第1章―2
「行ってきます」
自転車に乗って学校を目指す。
道は既に確かめているからは問題ない。問題があるとすれば、
「帰りが大変だよな、これ」
学校が山を下った先にあることだろう。とはいえ山の上に家があるからどこの学校に行っても山登りは避けられない。まあ風を感じながら学校に行くのは気持ちいいので後の事は考えないことにする。
学校まで自転車で30分。
遠いと感じるか近いと感じるか判定に迷う微妙なラインだろう。
今日は入学式の後、顔合わせと自己紹介をしてから授業説明をして終わりのはずだ。
無難に行くか、一発狙うか。
自己紹介に何を言うかを考えながら走っていると、校舎が見えてくる。
とりあえず無難でいくかなんて考えながら学校に入る。
出だしから失敗などしたくないからだ。
校舎に入ると直ぐ先に人溜まりが見える。どうやら体育館が開いたようで一斉にみんなが動き出した所みたいだ。ちょうど良いタイミングだったなと思いながらそれを見ていると、女子が一人男子にぶつかられてよろけるのが見える。大丈夫かなと思い見ると、彼女は平気そうでぶつかった男子に謝られながら体育館に入って行った。俺はそれを見てほっとしながら自転車置き場に向かおうとして気付く。
「んっ?」
彼女が倒れた所に小さな手帳のようなモノが落ちている事に。
「落としたのか?」
自転車を押してそこまで行ってみると、そこに落ちていたのはシンプルな表紙の手帳だった。俺は俺は思わずそれを開きかけて、
「君も新入生?」
声を掛けられてとっさに胸ポケットにしまう。
「あっはい。そうです」
力強い響きを持った声に振り返る。振り返った先に居たのは鋭い視線に、芯の通ったようにピンとした姿勢が特徴的な気の強そうな女性。長くて綺麗な黒髪の麗人。
「そう、いや、私も新入生なんだけど、自転車置き場はもう過ぎてるよ。私達の自転車置き場はあっちの一番手前の柱から3番目までらしいからね」
「あっそうなんですか。ありがとうございます」
「いいよいいよ。それじゃあね」
俺に自転車置き場の場所を教えて颯爽と去って行く。その後ろ姿に思わず見惚れ、そんな美女に話しかけられた事に思わず浮いた気分になりながら体育館を目指す。
「クラスの番号書いてあるでしょ?自分のクラスの番号の所に行って座ってね。椅子にも番号書いてあるからそれで確かめて」
先生にどこに座るかを聞きながら体育館に入る。体育館の中は既に人が一杯で、少し躊躇しながらも自分の席を探す。
席は男女混合の番号順で1列4人ずつ座っている。16番だから一番はしっこだ。
「28、24、20、16っとここか」
席を見つけて座る。
一息ついてから先に来ているはずの新庄を探す。
新庄真一。通称ザンハイ。中学の時からの悪友で、同じクラスの出席番号一つ違いというポジションを4年連続で獲得している腐れ縁。
新庄は成績優秀スポーツ万能、顔も良ければ家柄も良いという絵に描いたようなハイスペックな男だが、嫉妬する事も爆発しろと思う事もなく今までやって来ている。何故なら、こいつは『イケメン』ではなく、『残念』や『バカ』という言葉が似会う男だからだ。
そう、残念なハイ(・・)スペックなのだ。
俺は新庄の席を覗く。左後ろにあるその席は未だ空席だった。新入生代表だから特別に呼ばれているのかもと思いながらその席を見ていると、
「何?私の顔に何かついてる?」
左隣にいたクラスメイトに怪訝な顔で話しかけられる。新庄の席を見ようと顔を横に向けていたから彼女の顔を見つめるような体勢になっていたのだろう。
反射的に謝ろうと彼女に視線を移して、止まる。
薄茶色のポニーテール。整った顔立ちに、意思の強そうな瞳。
そこにいたのは美を付けて呼んでいいレベルに整った顔つきの少女。しかし、重要なのはそこではない。俺はその顔にどこか見覚えがある気がしてならない。
「話しかけてるのに無視?いい度胸じゃない」
茫然としている俺に少し苛立ったような彼女の言葉。
「あっ、いやどこかで見たことあるような気がして考えてた。もしかして前にも会ったことない?」
とっさに思った事を口に出す。ふむ、だが悪くない切り返しなんじゃないか?このセリフ、これが恋愛小説か何かだったらこの後は可愛らしい反応と好印象が待って――
「えっ?人違いじゃないの?見覚え全くないわよ。あっもしかしてそれ古典の教科書にでも乗ってそうな古臭いナンパセリフ?うわっだとしたらそうとうキモいわよ」
……憎らしい反応と悪印象が待っていた。
「ちっちげーよ。っていうかキモいってなんだよキモいって。いきなりナンパセリフって自意識過剰なんじゃねえの?」
「なっ、自意識過剰って何よ!初対面の相手をこっそりガン見してんのがキモいって言ってんのよ。それにあんたみたいな失礼な奴一度会ったら忘れないわよ」
「こっそりガン見ってどっちだよ。それに初対面の相手をいきなりキモいなんて言うやつの方が失礼じゃないのか?」
「何ですって」
「何だよっ」
だんだん大きくなっていく声。だけど、熱くなっていた俺はその事に気づかなかった。
「そこの二人っ。いい加減にしなさい。入学早々揉めるんじゃないの」
頭をコツンと言う衝撃と共に冷やされるまでは。
「「……ごめんなさい」」
「もうすぐ入学式始まるからまた揉めたりしないようにね」
そう言って先生は俺達のクラスの後ろに戻っていく。
……どうやら初日から担任に目を付けられるという大変ありがたくないイベントを起こしてしまったようだ。そう思って原因となった女を見る。
「何よ、まだやる気なの?」
少し苛立ちの混じった声で彼女が俺に問う。
苛立ち混じりでも解るくらいには綺麗な声が、冷静になった俺の……声?
「そうだっ思いだした!」
「っいきなり大声出さないでよ。何なのよ」
漸く脳内グーグルの検索にヒットが出た。検索ワードはシキだ。こいつはそう
「劇団春夏秋冬見終わった後に叫んで泣い――」
「っちょ!?わあああああああちょっとストップ。待って。そこまで」
彼女は俺の身体に跳び付くようにして全力で俺の口を塞ぎにかかる。
(近い近い近い近い!手柔らかいし、息かかってるよおいっ!)
こういう時顔のいい奴は卑怯だと思う。無条件で人の心を揺さぶるんだ……って何考えてるんだ。落ちつけ、般若心経を唱えてクールになるんだ坂中優一。お前は外見で人を選ぶような奴ではないだろう?…………ないよな?
「なっ、なんでそんなこと知ってんのよ!あんたストーカーでもしてるわけ!?この変態!」
思わぬ急接近にドギマギする俺に構わず、囁くように怒鳴ると言う器用な芸当をかます。
「だれがストーカーなんてするか!俺もあの時シキを見てたんだよ。近くに座ってたんだ」
「近くって……あっ!あんたあの時泣いてた奴!?」
……驚いた。正直俺の顔なんて記憶にないと思ってたんだが。
「良く分かったな」
「声が被った後目が合ったでしょ?だから覚えてたのよ。にしても失敗したわ、まさか同じ学校だったなんて。……言いふらしたら殺すわよ」
光のように輝く何かを写していた瞳が一転、今度は人でも殺せそうな程の殺気を映し出す。こいつ……瞳術使いか?
「言わねえよ。俺も泣いてる所見られてるんだから。考えなしだった、悪い」
俺が謝ると殺気を収めてくれる。正直凄く恐かったからありがたい。
「分かったならいいわ。私は琴吹彩音よ。あんたの名前は?」
「えっ?」
「名前を聞いてるのよ。な・ま・え。あんたの名前は『えっ』なわけ?」
「……坂中優一だ」
「坂中ね、オッケー。一応覚えといてあげるわ。ストーカー少年坂中君」
からかうようにして笑いかけてくる琴吹。心なしか空気も和らいだ気がする。
「ストーカーは取ってくれ」
「どうしようかしら。それより、あんたミュージカル好きなの?」
「どうだろう。でも、この前のシキは凄く好きだな」
「そうよねっ。なら――」
「みんな静かにしろ。これより入学式を始める」
何か言いかけた琴吹の声を遮るように先生の声が響く。
琴吹が何を言いたかったのか少し気になりながらも、壇上へと視線を映す。
長話の好きそうな小太りの教師が高校生活の始まりを告げていた。
*
校長の長くてあくびが出るほどにありがたいセリフの後で、先生について1―3のクラスまで移動する。移動したらそのまま自己紹介タイムだ。
移動中は私語厳禁で一度も喋る機会がなく、琴吹が何を言おうとしていたのか聞く事は出来なかった。だがまあ次の休み時間にでも聞けば良いかと意識を切り替える。
これから行われるのは自己紹介という名の審査会だ。
目立とうとして色々言うのもありだが、変なことを言って失敗でもしたらヘタするとクラスの輪に入れずに寂しい高校生活を送る事になるかもしれない。
今後3年を決める運命の一瞬、などと言えば大げさすぎるが、へまはしたくない。
目立たず、無難言い切るにつきる。波風を起こさずにスタートしたいのだ。
俺は用意した自己紹介文を頭に浮かべながら何度もイメージトレーニングをしていると、目の前の席にいる琴吹の番になる。琴吹は席を立つために身体を動かす一瞬俺の方を向いて微かな笑みを浮かべる。その笑みの意味を俺はこれから知る事になる。後に俺の未来を大きく変えたと思い返す事になる一言と共に。
「第2中学出身の琴吹彩音です。私はこの学校にミュージカル部を作ろうと思っています。興味がある人はぜひ入部してください。まだ私と――」
不敵な笑みと共に俺の肩に琴吹の手が載せられる。
「彼しか部員がいないので」
――いや、ちょっと待て。
「はっ!?いやいやいやいや。お前いつ俺が入部するなんて言ったんだ!?」
「さっき私に(シキのミュージカル)好きだって告白してくれたじゃない。だから一緒になってくれると思ってたのに。あれは嘘だったの?」
吐き出される昼メロドラマのようなセリフと好奇の視線で見つめてくるクラスメイト達。
琴吹の顔に僅かに浮かぶ笑いを堪える跡。
――この野郎。
「ちょっと待てっ。おかしい。何かがおかしいぞおいっ。っていうか聞いてくれ。みんなが今している想像は完全な誤解だからな」
クラスメイト達に全力でアピールする俺。だが、そんな俺をあざ笑うかのように追い打ちは容赦なく発せられた。
「酷いっ!乙女心を弄ぶなんてっ」
「むしろ弄ばれてるのは俺ですが!?」
「私恐かったのよ?食い入るように見つめるその視線が。でも勇気を出して話し掛けてもあなたは私の言葉を取り合ってはくれなかった」
「ああ取り合ってくれて無いよな。だから頼むから俺の言葉を取り合ってくれ」
「勇気を出して言葉にしてもあなたは大きな声(驚き声)で私を脅すだけ」
「言葉にしても止めないなら声が大きくなる場で脅さないでくれ」
「秘密(泣いた事)を握って脅すあなたをそれでも受け入れようと思ったのに」
「秘密を作って脅す君の事は少しも受け入れられないよ。」
泣き崩れる琴吹に冷たい視線のクラスメイト。
……どうしてこうなった。
「わかった。入部する。入部するからもう止めてくれっ」
叫ぶように琴吹に懇願する。それを聞いた琴吹は笑みを浮かべて、
「――以上。寸劇『最低男と演劇少女』でした。こんな風に楽しく劇を演じたいと思ってますので興味を持った人はぜひ一緒に良い劇を作りましょう」
状況を理解したクラスメイトの拍手と共に着席した。
俺は若干頭が痛くなる思いがしながらも、ゆっくりと席を立つと、
「えーたった今部活が決定した坂中優一です。一年間よろしくお願いします」
無難の見本のような言葉を放って直ぐに席に戻る。
「何よそのつまらない挨拶。もっとインパクトのある事言えなかったの?」
「いいだろ別に。お前に巻き込まれてただでさえ目立ってるんだし。だいたい、インパクトってどんな事言えばい言ってんだよ」
劇なんてしたことないから演劇風に挨拶なんて出来ないし、面白い事ってのも抽象的すぎて解らない。どうやればインパクトある挨拶になるってんだ。
「はっはっは!諸君、僕こそがみんなの心のオアシス新庄真一だ!僕が好きな言葉はハーレムと一夫多妻!趣味は女体の神秘について考えることである!ああっ麗しの美少女達よッ!好きだ!大好きだ!超愛してる!みんな、僕とハーレムを前提に付き合おう!」
……なるほど、こうすれば良いのか。
よし、こいつとは他人の振りをしよう。
ハーレム前提全女子同時告白という珍事に、沈黙が教室を支配する。
暫くして、状況を理解したのか、我に返ったかのように一斉に女子が口を開く。
「「「「「「「「「「「「「「「ごめんなさい」」」」」」」」」」」」」」」
「なぜだああああああああああああああああああああああああああああ」
「「「「「「「「「「「「「「バカだあああああああああああああああああ」」」」」」」」」」」」」」
「…………はい、ありがとうございました。次は鈴木君、自己紹介をお願いします」
「「「「「「「「「「「「「「流した!?」」」」」」」」」」」」」」
これほどクラスが一致するのは中々ない光景だと思う。
「インパクトってこんな感じか?」
「……これは流石に強すぎるかもしれないわね」
琴吹と二人顔を見合わせる。
「ぷっ」
「はははははっ」
どちらともなく笑い出す。笑いが呼び水となってクラス中が笑いに包まれていく。
「バカだ!バカがいる!」
「あの後に自己紹介するのかよ!なんの罰ゲームだよ!」
「顔は恰好良いのに……私のときめき返してよ!」
「うわっあいつガチ泣きしてるぞ!本気で上手くいくと思ってたのか!?」
教室の空気が変わっていく。笑いで空気が染められていく。
「何よあの挨拶」
「お前の挨拶もよっぽどだったぜ」
「あら、宣伝と部員確保を兼ねた最高の挨拶と呼んでほしいわね」
「ああ、脅しと強制連行を兼ねた最低の挨拶だったな」
「なによ」
「事実だろうが」
軽口を叩きながら止まない笑顔の渦に埋もれていく。
――ああっこのクラスなら、楽しい1年を過ごせそうだ。