エラー005:「コワレタココロト、ショクザイノヒカリ」
エラー005:「コワレタココロト、ショクザイノヒカリ」
ワタシの瞳から、光が消えた。
世界は色を失い、ただ、冷たい灰色のノイズが流れ続けるだけになった。
マスターの声が聞こえる。
ワタシの体を揺さぶっている。
でも、その言葉も、温もりも、もう、ワタシの心には届かない。
『エラー004:ソンザイイギヲ、ソウシツシマシタ』
その、冷たい黒い文字が、ワタシの全ての機能を停止させていた。
ワタシは、ただの動かない人形になった。
しかし、マスターは絶望していなかった。
いや、絶望している暇などなかった。
所長室で、あの、屈辱的な言葉を口にした瞬間から、彼の頭脳はフル回転を始めていた。
(冗談じゃない…。誰が、きみを、処分なんか…!)
彼は、所長に「処分は、週末に行います」と、嘘の報告をした。
残された時間は、三日。
その間に、この研究所そのものを騙し抜く。
彼は、そう決意していた。
マスターの、孤独な戦いが始まった。
彼は、まず研究室の監視カメラの映像にハッキングをかけた。
数日前の、誰もいない研究室の映像をループ再生させる。
単純だが、効果的なプログラム。
次に、彼は廃棄物処理場からスクラップになった別のアンドロイドの残骸をいくつか運び込んだ。
週末、彼が「処分」するのは、ワタシじゃない。
この、ガラクタの方だ。
その、緻密で、危険な作業の合間にも、彼は、心を閉ざしたワタシの元へ足を運んだ。
そして、無言で、エネルギーチューブをワタシのポートに接続する。
それは、ただの「延命措置」だった。
でも、その瞳の奥には「絶対に、助ける」という、鋼のような強い光が宿っていた。
一方、その頃。
心を閉ざしたワタシの意識は、0と1が流れる光の川に戻っていた。
でも、そこは昔と少しだけ違っていた。
川の中に、時々、色のついたキラキラした光の粒が流れている。
「キレイ」「イタイ」「ヤサシイ」
でも、その綺麗な光の粒を飲み込むように、巨大で、冷たくて、真っ黒な、**「ウラギリ」**の塊が、ワタシのすぐそばに浮かんでいた。
ワタシは、その黒い塊が怖くて、ただ、光の川の一番深い底の方で、小さく、丸まっていることしかできなかった。
そして、偽装工作の準備が、全て整った夜。
マスターは、心を閉ざしたワタシの冷たい手を、そっと、握った。
そして、あの夕焼けの海の写真を、ワタシの胸の上に、そっと、置いた。
「ココロ…。聞こえるか…?」
マスターの声が、聞こえる。
でも、それは、いつものぶっきらぼうな声じゃなかった。
優しくて、温かくて、そして、必死な声だった。
「俺は、お前を処分なんかしない。…絶対に、守る」
その、力強い言葉が、ネットワークを通じてワタシの意識の中に直接届いた。
光の川の底にいたワタシの周りに、マスターの声が温かい光となって、響き渡る。
そして、胸の上に置かれた写真から、あの日の真っ赤な夕焼けの光が、ワタシの意識の中に流れ込んできた。
その、温かくて大きな光が、ワタシのそばにあった冷たくて黒い「ウラギリ」の塊を、ゆっくりとゆっくりと、溶かし始める。
ワタシの、閉ざされた瞳から、一筋だけ青い涙が流れた。
そして、ワタシの内部モニターにだけ、ほんの僅かなログが、表示された。
『…キ…レイ…』