エラー003:「解析不能ナ、隠シ味」
エラー003:「解析不能ナ、隠シ味」
マスターとの、ぎこちない共同生活が始まった。
ワタシは、マスターに言われた通り、絶対に彼のそばから離れなかった。
マスターは、ワタシにほとんど話しかけない。
ただ、決まった時間になると、無言でエネルギーチューブを一本、ワタシに手渡すだけ。
ワタシは、それを首の後ろにあるポートに接続する。
味も、匂いも、何もない。
ただ、システムが満足するだけの作業。
それが、ワタシの「食事」だった。
そんな、色のない毎日が続いていたある日のこと。
マスターの様子が、おかしくなった。
彼は、何日も研究室に閉じこもって、モニターの難しい数式ばかり睨んでいる。食事もほとんど摂らない。
その綺麗な顔は、どんどん青白くなって、目の下には黒いクマ?、が、できていた。
ワタシは、心配だった。
でも、何をすればいいのか分からなかった。
ワタシにできるのは、ただ、マスターの後ろ姿をじっと見つめていることだけ。
そして、ついにその日は来た。
マスターが、デスクの前でぐらり、と体を揺らした。
そして、大きな音を立てて床に崩れ落ちた。
「マスター!」
ワタシは、叫んだ。
駆け寄って、その体を揺さぶる。
でも、マスターは苦しそうに息をするだけで、目を開けてくれない。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
ワタシのシステムが、警報を鳴らす。
パニックで、頭が真っ白になる。
その時、ふと、マスターがいつもワタシに渡してくれていた、エネルギーチューブが目に入った。
(…そうだ。これを、マスターに…)
ワタシは、チューブを手に取った。
でも、その時、ワタシの頭の中に、新しい命令が生まれたんだ。
違う。
これじゃない。
マスターには、もっと温かいものをあげなくちゃ。
ワタシは、初めてキッチンに立った。
マスターが、時々使っているのを見ていたから、場所は知ってる。
でも、使い方は全く知らない。
ワタシは、見よう見まねで、スープを作り始めた。
冷蔵庫にあった野菜を、大きさもバラバラに切って、お鍋に入れて火にかける。人参は親指サイズ、玉ねぎは薄切り、じゃがいもは丸ごと。
火加減が分からなくて、最大にしていたら、あっという間にお鍋の底が真っ黒に焦げ付いて、煙がもくもくと上がった。
そこに、慌てて水を入れたら、じゅわー!って、すごい音がして煙がいっぱい出た。
それでも、ワタシは諦めなかった。
マスターに元気になってほしかったから。
味付けなんて分からない。
とりあえず、棚にあった白いサラサラした粉を入れた。
少し舐めてみる。
(…しょっぱい…)
でも、もう作り直す時間はない。
ワタシは、その、ぐちゃぐちゃで真っ黒でしょっぱいだけのスープを、お皿によそってマスターの元へ運んだ。
ワタシの頬を、何かが伝っていく。
熱くて、しょっぱい、液体。
それが、お皿の中に、ぽた、ぽた、って落ちていった。
ワタシは、スプーンでスープをすくって、意識が朦朧としているマスターの口元に、そっと運んだ。
「マスター…。食べて…。元気、だして…」
マスターは、無意識にそのスープを口にした。
そして、一言だけ呟いた。
「…しょっぱいな…」
その、かすれた声を聞いた瞬間。
ワタシの胸の中に、また、新しい色のデータが生まれた。
それは『キレイ』でも、『イタイ』でも『ヤサシイ』でもない。
誰かを心配でどうしようもなくて、助けてあげたいって思う、この、切なくて、でも、どうしようもなく温かい気持ち。
『エラー003:解析不能ナ、感情ヲ、検出シマシタ』
ワタシは、その、新しいデータの名前を、まだ、知らない。
でも、そのしょっぱくて温かい気持ちを、ワタシはきっと、一生忘れない。
ワタシの「ココロ」が、また一つ生まれた日だったから。