二
応接間はとても明るく、金を主体としたとても目に悪い造りで、嘉之衛の趣味をついていた。
木彫りのテーブルにはカステラが乗った皿と茶が置かれていて、よく見れば戒樹の着物も原色が散りばめられて派手だった。
嘉乃衛は戒樹の趣味に満足げな表情を見せた。金があるものはこうでなくてはと頷いている。
戒樹はそっと猫足のソファーにもたれ掛かり、嬉しそうな表情の嘉乃衛を見て笑んだ。
「わたくしの屋敷に来て…そんなに嬉しそうな方は初めてで…わたくしは光栄であります…くく」
「素晴らしい造りの屋敷ではないか、いや、見惚れてしまった」
「ありがとう…ございます」
戒樹の赤目がそっと細められた。
「それでは、わたくしの店のご説明を…」
戒樹は堰を呼び寄せて何やら耳打ちをすると、わざとらしくおお、と声を上げた。
嘉乃衛が不審がっていると、戒樹はやや愉快げに笑って袖口で口元を覆い、
嘉乃衛に振り返った。
「申し訳ありません…少し手違いがあったそうですが…あなたの心の奥底の願い…叶えてさしあげましょう…」
「ワシの願いだと?」
「はい、先ほど申しましたとおり、わたくしめの仕事はより素敵な生活を営んで頂く為、ほんの少しお手伝いをするに過ぎません。その対価として、いつもはあるものを頂いていたのですが…」
戒樹はちらりと堰を見遣った。
堰は光のない瞳で戒樹を見つめ返すと頷く。それをみた戒樹は残念そうに笑ってみせると
もう一度嘉乃衛に向かった。
「誰より素敵な貴方様…糸水嘉乃衛様のお願いとあっては…わたくしはお代を頂くわけには参りません」
「何?」
「ですから、タダで貴方様から一切何を頂かずともその願い、叶えましょう」
嘉乃衛は唾を飲んで、両手をテーブルにつくとがつがつと自身の願い事を唱え始めた。
嘉乃衛は、何故見ず知らずの目の前の男に恥ずかしげもなくこんな事を打ち明けるのか分からなかったが、言わないでおこうにも口が開いてしまって止まらなかった。
「ワシは、今よりずっと金持ちになりたい!蝦夷なんて危険な場所に行かずとも、屋敷で一生を楽に暮らせるような大金が!今すぐ!そしてその大金に包まれて死にたいのだ!遊んで生きたい、楽したい金でなんでも手に入れたい、どうだ、貴様にできるか、その財産をどうか、どうか、ワシに!」
戒樹はぐっと肩を掴まれ、やんわりそれを離すと綺麗な弧を口元に描いて
そっと呟いた。
「ご安心なさいませ…わたくしは…悪の味方…でございますから…」
そして急激な眠気に襲われた嘉乃衛は、往生際悪く両手を伸ばして戒樹に叫んだ。
「金、金が…!」
しかしそこからぱったりと意識は途切れてしまった。
嘉乃衛は汗が滲んだ体を起こした。
船が揺れている。やはり夢は夢、悪態をついて嘉乃衛は立ち上がった。
嵐が来そうな悪天候だった為、少し外の様子を伺おうと甲板に出た。
そういえば与吉の姿がどこにもない。
船員に尋ねると甲板に出て行ったと言う。愚直にも自分で甲板に括り付けられようというのかと嘉乃衛は嘲笑して外の空気を吸い込んだ。
風が冷たい。早々中へ入ってもう一眠りしようと目を開けた途端、
嘉乃衛はその視界に広がった黄金の波を見て、思わず悲鳴を上げた。
「何だ…こりゃあ…」
大海原は巨大に広がる黄金の水。嘉乃衛は驚いて海まで駆けていくと、さざめく小判や大判の姿に心を奪われ、狂ったように笑い声を上げた。
「あは…あははははははは!やはりあれは夢ではなかったのか!これこそワシの夢!」
嘉乃衛は甲板に出る唯一の出口を木箱で閉じ、誰もがこの海を目にしないように閉ざした。
そして大きく腕を振り上げて歓喜の声を上げた。
「ワシが、ワシだけがあの男に選ばれたんだ…これでこれで自由に…!」
「…嘉乃衛様」
嘉乃衛は体中の毛が逆立つような気持ちに襲われて、振り返った。
背後に居たのは与吉だった。やけに浮かない表情でぼんやりと佇んでいたが、
やがて嘉乃衛が掴みかかってきたので、それを避けて、あっけなく倒れこんだ嘉乃衛を見下ろして
悲しげな表情をした。
「どうかなさいましたか?」
「金…金だ…この黄金の海は渡さぬ…!」
「おうごんの…海?」
与吉は海へ軽く視線を遣って、嘉乃衛を見つめた。
そして大きく頷くと片手に持っていた清掃道具を嘉乃衛へと渡した。
「それなら、この箒で取るがよろしいでしょう。少し屈めば取れましょう」
嘉乃衛は不審がって与吉を見つめていたが、やがて箒を奪って甲板の先へ走り出した。
気持ちは高鳴る。
波が一噴きでもしたらこの箒に小判がのるかもしれない。
そう考えて嘉乃衛は箒を下ろして身を屈めた。着水まであと少し、あと少しで手が届く。
「嘉乃衛様」
「なんだ、あっちに行っておれ、この愚図が!」
とん、と軽く背中を押された。
その衝撃に気づくまで、とても時間があってややふりかえろうとした嘉乃衛は箒共々
ぽちゃん、と青く広がるただの海水に飲まれて消えていった。
与吉はその姿を確認して、持っていたランプを見下ろした。
中のろうそくはゆらゆらと不安定に揺れていた為、与吉はふっと息を吹きかけた。
そのろうそく側面には、糸水嘉乃衛と刻まれているのだった。