第1章―4
放課後。職員室から一人の女子が出てくる。
短めの髪に反比例するように目元まで隠すような長い前髪。分厚い黒ぶちの眼鏡。猫背気味で視線を落として歩いている姿が少し気弱な印象を与える。
「河中さん、ちょっといいか?」
歩き去ろうとする河中さんに声をかける。声を掛けられて一瞬びくっとした河中さんは俺を見て怪訝そうな顔を浮かべる。
「あの……誰ですか?」
「ああ、やっぱり河中さんか。3組の坂中っていうんだけどさ、ちょっと話しがあるんだ」
「坂中さん……あっあのなんで私の事を?」
不思議そうに問いかけてくる河中さん。
……言えない。ザンハイの作った写真集『我がハーレム』に写真が載っていたからなんて。
「あーっと聞いたから。そっそうだ。聞いたんだよクラスの人に河中さんの特徴を。メガネを掛けた子だって」
「メガネを掛けた……えっとそれだけでですか?」
「あっとそんなことより話しがあってさ」
「話しですか?」
誤魔化すように言う俺の言葉に首を捻る河中さん。そんな河中さんを前に、俺はどう言えばいいか解らなくなる。ああくそっ。なんて言やいいんだ?俺らと一緒に部活やろうぜ?いやいや、いきなりそんな事を言っても何で私ってなるだろ。あの事を話す?いやでもここでか?こんな人の多い所で?ああくそっ人が居ないところに行かないと。人のいない所。人の……
「ちょっちょっと来てっ!」
「きゃっ」
テンパった俺は河中さんの手を掴んで走り出す。
人のいない所ってどこだ!?屋上?駄目だ鍵がない。空き教室?駄目だどこが空いてるか解らない。部室?駄目だ、まだ部室を持ってない。
目的地を探しながら走っていると、体育館が見えてくる。
体育館か。体育館裏ならどうだ?人気ないし立ち入り制限もない。うん、いける。
進路を体育館裏へと変更する。体育館の側面を走り、後少しで裏まで行くと思った辺りで、左手が強く引かれるのを感じる。
「っと何で引っ張るんだよ」
「ひっごっごめんなさい。ごめんなさい」
俺の言葉に強い怯えを見せた彼女は頭に手をやり震えだす。
そんな彼女に、俺は少し冷静になって自分のした事を考えてみた。
見知らぬ男がいきなり腕を掴んで強引に人気のない体育館裏に連れ込もうとする。
……訴えられたら勝てないかな。
「ごっごめん。変な事をするつもりは無かったんだ。いきなり連れ回して悪かった。本当ごめんっ」
慌てて頭を下げる。勧誘のつもりで誘拐するだなんて一体何をやっているんだろう。
どのくらいそうして頭を下げていただろう。暫くすると、落ちついたような気配と共に河中さんが近寄って来る。
「あっあの……その頭を上げて下さい。私に何か用ですか?」
おそるおそるといった感じに話しかけてくる河中さん。
「あっああそうだった。これ」
問いかけるように見つめる河中さんに促され、俺は胸ポケットからあるモノを取り出す。
「これっ」
「昨日拾ってさ。それで思ったんだよ、俺達の部活に入って欲しいって」
それは何の変哲もない大学ノート。しかし、どこにでも置いてあるようなそれを見た河中さんは表情を強張らせる。
「まっまさか読んだのっ」
「ごめん中に名前書いてないか確かめようとして」
「いっいやあああ」
ひったくるようにノートを奪って走り出す
――見られた。そんな。いやっ。恥ずかしい。からかわれる。虐められるっ。
「ちょっちょっと待ってっ」
顔面蒼白でなにやら呟きながら逃げる河中さんを慌てて追いかけてその手を掴む。
「ひっいっ言わないで。お願い」
涙目で訴えてくる河中さんに俺は不思議に思う事があった。
「……なんでそんなに嫌がるの?あの小説凄く面白いのに」
ノートに書かれた物語。中世ヨーロッパを舞台にした淡い恋愛物語。
「……面白くなんてないです。あんなの私のただの妄想で……人に見せられるようなものじゃな「そんなことない」」
顔を伏せて恥ずかしそうに言う河中さん。気が付けば俺は彼女のそんな言葉を全力で否定していた。
「そんなことないって。あの小説凄く面白かった。お互いに思い合ってるのにすれ違うとことか凄く切なかったしお互いの想いをぶつけ合うシーンとか自然に涙が出てきたもん」
河中さんが自分の小説をどう思っているかはわからない。でも、この小説を読んで感じた感動は嘘にはしたくなかった。
「でっでも、私の書いたものなんてそんな面白くなんて」
「いや、面白かった。だってそう思ったから俺は河中さんを探したんだから。こんなシーンを演じられたら楽しいんだろうなって」
読んでいて思った事。小説でこれだけ面白いものを実際に演じるとなるとどうなるのか。おれはそれが知りたかった。
「演じる……演劇ですか?」
俺の言葉に小さく反応する河中さん。その目にはようやく怯え以外の色、興味が混ざっていた。
「ちょっと違うな。ミュージカルだ」
「ミュージカル……ミュージカル部なんてあったんですか」」
「いやっないよ。だから作るんだ!」
「作る……」
「そうっ作るんだ。俺さ、この学校に入る前にシキのミュージカルを見たんだ」
「あの有名なシキのですか?」
「そうっ。それが凄くってさ。俺びっくりしたよ。ミュージカルってあれだけ面白いものなんだって。まるで世界が変わったみたいに感じたもん」
「それほどなんですか」
「ああっ。それほどだ。そんでさ、その後ちょっと強引だったけどミュージカル部に入る事になってさ、どうせなら俺もあんな舞台を作りたいって思ったんだ。だから河中さんの小説を見て、いてもたってもいられなくなってさ」
「私の小説を読んで……」
「そうっ!すげえ面白くってさ、これを舞台でしたら俺もシキみたいな凄い舞台を作れるんじゃないかって」
「そんな良い物じゃないですよ」
「良い物なんだって。本当に面白かったんだから。河中さんはこれを誰かに見せた事ないのか?」
「そんな……ないです。ただの自己満足で書いているだけのモノですから」
「そんなもったいない。だったらさ、俺たちにこれを演じさせてくれない?」
「それは……恥ずかしいですし」
「恥ずかしくなんかないって!これだけ面白いんだし。それにさ、劇だったら反応が直ぐに見れるよな。胸を張れる内容だったってそこで解るからさ」
何かを考えるように顔を伏せる河中さん。そして、ゆっくりと顔を上げる。
「……劇の台本は書いたことないですよ?」
「俺もミュージカルはやったことないから初めて同士だな」
「人前に出るのが凄く苦手ですけど」
「無理して舞台に立たなくても大丈夫だよ。裏方もぜんぜん足りてないから」
河中さんが考えこむように目を閉じる。そのまま何十分にも感じる10秒の時間が過ぎた後、ゆっくりと顔を上げて俺と目を合わせる。
「……劇団の名前はなんて言うんですか?」
「まだ決まってない」
「じゃあ私も一緒に考えます」
僅かに頬を緩ませる河中さん。
「それって、つまり」
「あの、よろしくお願いします」
これからの3年を決定づける言葉を彼女は口にした。




