第3章ー3
5月3日。
ゴールデンウィークと呼ばれるこの日は街もどこか活気に満ちているように感じられる。
そんな活気あふれる街の中、広い公園に用意された野外ステージの裏。ステージから聞こえる声と、観客席から聞こえる笑い声。
「……結構いるわね」
緊張が混ざったような堅い声で琴吹が呟く。
「こんなに居る前で演じるんだよな…………」
出し物大会当日。今日、俺は初めての舞台に立つのだ。そう思うと緊張で心臓が鼓動を早くする。緊張は時間がたつにつれて強まり、呼吸は荒れ、何も考えられなくなっていく。
緊張に静まる俺達。だが、その静寂を打ち破るかのように、能天気な声が聞こえてくる。
「はっはっは。僕の演技で観客を僕のハーレムに加えて見せるさ」
「いや、お前ハーレムどころか彼女すら居ないだろ」
反射的に突っ込んでしまう。
「しッ失礼な!僕の女達はハーレムを許容しているがゆえに、僕という至宝をみんなで分けると言う優しさでもって僕の告白を断っているだけで、僕はその意を汲んで彼女を作っていないだけなのさ!」
人はそれを振られたという。
今日も相変わらず残念なザンハイと喋っていると、いつの間にか緊張も解れていた。
呼吸が整い、心臓が鼓動を戻す。気が付けば俺は余裕を無くしていた事に気が付くだけの余裕を持つ事が出来ていた。
「……ザンハイ」
「何だい?」
「ありがとな」
こいつなりに緊張を解そうとしてくれたのだろう。穏やかな気持ちで感謝の言葉を送る。
「はっはっは。なんの事だい。まあ僕という存在そのものに感謝を送りたくなったのならばいつでも歓迎さ。さあ、褒めるが良い!」
いつもと変わらない姿。それが何より落ちつかせてくれる。
妙な安心感の中、広くなった視界で周りを見回すと、琴吹の姿を見つける。
緊張しているのか、その顔には少し青みが差していた。
「緊張してるのか?」
「なっなによ、あんたこそ緊張してるんじゃないの?」
「さっきまではそうだったんだけど……」
ザンハイに目を向ける。
「あのバカ見てるうちに緊張が解けたっぽい」
「……単純で良いわね。まあ、確かにあそこまでいつも通りの姿見せられると少し力が抜けるわね」
「だろ?」
何かしでかしたのか、二条さんに足蹴にされているザンハイを見ながら穏やかな気持ちになる。
「8番の『劇団ディゴ』さんですよね?そろそろ順番が近いので用意お願いします」
係員らしき人が声を掛けてくる。
「……いよいよね」
俺達は自然と琴吹の近くに集まっていた。
円になって手を重ね合う。
「私達は、今日の、この日のためにたくさん練習してきたわ。私たちなら出来るって信じて練習の成果を出し切りましょう」
「「「「おうっ」」」」
掛け声とともに手を跳ねあげてから自分達の登場する側のステージへと散って行く。
……だから、気が付く事は無かった。
「……あれだけ練習したんだもの……出来るわよね…………」
今にも泣き出しそうなその顔に。
*
パチパチパチパチ
拍手の音をBGMにコントを繰り広げた少年達が去っていく。
「――ありがとうございました。次も学生さん達です。星平高校からミュージカル部劇団ディゴのメンバーが劇を見せに来てくれました。題目は『現代版シンデレラ』。それではお楽しみください」
司会の紹介がディゴの名を呼ぶ。
その名前反応して跳ね上がる鼓動。静寂に包まれる中、心臓の音だけがやけに大きく響きわたる。
ゴトン
静まり返った舞台に、琴吹演じる恵那が荷物を持って舞台に上がって来る。同時に、その反対側の舞台袖から二条さん演じる院長が現れ、さげすむような眼で恵那を見やり、
「まーだ片付けが終わってないのかい、この愚図が。図体ばかり大きくなっても中身は愚図のままだね。とっとと終わらせて飯のタネ稼いできな」
迫力ある脅しと共に退場する院長。それを合図に物語は動き出す。
荷物にあった紙を取り出して見つめる恵那。その顔は憂いに満ちている。
「ああ、毎日怒られてばかり。このコンクールに出てみたいけど、院長先生は出るのを許してはくれないでしょうね。まるで籠の中の鳥みたい。院長先生から逃げる事も、自由に歌う事さえできない。出来るのはただ僅かな時間、見つからないように歌うだけ」
言葉と共に退場する恵那を見やり、緊張と共に唾を飲み込む。
いよいよ次が俺の出番だ。
事前に録音してあるナレーションの声が終わった後、舞台に上がる。汗で体が冷たい。喉が渇いて呼吸も乱れる。心臓は早鐘を打ち、今にも破裂しそうなくらい激しくその存在を伝えてくる。
『次の日の朝』
ついに来た。
緊張で固まる手足。
動けない。
体が固まって動く事が出来ない。
3秒……5秒……7秒……。
時間がどんどん過ぎていく。
動かないといけないのに、動かない体に、進んで行く時間。重圧は時間が過ぎる毎に重くなっていって更に俺をきつく縛りつける。抜け出せない沼に沈んで行くかのような底なしのプレッシャーに立ち向かう事が出来ずに体が硬直する。
パンッ
固まっている俺の背中を叩く手があった。
固まった体が動き出す。
1歩を踏み出せば動かし方を思い出したかのように2歩目を踏み出す。舞台袖から舞台へ出る寸前に後ろに目をやると、ザンハイが親指を立てて送り出していた。
(ありがとな)
心の中で感謝しながら舞台へ上がる。
人人人人人ひとひとひとひとヒトヒトヒトヒトヒト
俺に注目する大量の視線。
怯みそうになるが、ザンハイから貰った力が途切れないうちに最初の一言を口にする。
「良い朝だ。やっぱりこの瞬間が一番落ちつくな」
最初の一言が出れば、自然と後の言葉も付いて来る。体に染み込ませたセリフは、俺の口を自動で動かしてくれた。
『らんーらーららー』
「この声は!?……どこから聞こえるんだ?」
恵那を探す演技と同時に、観客席を覗き見る。そこは先ほどと変わらず存在していて、先ほどとは違った印象を与えてくる。
「今の歌は君が?」
「あっごっごめんなさい。つい歌ってしまって」
演技は続く。
舞台と言う機械を動かす歯車は、一度回り始めたら立ち止まらずに動き続ける。
「―――この娘は我が家に相応しくない」
「ッ」
「まっ、待って下さい!理恵さん!」
「お前こそ待たんか。あれは家柄と呼べるものさえない奴だぞ」
「そんなの関係ない!父さんはいつもそうだ。家柄家柄って―――」
舞台に立っている時間が過ぎれば過ぎる程、緊張も薄くなっていく。
練習通りに進む劇。
「―――もう大丈夫。俺が恵那を守るから」
問題なく進んでいた劇は締めの歌を残すのみとなって、
(琴吹?)
最後の最後で停止した。
(琴吹?おいっ、琴吹っ!)
流れる曲、聞こえない歌声。
蒼白な顔のまま震える琴吹と、何も出来ずに固まる俺。
歯車の止まった舞台の上を、曲だけが虚しく通り過ぎて行った。
間章
大粒の涙を流しながら、ただ走る。
どこに向かって走っているのかわからない。
どこを目指して走っていたのかわからない。
まただ。
まただまただまただまただ――
また私は歌えなかった。
あのコンサートホールじゃない。
そんな事はわかっていた。
誰の事も気にする必要は無い。
そんな事はわかっていたはずなのに。
舞台を変えても、背負う物が違っても。
私はあの日のまま何も変わっていなかった。
何回同じ事を繰り返すんだろう。
もう私は歌っちゃ駄目なのかな。
問いかけに答えてくれる人は誰も居ない。
全てを置いて行くように、全てから逃げるように。
ただただ、走る。
走った先に何があるのかもわからずに。