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〈珍事件現場〉シリーズ

事件現場は公園の女子トイレの個室

作者: 赤羽 翼



 犬がけたたましく遠吠えしそうな雰囲気の夜。闇に浮かぶ満月が夏の空気に霞んでいる。

 一人の女性が公園を歩いていた。ここ、音白ねじろ中央公園はわりかし広い公園だ。木々が立ち並び、中央部には青々とした芝生が茂っている。アスファルトで舗装された道は、ジョギングすれば一汗かけるほどに長い。


 しかしその女性は、夜のジョギングに来ているわけではない。彼女は少し気になることがあってこの公園に来ているのだ。

 女性は公園にある二つトイレのうち、汚いと思われる方の前で立ち止まった。


 女子トイレに入る。センサーが反応して、電灯が白い光を放つ。個室は四つ。そのうち出入り口の真正面と、その右隣の扉は閉まっていた。スライド色の鍵は両方共赤になっていることから、施錠されていることが窺える。


 女性は出入り口正面のトイレに歩み寄る。ノックする。反応はない。声をかける。反応はない。下から覗きたいが、ここは和式トイレの個室だ。もしものことを考えると、しない方がいいだろう。

 この個室には、今日の昼間っから人が入っている。女性は今日だけで三回ほどノックしたのだが反応がない。


(明らかにおかしい……)


 女性は気になると調べたがる性分の人間だった。女は一つ呼吸すると、左隣のトイレに入った。便座に乗って、更に大して意味をなさない消臭剤が置かれている段差へと脚を上げる。

 そこから間仕切り壁に手を伸ばす。軽く跳ねると同時に腕を曲げ、顔を間仕切り壁から出す。件の個室を覗く。


 女性は唖然とした。入っていたのが男だったからではない。いや、それにも驚いたのだが、それよりももっと驚いたのは、男の頭部に赤黒い液体が付着し、力なく倒れていたからだ。

 女性は間仕切り壁にしがみついたまま甲高い悲鳴を上げた。


 ――9時33分、警察へ通報。9時40分、警察到着。



 ◇◆◇



 公園の入り口付近はパトカーのサイレンが周囲を赤く照らし、バリケードテープで封鎖されていた。

 トイレ周辺には青い制服を着た鑑識員が集まり、大きなライトで明るく照らせている。第一発見者の女性が刑事と思しき青年から話を訊かれている。


 そんな物々しい雰囲気の場に中年の男性が訪れた。熱帯夜だというのに丈の長い漆黒のコートを着込み、ボサボサの髪、無精髭を生やしている。推理小説や刑事ドラマに登場していれば、確実に『やり手刑事(デカ)』として一目置かれているような風貌だ。


 男は若干躊躇しつつ、女子トイレに入る。


「まったく……。変なところに死体を隠しやがってよ……」


 個室トイレにうつ伏せに倒れる男性の遺体を見ながら男は呟いた。


「来ましたか、ジョウさん」


 発見者の女性に話を訊いていた青年が駆け寄ってきた。


「おお、関原かんばら。発見時の状況はなんだって?」


 関原と呼ばれた青年刑事は頷く。


「今日の昼間からずっと鍵がかかってて、ノックしても返事がないから気になっていたそうです」

「どうしてあの女性はそんなに公園にいたんだ?」

「彼氏にふられて、気晴らしにふらふらしたり、ベンチに座ってぼーっとしていたそうです」

「……なる」


 ジョウと呼ばれた男は遺体に近づく。


「後ろから頭を鈍器で一撃です」

「見りゃ分かるよ。凶器は見つかったか?」

「いいえ。現在捜索中です」

「死亡推定時刻は?」

「まる一日らしいです」

「殺人現場はここなのか?」

「飛び散った血痕がないので、たぶん違います」

「……なる」


 ジョウはしゃがみ込み、遺体の顔を確認する。顔立ち的には自分よりも少し年下と思えた。


「ガイシャの身元は割れてんのかい?」

「免許証を所持していました。立花光太郎。四十三歳。スマホの電話帳から両親に連絡取ったところ、独身だったみたいです」

「その両親はどこに住んでる?」

「北海道です」

「免許証を持ってたってことは、財布はあったのか?」

「はい。物盗りではないですね」

「……なる」


 ジョウはひとしきり頷くと、思い出したように呟きた。


「そういや、昨日の夜もここで事件があったな」

「そうですね。不良少年五人が、男性を集団暴行して重傷を負わせましたね」


 関原は腕時計を確認した。


「ちょうど、このくらいの時間に。そっちは解決しましたけど」

「……なる」


 ジョウは立ち上がって、トイレを見回す。


「犯人は、男か女か……」

「別にどっちでもいけますもんねぇ……」


 人が少ない時間帯ならば、男も女子トイレに隠すことはそう難しくはない。ただし、もし目撃されれば、二重の意味で人生が終わる。


 ジョウは自慢の無精髭をじょろりと撫で、そもそもの疑問を口にした。


「はてさて、犯人は一体全体、何を思って公共のトイレなんかに死体を隠したのか……」


 隠すだけならば、公共のトイレより適した場所などいくらでもあるだろう。


「それだけじゃありませんよ」


 関原の言葉にジョウは怪訝そうに眉をひそめた。

 関原は真剣な表情で言う。


「密室だったんですよ」

「密室……?」

「第一発見者が見つけた時には、鍵がかかっていましたから」


 それには首を捻った。


「やろうと思えば、いくらでも行けそうな気はするがな」


 扉の上部を見上げる。


「中に遺体を入れて、鍵をかけて上からへ出ればいい」


 言ってから気がついた。


「って、和式トイレか……」


 そうなのである。立花光太郎氏(故)が遺棄された個室は、和式トイレなのである。しかもこの部屋には、左隣にはあった消臭剤を置く段差すらない。

 しかし、


「けどまぁ、ジャンプして壁に掴まって……」


 間仕切り壁に視線を注いでいたジョウの顔が凍りつく。

 関原は深く頷いた。


「このトイレの天井、異様なまでに高いんですよ。それに比例して、間仕切り壁も……」


 関原は膝を深く曲げ、一気にジャンプする。届かない。あと十数センチは必要だ。


「ってなります」

「な~る~……!」


 ジョウは興味深そうに自身の顎を撫でまくる。

 関原の身長は一七六センチと比較的高く、腕を伸ばしたら当然更に伸びる。……間仕切り壁の圧倒的な高さ、理解していただけただろうか?


 ジョウはトイレ内の写真を取っていた鑑識たちに言う。


「君たち。もう遺体を移動させても構わないよ」


 それを受けて、鑑識たちは立花光太郎(故)をせっせと運んでいった。

 現場の個室に入り、まずジョウが考えたのは。


「この金隠しに乗って跳ぶというのはどうだ?」

「金隠しってなんですか?」


 関原が純粋に疑問に思ったことを尋ねた。

 ジョウはトイレの先端部の、上に盛り上がった場所を指差す。


「ここだよ、ここ」

「そこ金隠しって言うんですね。……僕も試してみたんですけど、バランスが取りづらくて無理だと思います。それに、しくじったら便所に足突っ込むことになりますからね」


 尿やら排泄物やらが溜まっていなくとも、トイレの水というのはそれだけで不快感を覚えてしまうものである。哀れ、トイレ用水。


「じゃあ、SA○UKEのファイルステージみたいな感じで上ったんじゃ」


 しかし無理だと気づいた。両サイドの壁は離れており、両腕両脚を伸ばしても届かない。

 ジョウが唸る。それを見て、関原は決め顔で言い放った。


「土台が必要、もしくは背が僕よりも高いということです」

「いや、土台じゃねえ。鍵がかかってて取り出せねえからな」

「あ、そっか」


 恥ずかしい思いをしてしまう関原くん。気を取り直して咳払いだ。


「じゃあ背の高い人が犯人か……」

「たぶんな」


 二人はいったん個室から出る。


「計画的犯行か、突発的犯行か……」

「計画的に公園のトイレの個室に遺棄しますかね」

「どうだろうな……。だが、長時間死体を隠すことは可能だ。時間が経てばアンモニア臭に混じって死臭がするだろうから誰かが気づくが、逆に言えばそれまで時間を稼ぐことができる可能性がある」

「……つまり犯人は死体発見までの時間を稼ぐつもりだった? なんのために?」

「海外への高飛び。なんらかの方法でアリバイを確保する……。まぁこんなところだろう」


 ジョウの推理に、関原は感心した。声に熱を込めて言う。


「その推理でいくと、これは計画的犯行。凶器が見つからないのは持ち去ったからか。……ホシはガイシャの知り合いで、僕よりも身長が高い人、という可能性がグンバツに高い!」

「もちろん確実ではないが、そうなるな……」


 ジョウはにやりと笑う。関原も口の端をつり上げる。


「だとしたら、犯人の計画は今まさに崩壊の彼方にかき消えようとしている」


(何だその意味不明な喩え)


 ジョウは心の中でつっこむ。


「犯人はこんなに早く死体が発見されるとは思っていないはず。犯人の掌の上にいない今なら、まだ間に合うかもしれない!」


 関原は拳をぐっと握って、ジョウに訴える。

 ジョウはコートのポケットから煙草を取り出し、火を着けずに口にくわえる。


「……もう一つの可能性もある。いやむしろ、こっちの方が高いかもしれない

「そ、それは……?」


 ジョウは火の着いていない煙草を右手で摘み、口からふうっと息を吐いた。当然煙など出はしない。ただの変人でしかない。


「ホシは誰かに罪を擦り付ける算段があるのかもしれない」

「どういうことですか?」

「こんなところに隠せば、いずれは確実に発見される。時間を稼ぐだけなら、他にも死体を遺棄するのに有効な場所はあるはずだ。なのにそうしなかった……。つまりは死体を発見してほしかった」


 ジョウの更なる推理に、関原は目を剥いた。


「死体が出れば当然だが警察が出る。ホシには、警察を騙すことのできるトリックを考えているのかもしれん。それでターゲットの人間を犯人にしたてあげる」


 関原は思わず息を大きく吐き出した。

 それを見てしかしな、とジョウは言う。


「これらは推理の域を脱していない。突発的な犯行の可能性もなきにしも、だ……。まぁ、それだと少し疑問が残るが……」

「なんですか?」

「ここが女子トイレだということだ。身長一七六センチ以上の女はいるだろう。ヒールを履けば届く女もいるだろう。たが身長一七六センチ以上の女は滅多におらず、ヒールを履いたままでは死体をここまで運ぶのに一苦労だ。放置した方がいい」

「ヒールを脱いでここまで運ぶのは……?」


 関原の問いにジョウは素早く答える。


「道はアスファルトで舗装されてんだぞ? いてえよ。……これを踏まえると、突発的犯行の場合、ホシは男の可能性が濃厚だ」


 なるほど、と関原は呟いた。


「突発的な犯行ならばホシはかなり慌てる。いち早くその場から立ち去りたいと思うはずだ。死体を隠したいと思っても、判断力が鈍るから、普段使っている男子トイレに隠すと思うんだ。……だからまぁ、突発的な犯行ではないと思っている」

「分かりました。男の身元は割れてるんです。早く男の関係者を洗いましょう!」

「おう」


 二人は女子トイレをあとしにようとする。その時だった。



「ちょっと待ってください」



 低いがよく通る女性の声がトイレに響いた。

 二人は思わず立ち止まって周囲を見回す。


「誰だ?」

「どこにいる!?」


 そして便器の水が流れる音が鳴ると、ずっと使用中だった現場の右隣のトイレがぎいっと開いた。


「その考えは早計というものです」


「「誰!?」」


 声が揃った。トイレから出てきたのは、黒いスーツを着た平均的な身長の女性。艶のある黒髪は腰のすぐ上当たりまで真っ直ぐ伸びている。顔立ちも大人びており、美人の分類に間違いなく入るだろう。


 突然の闖入者に刑事二人は口を開けたままぽかんとしてる。当の本人は落ち着いた表情でスーツの内ポケットから名刺を取り出した。


「私、こういう者です」


 ジョウが受け取り、しげしげと眺める。関原もその隣から覗き込んだ。


 月代探偵事務所 所長 月代つきよ蘭丸らんまる


「探偵……?」


 関原が呟き、ジョウも続く。


「蘭丸って……、本名かい?」


 おおよそ女性の名前とは思えない。


「失礼ですね。名刺に嘘書いてどうするんですか」


 その反論にジョウは再び名刺に視線を落とす。


「いや、だってこれ……、手書きじゃん」

「もう仕方ないですね」


 お次はスラックスから取り出した財布を開いて、免許証を前に突き出して見せる。


「確かに本名みたいだな」

「ですね……。何でこんな名前に?」

「両親が戦国武将の森蘭丸のことが好き過ぎるからです。弟もいますが、彼は『藍丸らんまる』という名前です」


 刑事二人は苦笑いを浮かべる。

 生年月日から察するに、彼女――蘭丸の年齢は二十四のようだ。

 ジョウは蘭丸を見据え、質問を変える。


「ええっと……あなたはここで何を?」


 蘭丸は一切表情を変えず、


「普通に考えれば分かるでしょう。用を足していたんですよ」

「いつから?」

「警察が来る前からです。下痢だったので、かなり長い時間を要しましたよ」

「いや、女だったらさぁ、もうちょい恥じらいというものを覚えた方がいいよ」

「じゃあ訊かないでください!」

「それは悪かった」


 素直に頭を下げた。


「あの、月代さん? 今は捜査中なので出ていってもらってもいいですか?」


 関原が頭を掻きながら申し訳なさそうに言う。

 それに対し蘭丸は、


「出ていくのは男共あなたたちでしょう! ここ女子トイレですよ!」

「それはそうなんですけどね……」


 二人は思った。


 ――めんどくさい奴に捕まっちまった。


 ……と。

 蘭丸は続ける。


「それにいいんですか?」

「何がですか?」

「事件現場に偶然居合わせた探偵の話を聞かなくて……」

「そういえば、俺の完璧極まりない推理を、早計と言っていたねぇ」


 ジョウはニッと笑う。蘭丸は頷き、


「で、聞きますか?」

「いやいや。一般人にそんなことは――」

「まぁいいじゃねえか関原」

「えぇー……」


 関原は納得がいかず首を捻るが、蘭丸は構うことなく始める。

 まずジョウに人差し指を向けた。


「ジョウさんと言いましたよね」

「ああ」

「あなたの推理では、犯人は男で計画的な犯行ということになりますよね」

「そうなるな」

「それは違うと思うんです」


 指を降ろし、浅く腕を組んだ。ジョウは尋ねる。


「どうしてそう言えるんだ?」


 蘭丸は視線を死体発見場所へと移した。


「死体を遺棄するのは、別にあの個室でなくてもいいじゃないですか。……他の個室は洋式で、簡単に壁に登れます。自分の身長を隠せるので、こっちの方がいいです」

「言われてみれば……」


 関原が同調する。


「あの個室に死体を遺棄したのは、高身長の人間が犯人と思わせるためです」 


 ジョウは首を傾げた。


「つーことは、犯人の身長ははあの間仕切り壁に届かないのか?」

「だと思います」

「それは無理ってもんでしょ。土台かなんかを使わなきゃ――」

「それはおいおい話しますよ」


 関原の反論を途中で切り捨てた。続き、ジョウが口を開く。


「考えが甘いぜ嬢ちゃん。真犯人は、おそらく背の高い人間を犯人に仕立て上げるために、あの個室の使ったんだよ。自分は何らかの方法でアリバイを用意して、警察の目をそいつに向けさせるつもりなのさ」


 ベテラン刑事、ジョウの強烈なドヤ顔が炸裂する!


「なるほど……。さすがはジョウさん!」


 関原がフィンガースナップを行う。しかし蘭丸は涼しい顔で言う。


「何をおっしゃりますやら……。そもそも、男の計画的犯行という時点で違うんですよ」

「え? どういうこった?」


 ジョウは眉をひそめる。

 蘭丸は両腕を大きく広げ、トイレの中心で愛を叫ぶ(別にそんなことはない)。


「だってここ……女子トイレですよ?」


 刑事二人はどちらも首を傾げた。蘭丸は軽く肩をすくめる。


「言い方を変えましょう……。犯人が男だとしたら、どうしてあの個室の状況を知っていたんですか?」

「あっ……!」

「何かを思いつく時は、大なり小なりインスピレーションが必要です。まさか犯人が、たまたま女子トイレに入ったことで計画を思いついたとでも? それともいい感じのトイレの個室を探したとでも? はたまた日常的にここの女子トイレを使っているとでも? あっ、『男子トイレからインスピレーションを受けた』、っていうのは無しですよ。ここの男子トイレの状況は知りませんけど、男子トイレにあれば男子トイレに遺棄すればいいんですから」

「…………」


 二人は返す言葉を無くした。


「つまりこれは男の突発的犯行、女の突発的犯行、女の計画的犯行のいずれかということです」


 二人は腕を組んで唸りを上げた。

 ジョウが苦々しげに呟く。


「……じゃあ、女の計画的犯行だな。背の高い女に罪をきせようとしたんだ」


 蘭丸は鼻で笑った。


「何をおっしゃりますやら……。人に罪を擦りつけたいなら、そんなまどろっこしいことしないで、その人の私物を現場に落としておけばいいんですよ」

「言われてみれば、そうですね……」


 ジョウは唇を尖らせて拗ねたような表情になってしまった。ぽつりと呟く。


「じゃあこれは突発的犯行ということか……」

「だと思います」

「性別はどっちなんだろうか……」

「男だと思います。私が突発的に人を殺害してしまった場合、男の人を引きずってトイレに隠すくらいなら、間違いなくダッシュで逃げます。素早くトイレに運ぶ自信がなかったらしません」

「まぁ、そうですよね……」


 関原が納得したようにうんうんと頷いた。ジョウは苦虫を噛み潰したような表情になっている。


「犯人は男。犯行は突発的に行われたのです」

「凄い!」


 関原の拍手がトイレに反響した。


「……しかし、どうやって密室を作ったんですか?」

「そ、そうだ! それはどうやったんだ?」


 はっと顔を上げ、ジョウが叫んだ。


「土台がないと鍵をかかった個室から脱出できないじゃないか!」


 蘭丸は指を一本立てた。


「その前に一つ。……立花光太郎さん(故)が見つかった時、遺体は仰向けでしたか? うつ伏せでしたか?」

「うつ伏せでしたよ」


 関原の言葉に満足したのか、蘭丸の口許がほころんだ。


「ならば話は簡単です。……関原さん」

「はい?」


 蘭丸は件の個室の扉を閉めて、手前の床を指差す。


「ここに腰を丸めてうつ伏せになってください」


 この提案だけで、二人は察したようだ。

 関原は言われた通り、トイレの床に――トイレの床に! 腰を丸めてうつ伏せになった。

 その丸まった腰の上を踏み台に、ジョウは一気に間仕切り壁の上部に跳んだ。縁を掴むことに成功し、腕の力で身体を上へ押し上げる。そのまま個室へと着地した。

 個室の扉から出てくる。ジョウの身長は一七一センチだ。


「……つまりは、犯人は遺体を土台に使ったということですね。死後硬直前ならば、これも可能です。個室から出たら下から手を突っ込んで、遺体の足かどこかを掴んで引っ張るなり、ずらすなりすれば身体の不自然さを消すことができます」


 ジョウが自分の左手を右手でぽんと叩いた。


「これが本当なら、遺体の背中にはゲソ痕――靴の足跡がついているかもしれんなぁ!」


 いつの間にやら、ジョウも蘭丸の推理を支持している。

 すると関原がやっぱりこの事件の疑問を口にする。


「どうして犯人は女子トイレに死体を遺棄したんでしょうか……?」

「それには当然理由があります」

「なんだいなんだい?」


 ジョウが前のめりに気味に尋ねた。


「昨日の、ちょうどこの時間帯、つまり死亡推定時刻に社会のゴミ……ではなく不良少年たちがこの公園で男性を暴行する事件が起こった」


 刑事二人は顔を見合わせる。


「おそらく犯人は口論の末に立花光太郎さん(故)を殺害した」

「凶器は?」

「そこら辺に転がってた石かなんかだと思います。水道で洗って捨てたんでしょう。

 そして、その犯行直後に社会のゴミ……ではなく不良少年たちが公園にやってきた。彼ら――群れないと自己アピールをできない可哀想な子たちは、基本的に実のならない話を大声でしながら歩きますから、それで男がたくさん来たことが分かった」


 いったんそこで言葉を切って、空気を吸う。


「犯人は本能的に、死体を隠さなければと思った。男が多いことが確認でたから、おそらく入って来ないであろう女子トイレに隠れた。

 その時この個室の構造を理解した犯人は、背の高い人間が犯人と思わせる方法を思いついた。それが先ほどの方法ですね。……これが事件の全容だと思います」


 静かに蘭丸の推理を聞いていた刑事二人は唖然としていた。

 ジョウがおもむろに口を開いた。


「じゃあ、タイミング的に考えて暴行して受けた被害者が犯人?」

「何をおっしゃりますやら……。そんなこと知るわけないじゃないですか。取り敢えず立花光太郎さん(故)の背中にゲソ痕があるかを調べて、間仕切り壁の指紋を採取しましょう」

「了解。鑑識さーん!」



 数分後。



 中年の鑑識が大きな脚立で間仕切り壁上部の指紋を取り終わり、下に降りてきた。


「採取された指紋は一種類だろうな。鑑識歴二十年の俺なら、ソフトを使わずとも分かる」

「たぶん、第一発見者の女性ものですね……」


 関原が嘆息したように肩をすくめた。ちなにジョウも触れたが、もちろん手袋をしていた。

 蘭丸は何かが分かったのか、にやりと笑った。

 中年の鑑識は蘭丸に視線を向け、


「彼女は?」

「彼女はいいんだよ。……そうだ、ゲソ痕はあったのか?」

「あったぞ。靴の種類までは分からんが、大きさから見るに男だな」


 そこに蘭丸が口を挟む。


「間仕切り壁に、指紋を拭き取られた後はありましたか?」

「いや、ないが……?」

「そうですか。ありがとうございます」


 頭を下げる。


「あ、ああ。彼女は、誰?」

「いいんだよ。しっしっ!」


 ジョウが中年の鑑識を追い払った。そしてすぐに蘭丸を見やる。


「何か分かったのか?」


 その目は期待に満ちあふれ、爛々と輝いている。


「はい。これは突発的な犯行です。間仕切り壁に拭き取った形跡がないのなら?」

「手袋をしていた?」

「そうなりますね。でもよく考えてください? 今は夏ですよ? 手袋を所持している人は限られています」


「手袋が必須の仕事をしている人!」


 関原が大声で叫んだ。耳に響いたのか、蘭丸

はしかめっ面になる。


「だと思います。……犯人はおそらく、立花光太郎さん(故)の知り合いで、ここの間仕切り壁に手が届かず、手袋が必要な仕事をしていて、ゲソ痕と同じ型の靴を持っている人物!」


 刑事二人は飛び出した。声を上げて他の刑事にそのことを伝えている。

 蘭丸は一人、女子トイレに取り残された。



 ◇◆◇



 犯人は立花光太郎(故)の高校の同級生、工場に勤務している柳田和義だった。被害者に借金をしていた柳田は、公園で口論になり落ちていた石で殺害。あとは蘭丸の言った通りだった。


 二人の刑事は思っていた。




「月代蘭丸。誰だよ」と……。


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