怖かったね。疲れたね。ゆっくり休もう」
リビングのソファーに並んで座り、コーヒーカップで両手を温めながら、彰は彼と話したことを、ポツリポツリと教えてくれた。
付き合い始めたころから、私が自分ではない、別の男を好きだったこと。いつかそれを忘れてくれると思って、黙って付き合い続けていたこと。それでも、私が“別の誰か”を決して忘れてはくれなかったこと。たった一度だけ、魔がさして覗いてしまった私のアドレス帳の中で、何のグループにもカテゴリーされていない“藤堂彰”という人物。別れた彼氏とは、友達にすらなれないと言い切っていた私が、唯一吹っ切れていない相手だと思ったこと。それは、直感ではなく、ほとんど彼の“確信”だったこと。
「俺はね、あの人には悪いけど、この話、すごく嬉しかったよ」
「・・・彰・・・」
他に好きな人がいながら、4年も彼を拘束し続けて、挙句に被害者面して一方的に別れを突きつけた私は、一体なんてひどい女なのだろう。そんなひどい女だというのに、彰は私を抱きしめた。
「俺も、結衣ちゃんと別れてから、1度も忘れられなかった。だからあの日、交差点で結衣ちゃんを見つけたとき、『ああ、もう一度結衣ちゃんを愛するチャンスがもらえるんだ』って、そう思ったんだ。だから、次の日待ち伏せした」
「・・・その時も私・・・ひどいこと、彰にも言って・・・」
「うん。でも平気。出会えただけで幸せすぎるから」
もう何も、声にならなかった。でも、こぼれた涙の粒は全部、彰のシャツに吸い込まれて、彰はただただ、私を抱きしめ続けた。
「わたし・・彼にも、彰にも、いつも・・・ひどいこと・・・ばっかり・・・どうして・・・私・・・は・・・いつも人のことを・・・傷つけることしか、できないの・・・?」
相手を思いやることなんか、一度だってしたのだろうか。彼も彰も、私のことを思って、私に一生懸命してくれるのに、どうして私は、いつも相手を傷つけてしまうのだろう。
「あの人、きっと本気で結衣ちゃんを愛してたよ。4年間、幸せだったって言ってたよ。だから、もう、責めなくていいんだよ」
彰の大きな手が私の頭をなでる。
「それに俺は、結衣ちゃんにひどいことされたなんて、一度だって思ったことなんかないよ」
もう、顔もあげられないくらいきっとひどい顔だ。こんなに泣いたのなんて、本当にいつ以来だろう。涙の量に終わりがあるのなら、私の涙はきっと、もうすぐ底を尽きてしまう。
「・・・彰・・・」
しばらく黙って私を抱きしめて撫でていた彰が、すっと身体を離し、大きな手は優しく私の顎を持ち上げた。
「結衣ちゃん」
「・・・はい」
彰の綺麗な瞳。
「結衣ちゃんは俺の最高の彼女で、最高の奥さんだよ」
「彰・・・」
こんなひどい泣き顔なんだから、最高なわけなんてないのに。
「俺はどう?」
「え?」
「俺は、結衣ちゃんにとってどう?」
彰はいつだって優しくて、にこにこしてて、ちょっと頼りないし、だらしないけど・・・。
「・・・最高の旦那様よ」
私は彰の首に腕を回して抱き付いた。
「そりゃ良かった」
彰の大きな手が、ぽんぽんと私の背中をなでることが、私の世界で最高の安心。彰の声で名前を呼ばれることが、私の世界で最高の名誉。彰の隣にいられることが、私の世界で最高の幸福。
会いに来てくれてありがとう。私もあなたと過ごした4年間が、きっと幸せだったから。