DAY 6'
この話は直接本編にかかわってくるものではありませんので、読み飛ばしても全然OKです。
外伝です。
あ、あと鬱が嫌いな人はやめた方が読まない方がいいかもしれません!
目が覚めて、ぼやける視界の中で最初に見つけたのは大好きなヒロくんの顔だった。
「リン!大丈夫か?俺のことわかるか?」
「ぁ……」
声を出そうとして声が出ない。口を開こうとしたのに開かなくて、混乱した。
「ぁぅ……ぁ」
声を出そうとしても出てくる言葉は私の意図したものにはならない。
「リン、いいんだ。心配するな。今はまだ疲れているんだよ……」
ヒロくんが私の手を握ってくれているのに気付いた。
気付いた。見てから初めて気づいた。温もりも何も感じない。何もないのにヒロくんが私の手を握っているのが見える。何かがおかしいと思う。おかしいとは思うけど、何がおかしいのかわからない。
「リン、大丈夫だ。すぐ治るからな!」
ヒロくんが泣きながらそう言ってくる。ヒロくんが泣いていたら私も悲しくなって涙が出てきてしまう。
そんな私を見たヒロくんは人差し指の側面で私の涙を拭ってくれて、はじめて温もりを感じることが出来た。
「ぁ……ぁ……」
ヒロくんに触れたくて、私からも触れたくて指を動かそうとするけれど、動いてくれない。動かない。動かなくなってしまった。
どうなっているんだろう?動かないなんておかしい。私の体がここにあるのに動かない。痺れるような感覚しかなくて、今までどうやって動かしていたのかわからなくなる。私の体はいったいどうなってしまったんだろう?
怖い。動かないから怖い。今まで出来ていたことが出来ないのが怖い。今まであったはずの感覚がまるでない。横たわっているはずなのに何も感じていない。感じているのは頭だけで、体には何の感覚もない。
ヒロくんを見る。ヒロくんを見る。ヒロくんを見ることしか出来ない。
「ぁ……は……あ……」
私の身体は今どうなっているんだろう?どうなっているんだろう?どうなっているんだろう?
目が覚めた。急に目が覚めた。騒がしくなって、その後に眠たくなって、そして目が覚めた。
それだけしかわからない。何をされたのかもわからない。ここはどこだろう?
ビニールハウス?壁が白い。視界の中にはそれだけしかない。他に何があるのか見ることが出来ない。
首が動かない。身体も起こせない。何も出来ない。誰も居ない。ヒロくんが居ない。
涙が零れる。それを指で拭こうとしても拭くことが出来ない。頬が少し痒い。かけない。痒いのにかけない。人が入ってくる。痒いのにかけない。痒い。痒い。痒い。痒い。
目が覚めた。また急に目が覚めた。「大丈夫ですよ!」と叫ぶように言っていた白い帽子の人を思い出す。さっきまではいた。でも、今は居ない。いつの間にかまた眠っていた。ヒロくんがいた。目の前にいる。椅子に座って眠っている。船を漕いでいて、今にも倒れそうだ。背もたれも何もない椅子のようだ。視界が変わらないからわからない。でも、支えてあげなくちゃ、ヒロくんが怪我しちゃう。ヒロくんが怪我しちゃうのに何も出来ない。動かない。腕も足も何もかもが動かない。唯一動く口でヒロくんの名前を呼ぶ。
「ぁ……」
声が出ない。ヒロくんの名前を呼べない。
ヒロくんがとうとう椅子から転げ落ちてしまった。ヒロくんを助けられなかった。ヒロくんごめんね。ごめんね。涙が出て、涙だけしか出すことが出来なくて、でも、涙を見せたらヒロくんが悲しくなってしまいそうだから、零れ落ちないように瞼を閉じる。それでも涙は頬を伝う。泣いているところを見せたくないのに、それなのに、隠すことも出来ない。
私はもう涙を流すことしか出来なくなってしまった。認めたくないけれど、もうそれだけしか出来なくなってしまった。大声で泣きたくなった。でも、声が上手く出ない。掠れたような音しか出ない。
「リン!」
ヒロくんの声がして瞼を開ける。ヒロくんの顔が目の前にあった。ヒロくんの顔が近づいてきて、ヒロくんとはじめてキスをした。
ヒロくんの口が震えていた。喉が震えていた。嗚咽が聞こえる。ヒロくんは泣いていた。慰めてあげなきゃ。私がいけないんだ。慰めてあげなきゃ。
そう思っても何も出来ない。ヒロくんにもう何もしてあげることが出来ない。目の前にヒロくんがいるのに、名前を呼ぶことも出来ない。
悲しくて、でも、ヒロくんに何かをしてあげたくて、舌を一生懸命伸ばして、ヒロくんの唇を舐める。
最初ヒロくんは驚いたように震えが止まって、その後私の舌に絡ませるように舌を絡ませてくれる。ヒロくんとはじめてのキス。嬉しいはずなのに、嬉しいはずなのに、悲しい。
どのぐらい時間が経っただろう。良くわからない。ヒロくんが唇を離して、私の瞳から頬に流れる涙を拭ってくれた。
「助けられなくて、ごめんな」
「ぁ……ぁ」 ヒロくんは悪くないよ。
「俺があのケーキ屋でバイトしろなんて言ったから……」
「ぅ……ぁ……」 ヒロくんは悪くないよ。
「俺が意地をはってたのがいけなかったんだよな。ごめんな」
「ぁ……ぅ……ぁ」 ヒロくんが謝ることなんてないよ。
伝わらない。伝えられない。どうしたらいいの?上手く表情が作れない。笑顔になりたい。笑顔になって安心させたい。大丈夫だって伝えたい。ヒロくんは悪くないよって伝えたい。少し前まで難しくないことだったのに。どうしてこうなっちゃったのかな?日頃の行いが悪かったのかな?そうかもしれないね。きっとそうだよね。私は私のことしか考えてなかったから。ヒロくんのことを考えてるって言って、でも、本当はずっとヒロくんのことを独占したかっただけなんだ。嘘をついてたんだ。
「俺がなんとかしてやるからな」
ヒロくん。きっと無理だよ。だからもういいよ。ごめんね。
「俺が今まで嘘ついたことなんてあるか?」
うん、いっぱいあるよ。ヒロくんは冗談ばっかりで本心を表に出さないよね。私、ヒロくんのこと良く知ってるよ。
「俺の全部をかけてお前のことを治してやるからな」
やめてよ。もういいよ。私なんてもういいよ。でも、ごめんね。ヒロくんにずっと傍に居てほしいよ。こんな風になっちゃったけど、でも、それでもヒロくんにずっと一緒にいてほしいよ。
「好きだ、リン」
嘘だよ。私がこんなになっちゃったから、だからそう言ってるだけだよね。優しいけど、残酷だよね。どうしてもっと早く言ってくれなかったのかな?私がこうなる前に言ってくれたらもっと沢山、色んなことが出来たよ。
「大好きだ、リン」
嘘だよ。自分に酔ってるだけだよね。悲劇の主人公みたいに感じてるだけだよね。本当に大好きなんだったら、私の体を治してよ。前みたいに動けるようにしてよ。
「リンの気持ちずっと前から知ってたんだ。でも、気持ちがはっきりしなくて、今になってごめんな」
うるさい。うるさいうるさいうるさい。黙れ。出てってよ。近くに来ないで。嫌なの。嫌いだよ。ヒロくんなんて大嫌いだよ。聞きたくない。耳を塞ぎたい。何も考えたくない。ヒロくんのこと嫌いになりたくないよ。だからもう出てってよ。出てってよ。出てってよ。
何も考えない。あの人は何度も私の所に来る。でも、私はそっちを見ないようにしている。あの人を見ていると悲しくなるから。死にたくなるから。死にたくなっても死ねないから。何も出来ないことを思い出すから。ずっとテレビだけ見ている。目の前の画面をじっと見つめてテレビから出てくる音だけを聞いている。
私にはもう自分の足で散歩をすることが出来ないのに、散歩をしている人を移す番組がついている。
「一緒に今度行こうな。車いすなら大丈夫だって先生は言ってたんだ」
雑音が聞こえる。聞こえない。何も聞こえない。
「今度、若葉を連れて来るよ。あいつもリンに会いたがってたんだ」
雑音が聞こえる。聞こえない。何も聞こえない。
「うぅ…うぅ…ごめんな。ごめんなさい。ごめんなさい。リン、リン、リン……」
……。
どうして捨てられないんだろう。どうして心があるんだろう。どうして私は生きているんだろう。こんな風になっても、どうして私はヒロくんのことが好きなんだろう。
「リンさん。元気にしていましたか?」
聞こえない。
「リンさんが学校に来ないから、なんだか張り合いがなくて……その……うん。こういう話をしたかったわけじゃないんですが……」
聞こえない。
「最近、天崎くんはバイトをしているんです。口止めされてたんですが、リンさんの手術に沢山お金が必要だそうです」
……。
「そうだ!リンさん、治ったら今度は私にケーキの作り方を教えてくれませんか?」
……。
「料理は出来るんですが、お菓子だけはどうしてもうまく作れなくて……」
……。
「作れなくて……ううぅ……」
……。
私は私の好きな人たちを悲しませるような人間になってしまった。やりたいことも何も出来なくなってしまった。どうして息をしているんだろう?どうして涙が出るんだろう?考えてみたらそっちの方が不思議だ。どちらも出来なくても今の私が困ることなんてない。
そう考えても私には何もできない。考えたらいけない。
声が聞こえた。ドアの外から声が聞こえた。少しだけ空いているドアの外が見える。泣いている若葉ちゃん。その若葉ちゃんを抱きしめているヒロくん。
そしてヒロくんは若葉ちゃんにキスをした。若葉ちゃんはそのキスを受け入れていた。
考えたらいけない。
若葉ちゃんは縋るようにヒロくんの背中に手を回してしがみついている。
考えたらいけない。
ヒロくんは若葉ちゃんの首筋にキスをしている。頬にキスをしている。
考えたらいけない。
ヒロくんは私にしていた時と同じように人差し指の側面で若葉ちゃんの涙を拭いていた。
あおいそらがてまねきをしているのはヒかげにはずかしがりやのくまさんがもりのなかであかずきんちゃんにたべられちゃったことがむかしあったのはこれからさきずっとしあわせになつかしくわがはいはこうロとざんぐちにほしがながれてクらいみちのほうにあずかったこうのとりはらンしすることにすこしのはまぐりのつまサきとしょうじきものがっこうちからさっぱりしたぎョうざぽけっとはんばーぐつみきナみだがどこまでもつづいていくのならひきかえせないぐらいこわしてしまったほうがどんなにラくになれるかな
リンさんの部屋――深夜――
夢を見た。体の震えが止まらない。自分自身が壊れていく夢。こんな夢を見る私はきっとおかしいと思う。こんなことはありえない。でも、もしかしたらありえるかもしれない。怖い。
何度も電話をかける。ヒロくんは出てくれない。寝ているのかもしれない。迷惑だって分かってる。分かってるけど声が聞きたい。
電話が通じた。
「もしもし、ヒロくん?」
「どした?」
ヒロくん、眠そうな声だ……。本当にごめんなさい。
「こんな遅くにごめんね。でも、声が聞きたかったの。本当に本当にごめんね」
「はは。なんだよ。それ。怖い夢でもみたのか?」
「うん……」
「そうか、まぁそういう時はな。幼女を思い浮かべ……ぐぅ~」
「ヒロくん?ヒロくん!寝ないで!」
「う……ね、ねてねぇよ!」
いつものヒロくんだ。それだけで安心してしまう。涙が出てきてしまう。
「?おーいリン?どうかしたのかー?」
ヒロくんの心配そうな声が聞こえる。
「ううん。ごめんね、なんでもないの……」
「はぁ。なんでもないような感じじゃないけどな」
「ごめんね」
「じゃあちょっと待ってろ」
電話の向こうでバタバタとする音が聞こえた。
「……よし、じゃあ窓開けてみ?」
「うんって!?何!?」
窓を開けると途端に何かが部屋の中に入ってきて、カツンという音とともに何かは部屋の床の上に落下した。
拾ってみると棒がついている薄い飴だった。衝撃で半分に割れている。
「それを俺だと思ってぺろぺろして早く寝ろ」
声が聞こえてきてその後電話は切れた。
袋を破って中から出して口に含むととても甘い。
昔は良く泣いていたから、ヒロくんが泣くたびに私にこの飴をくれていた。単純な私はそれで泣き止んでいたんだけど、どうしていつも持っているのか不思議だった。
そして、私が泣いた時のために今でも飴を持っているみたい。
いつの間にか震えは消えていた。不安もなくなって、気分が楽になっているのを感じる。
「ありがとう、ヒロくん」
私はヒロくんだと思って飴をぺろぺろ舐めながらうっとり気分で妄想に励んだ。