月乃
某サイトで投稿した作品です。このサイトは初めてなので、テスト代わりに投稿してみました。
某大学の怪談研究部に鴨井という新入生が入部した。
怪談研究部は人気のないサークルで、部員は僅か三人。三人は、今時怪談に興味がある奴なんて俺達ぐらいだろうと確信していたので、鴨井に入部の理由を訊ねた。
すると、鴨井はとんでもない事を告白した。
「僕は怖くなった事がないんです。僕が単に怖い話を知らないだけかと思って一通り怖い映画も見ました。呪音、羊達の沈黙、エルム街の悪夢。Jホラーブームの火付け役となった中田秀雄の名作女優霊やロンドン王立大学が数学的計算によって世界一怖い映画と結論づけたシャイニングも見たんですが、怖くないんです。でも、僕は恐怖を知りたいんです。だからお願いです、僕を怖がらせてくれませんか?」
その発言に三人は耳を疑った。怖がらない人間がいるわけがない。同時にこうも思った。怖がらせて化けの皮を剥いでやる。
三人は目を輝かせていた。怪談マニアは、怪談を語る事が好きなのだ。三人は鴨井に色々な怪談話をした。有名な怪談はほとんど知っていたので、マイナーな物を沢山聞かせた。首狩り族、富士の老婆、国道一号線の不快音。しかし、どれも彼が怖がることはなかった。心霊写真を見せても鴨井は怖がらず、三人にはお手上げだった。
それでも鴨井は毎日サークルに通いつめ、三人が新しく仕入れた怪談話を聞いていた。
数日後。鴨井が部室に入ると、見知らぬ女性が三人と話していた。蝶の羽を連想させる黒いドレスを着た女性は、大人びた風貌をしていてマダムのようにも思えた。
女性は鴨井の存在に気付くと微笑みを浮かべる。
「こんにちは」
「こ……こんにちは」
挨拶にも気品がこもっており、透き通った声におもわず鴨井の声がうわずってしまう。
「あなたが鴨井君?」
「そうですけど……」
「怖い話、見つかると良いわね」
そう言うと、女性は三人に軽く会釈をしてその場を去った。
歩き方もモデルの様に美しかった。
「あの人はいったい……?」
鴨井の質問に三人は困ったように互いの顔を見合う。
「実際のところよく分からないんだよ」
「分からない?」
「名前は月乃っていうんだけど、それ以外のことは何も知らない。ときどき怖い話を聞きに来るんだけど、普段何をしているのか分からない。平日の真昼間に来るってことは自営業なのかもしれない。もしくは結婚しているのかも。いや、ニートだったりして」
「何時頃から来ているんです?」
「五、六年前から来てるらしいよ」
「変わった人ですね」
「それ、君が言う?」
鴨井は苦笑した。
たしかにどんぐりの背比べかもしれない。僕も変人だな。
「そうだ。今度月乃さんから怖い話を聞いてみたらどうだい? 君を怖がらせる話を知っているかもしれない。それに――」
「それに?」
「――君に興味があるみたいだったよ」
それから鴨井は毎日怪談研究部に通い詰めた。月乃に会うためである。
講座がない時間は極力部室にいた。
常に月乃の事を考えている。月乃が来るのを楽しみに待ったり、まだ来ないのかと苛立ったりした。そして三週間後の朝。
鴨井は学校にいた。時間は七時半。彼は不安なのだ。自分がいない時に月乃が来て、会わないまま帰ってしまうのが。もちろん、会えなくても次の機会に会えばいい。しかし、彼はすぐにでも月乃に会いたいのだ。
「いるわけがないのに、なんだが虚しいなあ」
部室へと続く廊下を歩きながら呟く。
部屋のドアの前に立ち、ストレスを発散するようにドアを一気に開ける。古びたドアが開く独特の音が鴨井しかいない廊下に響く。
その時、三週間前に聞いた言葉が鴨井の耳に響いた。
「こんにちは」
薄暗い部屋の中で窓際の椅子に腰掛けている月乃がいた。朝の光が彼女を照らし部室内に妖艶な雰囲気をかもし出している。
「こ、こんにちは」
鴨井は驚きのあまりどもってしまった。まさかいるとは思わなかったからだ。
「あらあら、そんなに驚く事ないんじゃない」
「い、いや、誰もいないと勘違いしちゃって」
「ドアがロックされてなかったじゃない」
彼女は机の上にある鍵に指を差した。
「私が最初に鍵を取ったのよ」
学校の中の鍵は一つの場所に保管されている。だから最初に部屋のドアを開ける生徒は、まずそこに行くことになる。自分が一番最初だと思った人はその部屋に行って鍵を取りに行かなければならない。そして、そこで鍵がなかった場合、他の誰かが先に来ていると気付くのだ。
自分が最初だと思ったのに鍵を取りに行かない時点で鴨井はおかしかった。
「考え事でもしてたのかしら?」
月乃は笑みを溢す。鴨井は自分の心の内が見ぬかれているじゃないかと思った。
月乃は音を立たせず、椅子から立ち上がりドアへと向かう。
「あ、あの!」
「椅子の上に置いておいたわ」
鴨井は先ほどまで月乃が座っていた椅子を見る。そこには朝の光に照らされた一枚の小さなメモ用紙が置いてあった。
慌ててメモ用紙を取って月乃へと振り向く。しかし、既に月乃はいなかった。
鴨井はメモを見る。
『午後十時。六本木。BARシーサイド』
時刻は午後八時半、鴨井は待ち合わせの時刻の一時間前に六本木に来ていた。
早すぎたのは分かっている。だが、いてもたってもいられないのだ。
パソコンで調べた地図を見て待ち合わせ場所へ行く。心臓がバクバク鼓動し、その動きに合わせ無意識に足が跳ね上がってしまう。体のバランスが上手くとれず、体が上下左右に揺れているのを体感した。
煌びやかな街中を歩いていると真っ暗な路地裏に出る。路地裏には自動販売機や街灯の明かりがぽつんと光っているだけでとても暗い。そして奥を突き進むと、そこにBARシーサイドがあった。
腕時計をちらりと見る。八時四十五分。まだ待ち合わせの時間にはなってないが、待っていてもいいだろう。
鴨井がドアを開けると、チリン、と鈴の音が鳴り「いらっしゃいませ」と中からマスターの渋い声が小さな店内に響きわたる。
BARの中は程よい暗さとBGMのおかげで、良い雰囲気になっている。
こんな店で怪談を聞けるのだろうか? 鴨井が疑問に思いながらも小さい店内を見渡してみる。
店内には客が一人もいなかった。
人気のない店なのだろうか?
そう疑問に思っていると、店にあるトイレの扉が開いて中から女性が現れた。
「こんばんわ、鴨井君」
女性は月乃であった。月乃はカウンター席に座る。
「……早いですね」
鴨井は月乃の隣の椅子に座る。
「そうかしら」
月乃はにこりと笑い、二人は酒を注文した。
「なんでここが待ち合わせ場所なんですか?」
「怖い話を――聞きたいんでしょ」
月乃は鴨井を直視した。
その目に鴨井は吸い寄せられるような力を感じた。
「そうね、それじゃあまずはあの話を……」
月乃は怪談話をし始めた。一つの話が終わると間髪をいれずに別の怪談を話す。そうしているうちに午後十時。本来の待ち合わせの時間になった。それでも店に新たな客はこない。
すると、月乃は話していた怪談を途中で止め、鴨井に向けて、すっと手を伸ばした。
手には小さなメモが一枚。
鴨井はそのメモを取り、書いてある内容を黙読した。
『この店には客がいないでしょ。それはね、数年前の事件が関係しているの。後ろにトイレがあるでしょ』
鴨井は振り返り男女共用のトイレを見る。
『そこで人が死んだの』
鴨井は、はっと顔を上げて月乃を見る。月乃は何も答えずじっと鴨井を見つめていた。
『暴力団の組員が、そこのトイレでドラッグを打ったのよ。そのドラッグが粗悪なものだったらしくて、心臓が止まって亡くなったの。このお店に人がいないのは、トイレに幽霊が出るって有名になったからよ。そしてその組員が死んだのが午後十時十五分』
「行ってきなさい」
月乃の声が聞こえた。
「恐怖があるわよ」
鴨井は、月乃に圧倒されながらも立ち上がる。
「幽霊を見ると、どうなるんですか?」
声は震えていた。
月乃はフフフと笑うだけだった。
鴨井は男女共用トイレの中に入った。
トイレの中はかなり密閉されているのであろう、店のBGMも聞こえない。
叫び声をあげたら外の人に聞こえるだろうか? そう鴨井は思った。
鍵を閉め、腕時計を凝視する。
時刻は十時七分。あと八分。あと八分で何かが起こる。
唾を飲み、ズボンをはいたまま便座に座る。
いったい自分に何が起こるうか、鴨井は細く長く息を吐き時計を見つめる。
十時九分。十時十分。十時十一分。十二分。十三分。十四分。
あと一分。
「……どうなる」
鴨井は呟く。
十四分十秒。二十秒。三十秒。四十秒。五十秒。
「……こい!」
五十一。五十二。五十三。五十四。五十五。五十六。五十七。五十八。五十九。
「…………来た!」
六十。一。二。三。四。
「あれ?」
時計の秒を表す針はくるりと一周していた。
「何も……起きないじゃないか?」
時計が遅れているのではないか、そう思い数分待ってみたが。何かが起きる気配がない。
鴨井はさすがに痺れをきらして立ち上がる。
しかし回りを見回しても何も変化がない。
「……外に出るか」
ドアノブを握り、回してドアを開ける。
「あれ?」
そこには月乃が消えていて変わりに怒っているマスターがいた。
「あ! 君」
マスターは眉間に皺を寄せながら鴨井に声をかける。
「あのねえ、君のつれに行儀が悪いと言っておいてくれないかなぁ!」
「彼女は……何をしたんですか」
マスターは怒鳴った。
「彼女が新たに酒を注文したから俺がボトルからグラスに酒を注ごうとした時に、彼女はカウンターの上に載りあがって俺の手からボトルを奪ってラッパ飲みしたんだよ!」
「ラッパ飲み!?」
あの人がラッパ飲みをするとは鴨井は信じられなかった。
想像してみるととてもシュールな絵である。
「しかもいっきだよ、いっき」
「か……彼女は今どこに……」
「さっき帰ってったよ! これお勘定ね!」
その紙に書かれた値段を見た時、彼は気付いた。
この店に人がいないのは幽霊がいるからではない。
確実に値段が関係していると……。
どこかで月乃の笑い声が聞こえた気がした。