第5章―2
狭い密室。閉じられた空間で小さな呟き声が聞こえてくる。否、声達だ。幾つもの呟きは束ねられ不協和音を奏でる。
「死ねっ!殺せっ!」
不穏な言葉が飛び交う室内。
狂気に満ちた表情を浮かべる男はいったい何を思うのか?振り上げられたその腕に収まっているのは―――紙の束だった。
「はいっ、終了。30分たったわよ。ちゃんと読み込めた?セリフ合わせするから的外れなセリフ言ったら罰ゲームよ!」
「げっ!もう終わりかよ!」
「はっはっは!演じながら覚えるのがコツなのさ!」
「口に出してみると結構多いね。ああっもう忘れそうだよ」
セリフの読み込み作業。暗記テストのテスト勉強を思い浮かべてもらえば分かりやすいだろうか?しかし、劇の上映時間1時間に対して俺達の人数は4人。4で割っても15分間分のセリフを30分で全て覚えろという難題をこなしていたのだ。
「ワンシーンずつとかじゃ駄目なのか?こういうの苦手なんだけど」
「全部覚えてなくてもいいわよ。最初だからニュアンスがあってれば気にしないわ。もしわからなかったら脚本見てもいいしね」
「あっ、なんだそれなら――」
「まあ1回見る毎に全員にジュース1本奢りだけど」
「きちいなおいっ」
財布の中身を思い浮かべて涙目になりながら脚本を見る。
ミュージカルのタイトルは『歌とダンスと呪われし姫君』
まるでどこかの龍退治物語8章のようなタイトルであるが、そこは突っ込んではいけないのだろう。内容はこうだ。
『長い年月同盟を組んでいたラップ国とタップ国。ラップ国の王女フィアはタップ国の王の誕生会で、パーティを抜け出して一息ついて居た時に、同じく外に抜け出して来た王子アレンと恋に落ちる。手紙のやり取りで中を深めていく二人。しかし、ある日ラップ国内で民衆が反乱をおこす。
城の事以外知らぬフィアは自国の現状を知り、罪悪感に包まれながらも、恐怖のままに城を抜け出す。行く場所のないフィアはアレン王子を想い、タップ国目指して逃げるが、山賊によって捕まってしまう。奴隷商人に売られたフィアはその容姿から旅芸人に芸人として買われる事になる。旅芸人として過ごすうち、その歌声から人気が出ると共に、それまで一番人気だった芸人ジェラから嫌がらせを受けるはめに。
一方その頃、タップ国の王女が大粛清を起こし、国を恐怖で支配する。強権を手に入れた王女は、暇を紛らわせるために良い芸を見せた者になんでも好きな褒美を取らせると言って芸人を呼んでいた。この褒美目当てでダンスに自信のある富豪の息子アバリスがフィアをパートナーに誘う。しかし、人を人と思わないような酷い扱いをするアバリスを嫌悪し、断る。その事に腹を立てたアバリスが魔女にフィアに呪いを掛けるように依頼する。呪いの効果で声が出せなくなるフィア。その事を知ったジェラは姫の退屈しのぎの芸人候補としてフィアを申し込み、陥れようと策略する。
歌を歌えなくなった事で団長に捨てられ、呪いで歌えないまま姫の前で歌を披露しなければならなくなってしまったフィア。どうしようもなくなり、泣いていたフィアの前に現れたのは、お忍びで街を歩いていた王子、アレンだった。
フィアは死んでしまったと知らされていたアレンは喜び、フィアに話しかけるが、フィアは泣きながら逃げてしまう。何故と思い、部下を使ってフィアの事を調べたアレンは、芸の事、そしてフィアが話せなくなった事にたどり着く。呪いの解き方を聞き出してフィアを探すアレン。長い時間探すが見当たらないフィア。焦れるアレンは二人初めて出会った場所を思い出す。そこにたどり着くと憔悴した様子のフィア。アレンを見つけ、逃げようとするフィアを捕まえキスをする。それは呪いを解くカギだった。
呪いの解けたフィアは王女の前で歌を披露し、認められる。そして願いとして王子と結ばれる事を願う。王子の言葉もあって認められ、二人は幸せに暮らす』
正直言って5人で作り上げるには厳しいものがあるが、どの道1時間のミュージカルを5人で作ろうと言うのだ、何にしても厳しいので考えない事にする。
キャストは琴吹が主役のフィア役。
俺がアレン、反乱軍副官、山賊親方の3役。
ザンハイが反乱軍ルッシュ団長、山賊子分、奴隷商人、旅芸人のリーダー、ダンサーアバリスの5役。
二条さんが王国のメイド、芸人ジェラ、タップ国女王、魔女の4役だ。
「ところで、ザンハイは大丈夫なの?結構早着替え多いけど」
確かにザンハイの負担がでかすぎる気がするが、まあ、あいつだったら『あらゆるシチュエーションに対応するために早着替えのスキルを身に付けたのさ!!』ぐらい言いそうだから問題は「はっはっは!僕はあらゆるシチュエーションでストリーキングを可能とするために早脱ぎを身に付けたのさ!」
さすがザンハイ!俺の想像を平然と越えていく!そこにシビれる!あっきれるぅ!
「……警察沙汰は恐いって事を教える必要がありそうね」
言葉攻めにしてザンハイの心を折る琴吹を見ながら今の内にと脚本を読み返す。
ザンハイ抜きにしても1人平均3役は厳しいものがあるが、人数が少ないのでしょうがない。というかなにげに一人で裏方全てをこなす河中さんが一番大変だ。舞台セットと衣装替えの手伝いは全員でやるとしても音響と照明を一人でこなすとか実にマゾい。
黙々と一人音響編集をこなす河中さんに合掌してから脚本を読み進めて行くと、歌のシーンにたどり着く。
この物語の中で、歌のシーンは3つ。
新庄主体で歌う、俺と新庄の激しいダンスと曲が特徴的な王国へ革命を挑む反乱軍の歌『反逆のルッシュ』と、二条の歌う王女の病んでいく姿を歌った『良嬉姫』、そして琴吹主体で俺と琴吹の二人で歌う希望の歌『道しるべ』の3つだ。
俺は脚本とは別の歌詞の書かれている紙に目を移す。
『過去も未来もわからなくなって
広い世界にたった一人
怖いよ!暗いよ!泣いてるだけだった
そんな私を見つけ出してくれた
探し出してくれた
あなたが世界にやって来た
弱い私はあなたの事でさえ
信じ切れずに怯えていた
自由を求めて泣いていたのに
自ら檻へと閉じこもる
そんな私を見せたくなかった
そんな私を見つけて欲しかった
あなたを失い想いに気付いた
過去も未来も関係ない
今ここに立っている
どんなに世界が広くても
あなたと共ににいれるなら
もう離したくない
深く暗い闇の中で
あなたが光連れて来てくれた
照らされた道を
あなたともう一度歩いて行く
信じていいのあなたの事を
こんな私を許してくれるの
滲んだ視界に感じる温もり
今はただこの手を信じて
あなたと共に生きてゆきたい
深く暗い闇は晴れ
あなたと共に歩いて行く
輝きに満ちた世界で
どこまでも二人歩いて行く
いつまでもあなたと歩いて行く
毎日のように聞いていた曲。琴吹にとって忘れられない曲。
複雑な思いで歌詞を読み終えて数秒。もう一度脚本に戻ろうとしていたら琴吹による制裁の音が止む。
「歩く性犯罪は消しといたわ。これで警察沙汰にはならないわよ、ね?」
「僕は脱ぎましぇん!ディゴが好きだから!」
流石に101回も罵られれば新庄の心情も変わったのか、まるでプロポーズをする時のような必死さで叫ぶ姿は、まるでドラマのワンシーンを見ているかのように錯覚させる。
その叫びに琴吹も心動かされたのか、穏やかな顔になって俺達を見渡す。
「ちょっと横道にそれたけど、練習開始するわよ。河中さん、ちょっとセリフあってるか脚本見ながら確認してくれないかしら?」
「えっ、はっはい。確認します」
「ありがとう。じゃあ改めていくわよ!」
琴吹が両手を広げて、勢いよくそれを閉じる。
パンッ!
世界創造の音が高らかに鳴り響いた
*
パンッ
「めんッ!」
竹刀を打ち合う乾いた音。裂帛の気合を込めた叫びが道場の外からでも聞こえてくる。
「うるさくてごめんね。もうすぐ終わるからここで待ってて」
道場の中へ入り、道場主であろう男の所へ歩く二条さんを見送る。
「広いな」
バスケットコート程ある広い道場。ここでがたいの良い男達が技を磨き合っていた。
「ここが二条さんの実家なのよね?本当にこんな所で歌うの?」
「怖気づいたか?」
「まさか。やる気がありすぎて困っている程よ」
強がりを言いつつも、微かに震えている琴吹。俺はそれを見なかった事にして笑う。
「すげえやる気だな。張りきり過ぎて鼓膜破らないでくれよ」
「何よそれ。どれだけ大きい声で歌うってのよ」
「ブラジルの人に聞こえるくらい?」
「地面に向かって歌えっての!?」
「ブラジルの人―聞こえますかーっ」
「ちょっと。恥ずかしいから止めなさいよっ」
歌とは関係のないバカな会話。現代版シンデレラの時にザンハイに教わった緊張の解し方だった。意識してか無意識でか。俺はザンハイのあの姿に大きく助けられた。ならば。ならば今度は俺の番だ。
「ごめんね、待たせて。今準備してくれるって」
琴吹と話していると、二条さんが戻ってくる。
「――本日の練習はここまでにするっ!礼っ」
「ありがとうございました」
練習の終わりを告げる言葉。
「ああ、それと相田、飯島、植木、遠藤、尾崎の5人はちょっと頼みたい事があるから残ってくれないか?」
「頼みたい事ですか?」
「ああ。娘の友人に人前で上がる癖を直したいってやつが居てな。今ここに来ているから、その娘の歌を聞いてやってくれないか?」
練習の始まりを告げる言葉。
「いいっすけど、どのくらいかかりますか?」
「ほんの2~3曲聞くだけだから直ぐだな」
「あっなら全然大丈夫っす」
「そうか。おいっもう中に入っていいぞっ」
「はい。もういいって。行きましょ?彩音ちゃん」
二条さんに連れられて道場の中に入る。
広い道場の中、視線が俺たちに殺到する。その視線を無視しながら歩いて行くと、道場主であろう40歳程の男性と、5人の門下生の姿。
「おおっ可愛い子がいる」
「誰が歌うんだ?まさか全員じゃないよな?」
俺達を見て口々に呟く声。最初だから観客は5人と少なくしている。だけど、それでも今日初めて会う人達の前で注目を浴びながら歌う。それは限りなく本番に近い状況だった。
「歌うのは私よ。頑張って歌うから聞いてくれると嬉しいわ」
一歩前に足を踏み出していつもの調子で琴吹が笑う。
「音楽をお願い」
「おうっ」
琴吹の合図を受け、手にしたスマホから音楽を流す。曲は聞きなれた『道しるべ』。
流れるイントロに、俺は祈るように琴吹をみる。小さな背中。その身体から生み出される声は、
「ッァ――――」
言葉にならずに空気のまま洩れていく。
(琴吹――)
歯を食いしばって琴吹の背中を見守る。震える小さな背中しか見えない琴吹の表情がはっきりと俺の中に浮かぶ。出し物大会の時に見た絶望の表情。それと同時にあの時に感じた何も出来なかった悔しい思いも同時に浮かんでくる。
またか。また俺は何も出来ないのか?
自分に出来る事がないか必死で考える。あの時と出来なかった事。あの時と違う事はなんだ?
考える。あの時とは違う事。本番ではなく練習だという事。俺は琴吹の前じゃなく、後ろで立っている。
考える。あの時緊張で動けなかった俺は何で無事に演じられた?ザンハイとバカな会話をしたから?ザンハイに背中を叩かれ――
そこまで考えた時に、俺の身体は自然と動いていた。
パンッ
想いを込めて。背中を叩く。トラウマなんて吹き飛ばしちまえとばかりに勢いよく。
「っ――――――」
睨むように振り返った琴吹に、俺は口の形だけで伝えてやる。
『大丈夫』
ザンハイにされたように俺は琴吹の背中を押す。
いくつもの伝えたい事をこの手のひらに乗せて伝える。
大丈夫。大丈夫だ琴吹。
ここには味方しかいないし、困っている時には助けてやる。
だから大丈夫なんだ琴吹。だって、お前の歌は
「――深く暗い闇の中を」
こんなにも綺麗なんだから。