それが、始まりの目覚め
我を過ぐれば憂ひの都あり、
我を過ぐれば永遠の苦患あり、
我を過ぐれば滅亡の民あり
義は尊きわが造り主を動かし、
聖なる威力、比類なき智慧、
第一の愛、我を造れり
永遠の物のほか物として我よりさきに
造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ
ー 『神曲』地獄篇第3歌 ー
目を開けると少女がいた。
彼女の後ろには空がある。パレットの上に水を溢したように、赤はじんわりと青と混ざり合い、黄色、オレンジと赤が空を浸食してゆく。
俺は彼女の膝の上にいた。
後頭部に生暖かい温もりがあり、そこで俺のワイシャツがびしょびしょに濡れていることに気が付いた。
髪は黒だった。あまり見ない髪の色。
胸の前まで垂れた髪の毛先は夕陽を浴びて、黒真珠のように色めいている。
黒髪とは対照的に、肌は夕陽を浴びても白く、透き通るような色をしていた。
小さな顔にある大きな二つの瞳が、目覚めたと同時にきゅっと柔らかくなり、少女は安堵の表情を浮かべた。
「目を覚ましたのね」
彼女の声はか細い。
川のせせらぎに打ち消されしまうほどに小さく、俺は空を見たまま頭を振って答えた。
まだ、おもうように身体が動かない。
どうして自分の全身が濡れているのかすら、分からなかった。
記憶も混濁している。多分、何らかの理由で川に飛び込んだのだろう。
そして、彼女に助けられた。それだけが、今わかっている事実。
「よかった」
彼女は、子供をあやすように俺の額に掛かった髪を整えると、もう少しこのままの方がいいと悟らせるように頭を撫でた。
数分のうちに身体の感覚が戻り始めた。
指先に芝が触れているのが分かる。人差し指を動かすと、爪先ほどの虫がその草の上から飛びあがり、彼女と俺の周りをくるりと回った。
「君は?」
「ライラ。あなたと同じ逃亡者よ」
逃亡者? 疑問がわき上がるが、頬に残った水滴に触れてなんとなくではあるが察しがついた。
「もう少ししたら、ここを離れましょう」
周囲を見回すと、ライラの表情に陰りが見えた。追っ手が迫っているのかもしれない。
「ライラ、俺は君の仲間なのか?」
「仲間? いいえ。仲間ではないわ」
恋人? それはないだろう。よくいって兄妹だ。それでも年齢差がありすぎる。三二歳にとって十五歳程度の妹はかけ離れすぎている。関係はなんであれ、何らかの関係者ではあることは間違いない。
ライラは一瞬の含みを見せた後、断言するように言った。
「そうね、眷属かしら」