其の参 女郎蜘蛛
遊郭の話なので十五歳未満は閲覧に注意してください。
絹は、おしとやかな性格であった。十二の時、親に遊郭へ売られていった絹は遊女として生きながらも、その性質は守って生きた。まるで何度抱いても処女のようなその感覚に男達は酔いしれた。
その体は様々な男に愛されて、いつしか絹は、遊郭の頂点へと登り詰めていた。
「この愚図が!おまんさんの飯は誰が食わせてやってると思ってるんね!」
眉間にしわが寄る事が何より耐え難いことだと絹は思った。
それは自分を醜く見せるだけではなく、その深く刻まれた皺は紙のようにくせになる。
まだ入ったばかりの少女を殴りつけて怒る女をいさめて、絹は失敗をした少女にしゃがみ込んだ。
少女は綺麗な着物をきて、美しい笑顔を塗った絹を睨んだ。
「ここの女達は何より大事な操で生きる代わり、屈折しない心をもってるアンタにゃそれがあるかい?」
少女は血が混ざった唾を、何を返事するでもなく絹に吐きつけた。
絹はうっすら笑って頷いた。
「…上等だ」
美しい舞台の裏には、必ず汚れた部分がある。女は美しく着飾り、甘い声で男を誘惑したが、
年を重ねれば重ねるほど、もう現役ではいられない。売れない女は檻の中でただ生臭い死を待つだけだった。絹はそれが一番怖かった。体も心も、もう誰からも愛されなければ生きてはいけない。
永遠の美しさが必要だった。
誰にも負けない花で居続けるには、永遠が必要だと、絹は思った。
あのこ汚い少女もいつしかは男を誘う立派な遊女となってゆく。
自分はそれを性病に悩まされて眺めていなくてはいけないなど、耐えられなかったのだ。
絹は体の衰えていく部分を嫌そうに眺めて、つい寄せてしまった眉間から皺を伸ばして
着物を翻して夜の町に出た。
吉原は巨大な檻。はした金の代わりに身を売られた自分を閉じ込めておく
檻なのだ。
絹は目を閉じた。少しだけ深呼吸していざと、その一歩を踏み出して。
リン、と透き通った音色が耳を過ぎ去った。
絹は一瞬、何があったのか理解できず、立ち尽くした。
夜の町の賑わいが消えうせた。見たことのない西洋の建物。誰も居ない静かさ。どれもが
幼い頃なくした全て。こんな静寂は久しぶりだと絹は思った。
やがて、高い音が鳴って、時計が時間を知らせる。
ふと背後へ振り返ると、幼い少女が腰を折って、一糸乱れぬ動きと声で言った。
『いらっしゃいませ』
絹は思わず後ずさりをした。
少女たちは美しい巫女装束に身を包み、猫のような大きく、それでいて鋭い視線で絹を見上げていた。
絹が何か尋ねようと口を開くと、それより早く少女が話した。
『私どもは戒樹様にお使えしております、右が堰、左が海と申します』
「そ、そんなことより、ここは一体…?」
『戒樹様がお待ちです。どうぞ』
機械的な動作で有無を言わさず絹の両腕を掴んだ二人の少女、堰と海は無表情で歩き出した。
絹はこんな幼い少女を何人も見てきた為、不気味さよりも先に、哀れみがこみ上げていた。
絹の両足は彼女の意志をは全く関係なく歩き出した。
絹は深く広がる闇に目を凝らした。
果たしてそこにあるのはなんなのか、不安ばかりを広げながら…。