窮地に光る月
「大丈夫か」
「大丈夫。少しだけ血が流れ出たけど、もう塞がったわ」
エグドラが俺の三歩手前まで来て立ち止まる。腕を頭の後ろまで振り上げると、槍の角度を調整した。
「口を動かさないで。あいつにバレちゃう。これは、あなたの意識に直接話かけているの。エグドラという男には聞こえないわ」
エグドラに勘づかれないように顔の動きを止める。
「エグドラは従者と名乗ったわ。エグドラは私を殺せない。この槍はあなたを殺すための槍。だから避けて」
俺はライラから飛び出すように離れ、後ろに転がった。
エグドラが向ける槍はライラの手前に刺さり、槍を抜くと、十センチメートルほどの穴がそこに出来ていた。
怪力。橋から槍を飛ばすほどの力。
この至近距離で食らったらなば、たとえ楯を持っていようとも、楯を貫通して身体に突き刺さるか、楯を支えた腕や足がエグドラの打撃によって骨折し、致命打になるのは間違いない。
「なんと、王を棄てるか、眷属よ」
エグドラの目は、ライラを憐れんでいるようにも見えた。騎士道に似た精神が「従者」「眷属」と呼ばれる世界にはあるらしい。
ライラにダメージを与えた後、姿をわざわざ見せたのもそのためか。
しかし、従者とはなんだ……
「彼は従者、ケルベロスの血脈の外の者」
ライラの言葉が頭の中に直接響いている。ライラはエグドラの前に倒れたまま動かない。
「動けないのか」
「もうそろそろ動けるわ。王になったとはいえ、回復にはまだ時間がかかるみたいね」
僅かに顔を起こすと、ライラはエグドラに気付かれぬにこちらに合図を送り、また俯いた。
「彼は、眷属でなく従者。私を殺しても、王の座を移管出来ない。だから彼は私を殺せない」
どうやら、ライラはこの国の王であるらしい。そして、従者は王を殺せない。殺す対象は俺であり、ライラではない。ではこの追撃はライラを捕縛するためのもの……
俺の頭の中でアイデアが閃いた。
「ライラ聞こえるか。ケルベロスについて教えてくれ」
エグドラはライラを離れ、俺に近付いて行く。
ライラをこのまま回収しなかったのは助かった。自身の名を名乗ったように、多分エグドラは、騎士道精神のようなものを信奉しているのだ。
その精神に反したものを許すことが出来ない。だから標的が俺に移った。
「詳しくは知らないわ、使用人だった私にそんな知識があるわけないでしょ」
エグドラが一歩一歩と前に進み出る。俺はエグドラとの距離を取りながら後ろに下がる。
「王とはなんだ。王は何人いる?」
「王は一人だけよ。ケルベロスはかつて王であった種族。今でも王と呼ぶのはその名残り。そして王であった種族はみな王になるために眷属を従え、王を狙っている」
なるほど、そういうことか。
「今の口ぶりじゃ、種族は他にもいるみたいだな」
「私の知ってるかぎり、王となった種族は九種族よ」
エグドラは真っ直ぐ歩み出るも、次第に川を背にするようにし始めた。プレッシャーをかけ、包囲するつもりだ。俺は次第に土手のある壁へと追いやられていった。
「その中で、一番影響力を持っているのは?」
「そんなことを聞いてどうするの? そんなことより……」
「いいから教えてくれ」
ライラは少しの間考えると、思い出したかのように答えた。
「コキュートス」