27歳の不安11月9日の物語
27歳の不安 11月9日(月)
「結衣さん」
月曜日。残業もなく定時で仕事を終えて会社を出ると、聞き覚えのある声に呼ばれた。でも、こんなところで会うはずのない相手・・・。
「三井くん?」
「こんばんは」
とてもにこやかな笑顔で傍に来たのは三井くんだった。
「こんばんは・・・どうしたの?」
「友達の家からの帰りです。玲が前に結衣さんの会社がこの近くだって言ってたの思い出して、待ってたら会えるかなって」
言いながら駅まで一緒に歩く。私はあのラウンジでのバーテンダーみたいな制服姿の三井くんしか見たことがなかったけど、彼の私服姿はとても落ち着いて大人っぽい。
「なにか私に用事?今日は、玲ちゃんは?」
「玲のことで結衣さんに相談が」
車道側を歩いたり人の流れからかばったり、三井くんのさりげないエスコートは完璧だ。
「玲ちゃんのこと?」
「ええ、ちょっと気が早いんですけど、クリスマスプレゼントに迷ってて。結衣さんと俺が会う時っていつも玲が一緒にくっついてくるんで、こんな日じゃないと」
言いながら三井くんはにこりと微笑んだ。
「そう言えば、三井くんとふたりでいるってなんか不思議ね」
「そうですね。あ、藤堂さんには内緒にしてくださいね」
三井くんが言った瞬間、私は背の高い彼の肩越しにちらりと一瞬、本当に一瞬だけど、見知った顔を見た気がした。それは、私が最も会いたくない相手で、絶対にここで会うはずのない相手。
「結衣さん?」
私の戸惑いに気づいた三井くんが屈むようにして私の顔を覗き込む。
「え、あ、ごめんね」
「どうかしました?」
黒目がちの大きな三井くんの瞳は伺うように私を見つめる。
「ううん、ちょっと、知り合いに似てる人がいて・・・でも、見間違いだと思う。ごめんね、で、なんだっけ」
安心したようにうなずいた三井くんが、もう一度腰をかがめて私に顔を近づけた。
「だから、藤堂さんには内緒にしてくださいって」
耳元で悪戯っぽく囁いたと思ったら、三井くんの腕が私の腰に回された。
「え?三井くん・・・?」
「家まで行かせて」
大学生なのに余裕たっぷりに微笑んだ三井くんに抱き寄せられるようにして電車に乗り込んだ私は、ドアが閉まった瞬間、そのガラス越しに確かにあの人と目が合った。今度は、見間違っていない。
「・・・・・・」
「怒りました?」
電車が動き始めると、三井くんの腕は離れてさっきとは打って変わった少し不安そうな瞳が私を見下ろしていた。
「いいえ、ただちょっと、びっくりしただけ」
三井くんに腰に腕を回されたことよりも、さっきのあの人の顔が私の不安を煽った。なに?どうしてあんなところに?偶然?・・・それとも・・・?
「結衣さん」
考え事をしていたら、三井くんが小さく肩を叩いてきた。
「あ、ごめんね。なに?」
「結衣さん、さっき駅で、見ましたよね?」
「・・・見たって、何を?」
三井くんは私が知る以上の何かを知っている。
「見覚えのあるひと」
「・・・三井くんは、何を知っているの?」
「なにも知りません。ただ、結衣さんを守るべきだということを知っているだけです」
私は三井くんとこうして二人で話すのは今日が初めてだ。涼しげな顔をして、でも、とてもはっきりとものをいう子だと彰は言っていた。玲ちゃんの話だと見た目に反して三井くんは意地悪なのだそうだ。里佳さんいわく、天使の顔をした悪魔・・・。私に対する彼は、どんな一面を見せるのだろうか?
「あ、そうだ。玲ちゃんへのクリスマスプレゼントだったわね」
黙り込んだ三井くんに、私は彼が訪ねてきた理由を思い出した。
「ええ。でも、今日じゃなくてもいいんです。きっとまた今日みたいに結衣さんと会うと思うんで。思いついた時に、アドバイスください・・・これ、俺のIDと番号です」
三井くんが差し出した紙には三井くんそのもののような均整の取れた綺麗な字が並んでいた。
「これ、三井くんが書いたの?」
「そうですけど・・・あ、女の子の字っぽいですか?」
「ううん。とても字が綺麗な人なんだなって、思って」
「ありがとうございます」
結局三井くんは駅から家までの道のりも一緒に歩いてくれた。
「ごめんね、送ってもらっちゃって。お茶でも飲んでいかない?夕ご飯は?」
「いえ。夕食はエリンギの肉巻きだって、玲からメールきてるんで帰らないと。それに、あがり込んだりしたら藤堂さんになに言われるかわかりませんから」
そう言って三井くんは天使の笑顔で帰っていった。
三井くん、彰の頼みごとを引き受けてくれてありがとう。あなたはとても、嘘と演技がうまいのね。