BWV140(目覚めよと呼ぶ声あり)
土曜日になり、朝早くに叔父に起こされた。「こんな朝早くから何?」と叔父に文句を言うと「今日見せたいものがあると言っただろ。ほら、行くぞ。」と私は叔父の車に乗りどこかに向かった。移動中私は眠気に耐えることが出来ずウトウトしていた。
「浩太着いたぞ!」と目を覚ますと父と母そして親戚たちのお墓があるお寺に着いた。正直ここに来ると嫌な思い出が蘇るのでお盆とか正月以外には足を運ばないようにしていた。お墓の前で挨拶した後、本堂に向かった。本堂の前にいる。寺の住職に「鈴木です。据長 浩太君に母の形見を見せてください。」住職は「分かりました。こちらでお待ちください。」と言われて客間で待つことにした。30分程待たされて出てきた。まだか、まだかと内心思っていると
「大変お待たせしました。こちらになります。」と木箱のようなものを出された。「これは何?」と叔父に聞いても「正直、俺も姉貴の形見を見るのは初めてだ。楽器とは聞いていたが」
「ここだとせまいから本堂で説明する。」と言って私達は本堂へと向かった。
本堂に到着すると、木箱なようなものの他に本のような物を取りだした。本のようなものを既定の位置に設置して住職はハンドルを回し始めた。すると、表彰式でよく流れる曲(ヘンデルHVW63見よ勇者は帰る)不思議にオルガンの音色が本堂の中に響き渡った。本尊である薬師如来がいる場で異様な光景に思えたが、オルガンの響きが美しいせいか。お堂の雰囲気とオルガンの響きが馴染んでいった。曲が終わる頃にはお堂とオルガンの響きに私は包み込まれていた。
「これは手回しオルガン言うものでな。このように冊子をセットしてハンドルを回すと音楽が流れるんじゃ。」私は音楽に疎かったため、手回しオルガンの存在自体を知らなかった。見た目にかなり遊び心があってしかも音色も美しい。こんなに素晴らしい楽器を母が持っていたとは驚きであった。しかし、なぜ寺にオルガンが保管されているのか?疑問であった。私は「なぜオルガンがここに?」と聞くと...
「浩太君のお母さんである梢子さん実はバイオリンをやっていて、大学生の時にヨーロッパで演奏した立派な方だった。この手回しオルガンはその時の記念品であると梢子さんは言っていた。大学卒業後、楽器の販売店に就職した後も演奏続けていたけど、康平さんと出会って上鷹鳴の地に嫁に行ったら演奏する機会が無くなってしまったんだ。浩平さんの手伝いが忙しくてね。練習する時間も満足に取れなかったんだ。そこで、私は梢子さんにある提案をしたんじゃ」