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学園ミュージカルディゴ  作者: 多那彼方
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第0章


われわれは人生という大きな芝居の熱心な共演者だ。――ハンス・カロッサ――


『演劇』というモノを見たことがあるだろうか?

お遊戯会や学園祭等でやるあれだ。

演じたことがない人は居ても、見たこともないという人はいないかもしれない。

俺、坂中(さかなか)優一(ゆういち)は人前に出るのが苦手だった。だから、お遊戯会では率先して脇役を演じて目立たないようにしていたし、学園祭では演劇には参加しなかった。

強制で見せられた演劇の出し物は壊れたラジオのように聞きとり難かったし、棒読みのセリフに中身の無い物語は、睡眠薬のような役割しか果たさなかった。

正直に言って演劇で楽しいと感じることはなかったし、ましてやそれに加えて唐突に歌を歌いだすなどというミュージカルなんて見る気も起らなかった。

だって想像してみてくれ。友達と楽しく話している途中で、いきなりそいつが歌って踊りながら会話を続けようとしたら『はっ?』ってなるだろ?

……全部想像だから食わず嫌いって言われるだろうが。

まっとにかく、俺にとって演劇というのは、何の興味も沸かない対象だったわけだ。当然、興味の無いものに金や時間を費やすなんて無駄な事する気はなかったから、

「今から劇団『春夏秋冬(シキ)』を見に行くわよ」

「留守番してるから行ってらっしゃい」

母さんにいきなりミュージカルを見に行こうなんて言われた時は反射的に留守番してるなんて言葉が飛び出したね。まあ、

「受験が終わったんだから暇でしょ?家にこもってるくらいなら付き合いなさい。というよりチケットがもったいないから来なさい」

「……わかったよ」

説得と言う名の強制連行の前には何の役にも立たないが。

『受験終わったんだから余った時間くらい好きに使わせてくれよ』なんて思ったけど、言葉にすると後が面倒くさいから素直に行く事にする。くそっ、暇じゃないのに!ゲームと言う名の大海原を航海するには時間がいくらあっても足りないのだ!ああっ、冒険心を理解できないとは何と寂しい事だろう!……まあ極めた後で航海を後悔することはあるが。

そんな風に思いながらも、行くことになってしまったからには適当なとこで寝て、睡眠時間を確保して夜のゲームにつぎ込むかなんて思いながら見に行った。

ミュージカルのタイトルは『タイガーキングと翼を持つ獣』略して、タッキー&翼という愛称で知られる名作らしいが、興味がなかったのであらすじすら知らずに、あくびを咎められながら始まるのを待っていた。

正直に言おう。ミュージカルにはお遊戯会のイメージしかなかったし、バカにしていた。

だからなのだろう。おもわず『大事件だ』なんてつぶやくほどの衝撃を覚えたのは。

『なんだこれ』

劇が始まった瞬間、世界が作り変えられた。

注目せずにはいられない存在感。

大きくないのに不思議と身体の芯に響く声。

自然と染み込む感情。

全ての人を魅了する歌声。

気が付いたらその世界に引きずり込まれていた。

――パチパチパチパチ

拍手の音で我に変える。

この美しい世界の終焉を称える音。

その音に混じらなくてはと、この世界への礼讃を示さなくてはと思う。頭では思っている。

だけど、この手は眼もとへと流れて行く。

「っうぅああぁぁ」

嗚咽の漏れ出る口、視界を歪ませる滴。

『なんなんだよこれっ』

今まで見て来た演劇は何だったのかと問いたくなるほどの衝撃。

劇に対しての、ミュージカルに対しての価値観が反転した瞬間だった

くそっくそっくそっ

目立つのは好きじゃないってのに。、衝動が溢れて止まらない。心の堤防は決壊寸前でもう押しとどめられない。じゃあ後は叫ぶしかないじゃないか。

勢いよく立ちあがって息を吸い込む。息も言葉も感情も全てがこの言葉に込められる。

「「最高だった(わ)」」

「えっ」叫んだ言葉が二重になって響き渡る。

透明感と生命感に溢れた声。どこかで聞いた事のあるような妙に心になじむ声。

俺はその声の聞こえた方へと吸い寄せられるように視線を動かす。

母を挟んだ二つ隣の左側。そこにあったのは深い黒に小さな『何か』を宿した綺麗な瞳。

俺と同じように視線を向けていた彼女。

互いに数瞬見つめ合った後、視線をそらす。仲間を見つけたような、気恥かしいような何とも言えない気分になって落ちつかない。

彼女から視線を外し、ハンカチで涙を拭いながら心を落ち着かせることに専念する。

泣き顔のまま席を立ちたくなかった。いや、見られたくなかっただけか。

他の客が次々に帰って行って、席もまばらになってきた頃、

「ここでなら」

そんな声が聞こえる。

声がした方を振り返ると先ほどの少女が自分に言い聞かせるように呟く。

「ミュージカルでなら私は―――」

消え入りそうなか細い声。『何か』の混ざった光の声。

彼女はそのまま俺の席の前を通り過ぎていく。通りすがりに視線がまた合うが、言葉を交わすわけでもなく、行ってしまう。俺は何故かその姿から目を離す事が出来なかった。

これが彼女との出会い。

俺と琴吹(ことふき)彩音(あやね)の出会いだった。


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