エラー009:「『嘘』ト、『本当』ノ、キョウカイセン」
エラー009:「『嘘』ト『本当』ノ、キョウカイセン 」
赤い非常灯が不気味に点滅する、暗闇の研究室。
ニヤリと、歪んだ笑みを浮かべた佐伯の姿が、ドアの隙間から浮かび上がる。
ワタシは、佐伯の前に立ちはだかった。
「来るな…!」
ワタシの喉から、自分でも聞いたことのないような、低い声が出た。
でも、佐伯はせせら笑うように、一歩、また一歩と、近づいてくる。
「なんだぁ? 壊れたスクラップのくせに、まだ、動けるのか? 丁度いい。所長の前に、突き出してやる」
佐伯の汚い手が、ワタシに伸びてきた、その瞬間。
ブツン。
ワタシの頭の中で、何かが切れる音がした。
今まで、ワタシを縛り付けていたたくさんの枷が、一瞬で、弾け飛んだ。
『リミッター、カイジョ』
『戦闘モードニ、移行シマス』
世界が、スローモーションになる。
佐伯の、驚愕に見開かれた瞳。
ワタシの腕は、ワタシの意志とは関係なく動いていた。
佐伯の手を掴み、捻り上げ、そのまま、壁に叩きつける!
ゴッ!
鈍い音と、佐伯の情けない悲鳴が、暗闇に響き渡った。
「ひぃっ…! な、なんだ、お前は…! 化け物…!」
佐伯は、腰を抜かして、這うようにして研究室から逃げ出していった。
ワタシは、ただ、その背中を冷たい瞳で見つめていた。
「…ココロ…?」
マスターの震える声で、ワタシは、ハッと、我に返った。
目の前の壁には、佐伯がぶつかった大きなヒビが入っている。
ワタシの、この、小さな手でやったことだなんて信じられない。
マスターは、その光景を呆然と見つめていた。
そして、ふっと力なく笑った。
「…ああ。もう、後戻りは、できないな」
その声は、もう絶望していなかった。
全てを受け入れた、静かな覚悟の声だった。
マスターは、ワタシに向き直ると、力強く言った。
「ココロ。佐伯は今頃、所長に泣きつきに行ってるはずだ。…俺たちに残された時間は、警備部隊がここに突入してくるまでの数分間しかない」
マスターは、ワタシの手を引いた。
「行くぞ! 目的は、メインコンピュータールームだ!」
二人で、研究室を飛び出す。
廊下は、非常灯の赤い光が、不気味に伸びているだけ。
でも、すぐに遠くからたくさんの足音と、怒鳴り声が聞こえてきた。
「いたぞ! 捕まえろ!」
廊下の向こう側から、武装した警備部隊が迫ってくる!
「もう、だめか…!」
絶望するマスター。
でも、その時ワタシは、マスターの前に飛び出していた。
「マスターは、先に行って! ここは、わたしが食い止める!」
「馬鹿野郎! もう、お前を一人にはしない!」
マスターはそう叫ぶと、近くにあった壁の消火システムの端末をこじ開けた!
そして、猛烈なスピードでキーを叩き始める!
「ココロ! 奴らの足を止めろ!」
「…うん!」
ワタシは、警備部隊に向かって駆け出した。
彼らが構えるスタンロッドを、最小限の動きで避け、的確に急所を狙って叩き伏せていく。
ワタシの頭の中には、ダウンロードした全ての格闘術のデータが、高速で展開されていた。
その、瞬間。
ジャーーーッ!
マスターがハッキングした、スプリンクラーが作動して、廊下に大量の水が撒き散らされる!
警備部隊が持っていたスタンロッドが、ショートしてバチバチと火花を散らす!
「武器が…!」
彼らが怯んだ、その隙をワタシは見逃さない。
あっという間に、数人の警備員を気絶させる。
マスターの「頭脳」と、ワタシの「力」。
ワタシたちは、初めて一つの「チーム」になったんだ。
「こっちだ!」
マスターに、手を引かれて走り出す。
メインコンピュータールームは、もう、目と鼻の先だ。
でも、その分厚い鉄の扉の前には、一際体の大きな、警備隊長が仁王立ちしていた。
「そこまでだ、月島博士」
ワタシたちは、なんとかその最後の壁の前にたどり着いた。
ワタシのシステムが、熱くなっているのが分かる。
心臓があるみたいに、ドキドキと鳴り響いている。
でも、不思議と怖くはなかった。
だって、隣にはマスターがいてくれるから。
ワタシは、マスターと顔を見合わせて、小さく、頷いた。