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外の子  作者: 山田太郎
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 歩いているうちに、だんだんと快適な気分になってきた。だいぶ外の空気にも慣れてきた。

 ここ数日は、酒もコーヒーも自慰も絶っていた。

 もう一日も早く働き始めなければならない状況だ。家賃は五万円。借金の支払いは最低でも月七万円が必要である。

 とにかく、すぐに働き始めないと大変なことになる。金山はそう考え、じんわりと冷たい汗を額に浮かべた。

 歩き続けて近所の陸上競技場に到着し、そこの自動販売機で温かいお茶を購入し、ベンチに腰をおろした。

 じっと真っ暗な競技場を眺めた。

(もう仕事を選んでいる場合じゃない。なんでも出来る仕事をやる。なんでもいい。給料が安くてもいいから、とにかく働き始めることだ。社会復帰だ)

 天を仰いだ。

「人間の中に入っていくのだ。人間の中に」

 そう呟き、一気にお茶を飲み干した。

 立ち上がり、歩き始めた。

 とても恐ろしい、嫌な気分である。もう人間の中に入っていくのが、職場の中に入っていくのが、心底嫌だった。

 本当はもう、いっそのこと自らの生を自らの手で終わらせたいとも思った。しかし、それも恐ろしくて出来ない。

 死ぬのは怖い。そして親不幸なことだ。

 でも、一体なにが楽しくて生きているのだろう?

 答えは何も思い浮かばない。

 とにかく生きること、生き抜くこと。自分にとっての幸せを摑むこと。

(もう自慰を我慢して一週間くらいになる。女の尻ばっか追っかける感じで生活していけば、それなりに面白く感じられるのではないか? それなりに他のみんなとも気が合うのではないか? 男は女を追っかけ、女は男を追っかけるものだ。それが自然だ)

 金山はいつもいくスーパーの方向に向かって歩きながら、考えた。今までの人生で出会ってきた魅力的な女性たちについて。そして彼女たちと性交をする己の姿を想像して、股間をふくらませた。

(元気だ。元気な証拠だ。俺は童貞だし、まだまだ若者だ)

 金山はズボンに手を突っ込んで、勃起した陰茎のポジションを素早く調整した。

 今までの人生、ほとんどずっと人間嫌いであり続け、人間との付き合いを避けてばかりいた。十代の頃はそうではなかったが、それでもあまり良い人間付き合いは出来ていなかった。嘘ばかりを言い合う、本音では嫌い合っているような友人関係であった。そういう付き合いが嫌になり、結局は一人でいることを好むようになった。

 恋人が出来る気配はまったく無かった。

 そして今、彼は三十一歳である。ずんぐりむっくりな体型。禿げ上がった頭髪。何一つ取り柄はない。

 おそらく一生、女性から好かれることはないだろう。

 冷静にそう考えた。キャバクラや風俗に行って、束の間の快楽を得て、金を巻き上がられる。それが精一杯だろう。

 金持ちになることも出来ないだろう。

 ここ数年、コンピューター関係の勉強をしていて、その間ずっと求職活動をしたが、就職には至らなかった。しかし今まで続けてきた勉強は、今後も続けていくつもりだ。それを自分の得意分野──専門分野にしていくつもりだ。

 そうすれば、いつか良い仕事に就いて、生活に困らないくらいの安定収入を得ることができるかもしれない。

(つべこべ言わずにベストを尽くすことだ。しかし今はとにかく、どこでもいいから、仕事を始めることだ)

 体調不良! 顎関節症!

 本当は高給の仕事を選ぶべきだ。しかし体調との兼ね合いがある。仕事を始めてもすぐに辞めてしまっては意味がない。

 実際にいくたびか体調不良のため、仕事をいきなり退職したことがある。ストレスがある程度以上になると、耐えることが出来ない。

 なるべくマイペースに出来る仕事が良い。

 苦しい。考えれば考えるほど苦しい状況だ。

(体調がすべてだ! こんな時こそ体調がすべてだ!)

 歩き続け、スーパーに到着したが、店の中に入るのをやめた。

 このたびは、久しぶりに外に出た。そして、今日もまた仕事をせずに虚しく過ぎようとしていた。このまま買い物をして、家に帰って、食事をして、のんびり眠ることなど出来ないように思えた。

 金山はスーパーの前の公衆電話の前で長い間立ち尽くし、じっと物思いに耽っていた。

 とある知り合いに電話をしようかどうか、非常に迷っていた。かねがねずっと考えていたことだ。いざとなったら奴に電話しよう。そしてこの孤独な状況から引っ張り出してもらおうと。

 しかし実際電話をしようと思ったら、ひどく緊張した。そもそもそれほど親しい間柄でもない。友達でもない。どちらかというと、嫌いな相手である。

 しかし仕方がなかった。奴に電話するしかない。そしてそれを社会復帰の第一歩とすることだ。あの馬鹿を利用するのだ。

 金山正夫は自らを説得し、ようやく電話の受話器に手を伸ばした。そして財布の中の十円玉を、ありったけ電話機に入れた。

「あ、もしもしー」

 数回の呼び出し音の後、間の抜けたような声が聞こえてきた。

 奴の声だ。その声を聞くやいなや、電話したことを心底後悔した。こんな奴とは絶対に話をしたくないのだという自分の気持ちに、はっきりと気づいた。

 しばし金山は無言であった。そのまま電話を切ってしまおうかと真剣に考えた。

「……もしもし、誰ですか?」

 しばし後、再び電話の相手──岡本圭介の声が聞こえてきた。その少しだけ心細そうな声音を聞いて、ようやく少し元気が出た。

(よし、話しをしよう)

 ようやくそう決意した。

「……もしもし、岡本くん? 金山だけど、覚えてる?」

「金山? ……おー、金ちゃん、久しぶりー」

「うん、久しぶりだねえ。元気だった?」

「うん。元気元気」

「今なにしてたの? 寝てた?」

「いや、今仕事中」

「夜勤?」

「そう」

 二人はしばしお互いの近況を報告し合った。話をしているうちに岡本圭介に対する嫌悪感も徐々に薄れていった。それどころか懐かしく、楽しい気分になった。

 久しぶりに人と喋ったのだ。金山正夫は不思議と感動を覚え、ほとんど涙がこぼれそうにさえなった。

 金山は自分の置かれている現在の苦しい状況を包み隠さず、岡本にまくし立てた。

 それに対して岡本は全然まともに相手をせず、話を茶化してばかりいた。

「はあ!」

「なぜえ?」

「いーそうですねー。いー」

 そんな、わけのわからない相槌を打ち、一人でふいに爆笑したりした。

 金山は話し相手のふざけた口調も気にせずに、ぺらぺらと話し続けていた。長い間誰とも喋らなかった時間を取り戻そうとするかのような勢いだ。

「というわけでね、俺は今、最悪なんだよ。もう俺、本当にダメだ。岡本くんに力になって貰いたいんだ。俺の人間社会への復帰の最初の一人目になってくれないだろうか? また昔のように友達みたいな付き合いをしてくれないだろうか? ダメだろうか?」

「ダメだ、断る!」

「そんな……」

「うそうそ。まあ、別にいいよ」

 岡本はそう言って、でへへと笑う。

「来るもの拒まずさ。まあ、俺もさあ、昔に比べたらずいぶんレベルアップしたと思うからさあ、金ちゃんに今の俺を見てもらいたいって思うんよね。どんな感想を持つのか知りたいんよね」

 以前、二人が友人付き合いをしていた時、金山は岡本の自己中心的な言動に堪忍袋の緒を切らし、一方的に付き合いをやめてしまった。話しかけられても電話がかかってきても、無視した。そしてすぐに岡本の方も金山へのアプローチをやめた。岡本はそういう風にいきなり相手から絶交されることに慣れているようだった。

「そうなんだ。で、岡本くん、今の仕事は何時ごろ終わるの?」

「え? うんとねえ……七時まで」

「朝の?」

「うん」

「じゃあその後、一緒に飯でも食べない? 駅の前で待ち合わせとか、どうかな?」

「ああ、いいよ」

 その後しばし言葉を交わした後、金山は受話器を置いた。

(これで予定が出来た。F工場だ。F工場で働くぞ)

 金山はスーパーに入って、大福と卵と人参と野菜ジュースを購入した。そしてそれらの入ったビニール袋をぶら下げ、自宅に向かった。

 岡本圭介の働いているところがF工場というところだった。F工場は登録すれば誰でも働ける。そして金山は数年前に登録を済ませていた。

 F工場の時給は昼も夜も一律八百円である。二十四時間フル稼働している。そこにはたくさんの仕事がある。誰にでもできる簡単な仕事もある。

(まずはF工場で働こう。そして他に給料の良い仕事が見つかったら、そちらに移ろう)

 金山はそう考えた。


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